ひなた荘の庭…パーティーなどで使用される場所で、かなり広い。
そこには池もあり、綺麗な水がたたえられている。ただし、鯉といった生物は居ない。
それもそうだろう。この池は水術師の子供が訓練に使用するために作られたのもの。
幼い頃、沖縄にいる乙姫家の長女もここでひなたの指導を受けていたこともある。
景太郎も、その隣で必死に水術を使おうと足掻いていた苦い思い出の場所でもある。
そんな様々な『想い』がある場所にて対峙する青山の姉妹。
今また、この姉妹によって庭に新しい思い出が生まれようとしている。良いのか、悪いのかは別として……
そこから離れた所では、ひなた荘のメンバーと、景太郎とはるかが見物に来ていた。
ひなた荘のメンバー…しのぶ達は素子を心配して、
景太郎とはるかはいざというとき、そのしのぶ達を二人のとばっちりから護るためだ。
「さて素子はん……判りやすいように、合格の基準を設定しておきまひょか」
鶴子はそう言うと、最初から持っていた細長い包みの紐を解き、中から一本の木刀を取り出す。
見たところ、なんの変哲もない…極々普通の木刀だ。
ただ、土産物みたいな代物ではなく、本格的に作られた頑丈そうな一品ではあったが。
「これを斬ることができれば…素子はんが此処に残ることを認めます」
「姉上、冗談はおよし下さい」
素子の持つ止水は紛れもない真剣。それも、神鳴流が作り上げた『将霊器』だ。
並の人間が振るっても木刀など苦もなく斬り、素子が振るえば巨木すら容易に両断する。
しかし、それでも鶴子はニッコリと微笑みながら受け答える。
「冗談やあらしまへん。うちは本気で言うとります」
「そうですか…では遠慮無く―――――参ります!!」
素子は止水を勢いよく抜刀すると、身を屈め、大地を蹴って鶴子に一足飛びで間合いをつめる!
鶴子はその場から動こうともせず、木刀を持ち上げる。斬撃を真正面から受け止める気なのだろう。
素子は一瞬驚いたが、逆に好都合と思い、渾身の力を篭めて刀を振り下ろす!
―――――だがっ!
ガキィッ!!
「なっ!?!」
あろう事か、鶴子の木刀は斬れるどころか折れることすらなく、難無く素子の斬撃を受け止めた!!
(ば、馬鹿な! そんな事はありえない!!)
霊刀をただの木刀で受け止めたという事実に、素子の心は激しく動揺するが、
それを奥底に押し込め、手を休めることなく攻撃を続ける。
袈裟懸け、横薙ぎ、唐竹、斬り上げ―――――全て渾身の力で振るった必殺の斬撃だが、
その全てが鶴子の持つ木刀に受け止められ、捌かれる!
焦りに乱した息を整えるためか、一端鶴子との間合いを空ける素子。
それでも、鶴子は追撃することもなく、その場から…最初から居た位置から一歩も動かない。
(おかしい、普通に考えても、木刀で真剣を受け止めきれるものではない…もしやっ!)
「姉上、もしかしてそれも『霊器』なのですか!?」
「いいえ。これはただの樫の木で作られた木刀。なんの謂われもない、ただの量産品どすえ」
「そ、そんな……」
「それよりも、もう降参どすか? なら、早う荷物をまとめんとあきまへんで」
「い、いいえ! まだです!!」
裂帛の気合いと共に再度間合いをつめ、再び攻撃を繰り返す素子。
そして、またも同じくその場から一歩も動かず、木刀で全てを受け止め、捌く鶴子。
先程とまったく同じ結果に、素子の焦りは更に増大した―――――
「なに、あれ………」
今、目の前で起きている事になるが呆然とした声を上げる。
素子の実力をある程度知っているゆえに、信じられないのだ。
「素子ちゃんって岩だって斬っちゃうのに、なんであんな木の棒が斬れないのよ」
「木刀の中に鉄芯でも仕込んどるんやないか?」
なるの疑問に、キツネが思いついたことを言ってみるが、はるかがそれを真っ向から否定する。
「いや、それでも受け止めるのは無理だ。
素子の腕と『止水』ならたとえ鉄芯が入っていようともろとも斬れる…斬れるはずだ」
「わかった! ならあの中には〈ガン○ニウム合金〉がはいっとるんや!」
「でも、金属同士が当たったような音はしてないよ?」
スゥのボケにちゃんと受け答える優しいしのぶ。
そんな即席漫才を余所に、景太郎は鶴子の刀捌きをじっと見つめた後、微かに感心した顔になった。
「なるほどな…そう云う手があったか」
「そう云う手だと? 景太郎、お前なにか解ったのか?」
