白夜の降魔

ラブひな IF       〈白夜の降魔〉

 

 

 

第六灯 「水の姫、来訪する……」

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、はるかおばさん。そして………お兄ちゃん」

 

 

景太郎をはじめ、皆が声のした方に振り向くと、そこそこの長い黒髪を首筋辺りでまとめた十代半ばの女の子と、

その横に、尻尾に鈴付きのリボンを着けた、妙に耳の長い猫がいた。

 

その少女は、キツネ達の視線をものともせず、はるかと景太郎に声をかける。

 

 

「ひ、久しぶりだな…加奈子」

 

 

加奈子のいきなりの登場に動揺を隠せないはるか。

いつもなら、『はるかさんだ!』と言い返すところなのだが、今は曖昧に返事を返すのがやっとだった。

 

しかし、もう一人…景太郎はといえば(表面上は)すぐに平静を取り戻し、

気を失って倒れたままのなるを抱き抱え、少女…加奈子に背を見せ、ひなた荘に向かって歩き始めた。

 

 

「お……お兄ちゃん」

 

 

そんな景太郎の態度に、加奈子は怯えたような声で呼びかける。

その呼びかけに景太郎は立ち止まり、振り向かないまま、

 

 

「今はこんな状況だ。話は明日にしろ。部屋はすぐに用意する」

 

 

とだけ言うと、結局、振り向かないままひなた荘の中へと入っていった。

 

 

「お兄ちゃん………」

 

「………加奈子、今はそっとしておいてやれ。

私が言えた義理じゃないが、あいつにとって”浦島”は含むものがあるのは確かなんだからな」

 

「そう……ですね………」

 

 

はるかの言葉に力無く返事をした加奈子は、はるかと共にひなた荘の中に入っていった。

 

そして後に残されたのは、いきなりの展開においてけぼりをくらわされた、

キツネにスゥ、しのぶと、未だに倒れたまま起きあがれない素子だった。

 

 

「うちらもそろそろ寝るか。夜も更けてきたことやしな」

「そうですね…」

「よっしゃ、モトコー、今日は一緒にねよー」

 

そして各々、自分の部屋に帰って就寝すべく、ひなた荘に向かって歩いた。

例外なのは、スゥに引きずられている素子だけ…

 

 

「いや、ちょっと待て、今のこの状態でお前と寝たら、さすがの私でもやばい」

「まぁええやんか」

 

 

スゥの寝相の悪さに命の危機を覚えながら、必死に説得する素子!

しかし、当の本人は相変わらずの笑みのまま、かまわず素子を引きずって部屋に向かった…

途中にある階段をどう上ったのかは…言うまでもない……

 

 

 

―――――そして、翌日の朝―――――

 

重い沈黙の中、つつがなく朝食を終えた景太郎達は、

ひなた荘のリビングにて、向かいあってソファーに座っていた。

 

構図的には、景太郎を含むひなた荘メンバーと、反対側に加奈子一人。

そして、私は中立だと言わんばかりに、少し離れた一人用の椅子にはるかが座っていた。

 

そう、景太郎側にひなた荘メンバーだ。平日の朝にも関わらず……

 

 

「なんでおまえらまで居るんだ?」

 

 

景太郎はなる達を見ながら、呆れた口調で投げやりに言う。

本音は、こんな特殊な家庭事情になる達一般人を巻き込みたくないのだ。

 

しかし、そんな心遣いなど知る由もなく、なる達は平然と言い返す。

 

 

「なによ、私達だってまったく無関係ってわけじゃないでしょ!」

 

「そうじゃなくてだな、キツネさんはともかく、こんな平日にどうして此処にいるんだって言ってるんだよ。

勉学に勤しむべき身分の者は、その権利を全うするべきだ。ということで、早く学校へ行け」

 

 

小難しいことを言ってなる達を学校へ追いやろうとする景太郎。

しかし…そんな理屈、なる達には一切通用しない。

 

 

「一身上の都合による欠席よ!」

「どこがだよ……」

 

 

なるの言い分に完全に呆れ果てる景太郎…なるやスゥはともかく、

真面目なしのぶや素子までこの場から動こうとしない以上、説得は無理だと判断したのだろう。

 

 

「すみませんが…私としては、早く話し合いをしたいのですが」

 

 

なると景太郎のじゃれあいを、無表情な顔で諫める加奈子。

しかし、その視線の中には冷たいなにかが混じっていた。

 

その効果があったのか、景太郎以外の人間全員、真剣な顔つきになって加奈子に注目する。

 

 

「でも、その前に……」

 

 

せっかく引き締めた場を自らぶち壊す発言に、肩すかしを食らうひなた荘の住人達。

当の本人は気にしていないのか、それとも然したる問題ではないと思っているのか、平然としていた。

 

―――――ちょうどその時、

 

 

ピンポーン!

