白夜の降魔

ラブひな IF       〈白夜の降魔〉

 

 

 

第十灯 「クリスマス・ウィズ・バースデイ  ~~変わらぬ想いをアナタに~~」

 

 

 

 

クリスマス……キリスト教徒という訳でもないのに、一部の例外は除いて日本国民が浮かれ出す日。

無論、日向市も例外ではなく、特に、何か無くても宴会を開くひなた荘は言うまでもない。

 

 

 

 

「お~~い、景太郎おらんか~…け~たろ~~」

 

 

そのひなた荘に響くキツネの呼び声…彼女は景太郎を捜して寮内をさまよっていた。

 

真っ先に訊ねるべき管理人室景太郎の部屋は既に隅々まで探している。

どうでもいいが、タンスの中や座布団の裏にはさすがにいないだろう。どちらかというと、家捜しに近い……

 

それはともかく、このまま叫んでいるのも情けないと感じたのか、

キツネは偶々通りかかった素子の部屋に立ち寄り、自室にて”止水”を磨いていた素子に景太郎のことを訪ねた。

 

 

「なぁ素子、景太郎の奴が何処に居るか知らへんか?」

「神凪ですか? いえ、私は知りませんが…」

「そうかぁ…一体何処におるんや?」

「そう云われてみれば…今朝、修行の相手をしてもらった後から、私もまったく見てませんね」

 

 

磨き終えた”止水”を静かに納刀し、キツネの質問に答える素子。

その答えにキツネは困った顔になる。

 

 

「なる先輩に訊ねてみればどうですか? 私よりも知っている可能性は高いと思いますが」

「それもそうやな。素子よりもなるの方がよう知っとりそうやし…」

 

 

素子の助言になるほど…と頷くキツネ。

その行為に、素子の眉がピクリ…と小さく動く。自分でも気がつかない程度に。

 

―――――と、その時、

 

 

「私がどうしたって?」

「おう、なる。良い所に来たな。ちょっと訊きたいことがあるんやけど…」

「それは良いけどさ…朝から大声で叫びまわらないでくれる? うるさくて勉強に集中できないじゃない」

 

「ああ、それはすまんかったな。それよりも景太郎の居場所を知らへんか?

さっきから探しまわっとんのやけど、影も形も見当たらへんのや」

 

「それよりも…ってあのね」

 

 

キツネの言い草にこめかみをヒクヒクとさせるなるだが、言っても聞くはずがない…と考え、深く溜め息を吐く。

 

 

「まぁいいわ…あいつなら私も知らないわよ。今日はまだ会ってないし」

「そうかぁ…なるならよう一緒にいるからなんか知っとるかと思ったんやけどな」

「いつも一緒にいるってね、私は勉強を見てもらっているだけで…ってそういえば……」

「ん? なんや、なんか知っとんのか?」

 

「うん。昨日、勉強を見てもらっているときにチラッと聞いたんだけど、

今日は何か大切の用事があるから出かける…みたいなことを言ってたわよ」

 

「大事な用…一体何や?」

「そこまで私が知るわけないでしょう」

「なんでそん時もっと訊いとかんかったんや」

「そりゃ私も聞こうと思ったけど…無闇に人のプライベートに首をつっこむわけにもいかないでしょうが」

 

 

なるの正論にキツネは拗ねたような顔になる。

遠慮の無さといえばそうなのだが、どこかつまらない感じがするのだ。

まるで除け者にされたような疎外感と云えばいいか……

 

 

「おそらく、一時的に神凪家に帰ったのではありませんか?

煉の話では、神凪は此処ひなた荘に来て以来ろくに連絡をとっていなかったらしいですからね。

それに、さすがに神凪家といえども、この時期となればいろいろと忙しくなるでしょうし……」

 

 

クリスマスや年始年末になると、人の動きが激しくなる。

人…”陽”の動きが強くなれば自然と”陰”も強くなる。つまりは、妖魔の動きも活発になるのだ。

そうなると退魔士は忙しくなる…つまり『稼ぎ時』という訳だ。ちょっと言い方が悪いかもしれないが……

 

”神鳴流”の一員である素子もその事を知っており、景太郎の『用事』とはその事ではないかと予測したのだ。

 

 

「う~~ん…それは無いんとちゃうか?

