白夜の降魔

 

 

ラブひな IF       〈白夜の降魔〉

 

 

 

第十四灯 「子連れ狼」

 

 

 

 

 

正月も終わり……景太郎は神凪家よりひなた荘に戻った。

頼まれていた土産もつつがなく全員に配り、正月は終わった。

(同じ関東地方で土産というのも何だと思うがな…と云う景太郎の意見は完全に無視された)

 

そして正月の締めにキツネ提案による宴会を開催したのだが、景太郎はそれを丁重に辞退した。

次の日、大学の教授に呼び出しを受けているという理由で…だ。

 

その言葉に、キツネも景太郎の参加を渋々諦めた…のだが、今度は景太郎抜きで宴会を始めたのだ。

一体誰がいつ持ち込んだのか、酒まで飲んでしまい(はっきり言って『誰が』というのは愚問である)、

学生四人組なる、素子、しのぶ、スゥが二日酔いになると云う不祥事になってしまった。

 

朝になって目覚め、その惨状を見た景太郎は頭をかかえたが、大学を休むわけにもいかず、

正月に続いてはるかに全員の面倒を頼んだ。

はるかが居なければ大学を休んでいたところなので、その点においては一応感謝している。

 

そして昼過ぎ…大学の用事も終わり、景太郎は大学のキャンパスを不機嫌な顔で歩いていた。

 

 

 

「ったく……あの野郎」

 

 

自分の先行している教授に呼び出されて大学に来たものの、

どうでもいい雑用ばっかりやらされたので、かなり不機嫌になっているのだ。

なぜ自分だったのかと聞いたところ、ダーツで決めたと云うのが余計腹が立っていた。

 

 

「今度、髪の毛だけを焼いてやる……毛根まできっちりと」

 

 

かなり物騒な事をブツブツと呟いている。

その教授が薄くなってきた髪の毛を大切にしているのを知っていての発言だから質が悪い。

 

不機嫌なオーラを発し、そんな事を呟いていれば危険人物扱いされるのだが、

周囲から人が逃げて行くかのどちらかなのだが、

幸いと云うべきか、今はまだ冬期休講中のため景太郎以外の姿は見えない。

もっとも、だからこそ景太郎も人目をはばからず愚痴を言っているのだが……

 

 

「ん? なんだ、あれは……」

 

 

ふと、視界に入ってきた異質な存在に足が止まる。

そこは芝生……なのだが、誰が停めたのか、一台の白いバンが堂々と駐車していたのだ。

しかし、それよりも景太郎の目を引いたのは、その端でバーベキューをやっている二人組に対してだ。

いや、正確には準備をしている二人組…だ。

 

 

「あれ~、おかしいな」

「パパ、まだ?」

 

 

その二人組は、外見が三十路ぐらいのやや渋みのある男性と、

また十歳にもなっていなさそうな金髪の少女の二人で、どうやら昼食の準備中らしい。

男性が火を点けようとしているようだが、上手く点かずに四苦八苦しているようだ。

少女は待ちきれないのか、う~ん…と悩んでいる男性を急かしている。

 

 

「ガスはあるんだけどな…火がつかないんだよ。この前、車ごと海に落ちたのがいけなかったのかな?」

「だったらライターで点ければいいじゃん」

「ごめん、そっちはガス切れなんだ」

「もう! パパったらしっかりしてよ」

 

(………しょうがないな)

 

お腹を空かせた少女を見かねたのか、

景太郎は男性がコックを捻った瞬間を見計らい、火の精霊に干渉してコンロを点火させる。

 

やっと点いたのが嬉しいのか、やったやったと喜ぶ少女を傍目に、

男性は驚いた顔でコンロを見つめた後、景太郎に目を向け、礼を言うかのように片手を上げた。

 

 

(―――――ッ!)

 

驚きに軽く目を見張る景太郎。あの男性はコンロに火を点けたのが景太郎だと気がついたのだ。

普通の人間なら、絶対に気付くことはもちろん、かなり離れている景太郎のおかげだと解りもしないはずなのに。

 

(何者だ?)