 

 

「もう一人の使いが来ましたので……」

 

 

そう言うと、加奈子は静かに立ち上がり、来訪者を迎えに玄関に向かった。

そんな加奈子の行動を、景太郎は複雑な眼差しで見つめていた。

 

 

(気配か、それとも同じ水術師としての感覚か…どちらにせよ、感知能力はそこそこあるみたいだな。

どうやら、あの婆にそうとう仕込まれているようだな……)

 

 

来訪者の力…もしくは気配を感じていたであろう加奈子。

炎術師と水術師の感知能力にはさほど差はない。若干水術師の方が高い程度だ。

故に、加奈子が気がついたのであれば、それは精霊云々を抜かした純粋な実力だという事になる。

 

 

「誰やいったい……」

「そうですね」

「なんやおもろなってきたな~」

 

 

ころころ変わる雰囲気に調子を崩されたためか、妙に気の抜けてしまったキツネとしのぶ…

対して、スゥは何やら妙な期待に目を輝かせていた。

 

それから十数秒後…加奈子は着物を着こなした二十歳前後の黒髪の女性を伴ってリビングに戻ってきた。

その女性はなかなの美人で、着物を着ているせいか『大和撫子』という風に感じられた。

 

少なくとも、その美貌をそこなうほどのきつい目で景太郎を睨んでいなければ……

 

 

「では、あらためて本題に入らせていただきます」

 

 

真面目な…凛とした表情で口を開く加奈子に、(景太郎と和風女性を除いた)皆が表情を引き締める。

 

 

「〈神凪 景太郎〉殿。この度、私がここへ参ったのは、あなたに浦島宗家へとお戻り願うためです」

「断る」

 

 

単刀直入に切り出した加奈子の言葉を、なんの迷いもみせずに返答する景太郎。

打てば響く…と言えば聞こえはいいが、返される方はたまったものではない。

口論の余地無し…と、面と向かって言われていると同義なのだから。

 

 

「俺は『浦島』になる・・つもりはない。『戻れ』というのは論外以前に、言葉の間違いだ」

「―――――ッ!」

 

 

あの優しい兄なら、困ったときにはいつも助けてくれた兄なら…きっと戻ってきてくれる。

浦島のところへ…だけではない、十年以上も待ち続けた、自分の元へ……

 

加奈子は大きな期待と望みを持っていた。

だが、帰ってきた事実は、完全なる拒絶と言葉だった……

 

 

「………お兄ちゃん」

 

 

あまりのショックに何も言えず…やっと、加奈子の口から漏れ出たのは、

儚く震える声音と、昔の兄への愛称だった。

 

 

「悪いが、俺には〈浦島 加奈子〉という妹はいない。俺にいるのは〈神凪 綾乃〉という妹だけだ」

 

「そんな………」

 

 

追い打ちをかけるかのような言葉に、今度こそ完全に絶句する加奈子……

表面上、必死に取り繕っているように見えるが、硬く握りしめられた両の拳が内心をもの語っている。

 

しかし、このあまりの言い草に、なるとキツネが怒りも露わに景太郎にくってかかった!

 

 

「ちょっと景太郎!はるばる尋ねてきた妹に対して、そんな言葉はないでしょう!!」

「そや!いくらなんでもあんまりやで!」

 

「何も知らないやつらは黙っていろ」

 

 

二人の非難を一言で切って捨てる景太郎。

そんな言葉に二人はさらに何かを言おうとしたのだが、殺気混じりの一瞥に気圧され、言葉を飲んだ。

 

その僅かな間に気を取りなおした加奈子は、再度、景太郎に話しかける。

 

 

「今までの事情が事情だけあって、お兄ちゃんが”浦島”に対して決して良い感情はなかったことは解ります。

ですが、ここまで頑なというのは、やはり、以前の刺客によるものですか?」

 

「刺客? ………ああ、あれね。そういやそんなこともあったな。

威勢良く出てきた割には大したことがなかったから、すっかり忘れていたよ。

安心しろ、あんな雑魚なんかいちいち気にしてない。そもそも、気にかけるほど俺も暇じゃないからな」

 

 

あの日の天気は晴れだったな…程度に話す景太郎の言葉に、はるかとキツネを除くこの場の全員が驚く。

なる達は、さも公然と刺客を送るという”浦島”や、さして気にしないという景太郎自身に…

そして加奈子は、分家とはいえ、数人掛かりの襲撃を苦にすらしない景太郎の実力に…

 

(兄の実力がそれほどとは聞いていませんでした…これは一度、兄の情報を洗い直さなくてはいけませんね……)

 

浦島 影治義理の父から知らされた情報にはかなり不備があることを悟った加奈子は、

家に戻り次第、景太郎の情報を自らの手で洗い直すことを決心する。

 

と、その時―――――今までただ黙って加奈子の傍に控えていた女性が、怒りを露わに立ち上がった!

