白夜の降魔

 

 

ラブひな IF       〈白夜の降魔〉

 

 

 

第十五灯 「折られた刀…折れた心」

 

 

 

 

 

―――――ひなた―――――

そこは知る人ぞ知る、日本でも有数の霊穴レイ・ポイント

『地脈』または『龍脈』と呼ばれるエネルギーの集う地の一つ。

その恩恵を受けし者、運命に愛され、強大な力を得る。

 

権力者であれば、喉から手が出るほど欲する地だ。

だが、それを欲するのはなにも人だけではない…時には人以外の存在をも惹きつける。

 

 

そして今もまた…その恩恵を独占せんとする存在が、ひなた荘に近づいていた。

 

 

「此処が……この国でも有数の〈霊穴レイ・ポイント〉の地、『ひなた』か」

 

 

日曜の早朝―――――ひなた荘の敷地手前にある階段前。

一人の男が往来の真ん中でひなた荘のある位置を見上げていた。

男…と記したものの、その者は黒い外套フードをすっぽり被っているため、顔などはまったく判らないが、

かろうじて呟いた声音から、男だというのが判断できた。

 

普通、そんな怪しい風体の男が往来の真ん中に佇んでいたら目立って仕方がないだろうが、

生憎とまだ日が昇ったばかりの時間帯のため、男を咎める者は居ない。

 

例外で朝の早い者…新聞配達員などは男を見かけはしたが、声をかけることなくそそくさとその場を去った。

 

男の身に纏うこの世に在らざる者の氣…妖気が、周囲に人を寄せ付けない。

霊感がない者でも、この者の濃い妖気に当てられて気分が悪くなっているのだ。

 

 

「此処にいるだけでも感じるぞ…その霊穴レイ・ポイントから籠もれ出る上質の”力”を。

この”力”を手に入れれば、我の力は格段に跳ね上がり、敵う者など居なくなる!」

 

 

男―――――いや、妖魔が興奮したためか、身に纏う妖気が陽炎のように立ち上る。

 

 

「音に聞こえし水を使う一族の〈守護者ガーディアン〉も今は国外に出て居ない…

我にこの地を得よと云わんばかりのこの状況。笑いが止まらぬとは正にこの事よ!

クククク………ハーッハッハッハッハッ!!」

 

「近所迷惑やから止めてもらえまへんか?」

「なにっ!?!」

 

 

真後ろからいきなりかけられた声に、妖魔は驚いて振り返った―――――次の瞬間!!

 

斬ッ!!

 

 

妖魔は脳天から股間まで銀閃が走り、真っ二つに分断する!

そして二つになった妖魔は微細な黒い粒子となって弾け、あっさりと消滅した。

 

己の背後に近づく者に気づけなかった迂闊者と誹る事なかれ…

彼女の穏行に気がつく事ができる者こそ稀有なのだから。

 

 

「着いた早々これとは…まったく、ここはまことに物騒なところどすなぁ」

 

 

日傘を被り、肩に一匹の鳥を乗せた袴姿の女性…『青山 鶴子』が、

先程の妖魔と同じくひなた荘のある場所を見上げつつ、誰とも無しにそう呟いた。

 

 

 

 


 

 

 

「さぁ神凪、今日も朝稽古に付き合ってもらうぞ」

 

 

毎朝の日課…早朝稽古の為に袴に着替えた素子が、止水を片手に景太郎を急かす。

以前、稽古ぐらいなら付き合ってやると言った手前、断るわけにもいかず付き合っているのだ。

 

ただし、本当に付き合っているだけ…指導するわけでもなく、適当に組み手の相手をするだけだ。

 

 

「お前、なんだか妙に元気だな」

 

「ああ、今日はなんだか調子がいい。何か良いことが起きそうな気もするしな。

しかし、神凪は元気がないな。しっかりしないか! 朝からだらしのない。『少年老い易く』と言うだろうが」

 

「俺はもう少年って歳でもない。済まないが今日はパスする。

昨夜遅くまでレポートを仕上げててな、少々寝不足なんだ」

 

 

景太郎は今までの癖で、朝早くに起きたのだが…やはり寝不足に勝てず、小さく欠伸をする。

さすがの景太郎も、睡眠時間が二、三時間では辛いのだろう。

なら最初から起きなければいい…と思うのだが、無理矢理に起こされたのだ。

素子に…ではなく、一匹の妖魔と此処に近づいている人の気配に。

 