 

身元不明な男性に対し、意識を切り替えて警戒態勢をとる景太郎。

そんな景太郎の心情を知ってか知らずか、当の男性はこっちに来いと言わんばかりに手招きをする。

その招きに景太郎はどうするか一瞬迷ったが、すぐに意を決し、真っ直ぐに二人組の方に足を向けた。

 

 

「なんだお前!」

 

いきなり近づいてきた景太郎を警戒したのか、金髪の少女が噛み付かんばかりに怒鳴ってくる。

もっともと言えばもっともな反応だ。しかし、男性が少女をすぐに諫めた。

 

 

「こら。落ち着きなさい、サラ。彼が火を点けてくれたお礼に僕が呼んだんだよ」

「ええ! だってパパ、あいつ何もしてないじゃん!?」

 

男性の言葉に思わず否定するサラと呼ばれた少女。まったく信じられないと云う顔だ。

しかし、男性はそんなサラに本当だよ、とウインクをすると、景太郎の方に顔を向ける。

 

 

「君は”炎術師”だね?」

「ええ。そう言う貴方も”術師”ですね」

「ご名答。よくわかったね」

 

ニッと笑う男性。人懐っこい笑いをする者だ。

景太郎の正体を知ってもまったく警戒をしている様子はない。

 

 

「それで、俺に何か用ですか?」

「何、さっきも言ったけどね。火を点けてもらったお礼に一緒に昼食でもどうかと思ってね」

「構わないんですか?」

「遠慮することはないよ。な、サラ」

 

 

景太郎が気にしていること…不機嫌そうな顔をしているサラは、男性の言葉にプイッとそっぽを向く。

そんな態度に参ったな…と、男性が頭を掻いていると、

 

 

「別に…パパがそう言うなら」

「だ、そうだよ」

「では、お言葉に甘えて……」

 

 

そうして、景太郎も空いている席に着き、ご相伴をあずかることになった。

ちなみに、これで景太郎も共犯である。

 

 

 

そして時は経ち……会話少なく、バーベキューはつつがなく終了した。

あえて記すとすれば、景太郎の絶妙な火力調整のおかげで野菜もお肉も美味しかったことぐらいだ。

 

 

「さて…後片づけも終わったし」

「それじゃあ俺はこれで……」

「まぁ待ってくれないかな。まだお互いに自己紹介もしていないことだし。食後の美味しいコーヒーでもどうかな?」

「それは必要なことですか?」

「必要さ。特に後者は、円満な人間関係を築くためにはね」

「…………」

 

「それじゃ、僕の方から自己紹介するね。僕の名前は〈瀬田記康のりやす〉一応考古学者をやってる。

―――――で、このが〈サラ・マクドゥガル〉僕の娘だ」

 

「俺は〈神凪 景太郎〉だ」

 

「神凪…ね。確かに噂に違わぬ強い力だ。強大な火の気配が遠くの方からでも感じたよ」

「さすがは地術師―――――と、言っておきましょうか」

「あれ? 僕は考古学者としか自己紹介してないけど?」

「それだけ大地の氣と同調していれば解りますよ」

「そうなんだ。説明の手間が省けて助かったよ。それはそうと、そんなに警戒しないでくれるかな?」

「それは無理な相談ですね」

 

 

炎術師が炎を操るように、地術師は大地を…砂や石などと云った存在モノを操り、武器とする。

つまり人が、そして生物が常日頃から足の下にある存在モノが武器となるのだ。

そんな厄介な相手に、敵かどうか判らないのに友好的になれ…と云うのははっきり言って無理だ。

 

特に、神凪…いや、景太郎は地術師に対して大きな諍いを起こした事があるのだ。

一応、話合いなどによってその一件は終結してはいるが…

事が事だけに、景太郎は地術師に…特に『ある一族』に対して友好的にはなれないのだ。

 

 

「少しは安心して欲しいな。僕は敵じゃないんだから―――――って言っても信じてはくれないか」

 

困ったという感じに頭を掻く瀬田。

人好きな顔のまま困り顔されると、なんだか罪悪感がわくのだが…生憎と景太郎は眉一つ動かさない。

 

 

「う~ん…よし、何も隠さず話せば、君も信じてくれるね」

「………」

「たぶん、君が懸念している通り、僕は石蕗つわぶきの人間だ。正確には”だった”だけどね」

「……だった?」

 

「そう、”だった”だよ。もう何十年前になるのかな…前々回…約六十年前かな?