 

 

「雑魚ですって!? あんなことをしておいてそんな言い方を!!

あなた如き”能無し”の為に、次期宗主である加奈子様がわざわざ訪れたというのに!

同じ”浦島”の血を引いている者として、恥を知りなさい!!」

 

 

女性は侮蔑の言葉と憎悪の視線を誰はばかることなく景太郎にぶつける。

彼女…否、彼女達一族ではそれは当たり前なのかも知れない。

 

だが…第三者、それも、つい先日に景太郎と戦ったばかりの素子には、

この女性の言葉は愚か以外のなにものにも聞こえなかった。

 

 

(神凪のことを〈如き〉だの〈能無し〉だのと…自分と神凪の実力差が感じられないのか?

私も人のことは言えないとはいえ…あまりにも愚かすぎる)

 

 

昨日までの自分を見せつけられているような錯覚におちいる素子…

客観的な立場から見て、その行為がいかに無謀で愚かしいか、よく解ったのだろう。

 

そんな侮蔑を受けているとは露にも思わず、女性は感情に後押しされるまま、次々に言葉を口にする。

 

 

「そもそも、あなたが”浦島私たち”に敵愾心を抱いているのだって勘違い甚だしい!

あの儀式により、この日本は今まで栄えてきたのです。いわば、この国を実質上守っていたのです。

それを十年前、たかだか”楔”一つの命を守るため邪魔をしようとした挙げ句、

今また、その事で浦島を憎むなど逆恨みも―――――ッ!!

 

 

言葉の途中で顔を―――――否、身体を引きつらせる女性!

そのかたまった視線の先には、軽い笑みを浮かべる景太郎の姿があった。

 

 

「どうした、続きを言わないのか?」

 

 

今日の発言の中で、一番優しげとも感じ取れる景太郎の声音。

だが、女性は次の言葉を発することができない…

景太郎から放たれる凄まじい殺気の圧力プレシャーと、瞳の中に燃える憎悪の炎の前に、身体が硬直してしまった故に。

 

だが、たとえ口が動いたとしても、決して次の言葉を紡ぐことは無かっただろう。

次の言葉を発した瞬間、自分は一瞬で蒸発することを感じていたから!

 

 

「どうやら、言い残すことは・・・・・・・ないようだな」

 

(こ、殺される!!)

 

 

景太郎の死刑宣告に、女性は身を護ろうと必死に水の精霊をかき集めようとしたが、

彼女の意志に水の精霊はまるで反応をみせず、目の前にある紅茶の一滴すら動こうとしない!

 

生まれついての水術師として、決して有り得ない事態に混乱する女性。

そして、目の前に迫った『死』に半ば恐慌に陥りながら、傍にいる絶対的な存在に縋り付いた。

 

 

「かっ、加奈子様!!」

「どうかしましたか?」

 

 

今まさに身内が殺されようかという瞬間にも、静かに紅茶を口にする加奈子。

そんな加奈子の冷静な態度をどう受け止めればいいのか判断がつかず、女性は焦る。

 

その代わりか、さすがにやばいと思ったキツネは平静を装いつつ景太郎に話しかける。

 

 

「まぁまぁ景太郎、少し落ち着きや」

 

 

いつもの調子、気取ることのないかる~い感じ話しかけるキツネ。

しかし、その内心では、冷や汗をダラダラと流していた。

 

 

(こらあかんわ…下手なこと言うたらうちまで黒こげになるで……

しかし、最近うちってこんな役回りばっかりやな…本当なら、こういう役ははるかさんの担当のはずやのに)

 

 

キツネは、本来の役目を放棄しているはるかに目を向けると、

当の本人はいつも通りの無表情でタバコをふかしていた。

 

 

(なにをタバコをふかしてのんびりしとんのや!)

 

 

そんなキツネの非難の視線に気がついたのか、はるかはキツネに目を向けると、ふっと笑った。

つまるところ、キツネに全部押しつけたというわけだ。

 

 

(こ、この女!わかっとって放っとるんかい!!)