 

「それに、今日は良い日なんかじゃない…最悪の日だ」

「はぁ? 訳の解らぬ事を…まぁいい。だったら私一人で鍛錬するまでだ」

 

 

朝の早くから陰気な顔をしている景太郎を一瞥すると、素子は一人で玄関に向かう。

ここ最近、裏山の拓けた所まで走り、そこで鍛錬するようにしたからだ。

 

そして素子が玄関の引き戸に手をかけた瞬間―――――景太郎が声をかける。

 

 

「おい青山、警告だ。今日は玄関じゃなく裏口から出た方がいいぞ」

「どこから出ようと私の勝手だ。神凪に指示される覚えはない」

 

 

ガラ

 

 

鍛錬もせず怠ける者の言葉など聞く耳持たぬ。と云わんばかりに素子は玄関と引き戸を勢いよく開け―――――

 

 

―――――ビシャンッ!!!

 

 

その数倍もの勢いで閉めた。

そしてすぐさま鍵を閉め、回れ右をすると足早に景太郎の側まで近寄る。

 

 

「た、確かに年長者の言うことは素直に聞くべきだな。私は別の所から出て行くことにしよう。

ついでに、少しばかり旅に出ようと思う。一週間か一ヶ月ほどだが…心配するな。そして決して探すな。いいな!」

 

 

早口にそう言うと、素子は荷物をまとめるために部屋に戻ろうと、階段に足をかけた―――――次の瞬間!!

 

 

ズガシャン!!   ヒュゴウッ―――――ズダンッ!!

 

 

順を追って説明する。

最初のは玄関の扉が壊れた音、次はその扉を壊した何かが空を貫き飛来する音、

そして最後は…その飛来した何か…刀が壁に突き刺さった音だ。

それも、素子の目の前、僅か数ミリの所をかすって―――――だ。髪も数本ほど床にはらりと落ちている。

 

 

「ほほほほほほ、いやどすな~素子はん。

わざわざ玄関を開けてくれたから、うちを迎えに来てくれたんかと思いきや顔を見た途端に閉めてしまうなんて…

うち悲しいわ~。悲しみのあまりに刀が手からすっぽ抜けてしまいましたわ」

 

 

肩に大きな鳥を乗せ、左手に長細い包みと四角い包みの二つを持った女性が、

破壊された玄関を乗り越え、硬直している素子に向かって悲しそうにそう話しかける…

言わずとしれた、青山 素子の実の姉、青山 鶴子だ。

 

 

「おいこら。人の家を壊すな」

「あら? 景太郎はん。おったんどすか?」

「居たよ。最初からな」

 

「嫌やわ~。そこに居てはるんどしたら、最初っから教えてくれればよろしゅうおますのに…

そうそう、挨拶が遅れましたな。おはようございます」

 

「話を逸らすんじゃない。この始末を一体どうしてくれるんだ?

あ~あ、玄関の扉を完全に破壊しやがって。おまけに壁に穴まで空けやがって……

刀でできた傷なんて、皆にどう説明すれば良いんだ? 修繕費にまたいくらかかるか……」

 

 

常人としては少々ずれた…妙に所帯じみた言葉を吐く景太郎。

今だ硬直している素子は無視。そもそも警告を無視したのが悪いからだ。

 

 

「素直に言えばいいでっしゃろ。それに、壁に刀疵がある家なんてそうそう有りまへんえ。

むしろ、なかなか渋みがあって良い感じやないどすか。うち好みですわ。きっとご近所にも評判に……」

 

「それは悪評だ。こんな時勢に真新しい刀疵がある物騒な家なんてそうそうあってたまるか。

後で請求書を回すからな、しっかり弁償しろよ。あんたの身内が今まで壊した分もひっくるめてな」

 

「ほほほ。お構いなく」

「構え。踏み倒す真似ができると思うなよ……」

 

 

飄々と笑う鶴子に、剣呑な目で睨む景太郎。

神凪に居た頃から財政管理をしていたため、そう云ったことには厳しいのだ。

ただし、動かす金の単位が大きく、少々金銭感覚(価値が一桁ほど)が狂っているのだが………

ちなみに、神凪家とは言っても、”神凪”全体ではなく宗主と綾乃の家族の財政であることを注記する。

 

 

「あらあら、景太郎はん。そんなに怒りなはったら将来禿てしまいますえ」

 

「ご心配どうも…代わりと言っちゃなんだが、今度はあんたの将来を心配するんだな。

今から遠くない未来に、大きな災いが降りかかってくるぞ」

 

「ほほぅ? それはなんとも楽しみどすな」

「いつまでそんな事を言えるか…俺も楽しみだよ」

「ほほほほほほ……」

「はははははは……」

 

 

二人から発せられる闘気に、この場の雰囲気が一触即発と言わんばかりに張り詰める!