この前の事もあるし、そう云うことやったら景太郎もなんか言うてから出かけるやろうしな」

 

 

この前…しのぶの誕生日に、何も言わずに出かけたことに文句を言ったら、

『今後、退魔に出る時は誰かに一言言ってから出かける』―――――と、約束したのだ。

キツネも景太郎の性格上、その場限りの嘘を言って逃げるような事はしないと解っている。

 

 

「それやのに、誰にも…なるにすら行き先言って無いんやったら、誰にも言えん余程の理由があったんやろうな…」

「誰にも言えないって…一体何の用事なのよ」

 

 

自分に訊いてくるなるに、キツネは腕を組んで『う~ん…』と唸って考え込む。

これといって答えは思い浮かんでこなかったが、真剣な目で見ているなると素子に対し、

『しらんぷ~、わからんぷ~』と言えるほどの勇気はなく、通常のうん十倍も頭を回転させ、必死に考える。

 

そして、導き出した答えとは……

 

 

「もしかして景太郎……」

 

 

キツネの勿体ぶった言葉の後を、ゴクッと喉を鳴らして待つ素子となる。

 

 

「……女の所やないやろか」

「「なっ!!」」

 

 

以前、景太郎が口にしていた〈篠宮 由香里〉と云う女性の名前が瞬時に思い浮かび、絶句する二人。

だがそれも一瞬、凄まじい剣幕でキツネに詰め寄る!

 

「ななななな、何言ってんのよキツネ! あ、あいつがそんなにもてるわけないじゃない!!」

「そ、そうですよ。何を根拠にそんなことを……」

 

 

本人は冷静に努めて否定しているつもりなのだろう…が、ものの見事に失敗している。

そしてその事に気がついてもいないほど、取り乱してしまっている。

 

 

「ちょ、ちょっと落ち着きや二人とも。あくまで予想や、うちもちょっと言ってみただけなんやから…

そんな怖い顔して、目くじらたてんでもええやないか」

 

「そんなのたててないわよません!!」

 

「わ、解ったからなるは拳を握るな、素子は刀を抜かんといてや……」

 

 

あかんわ、完璧に火に油や…と、つい思い付きでものを言ったことを後悔するキツネ。

 

(どないしたらええんや。これ以上、下手な事を言うたら本気マジで即殺されかねんで……せやっ!)

 

崖っぷちの状況下のキツネに、天啓とも言える程の良いアイデアが思い浮かぶ。

 

 

「はるかさんや!」

「何よ、いきなり……」

「はるかさんやったら、この前みたいに景太郎の行き先を知っとるかもしれへんやろ?」

「う~ん…そうねぇ、確かにはるかさんだったら何か知っているかも」

「そうですね。はるかさんだったら……」

 

 

二人の気をそらすことに成功したキツネは、今の内にとはるかの元へと足早に向かう。

 

 

「ほらほら、こんな所で悩んでてもしょうがないやろ。そうと決まったらちゃっちゃと行くで」

「あ、待ちなさいよ!」

「待ってください、キツネさん」

 

 

先行したキツネを慌てて追いかけるなると素子。

そして一行は、はるかが経営する〈喫茶 日向〉へと向かった。

 

 

 

 

 

「すんませぇ~~ん、はるかさん居ますか~」

 

 

〈喫茶 日向〉の扉を開けて中に入るキツネ達。営業中に対しての配慮も遠慮もない。

その程度の気遣いが無いわけではない、ソレが必要無い…客がいつもいないことを知っているからだ。

無論、真正直にはるかに言う度胸も勇気もないが……

 

それはさておき―――――店内に入ったキツネ達を迎えたのは、一つのテーブルに座っている二人の人影…

店長兼店員のはるかと、向かい合って座っているしのぶの二人だ。

 

深刻な話でもしていたのか、二人の間…いや、店内の雰囲気が重く、暗い。

 

「なんだ、おまえらか…」

 

重い空気の中でも変わらぬ表情をしているはるかが、遠慮もなく入ってきたキツネ達に顔を向ける。

 

 

「珍しいな、こんな時間帯にお前達が来るなんて。私に何か用か?」

 

「ああ…まぁ、そうなんやけど。はるかさん、景太郎がどこに行ったんか知らへんか?

今夜クリスマス・イヴの予定について話し合いたかったんやけど……」

 

「まったく、千客万来だな。まさかお前達も景太郎絡みだとはな…」

 

 

そう言いつつ、微苦笑を浮かべながらタバコをふかすはるか。

その言葉に、キツネ達は驚きに軽く目を広げる。

 

 

「お前達もって…じゃぁ、しのぶちゃんも景太郎のことで?」

「はい……今夜クリスマス・パーティーの準備の買い出しの帰りに、神凪先輩を見かけたんです。それで……」

 

 

ポツリ、ポツリ、と語り始めるしのぶ。その内容を要約すると―――――

 

買い出しの帰り道、景太郎を見かけたしのぶは声をかけようとしたのだが、

いつもとは違う雰囲気の…神妙な顔をしている景太郎に声をかけそびれてしまう。

そして景太郎はそのままひなた荘とは反対方向…駅の方に向かって行った。

今夜のクリスマス・パーティーに不参加なのか? と思い、すぐに追いかけたのだが見失ってしまった。

そこで思い悩んだしのぶは、年長者であるはるかの所へと連絡に向かった…

 