 

 

キツネは内心で歯軋りしながら悪態をつくと、無理矢理意識を元に戻し、

今度は素知らぬ振りをしたまま紅茶のお代わりをしのぶに頼んでいる加奈子に向き直った。

 

 

「ほらっ、あんたも助けてやりや」

「何故ですか?」

「何故って……」

 

「私は、兄に”浦島”へと戻っていただけるよう、頼みに来たんです。

それを根底から崩壊させるような…それどころか、神凪を敵に回しかねない言葉を吐く始末。

むしろ、その責任を取ってもらわなければなりません」

 

「やけど、このままやったら……」

「兄が彼女を…史記しきさんを殺す、と?」

「そや。あんたかて、兄が人を殺すところなんか見た無いやろ?」

「そうですか…そう言われればそうですね」

 

 

なにやら納得した感じに頷く加奈子に、キツネはとりあえずホッとする。

史記と呼ばれた女性も、命が助かったことに安堵した。

ただし、次の加奈子の発言までの、短い時間だけだった。

 

 

「こんな愚者おろかものを始末するのに、わざわざ兄の手を汚させるのは以ての外でした。

同行を許可した責をとり、私自らの手で始末するのが筋ですよね」

 

「か、加奈子様! 何故に!?」

 

 

加奈子の言葉に顔を青ざめさせる史記!

 

 

「先程も言いましたが、”浦島”は神凪に敵対するつもりは毛頭ありません。

話し合いを通じ、穏やかな解決を望んでいるのです。

ですが、先程のあなたの発言はそれを真っ向から壊しかねない、いえ、壊しているんです」

 

「し、しかし! 私はこの者に言ったのであって…」

「そうです。『神凪宗家に連なる術者の方』に向かって言いましたよね」

 

 

はなはだ不本意ですけど…と、心の中で呟く加奈子。

加奈子にしてみれば、扱う術の違いや立場などどうでもよく、一刻も早く景太郎に浦島に帰ってきてほしいのだ。

 

―――――それ故に、

 

 

「浦島は神凪に敵意がないことを示すため、誤解をまねく貴女を処断するのです。

貴女如き命の一つで、神凪と浦島の全面抗争が回避できるのです。解っていただけましたか?」

 

「そんな、何故です! 何故私がその様なことを…納得できません!!」

 

 

加奈子の言葉に納得できないため、史記は必死に叫ぶ!

悪いのは景太郎であって、正しいことを言っている自分が何故殺されなければならないのか。

と、考えているのだ。

 

そんな史記を、加奈子は絶対零度の目で見ながら吐き捨てる。

 

 

「見苦しい…そんなに叫ばないでください。たかだか貴女一人の命でしょう?」

「ひ、人の命を『たかだか』とは…」

 

「何を言っているんです。貴女が言ったのでしょう? ”楔”と呼ばれる人の命を『たかだか』と…

いえ、一緒にしては失礼でした。浦島家を支え、八百年もの間、日本を守り続けてくれた”楔”の方々に。

あの方々と貴女の命、比較どころか対象にするなどもってのほかですね。

だから、そんなに軽い命の一つで”大げさ”に騒がないでください」

 

「―――――!!」

 

 

今の加奈子の言葉で、史記はやっと気がついた。

加奈子の身体から、蒼銀の霊気オーラがうっすらと立ち上がっていることに!

自分は景太郎の怒りだけではなく、加奈子の怒りすらも買っていたのだと!!

 

 

「納得しましたか?したのなら死んでください」

 

 

すっと静かに立ち上がった加奈子は、史記に向かって右手を突き出す。

それと同時に右の掌から銀の光を放つ水が発生し、瞬時にして二メートル近い棒に固形化する!

 

それは澄んだ蒼色をした長めの棒で、その表面には煌びやかな紋様が施されている。

そして、その両端には白銀ぎんに輝く直系三センチ程度の水晶がついてあった。

 

それこそ、過去の浦島家宗主が水の精霊王から祝福と共に賜った降魔の神器〈水昂覇〉であった。

 

 

「冥土の土産に、この水昂覇で葬って差し上げます」

 

 

水昂覇の先端を史記に向かって突き付ける加奈子。

その加奈子の意志に従い、召喚された数トンもの水の精霊がその先端に集束。

銀光を放つ水の刃となり、ただの棒状だった水昂覇は〈薙刀〉へと化した!

 

 

「召喚した水の精霊を刃と化し、持ち主の望む形状の武具となる、神器〈水昂覇〉。

神凪の神宝〈炎雷覇〉と並び賞される浦島家の至宝…か」

 

 

景太郎は水昂覇を構える加奈子を複雑な眼差しで見つめる。

水昂覇の放つ力の波動、それをあの若さで完璧に扱う加奈子に対する賞賛。

だが、水昂覇は…それ自体は、景太郎にとって〈忌々しい過去〉の象徴の一つでもあるからだ。

 

 

「それでは…」

 

 

薙刀となった水昂覇を軽く振り上げる加奈子。

呼吸すらも忘れ、その振り下ろされるであろう水の刃を凝視する史記。

死にたくないと言う気持ちは強い力となり、必死に水の精霊に呼びかけるが、一向に応えることはなかった!