 

この場にいる素子はと云うと、二人の闘気に圧倒されて硬直―――――している訳ではなく、

階段に足をかけたまま微動だにしていない。

おそらく立ったまま気絶しているのだろう。刀の所為か、鶴子への恐怖の所為かは知らないが……

 

 

「刀を取れよ。そのままで勝っても自慢にもならない」

「後悔しますえ」

「させてみろ」

 

 

ソファーから腰を浮かす景太郎。スッと重心を僅かに落とす鶴子。

共に臨戦態勢をとりながら、各々の最大の武器…炎術と氣功術の準備を行っている。

この二人が戦うとなれば、たとえ手加減した闘いをしてもひなた荘のリビングは壊滅的なダメージを受けるだろう。

 

そんな闘いが今まさに繰り広げられようとしている―――――その矢先、怒声がこの場に響き渡った!!

 

 

「朝っぱらからガタガタうるさい! 一体何やってんのよ!!」

 

 

階段の上から響く女性…成瀬川の声に、景太郎の身体がピクッと反応した後、再びソファーに座り込む。

相対していた鶴子も、再び表情を笑みに戻し、高まった闘気を内に秘める。

二人とも、本気で闘う気はなかったのだろう。簡単に矛先を納める。

 

そんな一触即発だった事などつゆ知らず、成瀬川を先頭に住民が続々と下りてくる。

 

 

「なんや、今の音は! 爆弾テロか!?」

「うちまだねむい~~……」

「神凪先輩、一体何があったんですか!?」

 

 

どてら姿のなるに、普段着のしのぶ。キツネとスゥは寝間着のままだ。

おそらくなるは徹夜で勉強を、しのぶは朝食の準備をするために起きていたのだろう。

 

 

「こっちは試験が近いからって徹夜で勉強してんのに邪魔を………」

 

 

不意に言葉をとぎらせるなる。

その視線は、硬直している素子、その眼前にある壁に突き刺さった刀、そして破壊された玄関の扉を順番に移る。

 

その三つから導き出される答え―――――それは、

 

 

「景太郎!! あんた何をやってんのよ!!」

「そっこうで俺が犯人決定か!?」

 

 

一方的な犯人扱いにつっこみを入れる景太郎。

いきなりの犯人扱いにも不服だが、周囲の状況を見てなお犯人だと断定されるのはさらに腹が立つ。

 

 

「あきまへんな、景太郎はん。こんな事をしはったら……」

「やっぱり此処で白黒つけるべきだな」

「ではうちは刀を…」

「悪いがサービス期間はもう終わった。取る前に消してやる」

 

 

再び一触即発の状態に戻る二人。

熱気を纏う景太郎に、清涼な水氣を纏う鶴子……

壁に突き立ったままの刀…『五龍』も鶴子の高ぶる闘気に反応してか、カタカタと微細な振動を繰り返している。

 

何かのきっかけで二人は激突する―――――そんな時!!

 

 

「やめないか!!」

 

 

外野…玄関より響いた怒声により、二人の動きが再度止まる。

今度は浦島はるかだ。先の闘気を感じて大急ぎで駆けつけたと云ったところだろう。

 

 

「朝の早くから何をしている!

景太郎、普段のお前はどうした。しのぶ達の前で人を…素子の姉を殺す気か!