僕の祖父が石蕗宗家に〈大祭〉の事で意見をしたらしいんだ。

何を言ったかは当の本人が死んだからわからないけど…たぶん、生贄についてのことじゃないのかな。

まぁ、そんなことがあってね。それに元々が力の強い家系じゃなかったからね。

反逆罪でお家没落。あっさりと切り捨てられた…と言うわけさ」

 

「そうですか…通りでいくら思い返しても石蕗の中に『瀬田』と云う姓が無いわけだ」

「ま、そう云う訳さ」

 

「ですが、貴方の力はかなり強いようですけど?

無論、宗家ほどではありませんが、分家の有象無象よりは明らかに強い力を感じますよ」

 

「さぁ? 大地の精霊と相性が良かったのか、それとも先祖返り的なものじゃないかな?

でも、僕の力なんて君に比べればちっぽけなものだよ」

 

「さぁ…それはどうでしょうか」

 

 

その話はもうどうでもいいと云わんばかりに話題を振る瀬田に、

景太郎は謙遜…ではなく、実力を暈かすようにそう返事をする。

その事に苦笑しつつも、瀬田は話の続きを…景太郎の話題の続きを話す。

 

 

「炎術師…いや、退魔士・神凪 景太郎と云えば相当有名だよね。二つ名で呼ばれるくらいに」

「ほぅ…それは興味深いですね。多少は俺も知っていますけど…一体なんて呼ばれてるんです?」

「ずばり、神凪の鉄砲玉!」

「…く……あはははははは」

 

 

ニッと笑いながら瀬田の語る自分の二つ名に、

景太郎は上を仰ぎながら額に手を当て、我慢できないといった感じで笑い出す。

昔…退魔士を始めた頃、神凪の命により次々に無茶な退魔につかされていたことをもじった二つ名なのだろう。

 

 

「なるほどね…誰が言ったかは知らないが、上手い呼び方があったもんだ」

 

「もっとも、それは最初の数年。最近の呼び名は〈神凪の羅刹〉

一切の情の欠片すら見せず、冷酷無比な異端の炎術師……そして、若手最強の退魔士…とね」

 

「それは随分と持ち上げていますね…特に最後のは。若手最強は俺じゃありませんよ」

 

「そうかい? でも、君の力の強さが凄まじいのは本当だ。

今、会話している最中でも君の強さ…力の波動がヒシヒシと伝わってくるよ。

はるかに聞いていた通り…いや、それ以上の力だ」

 

「はるか?」

 

「うん、君の叔母にあたる〈浦島 はるか〉だよ」

「あの女と一体どういう関係です? それ以前に、俺はあの女とは一切無関係…赤の他人です」

「う~ん、こだわるね」

「重要ですからね。こわだります……ん、なんだい?」

 

 

赤の他人であることを強調した矢先、自分に突き刺さる視線に目を向ける。

そこにはすっかり蚊帳の外に追い出された金髪の少女…サラが強い視線で景太郎を見ていた。

 

 

「ねぇパパ、こいつ本当に強いの?」

「強いよ。僕よりもずっと…確実にね」

「嘘だ! こんな奴が、パパより強いわけないじゃん」

 

 

瀬田を何よりも信頼し、尊敬しているのだろう。

景太郎よりも自分は弱いという瀬田の言葉をキッパリと否定し、景太郎を睨み付ける。

 

 

「サラ。そんな顔をするもんじゃないよ。可愛い顔が台無しだ」

「でも、こいつがパパよりも強いだなんて……嘘だよね?」

「いいや、それは本当だよ」

「本当?」

「うん」

「こいつが?」

 

 