 

 

「無駄ですよ。辺り一帯の水の精霊は抑えています、貴女の呼びかけには絶対に応えません」

 

 

加奈子の言葉に、絶望を通り越して放心する史記。

先程から精霊が応えないのは、加奈子が抑えていたからだとは思ってもなかったのだ。

無論、出来たからといって、別に逆らおうとか勝てるとかは考えてもいない。ただ、何かに縋ろうとしただけ。

それが、水術…生まれてからずっと、共にあるもの。

 

しかし、それも絶対的な力の前には朝露よりも儚かった…

彼女は、避けることのできない『絶対の死』が、静かに自分に迫るのを肌で感じていた。

 

―――――だが、

 

 

「まぁ待て」

 

 

意外と言うべきだろう、最初に彼女を殺そうとしていた本人…景太郎が、加奈子に制止をかける。

 

これが他人…はるか等だったら、無視して水昂覇を振り下ろしていたところなのだが、

止めたのが景太郎だったためか、まるでビデオの一時停止の如く、僅か数ミリ手前でピタッと見事に制止した。

 

 

「こんな所で殺生はするな。子供が見ている」

 

 

景太郎の言葉に、加奈子は横目でチラッとしのぶやスゥを見る。

無論、彼女達が表の社会の人間…一般人であることは、加奈子も知っている。

 

 

「しかし……」

 

「最初に殺そうとした俺が言っても説得力がないのは解っている。

それでも、お前が俺のためにソレを殺そうとしているのなら止めてくれ」

 

「お兄ちゃんがそう言うのであれば…」

 

 

集った水の精霊を散らし、水昂覇を体内なかに納める加奈子。

それを見た史記は、全身に冷や汗をかきながら安堵の息を吐いた。

 

しかし、

 

 

「今回の一件、後ほどじっくりと話し合いをします。良いですね、史記さん」

「………はい」

 

 

自分に向ける視線そのものが変わっていないことに、史記は再び身体を硬直させた。

殺されることはないかも知れないが…次期宗主の怒りを買ったのだ、家の取り潰しはありえる。

ただでさえ、彼女の家はこの前の一件・・・・・・でかなり危うい立場にあるからだ。

そんな現実的な未来に、史記は強い眩暈を感じ、直後に意識を失った。

 

 

数分後……気絶から復帰した史記だが、目障りだということで加奈子に外に追い出された。

ひとまず仕切り直しだということだろうか、加奈子はもう一度決心して口を開いた。

 

 

「お兄ちゃん、どうしても”浦島”には戻ってくれませんか?」

 

「くどい。わざわざ京都くんだりからここまで来てご苦労だが、俺に”戻る”という意志は一切無い。

それに、もうお前は俺の妹じゃない。兄とも呼ばれる立場じゃないし、関係もない」

 

「そうですか……」

 

 

呟くようにそれだけ言うと、加奈子は落ち込んだように顔を下に向けた。

それはまるで、泣きそうなのを堪えているようにしか見えない……

 

 

「ちょっと景太郎…」

「景太郎」

「先輩……」

「おい神凪」

「けーたろ……」

「景太郎、お前そこまで……」

 

 

なる達ひなた荘の面々は、景太郎の繰り返される拒絶の言葉にショックを受ける。

そして同時に、自分達以上にショックを受けているであろう加奈子を思って、辛そうな顔をする。

 

そんな中、皆の心配そうな視線を受けていた加奈子は、なにかを吹っ切ったような表情で顔を上げた。

 

 

「わかりました。そう言うことなら仕方がありません―――――結婚しましょう!!

「なぬ!?!」

 

 

加奈子の水爆級の爆弾発言に、さすがの景太郎も取り乱したのか、妙な言葉が口から滑りでた。

傍で聞いていたなる達も、あまりの唐突さに茫然自失となり、口を開けて呆けてしまう……

 

 

「ちょ、ちょっと待て!どこをどうすればそういう結論になるんだ!!」

 

 

我に返り、必死に正論を口にする景太郎の叫びに、ハッと正気に戻るキツネ。

他の人間は未だに意識が戻ってきてはいない。

特にはるかは、今までの加奈子のイメージとあまりに違っていたため、かなりショックが大きいようだ。

 

 

「あ、あんたは妹やろ!?いくらなんでも、それはやばすぎるで!」

 

「心配無用です。お兄ちゃん…いえ、景太郎さん・・・・・とは血の繋がりからいえば従兄妹いとこにあたります。

戸籍を戻せば義兄妹きょうだいということになりますが、戻らない以上、問題はありません!