そして鶴子! お前もこうなると解っていて景太郎をむやみに挑発するな!!」

 

 

今駆けつけたばかりだというのに、場の状況を正確に指摘し、責めるはるか。

そんな的を射るような指摘に、景太郎も鶴子も再度矛先を納めた。

 

 

「それもそうだ。ちょっと大人げなかったな…すまない」

「うちもちょっとやり過ぎましたわ。ほんま、すみまへん」

 

 

素直に謝る二人。ただし、お互いに…ではない。怖がらせてしまった成瀬川達に対して…だ。

二人にとってこの程度は前哨戦…牽制程度にしか過ぎないが、常人にはかなりきついと考え直したのだ。

 

 

「解ったのなら良い。では鶴子は壊れた玄関の片づけと壁に空いた穴の応急処置をしろ。

なる達はさっさと着替えてこい。しのぶも今日は朝食の準備は良い。景太郎この馬鹿に作らせる」

 

「え、でも……」

「いや、気にしないでいいから。ゆっくりとしておいで、しのぶちゃん」

「は、はい…じゃ、じゃあよろしくお願いします、神凪先輩」

「わかった」

 

 

遠慮するしのぶとなる達をにこやかに各部屋に送り出す景太郎。

鶴子はその様子をじーっと見つめていた。それこそ穴が空くほど。

 

 

「なんだ?」

「いえ、うちにはあんなに冷たいのに、あの子にはえらい優しいなぁと思いましてな」

「ほっとけ。それにしてもえらく突っかかるな…そんなにこの前負けたのが悔しいか」

女子おなごの腹を殴るやなんて…そないな事したら恨まれて当然どす」

 

 

またもや剣呑な雰囲気になる……と、思いきや、

 

 

「命があっただけ感謝してもらいたいな」

「そうどすな」

 

 

と、それだけで納得してしまった。

それだけではるかは気がついた。こんな会話、雰囲気がこの二人の日常会話なのだと。

殺伐としてるのは関係ない、気にすれば負け…それが、はるかの出した結論だった。

 

 

「お前等、もう少し周囲に気をつけて……まぁいい。言っても聞くようなお前等じゃないしな。

もういいからお前等はさっさと動け。素子は………私がなんとかしておこう」

 

「えらい御手数をお掛けしますな」

「そう思うなら、最初から手間をかけさせるようなことをするな」

 

 

一辺たりとも申し訳なさそうな顔をしていない鶴子に溜め息を吐きつつ、

はるかは今だ硬直している素子に向かって憐憫の眼差しを送った。

 

 

 

そして……景太郎はすぐさま朝食の準備を。

鶴子は壊れた玄関の片づけ及び掃除、壁に空いた穴を塞いだ。

掃除はともかく、穴は鶴子が手を当て、一分少々経ってから放すとそこにはちょっとした傷しか残っていなかった。

まるで手品のようだが、神鳴流の氣功術…木氣の応用らしい。

合板などではなく、純粋な板だったからできたとか…それでも信じられないことだ。

 

ついでに、素子ははるかが”活”を入れて眼を覚まさせた。

 

 

それから約一時間後…鶴子を含めた皆が朝食を終え、再びリビングに集まった。

 

 

「で、鶴子。日曜とはいえこんな朝早くから何をしに来たんだ?」

 

 

まず最初に口火を切ったのははるかだった。

ある程度事情を知り、質問できる唯一の立場だと自覚しているからだ。

景太郎は鶴子とは毒舌まがいの会話となるから却下、

素子は今にも口から魂が出そうなほど青ざめており、そもそも会話になりそうにないのでこちらも却下だ。

 

 

「そらもちろん、用事があって来ましたんどす」

「景太郎にか?」

「それについては、まぁ場の流れ的に…少々遊びすぎましたけど」

「今度から外でやってくれ………それで、誰に用事だったんだ?」

「それは……」

 

チラッと成瀬川の顔を見る鶴子。その瞳は、懐かしそうな…それでいて優しい光が宿っている。

 

(やはり、響子はんの面影がありますなぁ…)

 

当の成瀬川はと言うと、なぜ自分を見るのか解らず、頭に『?』を浮かべていたが…

鶴子はすぐに視線を本当の目的…妹の素子に移した。

 

 

「素子はんに用事どす」

「わ、私にですか!?」

 

 

鶴子に名前を呼ばれた素子はビクッと体を震わせて応じる。

 

 

「そうどす。長いこと家を留守にしとる素子はんが、どない過ごしよるか気になって気になって……

帰郷したおりにでも聞けば良いんどすが、なにせ正月にも戻ってきぃへんかったどすからな」

 

「で、わざわざこっちに来たわけか」

 

 

言外に来なくていいのに…と言っている景太郎に対し、鶴子はニッコリと微笑みを返す。

 

 

「電話というのも味気ないし。うちも可愛い妹の顔を見ながら話をしたいし……

それに、この間は景太郎はんに色々と迷惑をかけましたからな。

そのお詫びと、素子はんが世話になっとる礼を含めて、こっちに足を運んだと云うわけどす」

 