―――――と云ったところだ。

 

それを聞いたキツネ達は、なるほど…と納得した反面、しのぶの暗い雰囲気には納得できなかった。

景太郎のパーティー不参加による落ち込みようとは思えないほど沈んでいるからだ。

 

 

「はるかさん。他にも何かあったんとちゃうん?」

「ああ」

 

しのぶに訊くのが躊躇われたキツネは、事情を知っているはるかに問う。

 

「なんでも、景太郎は百合の花束を持ってて、なおかつそれなりに気合いの入った服だったそうだ」

「それって、つまり……」

 

 

それだけでしのぶが沈んだ理由を察したキツネ。

 

その理由とは、簡単に言うと―――――

『これから誰かに会いに行く―――――と云わんばかりの恰好と準備を景太郎がしていた』…と云うことだ。

しのぶが此処に来た本当の理由は、知り合いで一番大人の女性であるはるかに相談しに来ていたのだ。

 

 

「そ、その話の流れからすると、景太郎は誰かに会いに行ったのね。花束を持って」

「やっぱりの所やったんやな。確かに、それは内緒にしたがる訳やな」

 

 

微妙にどもりながら、あえて『誰か』と言うなるの言葉を、はっきりと(わざとではなく)『女』と断言するキツネ。

その言葉にしのぶがさらに沈みこみ、素子の眉がぴくりと微かに跳ね上がり、なるの顔が微妙に引きつる。

 

 

「そんなことを気にする前に…お前達、しのぶだけに買い出しに行かせるんじゃない。少しは手伝わんか」

 

毎度の事ながら…と呟きながら、少々本気でキツネ達に呆れるはるか。

 

 

「はぁ、済みません…それはそうと、はるかさん。

神凪が一体誰に会いに行っているかは御存じではありませんか?」

 

 

あまり反省している様子のない(気にしている余裕が無いとも言える)素子の態度に、

はるかは紫煙と共に溜め息を吐く。

 

 

「私があいつの女性関係まで知るわけないだろう。正直に言えば、あいつの交友関係だってまったく知らん。

もしかして、お前達はその事を訊きに来たのか?」

 

「ははは~…いやぁ、はるかさんなら知っとるんじゃないかと思ったんやけど、やっぱ無理やったか」

 

キツネは乾いた笑いをしながら、当てが外れたことに気を落とす。

 

「あの~…」

「ん? なんだ、しのぶ」

「神凪先輩、今日は帰って来られないんでしょうか?」

 

「いや、それはないだろう。あいつはああ見えて無責任というわけじゃない。

最初は渋っていたものの、管理人の仕事はきっちりとこなしているんだ。

連絡はないということは、今日中に帰ってくるはずだ。

万が一帰れないときには、連絡の一つぐらい入れるだろう。だからそんな泣きそうな声を出すな」

 

 

いまいち慰めているとは思えないはるかの言葉に、しのぶは顔を俯かせる。

ちょっと拙かったか? と、自分の言葉を反省しつつ、はるかは深い溜め息を吐き、

 

 

「まったく…本当にあいつは何処に行ったんだか…女四人に心配させるとは、あいつも案外罪作りなヤツだな」

 

 

そう呟きつつ、窓から見える青い空を見上げていた。

 

 

 

 


 

 

 

その青い空の下―――――日向市から遠く離れた地。

景太郎は、物静かで人気のない池の畔へと来ていた。

 

その景太郎の目の前には、三メートル近い高さの綺麗に磨き上げられた石が佇んでいた。

一見すると何らかの石碑…もしくは巨大な石版に見えるが、

ソレには文字どころか何も刻み込まれている様子はない。

 

そう―――――そこには、綺麗な”石碑”が不自然に立っているだけだ。

 

 

その無骨な”石碑”の前に景太郎は持ってきた百合の花を添え、静かに顔の前で両の掌を合わせて黙祷する。

しばらくの間そうしていたか…景太郎は静かに目を開けると、石碑に向かって優しく微笑みかける。

 

 

「久しぶり…というべきかな? ごめんね、響子。

此処に来るのは君の仇をとってから…って、勝手に決めつけてたんだ。本当にごめん」

 

 

物悲しい顔をして頭を下げる景太郎。

岩に話しかけながら表情を変える男の姿は、傍から見ると異様な光景だろう。

だが、当人景太郎はいたって真面目だ。巫山戯ている様子は一片たりとも無い。

 

 

「お詫びというわけではないんだけど、君の好きな百合の花束を持ってきたんだ。

本当だったら、一番好きな桜の花を持ってきたかったんだけど、時期が時期だからね…

春になったら、苗木を持ってまた来るよ。響子と俺…なるちゃんとむーちゃんの四人で見た、ひなた荘の桜のね。

だからまずは……誕生日、おめでとう」

 