それに、その方法だと、景太郎さんが婿養子として浦島に入るという形になりますので、

景太郎さんが気にしていた『戻る』『戻らない』という問題もクリアできる。それで全てが丸く治まります!!」

 

「治まるか! って言うか、おい加奈子! 人の話をちゃんと聞け!!」

 

 

勝手な屁理屈を展開する加奈子に、景太郎は内心の動揺を隠しつつ怒鳴り返す!

そんな景太郎の言葉に、加奈子は真面目な顔をしつつ、真正面からその視線を見返した。

 

 

「もちろん聞いています。景太郎さんは”浦島”には戻らない。つまり、戸籍上は問題ありません」

 

「大有りだ! たとえ戸籍上や血縁上に問題なくとも、お前は俺の義妹いもうとだったんだぞ」

「しかし、景太郎さんは先程、『もうお前は妹じゃない』とはっきりといいました。ですよね、皆さん」

 

 

加奈子の凄まじい眼光に気圧されつつも、なんとか頷いて肯定の意志を示すキツネ達。

もしこの場面で『そんなことをいったっけ?』等と言えるのであれば、それはある意味勇気ある行動だろう。

 

無理矢理作られた四面楚歌の状態に、ガクッと肩を落とす景太郎。

よもや、拒絶に使った自分の言葉により、加奈子に逆にやりこめられるとは思ってもなかったのだ。

 

そのままテーブルに突っ伏したくなる身体をなんとか気力で支えつつ、

頭をフル回転させてこの場からの逃げ道を必死に模索する……

 

 

(やばい、やばすぎるぞ…昔からなにかと慕ってくれていたことは薄々と気がついていたが…

どう間違えたのか、まさかこんな状況になるなんて予想もしてなかった――――って言うか、できるか!!)

 

 

かなり追い込まれているのか、自分につっこみを入れる景太郎。

退魔の仕事上、修羅場はかなり潜り抜けてきたのだが…こっちの修羅場は経験がないらしい。

 

 

(それにしても、加奈子といい綾乃さんといい、俺の妹ってなんでこう変わっているんだ?

綾乃さんは神凪の至宝”炎雷覇”をハリセンみたいにつっこみに使用するし…相手が和麻さんだから良いけど…

それに加奈子は、いきなり元・兄に結婚を迫ってくるし…確かに、もう兄妹じゃないとは言ったが。

なにか、これは俺のせいか? 俺の所為なのか!? 納得できん!

この歳で人生の墓場に足をつっこむ羽目になるなんて………って違うだろ! 正気に戻れ、俺!!)

 

 

この脳内会議、実際には一秒にも満たない間に展開されている。

人間、瀬戸際まで追い込まれると信じられない力を発揮するというが…これもその一種なのかも知れない。

 

少なくとも、景太郎は精神的に追い込められているのは間違いないのだから。

だが、そのおかげか、考え抜いた末に景太郎も腹をくくることができた。

 

 

「加奈子…お前がそこまで想っていてくれたなんて、俺はまったく気がついてなかった。すまない。

だが、俺はお前の想いに応えることはできない。俺には…まだ想う人がいる」

 

 

ただ真っ直ぐに、加奈子の目を見て言葉を紡ぐ景太郎。

その言葉に嘘偽りがないことを示すかの如く、ただ真っ直ぐに……

 

その真っ直ぐなまでの視線に、そして想いに、加奈子の表情が少し陰る。

 

 

「……”想う人”とは、響子お姉さんのことですね」

 

「……そうだ。俺は響子を想っている。十歳にも満たない子供心からの想いであっても…

そして、十年以上の月日が流れようとも…俺は、響子を想っている」

 

 

十年以上前…浦島の分家の子供に水術の実験と称されて殺されかけていた毎日…

心身共に朽ち果てるかと思った日々…

そんなとき、ただ一人、身をはって庇ってくれた女の子。

自身も、水の精霊の加護を受けていないのに…それでも必死に庇ってくれた。

 

(そうだ…響子は守ってくれていた。こんな、非力で情けない子供おれを……)

 

 

浦島宗家の嫡子として生まれた景太郎は、水術の才を持たずに生まれた。

本来、凡夫として生きていくのであれば、さして必要の無い力。

だが、特殊な家系に生まれた以上、その力はなによりも必要な力だった。

特に、特殊な家系の頂点であるべき家に生まれた者ならでは尚更……

 

 

(分家というのは、どこも同じだ…醜いほど勝手で、愚かだ)