ちなみに、その礼とは生八つ橋…今、皆の目の前に置かれ、お茶請けになっていたりする。

最初の態度がお詫びをする態度か! と、つっこみを入れてはならない。

先のも述べたが、この二人にとってあの程度の小競り合いなど挨拶程度でしかないのだ。

 

 

「そ、そうでしたか…済みません姉上。正月の間、神社でのバイトで忙しかったもので……」

「そうどしたんか。新年早々ご苦労様や」

「いえ、それくらいは……」

 

「そう恐縮することはあらへんよ。ああは言ったものの、責めるつもりは毛頭ありまへん。

元々、素子はんは自分一人で修行すると、此処に来たんどすから。

………無論、日々の鍛錬を怠るような真似は―――――」

 

「と、当然です! あの頃より私の剣の腕は冴え、”神氣”もより高みに到っております。

家を出る頃の自分とは、一味も二味も違うことを保証いたします」

 

 

鶴子の問いに、素子は胸を張って堂々と答える。

それを言い淀むのは、今まで此処に来てからの鍛錬に費やした年月を無駄だと言っている証拠になるからだ。

それに自分は強くなった。その自信は十二分にある。

 

その自身ある態度の素子を満足げに見やると、鶴子は大きく一回頷いた。

 

 

「それは良うどした。では、一緒に帰って本格的に後継者としての修行を開始しまひょか」

「え!? そ、そんな姉上、私に許された修行期間はまだ―――――」

「そんなもん、関係あらしまへん」

 

 

素子の必死な抵抗を、にべもなくスッパリと切り捨てる。

 

 

「で、ですが―――――うっ!」

 

 

鶴子のスゥッと細められた怜悧な視線に素子は言葉を飲み込む。

この構図、正に蛇に睨まれた蛙と云うべきか…格の違いに、素子は手も足も出ない。

 

 

(だ、駄目だ。私が姉上に言い勝てるはずはない…しかしこのままでは………かくなる上はやむをえん!!)

 

 

悲壮なまでの決意と覚悟をした素子は、ギュッと口を噤むと隣に座っていた景太郎の腕を取る。

そして、清水の舞台から飛び降りたつもりでその腕を抱え込み、一気に―――――

 

 

「あ、姉上! 実はこの度、この男と結婚することにしました!!」

 

 

―――――と云う爆弾発言をかました!

いきなり、しかもなんの脈絡もないその言葉に、(はるかと景太郎を除く)キツネ達は一瞬呆然とした後……

 

 

「「「「ええ~~~!!!」」」」

 

 

と、驚愕のあまりに叫んだ。

―――――しかし、

 

 

「つまらん嘘は止め」

 

 

鶴子はまったく取り合おうともしない。むしろ、その瞳に冷たくも怒りの光が微かに宿っている。

だが素子はそれに気付かず、なおも必死に言葉を続ける。

 

 

「う、嘘ではありません! で、ですから私には神鳴流の後継者たる資格はありません……」

 

 

神鳴流の後継者は、結婚すればその資格を失う…

それは、護るべき浦島の宗主よりも大切な存在があってはならないからだ。

総代となり、宗主の許可を得れば結婚は可能だが、継承者という身分ではそれも許されない。

 

その事を盾に必死に食い下がる素子。それが最後の砦だと云わんばかりに抵抗する。

それが、砂上に建てられたものだとも気付かずに……

 

 

「…………景太郎はん」

「…本当だ」

 

(ありがとう、神凪……)

 

 

素子の言い分を肯定する景太郎に、心の中で感謝をする。

が、しかし…この男はそんなに甘くはない。特に、浦島関連の者に対しては……

 

 

「もちろん、夫婦だから。夜の営みに関しては言うまでもなく、○○○や××××だってやっている。

あまつさえ、△△△△△や☆☆☆だって………」

 

 

未成年が教育上聞いてはならない言葉を連呼する科白に、なるは恥ずかしさの余り顔を真っ赤なり、

キツネとはるかはそれぞれしのぶとスゥの耳を塞ぎながら頬を赤く染め、

「やるやないか素子…」とか「そこまでやるか、景太郎」などと宣う。

当の素子と云えば、テーブルの上に突っ伏している。

 

そして次第にプルプルと痙攣を繰り返した後ガバッと起き上がり、

景太郎の胸ぐらを掴み、(別の意味で)顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らす!