 

そう言って、景太郎はとても穏やかな顔になる。

その表情はひなた荘の住人も、神凪の家族ですら見たことのない穏やかな顔だった。

 

―――――その時、景太郎の身体がピクッと何かに反応するが、そのまま静かに佇む。

そしてその数十秒後、背後から一人分の足音が聞こえる。

その足音の持ち主は景太郎に近づくと、何も言わずにその場に佇んだ。

 

無防備な背後をとらせるなど、景太郎にしては珍しい…否、あってはならない。

だが、景太郎はなんの反応もみせない。その人物が、自分がよく知る者であるゆえに……

 

 

「―――――お久しぶりです、一斗かずと小父さん」

「ああ、本当に久しぶりだね…景太郎君」

 

 

石碑に向かったまま、振り向きもせず挨拶をする景太郎に返事を返す男。

一斗と呼ばれたその男は、年下の不作法な態度をさほど気にせず、景太郎と同じく石碑を見つめる。

 

 

「………」

 

 

景太郎は黙ってその場から退くと、代わりに一斗がその場に跪き、

持っていた百合の花束を景太郎の花束の横に添える。

 

そして、先程の景太郎と同じく、両の掌を合わせて黙祷を捧げる。

 

その様子を、景太郎はただ静かにじっと見つめていた。

 

 

(老けたな、一斗小父さん……それも当然か)

 

 

その一斗と呼ばれた男は少々白髪の混じった、四十代後半の男性だった。

中肉中背…特に鍛えられた感じはしないが、さりとて同年輩のように弛んだ様子は微塵もない。

ごく普通の男性だが…頭部にあるチョロンとした二本の触覚っぽい髪が特徴と言えるだろう。

 

 

一斗はしばらく黙祷を捧げた後、おもむろに立ち上がり、景太郎と真正面から向き合った。

 

 

「本当に久しぶりだね、最後に会ったのはもう十年以上になるか…」

「はい、アレの前に会ったのが最後です」

「そうか…もうそんなに経つのか」

 

 

再び石碑に目を向ける一斗。その瞳には言い知れない複雑な感情が入り交じっている。

 

 

「それで、此処へは今日初めてかい?」

 

「ええ…本当はもっと前から来たかったんですが、

『自分の成さなければならないことを果たすまでは此処には来ない…』って勝手に決めてたんです。

思った以上に時間がかかりました…が、なんとかやり遂げることができました。一つだけ…ですけどね。」

 

成すべき事とそれは〈涅槃〉の事だね。君が…いや、君達が滅ぼした」

「ご存知だったんですか?」

 

「〈涅槃アレ〉の事はうちにとっても決して他人事じゃないからね。

でも、正直に話すと”この事”はひなた様が教えてくれたんだ。

『景太郎と神凪の者が、浦島の”真の使命”を果たしてくれた…』とね」

 

「そうですか…」

 

 

一斗の言葉のある一部分に、景太郎の瞳に剣呑な光が宿る。

そうとは気づかず、一斗は景太郎に深々と頭を下げる。

 

 

「ありがとう…本当にありがとう……

これでやっと、”成瀬川私たち”は呪われた宿命から解き放たれることができた。

これで今まで”楔”となった方々も、そして響子もやっとうかばれる……」

 

 

十数年前、我がを”楔”という生贄に捧げた一人の男が、恥も外聞もなく涙を流して景太郎に感謝する。

 

だが―――――

 

 

「本当にそうでしょうか?」

「……景太郎君?」

 

 

一斗の言葉に異を唱える景太郎。

一斗が頭を上げて異を唱える景太郎を見つめる。

 

 

「初めて〈水仙の儀〉が行われたのが約八百年前…それから、浦島は五十年周期で儀式を行ってきました。

なんの疑問をもたず、ただ封印を強化するために、”成瀬川”の女性達を楔にし、命を奪ってきました。

それがさも当然であり、封印の維持が責務であるかのように……」

 

 

淡々と語る景太郎…口調も気配も静かなものだが、

強く握りしめられた両の手が内心の激情を何よりも雄弁に物語っている。

 

 

「俺は以前から考えていたんです。

水の精霊王と契約した浦島の初代宗主が、討つことが叶わなかった〈涅槃〉を五つに裂いて封印したのは……

ただ単に災いを食い止めるだけが目的ではないんじゃないかって……」

 

「それはつまり…」

 

「ええ。ご推察の通りです。すでに世継ぎのいた宗主は、自らの限界を超えた力を振り絞り、

涅槃をわざわざ五つに裂いてから封印したんだと思います。

自分の子が…そしてその子孫が、いつの日か〈涅槃〉を討つことを望んで…少しでも倒しやすいようにと……」

 