 

 

『宗家』と『分家』の実力差は決して覆ることはない、それこそ、天地がひっくり返らない限り。

それゆえ、分家は宗家の絶対的な力に畏怖し、そして敬意を払って尽くす。

だが、所詮は人間…少しでも力ある者として、見下されたままが面白いわけはない。

 

だから、分家は他の連中を睥睨する。

浦島では、守護職の神鳴流を…神凪では、下部組織だった風牙衆を…

時には、何の力もない一般人や、並の退魔士などをごみ同然に見下していた。

 

そして、彼らのような連中にとって、景太郎のような存在は恰好の餌食だった。

決してあらがえることのない宗家の血筋、それを無能と誹れるのだから……

言うなれば、鬱屈としたものの捌け口だ。

 

分家の術者達は口々に景太郎を誹り、見下した。

特に酷いのはその子息達…時として、子供というのは下手な大人よりも残酷になる。

 

水術に抵抗力のない景太郎をあざ笑いながら、執拗なまでにいたぶる子息達…

溺死しそうになったことなど、それこそ数えきれないほどあった。

彼らにとって、溺死というのはもっとも恥ずかしい死に方なのだから……それを、景太郎に行っていたのだ。

 

実の父親ですらも助けない…見ても見ぬふりをする。

 

そんな苦境におかれた景太郎を、あの子は…響子は必死に庇った。

今にも襲いかかろうとする水の脅威に怯えながら、それでも気丈に……

 

 

〈やめて!動けない人を攻撃するなんて卑怯者がする事よ!

もし死んじゃったりしたら、あなた達どうするつもりなの!!〉

 

 

初めて助けてくれたときの言葉は、今でも景太郎の耳に残っている。

 

ゴミ屑と同然に扱われていた自分を、何の得にもならないのに…むしろ損しかないはずなのに助けてくれた少女。

どんなに脅されても、幾度となく水術で威嚇されても、決して退くことのない彼女に、子息達はその場を去った。

彼らは知っていたのだ…彼女が”楔”であることを。故に、下手に手が出せなかった。

 

そして彼女は、いつも怪我した景太郎に、一生懸命治癒術をかけてくれた。

そんな彼女に、景太郎はだんだん惹かれていった…

 

 

「あの時はまだ子供だったからな…必死になって助けてくれる彼女に惹かれたんだろうな」

「わ、私だってその場にいれば……」

 

「加奈子がいれば、確かにあいつらも手を出さなかっただろうな。だが、あくまで表面上だ。

お前は知らなかっただろうが、裏では公然と認知されてたんだよ」

 

「………」

 

 

裏では認知されていた…一体誰に?と、加奈子は聞き返す愚かな行為はしない。

そんなこと決まっているからだ。分家?神鳴流?否、一族の頂点である宗主、浦島影治だ。

 

当時、まだ五つにも満たなかった加奈子は、虐待現場に遭遇してはいない。

そんな場面を見せれば、景太郎を慕っていた加奈子に悪影響がでると考え、

宗主が極力二人を会わせないようにしていたからだ。

 

(あの人は……まさに百害あって一利無しですね)

 

宗主への怒りに、加奈子の身体から蒼銀の霊気オーラが静かに立ち上がる。

その頭の中では、義父を宗主の座から引きずり下ろす手段を何通りもシュミレートしていた。

 

そんな加奈子の怒りの霊気オーラを不思議そうに見ながら、景太郎は軽く溜め息を吐いた。

 

 

「まぁ、そういうわけだ。お前の想いに応えるわけにはいかないし、浦島に戻る気はない。

お前にも立場があるのはわかるが…ここはひとまず諦めてくれ」

 

「………わかりました」

 

 

少々の沈黙の後、加奈子は溜め息と共に返事を返すと、静かにソファーから立ち上がった。

 

 

「長々と口論を続けても、すぐに解決するような問題ではありませんし…”浦島”も色々と大変ですからね。」

とりあえず、今日はひとまず帰ることにします。ですが、いずれ又来ますので……」

 

「ああ。”浦島あっち”に関係なく訪ねてきたら、いつでも歓迎するよ」

「はい」

 

 

頑固なまでに意見を変えない景太郎に、加奈子は苦笑めいた笑みを浮かべて返事を返す。

それでも、『浦島 加奈子』は歓迎しないが『加奈子』は歓迎してくれると聞き、

それだけでも、加奈子の心の中はとても晴れやかな気分だった。

 

 