「ああ…鶴子さんは刀と木刀が接触した瞬間、木刀を動かして角度をずらしている。
刀がもっとも切れ味を発揮するのは垂直方向。その角度を外し、身体全体で打ち込みの衝撃を吸収している。
いわば、故意に振り抜けない状態を作ってる。だから、青山は木刀を斬ることができないんだ」
これは刀に限ったことではない。身近な例で言えば、カッターナイフなども当てはまるだろう。
無理に力を篭め、変な方法で切ろうとした場合、カッターの刃が耐えきれずに折れる事は、誰しもあることだ。
しかし、相手は振るわれる真剣だ。一体どれ程の技量があれば出来るのか…なる達には想像すらできない。
「そんな事をあいつはしているのか!?」
「当たった一瞬でな。頭でいちいち考えて出来る技じゃない。身体全体で感じて行っているんだろう」
「お前は…出来ないのか?」
「さぁな、何回かやってコツさえ掴めばできるかもしれないが…
それ以前に、俺なら『受け止める』と考える前に『避けて相手の頭をかち割る』方法を選ぶ」
景太郎の殺伐とした答えに、なる達一同は素子の相手が景太郎でないことをホッとした。
だが…まだ景太郎が相手する方がましであることを、なる達は知らない。
それを知っているはるかは…顔に落胆の色が現れ始めた鶴子を見ていた。
「こんなもんどすか……」
「え? ―――――うわっ!!」
鶴子の呟きの意味を問おうとした素子だが、突如放たれた氣の衝撃波を受けて吹き飛ぶ。
直撃する寸前、後ろに跳んで衝撃を殺そうとしたまでは良かったが、その後がいけない。後ろには―――――
バシャーーーンッ!!
池があり、吹き飛んだ素子は盛大に飛び込んで盛大に水飛沫を上げる。
「う、く…ごほっ……―――――はっ!!」
高まる氣を感じ、咄嗟に身構える素子。
その先には、鶴子が翠色の氣を纏った木刀を振り上げている姿があった!
(い、いけない、あれは―――――)
「風ノ秘剣―――――斬空閃」
”木氣”の一つ『空氣』による衝撃波が素子に襲いかかる―――――その数、ざっと十数発!
鶴子は、本来なら一つしか放てないものをたった一振りで複数放ったのだ!
素子は止水に相克対象たる”金氣”を纏わせ、襲いかかる衝撃波を斬り払うが、いかんせん数が多く、迅い!!
(これが斬空閃!? 私の斬空閃とは威力が違いすぎる!)
同じ技でも使い手が異なれば威力も異なる。
鶴子の斬空閃…しかも複数同時でも、その一撃だけで素子を戦闘不能に追い込むほどの威力がある!
それを初撃で理解し、必死になって切り払う素子―――――だが、
「うわっ!」
池の水に足をとられ、バランスを崩してしまう!
袴を着ていれば仕方がないことだが、そんな事にはお構いなく、残る”風氣”の衝撃波が素子に襲いかかる!!
「うわーーっ!!」
最初の一撃が素子に直撃し、再び盛大に水飛沫が上がる!
そして間をおかずして残りの衝撃波全てが襲いかかり、
更に水飛沫が盛大に上げ、散らし、池の上に局所的な深い霧を作り上げた。
「「「「素子(さん)!!」」」」
素子の安否を心配し、叫ぶなる達。
実の姉は、たちこめる即席の霧を冷徹な目でじっと見ていた。
そして―――――次第に霧は晴れ……
「はぁ…はぁ…はぁ………」
全身ずぶ濡れの素子が、止水を杖代わりにかろうじて立っている姿が露わとなった。
疲労しているようだが、外傷などは一切見られない事から、
直撃する寸前にありったけの氣を篭めた止水を盾のようにして、衝撃波をなんとか防御したのだろう。
だが、その反動は高い…無理な練氣に体力が大幅に削られたようだ。
「無様どすな、素子はん。池に足を取られるやなんて神鳴流の戦士としてあるまじき恥ずべき姿やな。
なんで”水氣”を使わへんの? 使えばそんな事にはならへんのに……」
「水氣? ”水氣”の技で斬空閃を相殺しろと言うのですか?
それに、お言葉を返すようですが姉上、止水の属性は”土”。
水氣は力を削がれ、その力を充分に発揮することは出来ません」
鶴子の言葉に素子は反論するが、
その言葉が紡がれるたびに鶴子の顔つきが厳しいものへと変化して行く。
「あ、姉上?」
姉の豹変に怖じける素子。
その瞬間、鶴子はその場から消えると素子の眼前に現れ、木刀を薙ぐ!
いきなりの攻撃ながらも、素子はなんとか柄で受け止める。
だが、鶴子は構わずそのまま薙ぎ払い、素子を池の外まで弾き飛ばした!!