 

 

「馬鹿を言うな! どんなに落ちぶれようと、この私が貴様に対して…その様な…ことを……する…か………」

 

 

気付いたときにはもう遅い。

自分で嘘を暴露してしまったことに気がつき、言葉が尻すぼみになる素子。

 

そんな素子を景太郎はチラッと見た後、無機質な視線を鶴子に視線を戻した。

 

 

「………こういう関係だ」

 

「なるほど…よう解りましたわ。素子はん!!

「は、はい!!」

 

 

名前を呼ばれて反射的に気をつけ! をしてしまう素子。

顔は真っ青、脂汗はダラダラ……いつ倒れてもおかしくない様子で必死に立っている。

 

 

「つまり、嘘をついてまで家に戻りたくないんどすな」

「い、いえ、決してその様な……」

 

「あ、あの~」

「なんどすか、え~と……」

「しのぶです。前原 しのぶです」

「そうどしたな。失礼…それで、しのぶはん。なんどすか?」

 

 

横から口をはさんできたしのぶに視線を移す鶴子。

その視線にさらされたしのぶはちょっと怯んだが、意を決して口を開く。

 

 

「も、素子さんは帰るのを嫌がっているじゃないですか。

嫌がっている人を無理矢理連れて帰っても、良い事はありません!」

 

普段の引っ込み思案なしのぶとはまったく違うその態度に、素子ならずキツネ達までビックリしていた。

キツネでさえも、鶴子の迫力にひいている中、あのしのぶが口を出すとは信じられないのだろう。

 

 

「ふむ………」

 

 

しのぶの言葉に何かを感じたのか、鶴子は暫し考え込む。

この場の他の誰でもない…しのぶの言葉だからこそ、鶴子に届いた。

 

しのぶは…両親の不仲が嫌になって、ひなた荘に来た。

それを知った両親は、世間体が悪くなることだけを危惧し、しのぶを無理矢理に連れ戻そうとした所、

前・管理人…ひなた婆さんが説得し、しのぶをひなた荘に入寮させたらしい。

嫌がる者を無理矢理に連れ帰る…その苦しさをよく知るが故に、しのぶの言葉は誰よりも鶴子に届いた。

 

少なくとも、しのぶの家庭事情を知る景太郎にはそう感じていた。

 

 

「景太郎はん。しのぶはんは強いどすな」

「ああ」

 

 

鶴子、そして景太郎の思わぬ誉め言葉に、恥ずかしくて顔を真っ赤にするしのぶ。

そんなしのぶに、鶴子は優しげな笑みを見せる。

 

 

「いいでっしゃろ。しのぶはんに免じて、素子はんが此処に残ることを認めます」

「本当ですか、姉上!」

「ただし…此処に来てから、素子はんがどれくらい成長したのかを確認させてもらいます」

 

 

喜ぶ素子に水をさす鶴子。ある意味それも当然だろう、素子は本家での修行を蹴ったのだ。

次期継承者という身分上、そんな我が儘など簡単には許されようはずはない。

それを納得させる手段はただ一つ…此処でも本家に劣らぬほど成長できると示す以外はない。

 

 

「どないどす? 断った場合は問答無用やけど……」

「………わかりました。して、その確認の方法とは?」

「無論、うちと試合しあってもらいます。それで実力を示してもらいまひょか」

「は、はい。よろしくお願いいたします」

 

 

緊張した面持ちで頷く素子。

今まで背中を追いかけてきた存在が相手なのだ。緊張するなという方が無理だ。

そんな素子の緊張が伝わっているのか、しのぶ達は一様に不安そうな顔をしている。

例外なのははるかと景太郎の二人。

はるかはどこか納得した顔をしており、景太郎は…その無表情からは何も窺えない。

どうでもいいようにも、最初から興味がないようにも…結果が判っているようにも見える。

 

 

 

「景太郎はん。庭の一画をお借りします」

「好きにしろ。ただし、家に傷をつけるなよ」

「極力気をつけます…素子はん」

「は、はい」

 

 

鶴子の呼びかけに素子は返事をすると、先に玄関から出ていった鶴子を慌てて追いかけた。

その手に持つ、止水を強く…強く握りしめながら。

 

 

 

 

 

―――――その2へ―――――

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