やはり信じられないのか、未だにサラが胡散臭そうに景太郎を睨む。

幼いながらもその視線から感じる意志は強く、また未熟ながらも闘気も見られた。

 

 

「止めた方がいい。後悔するよ」

「何だよ、ビビッてんのかよ」

 

 

景太郎の態度を臆病だと罵った後、サラは一笑して武術の構えをとる。

 

 

「ジークンドーか。なかなか様になってるようだね」

「へん、パパ直伝だからな。舐めてると怪我をするぜ!」

 

 

そう言うや否や、サラは大地を蹴って景太郎との間合いを一気につめる。

その動きはとても子供とは思えないほど早く、サラは近づいてくる景太郎の顔面に向かって拳を繰り出す!

 

パシンッ!!

 

「はい、そこまで」

「パ、パパ!!」

 

 

サラの拳を横から手を伸ばした瀬田が受け止めたのだ。

驚くサラに、瀬田は頭に手をおくと優しく撫でる。

 

「サラ、お転婆も程々にしなさい」

「む~~」

 

瀬田の言葉に頬を膨らませて拗ねるサラ。

そんなサラの様子を、本人には悪いと思いつつも景太郎は可愛らしいと思った。

 

「それと景太郎君。なにぶん子供のやることだ、そんなに殺気立たないでくれるかな?」

「ええ。気をつけるように言っておきます・・・・・・・

 

 

まるで誰かに言い聞かせるようなもの言いに瀬田は真剣な顔で目を鋭くする。

しかしそれは一瞬―――――すぐに元の柔和な顔になった。

 

 

「そうそう、そう云えば僕とはるかの関係がまだだったね」

「もうどうでもいいです」

 

「僕とはるかはね、ここ…東大に在籍していたときの同期生だったんだよ。

それからのつきあいなんだ。もう十年以上になるね…いや、懐かしいなぁ」

 

 

景太郎の言葉をナチュラルに無視しながら説明を続ける瀬田。なかなかに図太い…

一応訊ねたのは景太郎だったが、本当にどうでも良かったらしく、そうですか…とおざなりに応えた。

 

 

「―――――と云うわけで、これから久しぶりに彼女に会いに行こうと思っているんだ」

「行けばいいじゃないですか」

「それがね……喫茶日向の場所を忘れたんだ「では、俺はこの辺で」ああ! 待って!!」

 

 

話はそれまでと言わんばかりに立ち上がった景太郎の足に縋り付く瀬田。

大人の威厳がまるでない。サラもそんな瀬田の態度に若干呆れているようだ。

 

 

「……放してくれませんか?」

「喫茶日向まで案内してくれるのなら考慮できなくもない」

「まったく……わかりました。案内しますから離れて下さい。娘さんが見ていますよ」

「はははは、そうこなくっちゃ! ささ、車に乗って。さっそく出発だ!!」

 

 

瀬田は素早く景太郎から離れると車の後部ドアを開け、中に入るように言う。

その変わり身の速さに少々呆れながら、車に乗り込もうとしたその時、

 

「おい」

 

サラが機嫌悪そうな表情で景太郎を呼びつけた。

 

「なんだい?」

「お前、乗り物には強いか?」

「一応、酔ったことはないけど……」

「……パパの運転は荒いんだ。ジェットコースターなんて目じゃないほどにな」

 

 

ジェットコースターと云うのは、もしかしなくても遊園地にあるアレだろう。

絶叫マシーンの代表とも云えるアレを超える運転とは一体…と、景太郎の頬に一筋の汗が流れる。

 

 

「忠告はしたからな。後で泣き言なんか言うんじゃないぞ」

「わかった。心配してくれてありがとう、マクドゥガルさん」

 

 

初対面で、なおかつ生意気盛りの女の子が名前の『ちゃん』付けで呼ばれるのは気にくわないだろうと思い、

景太郎は姓で…対等に御礼を言うが、その考えとは裏腹にサラはどことなく嫌そうな顔になった。

 

 

「サラって呼べ。そっちで呼ばれるのは好きじゃない」

「わかったよ。改めて心配してくれてありがとう、サラちゃん」

「き、気にすんな。運転中に騒がれるのが嫌いなだけだ」

 