「だが浦島はそうはしなかった…いや、できなかった。

五つに分かたれたとはいえ、精霊王と契約した宗主ですら倒せなかった邪竜〈涅槃〉…

恐怖のあまりに手が出せなかったんだろう」

 

「だけど、それは『浦島』の勝手な理屈です。

ただ安寧に八百年も生贄という手段に固執しなくても、他にも現状を打破する手があったはず…いや、ありました。

浦島がくだらないプライドに拘らず、他の術師―――――それこそ神凪家に助力を求めれば良かったんです。

浦島・神鳴流・神凪の三つの勢力があれば、各個撃破も不可能じゃない。それは俺がよく知っています」

 

 

邪竜・涅槃と直接闘い、滅ぼした景太郎の言葉には、誰よりも説得力があった。

 

 

「だが、どいつもこいつも、くだらない面子に拘ってそんな簡単な方法を選ばなかった。

その結果が、八百年もの間幾度も犠牲となった『成瀬川』の女性達です。

俺は何もしようとしなかった連中が今でも憎い…どうしようもないほどに……」

 

 

怒り、悲しみ…そして苦しみが入り交じった表情で言う景太郎に、一斗は静かに首を横に振った。

その当事者…一族であるにもかかわらず、景太郎よりもはるかに穏やかな顔で。

 

 

「その気持ちだけで十分だと思うよ、景太郎君。君が必要以上に苦しむ事はない。

だけど、これだけは忘れないで欲しい。

成瀬川家の女性…楔となった方々は、決して強制されたのではなく、

自分の大切な人達の為に犠牲になったのだということを……」

 

「はい………」

 

 

一斗の穏やかな口調で語られる言葉に、景太郎はただ一言、頷きながら答える。

 

決して間違えないでほしい…一斗の言っていることは、景太郎を慰めるための方便ではない事を。

それは、成瀬川の家に伝わる書物…楔達の遺言みたいなもの…に、しかと記された真実なのだ。

 

 

 

「それはそうと…景太郎君、キミは神凪の術者らしいね。それも凄腕の」

 

 

話題を変えようと云う配慮なのか、一斗が景太郎に訊いてくる。

その思いやりを感じたのか、景太郎は苦笑しながら答えを返す。

 

 

「ええ、末席ながらも”神凪”を名乗らせてもらっています。

それと同時に現役の東大生です。つまり、一斗小父さんの後輩って事になりますね」

 

「ああ、そうなのかい? いやぁ、嬉しいやら恥ずかしいやら…奇妙な気分だね」

 

 

まるで息子が自分の後を追っているような錯覚を受けて照れる一斗。

彼には血の繋がった”息子”こそ居ないが、景太郎はある意味自分の息子みたいなものなのだ。

 

 

「ははは…ついでに、副業として『ひなた荘』の管理人もしています」

「ひなた荘!?」

「はい。あなたのもう一人の娘が居る場所です」

「そうなのか…なると会ったのか……」

 

 

景太郎の言葉に、再び沈痛な顔をする一斗。

 

 

「景太郎君。なるは……」

「ええ、憶えてないようですね。俺の顔を見たときも、まるで気がついた様子がありませんでした」

 

「こうは言いたくないが…仕方がなかったんだよ。

病弱で人見知りの激しかったあの子にとって、姉の響子と君、

そしてむつみちゃんがいきなり居なくなったことがショックだったんだよ。何も知らなかったとはいえね…

いや、あの子も直感で気がついていたのかもしれないな…もう、響子とは二度と会えないことに……

その所為か、もしくはショックの所為か…あの後高熱を出して寝込んでね。

起きたときには、全部忘れていたよ。君のことも、むつみちゃんのことも…そして、響子実の姉のことも……」

 

 

やるせない…そう言わんばかりの溜め息を吐き、沈黙する一斗。

景太郎は、何も口をはさまず、ただじっと一斗の言葉を聞いていた。

 

そしてしばらくの沈黙の後…再び一斗は口を開いた。

 

 

「景太郎君。あの子の病気はね、響子が”楔”となった際に支払われた金によって治ったんだ。

それが、響子の望みだから。でも、妻はそれに納得できなかった。

妻には、その金が響子を売り渡したものだと感じたのだろうな…

だから、病気の治療を終えたなるを連れて家を出ていった。私と離婚してね…」

 

「でも、なるちゃん…いえ、成瀬川はひなた荘にいる。どうしてなんですか?」

 

「あの後…妻が病気を患ってしまったのだよ。まるでなると入れ替わるようにね。

そして彼女は亡くなり…なるは私が引き取ることになった。

それからしばらくした後、再婚することになったんだが…新しい家族とギクシャクしてしまってね。

居づらくなってしまったのだろう。あの子は家を出ていってしまったんだ」

 

