ラブひな IF 〈白夜の降魔〉
微灯 「一通の手紙より始まる物語……」
「さて………一体どうしたものか」
日本最強の炎術師…神凪。その宗家の屋敷にて。
神凪家宗主〈神凪 重悟〉が渋い顔をしてずっと悩んでいた。
重悟の視線はずっと目の前の一点…一通の文に向いたままだ。
西洋風の手紙などではなく、純日本風である文…だ。
本来、これを受け取るべき人物は重悟ではない。
しかし今現在、受取人が不在のため、父である彼が代わりに受け取っている…にしかすぎない。
只それだけであるのなら、なにも重悟が渋い顔をすることも無かった。
だが、問題はもっと別……差出人の名前にあった。
「どうするのが、一番良いのか………」
受け取ってから三日…幾度も呟いた言葉を再度呟く。
そして、再び文に目を落とす。そこには………
【―――――景太郎へ――――― 浦島 ひなた】
と、書かれてあった。
「どうしたものか……」
再度呟く重悟。本来なら―――――思案するまでもなく、本人に渡すべきだろう。
だが、重悟の本音を言えば…この文を渡したくはない。
浦島家と息子の確執を考えれば、その選択もやむなし……と、云える。
しかし、つい先日の事がある以上、これを渡さずともいずれは浦島と景太郎は本格的に関わることになる。
そう考えて早三日…景太郎は遠方の退魔と大学の用事で一週間に遠方に出張していたが、
昨日で退魔、大学の用事が終了したと連絡があり、今日屋敷に帰る予定だ。
「…………」
表舞台から退いたとはいえ、浦島ひなたは浦島の前宗主。
その直々の手紙を破り捨てるのも、隠匿するわけにもいかない。
はたして、書かれている内容が景太郎にとって吉とでるか凶とでるか……
「重悟様。景太郎様、並びに綾乃様と煉様、和麻様がお戻りになられました」
悩んでいた重悟に、襖越しに景太郎の帰宅が告げられる。
「おお、そうか。しかし周防、なぜ綾乃達まで一緒なのだ?」
気配すら感じさせずに現れた側近に驚く様子もなく、重悟は質問をする。
その質問に、側近…周防が一礼する行為が襖に映る影からわかる。
「どうやら、帰宅途中で偶然鉢合わせた様子です」
「そうか……
(時間切れか。この判断を景太郎に託すしかない…か)
周防、すまぬが景太郎を呼んでくれ」
「御意」
そう返事をすると、周防は物音一つ立てることなく、その場から消え去った。
そしてしばらく後…呼ばれた景太郎、並びに綾乃達が重悟の元に訪れた。
「「「「宗主(お父様)、ただいま戻り(参り)ました。」」」」
多少の言葉の違いはあれ、四人の声を揃えた挨拶に、重悟は大きく頷く。
「うむ、よく無事に戻ってきた」
四人の無事な姿を確認しつつ、重悟は柔らかな笑みを見せる。
実は、綾乃達も三人で退魔に出かけていたのだ。ただし、そこそこ近場で低級の妖魔だったが。
もっとも、煉は只単に学校から帰ってきただけなのだが…
「しかし、私が此処に呼んだのは景太郎だけだったのだが…まぁ良い。景太郎……」
「はい」
名を呼ばれた景太郎が返事をすると、重悟は目の前に置かれていた文を何も言わずに差し出した。
対する景太郎は、少し戸惑った後、文を受け取る。
「…………宗主、これは?」
受け取った文に書かれてある差出人の名前を見て無表情となる景太郎。
その様子を見て少し苦い顔をする重悟。
予想通りといえば、予想通りの景太郎の反応だからだ。
「……中身は見ておらん。お前が一番先に見るべきものだと思うからな」
「………」
重悟に言われ、景太郎は文を広げて中身に目を通す。
「……綾乃」
強い興味をひかれたのか、景太郎の肩越しに文を覗き見ようとした綾乃を注意する重悟。
その声に、綾乃は慌てて元の位置に戻り、姿勢を正す。
「はぁ~~~……」
その様子を見た和麻と煉が大きく溜め息を吐く。
「あ、あんたらね…」
まったく……と言わんばかりの二人の溜め息に、
綾乃は腰を浮かして(和麻の)胸元をひっつかんで食ってかかろうとする…が、
「綾乃」
「う…すみません」
再度の重悟の注意に、出しかけた手を引っ込め、謝りながら姿勢を元に戻す。
するとまた、今度は和麻だけが盛大に溜め息を吐く。
しかし、今度は綾乃は動かない。綾乃とて、過ちを三度も繰り返すほど馬鹿ではない。
だが……
(ね、姉様、本気で怒ってる)
(やれやれ、この二人は何故こうなるのか……)
怒りに微かに震える綾乃の身体を見た重悟と煉は、揃って静かに溜息を吐いた。