 

礼を言われたのが照れ臭かったのか、サラは頬を少し赤く染めてそっぽを向いてさっさと車に乗り込む。

続いて景太郎も車に乗り込むと、意気揚々とした瀬田がエンジンをかける。

 

 

「二人とも、シートベルトは締めたかな? 思いっきりとばすから気をつけてね。

景太郎君、しっかりと案内ナビを頼むよ。じゃぁ出発だ!」

 

 

そして……景太郎はサラの忠告を身をもって理解することができた。

その甲斐あってか、実に短い時間でひなた荘に帰ることができた事を記しておく。

 

 

「さぁ着いたよ」

「瀬田さん……」

「なんだい?」

「あなた、こんな荒い運転してるといつか絶対に事故を起こしますよ?」

「はっはっはっ。なぜかよく言われるんだよね。顔を真っ青にしながら…って、景太郎君はそうでもないようだね」

「ええ、まぁ…荒い乗り物には慣れていますので。それはそうと、はるかさんは居ないようですね…」

「その様だね」

 

 

車から降りた瀬田は喫茶日向の扉にぶら下がっている『ただいま休憩中』と云うプレートを眺めてそう言う。

地術師の力…大地の上にある存在を感知する力で、中にはるかが居ないこともわかっている。

 

 

「何処に居るのかわかりますか?」

「いや、僕の感知外だね。景太郎君は?」

「炎術師にそれを訊きますか?」

「『氣』の達人だって聞いてるよ」

「それでも地術師ほどではありませんよ」

 

 

心の中で『今の状態では…』と付け足す景太郎。

木氣…風の氣と同調すれば知覚範囲は劇的に広がるのだが…あえて教える必要はない。

 

 

「とにかく、はるかさんが帰ってくれば気がつくでしょうし。ひなた荘にでも行きませんか?」

「そうだね。サラ、この上に上がるよ」

 

 

景太郎の申し出を了承すると、瀬田はサラを連れてひなた荘に通じる階段を上る。

ひなた荘からでも喫茶日向は瀬田の知覚範囲内。

特に、はるかは強力な水術師…その強い気配は少々気を抜いていてもすぐに感知できると判断したのだ。

 

 

 

 

「ただいま」

「ん? 景太郎、帰ったんか。えらい早かったな」

「ええ、大した用事じゃなかったんで」

 

 

帰ってきた景太郎を、ソファーに寝ころんでいたキツネが出迎える。

どうでもいいが(ある意味、諦めているが)、年頃の娘がする恰好ではない……

 

 

「それより、はるかさんにお客さんを連れてきたんですけど…はるかさんは何処に行ったんですか?」

「さぁ? 喫茶店したにはおらんかったんか?」

「ええ。だから聞いてみたんです」

「知らんなぁ…まぁ、何も言わずに出て行ったっちゅうことは、すぐに帰ってくるんとちゃうか?」

「そうですね」

「それはそうと、はるかさんに客やなんて、一体どこの誰や?」

 

 

はるかへの客というのに興味がわいたのか、

キツネは一目見てみようとソファーから立ち上がろうとした―――――その瞬間、

 

 

「やぁ、キツネちゃん。お久しぶり」

「せ、瀬田ぁ!!」

 

 

ズルッ―――――ドシン!!

 

景太郎の後ろからひょいと顔を出した瀬田に驚き、ソファーから転げ落ちるキツネ。

腰から落ちてかなり痛いはずなのに、驚いた顔のまま瀬田を指差し、な、な、な……と言っている。

おそらく、なんで此処にいるのか? と云うのを訊こうとしているのだろう。

最初に用件は言ったはずなのだが、どうやら驚きのあまりに思考が麻痺しているようだ。

 

 

「キツネさんとも知り合いのようですね」

 

「まぁね。昔、はるかのつてでここひなた荘に住んでいた女の子の家庭教師をやっていたんだ。

キツネちゃんとは、その時に知り合ったんだよ。いやぁ、懐かしいなぁ」

 

「うちとしてはあんま会いたくはなかったけどな……」

 