「それでひなた荘へ? 小父さんも随分と思いきったことをしますね……」

 

 

成瀬川の”力”は浦島の宗家と神鳴流の総代を含めた極一部しか知らない。

それを余所に知られれば…なるの身は危険にさらされることになる。

 

その為、景太郎は、一斗がひなたを頼って、成瀬川をひなた荘に送ったのだと考えたのだ―――――が。

 

 

「いや、私は何もしてはいない。あの子が…なるが自分の意思で『ひなた荘』へ行ったんだよ。

ひなた荘に居た時小さかった頃の記憶なんて無いのに、まるで何かに惹かれたように…ね。

私が行ったことと言えば、ひなた様になるのことをお願いしたぐらいなものなんだよ」

 

「そうだったんですか…」

 

「しかし、なるに隠れてひなた様にお願いに行ったときは驚いたよ。

まさかあそこが女子寮になってるなんて思ってもなかったからね……」

 

「何を考えてそんなことをしたのかは、さっぱり解りませんけどね」

 

 

嘲笑に近い笑みを浮かべる景太郎を見る一斗。

 

「………景太郎君」

 

一斗はそう言うと地面に膝を付き、景太郎に向かっていきなり土下座をする。

 

「私は、満足に娘も護ってやれないろくでなしの男だ。そんな男に頭を下げられて困るかもしれない。

だが、娘を…なるをよろしく頼む。あの子を護ってやってくれ」

 

「頭を上げて下さい、一斗小父さん。俺の方こそ、頭を下げられるほどの男じゃありません。

俺こそ…誰よりも、己の命よりも大切な人だった響子を助けられなかった最低な男です」

 

「そんなことはない!」

 

 

自分を卑下する景太郎の言葉を声を荒げて否定する一斗。

 

あの時…景太郎はただ一人で『水仙の儀』を邪魔―――――否、響子を助けるべく乗り込み、返り討ちにされた。

 

『水仙の儀』には、浦島・神鳴流の精鋭が勢揃いしているのを承知で、響子を助けるべく乗り込んだのだ。

あの状況下では、神凪・宗家の術者であっても助け出すのは不可能だ。

伝説と云える『神炎使い』なら話は変わるが…それほど、絶望的な状況だったのだ。

 

はっきり言ってそれを承知で行くのは『勇気』ではなく『愚考』だ。現に、景太郎は瀕死の重傷を負った。

だが、誰がそれを笑えるだろうか。少なくとも、一斗にはできない。逆に、涙を流して感謝したほどだ。

 

 

しかし…一斗の否定の言葉に、景太郎は力無く首を横に振った。

 

 

「護れなかった…それが事実です。だから…今度は護ってみせます。

なるちゃんが幸せになること…それは響子の願いです。

ゆえに、なるちゃんに危害を及ぼす存在は俺の全力をもって排除します!

例え闇が覆うとも、俺の炎で消して見せます! これは誓いです。

誰でもない、俺自身に対する誓い―――――今度こそ、絶対に果たします」

 

 

景太郎の決意を聞き、一斗は立ち上がり、今度は普通に頭を下げた。

 

 

「ありがとう…本当にありがとう。これで―――――」

「………一斗小父さん。どうやら、悠長に喋っている時間はないようですよ」

「え? それはどう言う―――――」

「いいから俺の後ろへ! 早く!!」

 

 

 

景太郎が強引に一斗を自分の後ろに下がらせた瞬間、二十人近い人間が現れ、景太郎達を取り囲む。

 

その者達は二十代から五十代までの年齢層の者で、男女様々だ。

そして、その先頭には浦島分家の一つ、『森』家当主〈森 大和やまと〉の姿があった。

 

 

「ようやく見つけたぞ…」

 

 

ニヤリ…と嗤う大和。

邪を滅する一族でありながら、その顔はこれ以上無いほど邪悪に染まっている。

 

 

「どこで我らの動きを知ったか知らんが、逃げて姿を眩ませるとはな。

まぁ女々しい貴様のことだ。此処に来ると思って監視していれば…案の定だ」

 

「ハッ…そりゃご苦労さん」

 

 

嘲笑する大和を鼻で一笑した後、蔑んだ目と言葉を返す景太郎。

 

別に、景太郎はこの奇襲を知っていたわけでも、それで逃げ出した我で家でもないのに、

自分勝手に解釈し、都合の良いように解釈する姿はまさに滑稽…愚かとしか言いようがない。

 

 

「で、今度は森家総出で馬鹿息子の後を追いに来たのか?」

 

 

言外に相手にもならないという景太郎の意志表示に、森家の者達から怒気や殺気が放たれる!