その時―――――
「巫山戯てるのか、それとも耄碌したか、あのクソ婆ァ」
手紙を読み終えた景太郎が、腹の底から絞り出したような声で呟く……
思わず呟いてしまったのだろう、本当に小さな声だったが、この場にいる皆の耳にしっかりと聞こえた。
「どうした? 景太郎」
静かに怒る景太郎の様子に重悟が訊ねる。
その問いに、景太郎は何も言わずに文を開いたまま差し出す。
重悟はそれを受け取ると、文に目を通した。
そして、読み終えた重悟は若干顔を顰めながら文を傍に置き、視線を景太郎に戻した。
「よもや、こういう用件だったとは。私はてっきり、先日の”あの件”についての事だと思ったのだがな……」
「それより性質が悪いかと……」
再び感情を抑えた景太郎が、無表情で静かに言葉を返す。
「だが、普通に考えれば悪い話ではあるまい。知る人ぞ知る、あの”ひなた”をお前に譲渡すると言っているのだ。
本来なら、日本国内でも有数の『霊穴の地』をな。
権力者なら…いや、力ある存在なら、是が非でも欲しがるものだぞ?」
「それでも…です。そもそも、俺は霊穴にはまったく興味はありません」
静謐な声ではっきりと答える景太郎。
だが、ひざの上では強く握りしめられた拳から血が滲み出ている。
「景太郎……」
「景兄様…」
「お前達は口を挟むな」
何かを言いだそうとした綾乃と煉を黙らせる和麻。
珍しく真剣な和麻の表情に、二人は言葉を飲み込んで沈黙する。
そんな三人のやりとりを見た後、重悟は再び景太郎に向かって口を開いた。
「景太郎…お前の気持ちは少しは解るつもりだ。
だが、浦島の前宗主の直々の”呼び出し”を無視するわけにはいかん。
あの申し出を”受ける”にしろ”断る”にしろ…な。
結果はどうあれ、我らは脛に傷を持つ者。お前も、この意味が解らぬほど子供ではあるまい」
「…………承知いたしました。準備が整い次第、”ひなた”へと向かいます」
重悟の言葉に、景太郎は畳に両手をついて頭を下げた。
―――――その夜―――――
「景太郎、どうするんだ?」
「……まだ居たんですか、和麻さん」
屋敷の縁側で何かを考えている景太郎に、隣に立ちながら話しかける和麻。
普段なら、仕事以外では神凪に頑として寄りつこうともしない和麻。
その和麻がこんな時間帯になっても『宗家の屋敷』に止まっていることが、景太郎は不思議でならなかった。
「なに、あんなにおいしい話をあっさりと『興味ない』の一言ですませる馬鹿の見学にな」
「そうですか…心配をかけてすみません」
「ばっ…なに馬鹿な事を言ってんだよ」
「あはははは、照れることないじゃないですか」
素知らぬ顔でそっぽを向く和麻に、景太郎は笑いながら対応する。
しかしそれも束の間、二人は急に真面目な顔になって向き合う。
「で…どうするつもりだ?」
「行きますよ。実のところ、宗主に言われるまでもなくそのつもりでした」
「罠かもしれねぇぞ。上手い話を餌に、敵を自分のテリトリーに呼び寄せる。
そして、一気に叩き潰す。使い古された手だが、有効な手だ」
「それでも行きますよ。俺は、あいつらに背を見せる気はありません。
あいつらが見るのは、逃げる俺の背中ではなく、自分達の同胞によってできた死山血河ですよ」
目を細め、うっすらと笑う景太郎。
その笑いから狂気と憎悪を感じる和麻。かつての自分の姿と今の景太郎の姿をダブらせる。
「まぁ、その程度の浅知恵など宗主だってわかっているさ。
それでも行けって言うのは、お前の力を信じているからか、それとも罠が無いという確証があるのか…だな。
どちらにしろ、宗主は何かを知ってて隠しているな…くれぐれも気をつけろよ」
「ええ……」
宗主を平然と疑う和麻の言葉に、景太郎は苦笑いをしながら短く返事を返す。
そして、顔から表情を消し、空にかかる月を目を細めて見上げる。
(浦島 ひなた…俺から”あいつ”を奪ったあんたが一体何の用だ………
だが、そんなことはどうでもいい。あのクソ婆ァの事だ、俺がどんな気持ちか知っているはずだ。
それでもなお招こうとするんだ、死にたいのなら望みどおりにしてやる……俺の炎でな)
景太郎は身を焦がすほどの憎悪を心の底に秘めつつ、〈ひなた〉に向かうことを決意する。
景太郎にとって懐かしくもあり、忌まわしき地―――――ひなた。
その要の地に鎮座する〈ひなた荘〉にて、景太郎の物語が開かれる。
―――――第一灯に続く―――――