 

懐かしいと言う瀬田に対し、キツネは複雑な顔になる。

半分は言葉通りなのだろうが、残り半分は久しぶりに会えて嬉しいと云った感じに見える。

 

 

「キツネちゃんが居ると云うことは…もしかして、なるちゃんもいるのかい?」

「ああ、居ることにには居るんやけど…今、ちょっと寝こんどるんや」

 

 

なぜ寝込んでいるかを暈かすキツネ。

なるとてお年頃、知り合いの男性に『二日酔いで寝込んでいます』と知られるのは酷だろう。

 

しかし…他の者達の姿が見えないことから、キツネ以外は昼を過ぎても体調は元に戻らなかったらしい。

 

 

「起きあがれたのはキツネさんだけですか。正に〈一日の長〉、〈年季の差〉ってやつですね」

「それは遠回りにうちが”のんべ”やと言いたいんやな?」

「では、ちょっと言い直して『既に抗体ができている』」

「あんま変わっとらへん」

「いつも酒を飲んでいるのは事実ですけどね」

「う……否定できへんうちが憎い」

 

 

よよよよ……と、泣き崩れるキツネ。無論、嘘泣きだ。

そんな可哀想な女を演じるキツネに、瀬田は本当に楽しそうに笑い始める。

 

 

「あっはははは、昔と変わらないねぇ。キツネちゃんは」

「昔から変わらない? そんな昔からのんべだったんですか?」

「いやいや。僕が言いたいのはキツネちゃんが居ると場が盛り上がるって事だよ」

「まぁ…そう云うことにしておきましょうか」

「景太郎、おまえな……」

 

 

瀬田のフォローをあんまり信じていないと云わんばかりの景太郎に、キツネのこめかみがピクピクと痙攣する。

あくまで景太郎はわざとなのだが…どうやら、演技では景太郎の方に分があるらしい。

 

 

「ねぇパパー。まだ此処にいるの~?」

 

 

今まで黙って待っていたサラが、さすがに痺れを切らして瀬田の服を引っぱりながらそう言ってくる。

知らない人達ばかりの上、解らない会話をしているのだ。子供のサラにはひどく退屈な時間だっただろう。

 

 

「ああごめんよ、サラ。もうちょっと待っててくれるかな?」

「む~…じゃあさ、この家を探検してきても良いかな?」

「う~ん、それは僕に言われてもなぁ…良いかい? 景太郎君」

「庭の方だったら構いませんよ。物さえ壊さなければね」

「だ、そうだ。サラ、行って来なさい。ただし、危ない事はしちゃダメだぞ」

「わかってる~!」

 

 

かくして許可をもらったサラは、意気揚々として外に飛び出していった。

そんなサラのはしゃぎ様を微笑ましく眺める瀬田と景太郎……

そして、出ていったサラを驚きの表情で見ていたキツネだった。

 

 

「せ、せせせせせせ―――――瀬田ぁ! パ、パパって…」

「ああ。実はね、キツネちゃん。色々と訳あって…」

「おまえ援交するにも程があるで!!」

「そんな訳無いだろ。キツネちゃん。あの子は訳あって僕が引き取ってるんだ」

「チッ…驚きもせん」

 

 

さらっと受け流す瀬田に舌打ちするキツネ。こう云ったときにもユーモアを忘れないのはさすがと言うべきか、

それとも、思わず現実逃避をしたところをつっこむべきなのか、判断に苦しむところだ。

 

 

「ところでキツネちゃん。なるちゃんは部屋で伏せっているんだよね?」

「ああそうや」

「じゃぁ、お見舞いにでも「ちょい待ちぃ!!」ど、どうしたんだい、いきなり大声出して?」

「え~っと…なるは今、人には見せられん状態なんや」

 

「見せられない? そんなにひどいのか…

こうしちゃいられない、早くお見舞いに「さらに待てぃ!!」―――――ぐぇっ!」

 

 

なるの一大事と瀬田はなるの容態を見に行こうとするが、キツネが襟首を掴んで無理矢理に引き止める。

その際首が良い感じで極まってしまったが、それは(キツネにとって)些細な問題だ。

 

 

「あのなぁ瀬田。なるは今……今……そや、今なるは腹を出して寝とるんや!