「そういや、あの女…なにをあんなに突っかかってきたんだ? 最初から敵意全開だったみたいだが」

「この前、手違いでお兄ちゃんを襲った刺客の一人が、彼女の父親だったんです」

「あぁ、そうなんだ。逆恨みもいいところだな」

「えぇ、まったくです。返り討ちにあったのですから、殺されても文句は言えないでしょうに…」

「ま、別の意味で殺そうとはしたがな」

 

 

社会的抹殺…というには大げさだが、かなり悪質な嫌がらせには間違いない。

もっとも、殺すつもりで来た以上、殺されても文句は言えない立場だろうが…

典型的に、やるのはかまわないがやられるのは嫌だ…という、身勝手な考えの持ち主だったのだろう。

 

 

「本当であれば、各務かがみの代表として責をとらせるつもりだったのですが…迂闊でした」

 

 

各務かがみとは無論、浦島の分家の一つで実力は上位に位置する。

加奈子が頭を下げてもいいのだが、ことの本人の代表に謝らせた方がいい…と判断し、連れてきたのだが、

その思惑を取り違えたらしく、彼女は逆に景太郎に謝罪を強要させるつもりだったらしい。

 

最悪の場合、加奈子は彼女そのものを差し出すつもりだったのだが…それはやらなくて正解だっただろう。

 

 

「みたいだな。加奈子は、もうちょっと『分家』やつらの傲慢を知るべきだ」

 

「はい。ご忠告、肝に銘じておきます。ではお兄ちゃん、また……」

「ああ、気をつけて帰れよ」

 

 

景太郎の言葉に微笑むと、加奈子は黒猫のクロを連れてひなた荘を後にした…

 

そうしてやっと緊張がとれたのか、キツネ達はドッカリとソファーに座り、お茶などで喉を潤す。

景太郎達が話している間も、紅茶やお茶は用意してあったのだが、

とてもじゃないが、あんな緊迫した雰囲気で平然と茶を飲むほど図太い神経はしていないらしい。

 

 

「しかし…景太郎。あんさんが来て以来、驚かされることばかりやな」

「まぁ、そうですね…迷惑ですか?」

「程度が過ぎたらな。適当ならええで、退屈せんですむからな」

「そうや、けーたろーが来て、うちはいつもたのしいで~」

 

 

キツネの言葉に、ケーキを頬ばりながら賛同するスゥ。その後に続いて、

 

 

「私も先輩がいてくれると、お料理とか色々学べて嬉しいです!」

 

(そんなに素直に喜んでくれると嬉しいよ、しのぶちゃん)

 

「ま、ちょっと騒がしいのはなんだけど、元々騒がしいところだったし。

それに、現役の東大生に勉強を見てもらって、助かっているのは本当だしね」

 

(それはどうも…この場にいる限り、力になるよ、なるちゃん)

 

「私は気にくわないが…一人で修行するよりも、相手がいる方がはかどる。

お前ほどの実力者を相手に修行できるのは、幸運なことだろうからな」

 

(それは俺に稽古をつけろと? っていうか、確定事項かよ)

 

「私は店もあるからな。管理人の仕事をしてくれる奴がいないと、忙しくてかなわん」

 

(あの閑古鳥が合唱していそうな店が忙しいね…ま、いいけど)

 

 

しのぶ達の言葉に、景太郎は心の内だけで返事を返すと戯けたような笑みを浮かべた。

 

 

「それは大変だな、期待を裏切らないように頑張らないと」

 

 

その言葉と笑みにつられ、みんなも自然に笑みを浮かべた。

 

 

元々、なにかとトラブルの多いひなた荘……少々の騒動ではこの暮らしは揺るがないらしい。

そして、それをさも当然と受け止め、皆で楽しむ…景太郎は、キツネ達の絆の強さをとても実感した。

同時に、こういう暮らしもいいな…と、思い始めている自分に、少々驚いていた。

 

 

いつからだろうか…景太郎の心の中には、守るべき対象がなるだけではなく、住民全てになっていたようだ。

それに気がついた景太郎は…素直に受け入れ、力の限り守ることを、心に刻み、誓った……

 

 

 

(絶対に守ってみせるさ。今度こそ必ずな。その為に、今まで俺は力を求め、身に付けてきたんだから。

それで良いよな―――――――――――”響子”)

 

 

 

 

―――――関灯・その1に続く―――――

 

 

 

 

(……あとがき……)

 

 

どうも、ケインです。

いつも感想をくださる皆さん、本当にありがとうございます。

 

本当は返事を書きたかったのですが、あまりにも忙しく、本当に済みませんでした。

これからはできるだけ返事を書きたいと思います。

でも、やはりまだまだ忙しい日々が続きますので、返事がほしい人は『返信希望』と書いてください。

 

それでは…これからもよろしければ読んでやってください。ケインでした……

 

 

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