 

 

「ふん、強がりを…貴様があの邪魔者浦島はるかから離れてくれたのは好都合だ。

貴様を遠慮無く嬲り殺せるわ―――――やれぃ!!」

 

 

大和の号令と共に、後ろに控えていた水術師五人が疾走し、景太郎を取り囲むような位置に立つ。

その間合いは約五メートル。それぞれ均等に、ちょうど景太郎を中心に五紡星の頂点に当たる位置だ。

 

 

「見せてやれ、我らが浦島の秘奥を!」

「「「「「ハッ!!」」」」」

 

 

五人の術師が両手を合わせると、次々に複雑な印を組みながら呪を唱える。

すると、術者の足下から水柱が立ち、そこからドーム状の透明な膜に覆われ、景太郎と一斗を閉じ込める!

 

 

「どうだ、これぞ浦島の秘奥〈五方水招陣〉!

この結界の中では水の精霊の力が強まり、水術師の力が最大限に発揮する!

そして反属性である火の精霊は具現化するどころか、結界の中に入ることすらかなわん!

つまり、この中では炎術は使用不可、貴様は再び能無しに逆戻りというわけだ。がーっはっはっはっはっ」

 

 

かつて陰陽術の名家であった浦島一族ならではの、精霊魔術と東洋魔術の融合だ。

その効果も確からしく、結界内に水の精霊が急速に満ち始めている。

 

得意満面の表情で結界の特質を説明し、馬鹿笑いする大和達の気持ちもある意味理解できるだろう。

 

 

「くくく…貴様は私の手で殺す!」

 

 

大和の周囲に発生した水が絡みつくように身体にまとわりつく。

浦島の分家の当主だけはあるか、制御下に置いた水の精霊の量はかなり多い。

結界による補助があるためか、その量は宗家には及ばないものの、『分家最強』のはるかを完全に超えている。

 

 

「すぐには殺さん…長い苦痛の果てに、八馬を殺したことを後悔するがいい!!」

 

 

大和のかざした手より水の槍が放たれ、景太郎の肩に向かって飛翔する!

急所から外しているその一撃は、言葉通り嬲り者にするつもりなのだろう。

 

―――――だが、

 

 

「御託はそれだけか?」

 

 

パシャッ―――――

 

 

素手で掴み止めた水の槍を握り潰しながら、冷たい口調でそう言う景太郎。

握り潰された水の槍は飛沫となって地面を濡らして消える。

 

 

「ふん…そうだったな、貴様はソレの扱いだけは長けていたんだったな」

 

 

景太郎の右手に集束した黒い色の氣をくだらないものを見るような目で視る大和。

 

景太郎は水を相克する属性『土氣』をもって水の槍を破壊したのだ。

もっとも、精霊魔術相手に絶大な効果があるわけでもなく、右手に少なからず怪我を負ってしまったが…

 

 

「………」

 

 

景太郎はさして気にした様子もなく、土氣の特性にて急速に癒える右手の傷を眺めていた。

 

(この程度の土氣でつぶせるのか…少し買い被りすぎたか)

 

 

もし、その考えを口にし、聞かれていたら間違いなく大和は切れていただろう。

―――――が、そんな景太郎の考えなど知る由もなく、大和は心底楽しそうな顔をしながらベラベラ喋る。

 

 

「手加減した一撃を受け止めた程度でいい気になるなよ。

今度はそれなりに力を入れるからな、簡単には死ぬなよ。

貴様は精々無駄な足掻きを―――――何を笑っている? 絶望的な状況に気でも触れたか?」

 

 

傷が完治した右手を見つつ薄ら笑いを浮かべている景太郎を、不快げに見る大和。

 

 

「なに、自信満々の割にはせこい仕掛けだなって思ってな」

 

「ふん、負け惜しみを。そのせこい仕掛けで炎を封じられた貴様はなんだ?

悔しいのなら貴様の炎を見せて見ろ。運が良ければ、マッチの火ぐらいはでるかもな」

 

 

完全に嘲った様子で再び馬鹿笑いを始める大和。

その取り巻きたる森の術者達も、大和に習って馬鹿笑いを始める。

 

 

「景太郎君。森の当主の言うとおりだ。この場は君に不利すぎる。

ここは私が引きつけるから、その隙に……」

 

 

不利な状況からなんとか抜け出そうと、一斗が景太郎に耳打ちする。

その瞳には、命に代えても景太郎を逃がすという、悲壮な覚悟が容易に見てとれた。

 

しかし景太郎は、そんな一斗に向かって微笑むと、

 

 

「その必要はありません。まぁ、ゆっくりと見てて下さい」

 

 

と言った後、両手を胸の前で合わせる。

 

 

「お前等、俺の炎術を希望のようだな…良いぜ、とくと見ろよ。お前等がこの世で見る最後の炎だ」

 

 

その言葉を聞いた水術師達、特に結界を構成する五人の術師は結界の力を強める!