いくら知り合いでも、うら若き女子の肌を見せるわけにはいかんのや」

 

「でも、部屋で伏せってるって……」

「気にすんな、ちょっち勉強のしすぎで寝とるだけや」

「しかし……」

「しかしやない! 会えんちゅうたら会えんのや! 黙って言うことを聞け!」

 

 

なおも食い下がる瀬田に、キツネはとうとう胸ぐらを掴んで凄い勢いで前後に揺さぶる。

言い訳するネタが無くなったから勢いで誤魔化そうとしているのだ。

 

「わ、わかったよ。なるちゃんには会えない、それで良いんだよね」

「そうや。それでええんや……」

「でもやっぱり心配だから一目だけでも―――――」

「ぜんっぜんわかっとらんやないかい! ええからあんたはとっとと出て行けーっ!!」

 

 

その腕のどこにそんな力があったのか、キツネは瀬田の胸ぐらを掴んだまま、

柔道の背負い投げみたいな動きで玄関から外に向かって放り投げる。

 

 

「大丈夫なのか、瀬田さんは……」

「かまへん。あいつは頑丈な奴やからこれくらいはなんともあらへん」

「ま、それもそうか……」

 

 

最初はちょっと心配したが、地術師の頑丈さを知っている景太郎はすぐにその気持ちを捨てた。

炎術師が並の炎で焼かれないのと一緒で、地術師は大地よる怪我はほとんど受けることはないのだ。

もっとも、術師のレベルによるが…瀬田ほどになると、たとえ階段を転げ落ちても擦り傷程度ですんでしまうだろう。

 

瀬田が地術師云々であることををキツネが知っているかどうかは知らないが、

古いつきあいから瀬田の頑丈さを熟知しているのだろう。

 

 

「しかし、普通なら会話の流れで成瀬川が二日酔いだってわかりそうなのに、なんであの人は気付かないんだ?」

 

「そういう奴なんや…そう云うことにはまったく気付かず、知られたくないことには気付く奴や。

まったく…悪意がない分質が悪い。もっと気付かなあかん事はいっぱいあるやろうに…あの馬鹿は」

 

「キツネさん?」

「あ~あ、なんや疲れてもうた。うちは部屋に帰って寝るさかいに、後のことは頼んだで、景太郎」

 

 

微妙な口調の変化に訝しがる景太郎を無視し、キツネは後のことを任せるとさっさと階段を上がって行ってしまう。

後に残された景太郎はキツネの後ろ姿を見送った後、

一応言われたことだけは守るか…と呟き、外にいる瀬田の元に向かった。

 

 

「一応訊いておきますけど、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だよ。それより、キツネちゃんは一体何を怒ってたんだろうね。解るかい? 景太郎君」

「さぁ……」

 

 

たぶん、瀬田のデリカシーが無いところに怒っているのだろうが…

景太郎はそれだけとは思えず、具体的な答えをはぐらかすしかなかった。

 

 

「それよりも、はるかさんが帰ってきたようですけど。どうします?」

「これ以上キツネちゃんを怒らせるのは本意じゃないからね。素直にはるかの所に行くよ」

「そうして下さい。ついでに、サラちゃんと二人で店の売り上げに貢献してやってください」

 

「はははっ、どうやらそれは相変わらずのようだね。

よし。サラー、喫茶店に戻るからおいで。ジュースでも飲もう」

 

 

瀬田の呼ぶ声に、遠くの方から「わかったー」と返事が聞こえ、すぐに駆けつけた。

 

 

「それじゃ。また会おうか」

「ええ。ご縁があれば」

 

 

瀬田の別れの言葉に、景太郎は特になんの考えもなくそう答え、ひなた荘の中に戻った。

一応、敵じゃないと信用してくれたんだな…と、瀬田は苦笑しつつ、サラの手を引いて喫茶店へと向かった。

 

 

 

―――――その2へ―――――

 

back | index | next