それに応じて結界内の水の精霊の数と密度が高まる。水中と遜色無いほどに!!

 

 

「無駄だ! この結界の中にいる以上、貴様は炎に干渉することは―――――」

 

 

ドンッ!!

 

 

結界の外側に、突如空間を震わせる程の轟音をたてて発生する白銀ぎんの火柱。

それも、五つ―――――ちょうど、景太郎を中心とした五紡星を描くように発生している。

 

そして景太郎は会わせた両手で複雑な印を次々に組みつつ呪を唱える。

それは、先程術師五人が行った手順とまったく同じ―――――いや、それよりもはるかに速く、洗練されている。

 

 

「それはまさか―――――」

 

 

いち早く我に返った術師が景太郎を見て驚きの声を上げるのと同時に、

五つの火柱から発生した白銀ぎんの薄い膜がドーム状に展開される。

 

その影響で水術師五人が創った結界はいともあっさりと消滅し、

中にいた数多あまたの水の精霊達は新たな結界の外へ追いやられてしまう。

 

 

「我流炎術 〈五方炎招陣〉―――――効果は…言うまでもないよな」

 

「そ、そんな馬鹿な! これは属性こそ違えど、紛れもなく〈五方水招陣〉!

浦島より追放された貴様がなぜ使える―――――いや、それ以前にこの術を個人で扱うことなど不可能だ!!」

 

 

驚愕のあまりに声が裏返って叫ぶ大和。

大和だけではない、他の水術師達も一瞬で立場が覆されたことに言葉を失っている。

 

 

「生憎とな、浦島に伝わる術はババァに仕込まれてたんでな。術式に関しては全部頭の中に入ってるんだよ。

それから後は応用だ。そもそもこれは陰陽術と融合してはいるが根元は精霊魔術だ。

術式さえしっかりしているのなら、後は精霊の量と意志力次第だ」

 

 

景太郎が悠長に説明している間に、大和達は先手必勝と言わんばかりに水の精霊をかき集めるべく集中する。

しかしそれも束の間―――――術者達の表情が数瞬後に絶望の一色に染まる。

景太郎の結界に阻まれ、水の精霊がまったく集まらないからだ。

水の精霊へ呼びかける思念すらも、結界により完璧に遮断されている。

 

つまり、その事実は術者達よりも景太郎の力が圧倒的に強い証拠とも云える。

その事実に、大和を除いた術者達が戦意を失い、数名ほどその場に崩れ落ちるように座り込む。

 

そんな術者達に景太郎は眉を微かにひそめた後、侮蔑の笑みを浮かべる。

 

(情けない…少なくとも、神凪の分家ならこんな状況でも戦う意志は失わないのに)

 

浦島の堕落しきった姿に失望したようだ。

もっとも、神凪の分家が…と考えているが、その評価はあくまで五十歩百歩。

闘志を失わないのは、神凪は敵がまともに見えていない…見ようともしない愚かさ故に…だからだ。

両者とも、長い傲慢が生みだした結果の一つでしかない。

 

 

そんな中―――――

 

 

「そ、そんな馬鹿なことが……そんな馬鹿なことがあるはずはない!!」

 

 

ただ一人、事実を認められずに必死になって水の精霊をかき集めようとする大和。

しかし、いくら大和が叫ぼうとも、水の精霊が一体たりとも反応することはない。

 

 

「ここを貴様等の血で汚すのは不本意だ。だから一瞬で消してやる」

 

 

景太郎がそう言った瞬間、白銀ぎんの膜の色が濃くなる。

 

 

「ナウマクサマンダ バサラダンカン―――――」

 

 

白銀ぎんの結界内に膨大な量の精霊が集まってくるのを感じた大和達は慌てて逃げ出そうとするが、

白銀ぎんの膜に拒まれ、結界の外へと逃げ出すことはできない!

 

 

「ば、馬鹿な、この結界は精霊の力を高めるだけのもの。なぜ外に出られぬ!」

「今、お前等を閉じ込めているのは別の結界だ」

 

 

そう、今の景太郎は〈五方炎招陣〉と別の炎術を二重起動させているのだ。

ただでさえ五人は必要とされる秘術を駆使しながら、別の炎術を起動させる。

それだけで、景太郎の凄まじさ―――――いや、非常識さが解る。

 

 

「理解したか? したなら死ね………」

 

 

景太郎は右手を頭上に向かってかざし、術を起動させるキーワードを唱える。

 

 

「神凪流―――――覇炎降魔衝はえんごうましょう〉!!

 

 

「その戦い、待った!!」

 

 

 

 

―――――その2へ―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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