大地に強かに身体を打ちつけるものの、今の立場に好奇を見出す素子。
今度は自分が大地の上、そして鶴子が水の中だ。
いかに鶴子とはいえ、水の中では機敏な動きは出来ない。
―――――そう思っていたのだが、あろう事かそこには、
「み、水の上に立って―――――」
そう、水の上に立っている鶴子の姿があった。
足の下に何かがあるわけでもない…あるのは水だけだ。
まるで大地の上にいた時と変わらない姿で、静かに立っていた。
「あまりにも浅はか…武具に氣を纏わせるだけが神鳴流の技にあらず。
五行の技を用いて戦場を雅に駆け巡る。これもまた、五行戦氣術の真髄なり……」
この場で霊視力のある者は、鶴子の身体が蒼い燐光…水氣を纏っているが見えただろう。
その中でも、足下は燐光ではなく、仄かに蒼い光を放っている。水氣が他の部分よりも濃いのだ。
「”水氣”とは読んで字の如く〈水の氣〉。
『水』本来が持つ氣と”水氣”を同調させれば、このように水の上に立つ事も可能。
ひいては、水の束縛すら断つこともできる……」
そう云いつつも鶴子の足は水の中に入ってゆく。
しかし、その身体からは水氣が変わらず放たれている。
姉の行為がまったく解らず、ただ呆然と見やる素子。
―――――次の瞬間!!
「この様に―――――」
そう言った直後、鶴子が素子の目の前に現れる!
水が一直線に裂けていることから、真っ直ぐに走ってきたのだろう。
水の抵抗を受けずに、さらには、衣服を一切濡らさずに―――――だ。
「ぼーっとしとる暇はありまへんで!!」
またもや木刀を横薙ぎする鶴子。
しかし、素子は今度は受け止めようとせず、後方に跳びさがる。
そして後方にあった庭石に足をつけると、強く蹴って鶴子に向かって一直線に飛び掛かる!!
「金ノ秘剣―――――斬鉄閃!!」
金氣を纏った止水が鶴子に向かって振るわれる!
木刀は言うまでもなく”木”属性。金氣の技には弱い。その選択は間違ってはいない。
だが、鶴子はその斬撃を受け止めず、上空へと跳んで避ける!
しかし、その回避行動は素子の予想範囲内だった!
「金ノ奥義―――――斬鋼閃!!」
刀に纏う金氣を更に高め、奥義を放つ素子。
氣による遠距離攻撃『遠当て』は、直接当てるより威力は下がる。距離があればあるほどに。
だからこそ、高い威力を秘める奥義を放ったのだろう。
(いけるか!?)
金色の氣の刃が鶴子に向かって飛翔する!
上空へと跳び上がった鶴子には避けることが出来ない。
出来ない―――――はずだった。
「まだ、解らへんようやな」
「なっ!!」
何もない”空”を蹴って更に上空へと跳び上がる鶴子。
ゲームなどだったら二段ジャンプとでも云うのだろうが、現実に出来る技ではない。
「水氣と同様…”木氣”を用い『風の氣』と同調すれば、大気を足場にすることも可能」
身を捻り、上下逆さまの体位となると鶴子は身を屈め…再び空を蹴り素子に向かって急降下する!
次々に知らされる『神鳴流の真髄』といきなりの奇襲に驚き、反応が遅れた素子は、
着地すると同時に放たれた鶴子の一撃をまともに受け、弾き飛ばされた!
「確か言いましたな。一味も二味も違う…と。一体どこが違うんどす?
確かに剣の腕や氣の質は少々上がったようやけど…
あの頃に比べて実戦の勘は鈍り、多少の事で心を乱して狼狽える。
あげのく果てに、あの程度の事をろくに出来んで、神鳴流の後継者を…
いや、神鳴流を名乗るやなんておこがましいにも程がありますえ。恥を知りなはれ!」
「し、しかし……私は……まだそれを…教えてもらっては…おりません」
ダメージが大きいのか、呻きながらもそう言い返す素子。
立ち上がることが出来ず、上半身をやっとの事で起こしながらだが…鶴子はそんな素子を冷たい目で見下ろす。
「それは当たり前や。あの時、あんたはまだ教える段階にまで到ってなかったんやからな。
しかし、あんたは自分で家を出て独自で修行すると言った以上、自らが考え、会得せなあきまへん。
そもそも、これは五行の技を磨き上げれば、自然と気がつき、自ずと身に付く技術…
やけど結果は…家では強うなれんと言って出ていった挙げ句がコレや」
鶴子の視線が、素子から側の止水に移る。
止水は大地に突き刺さり、今もなお持ち手が自らを握ることを待っているかのようにすら見える。
そんな止水に、鶴子の瞳が暖かなものへと変化したが…それも一瞬。すぐに冷たいものへと戻った。
「止水が”土”の霊刀であることにばかり気がいって、水氣をまるで鍛えとらへんようやな。
しかも、派手な技ばかりを身に付けることに目が行って、偏った鍛え方をして……
普通に鍛練を重ね、”五行”全てを身に付ければ気が付けたことなのに……
あんたに『止水』を授けたのが、うちの最大の間違い…いや、過ちやったんどすな」
木刀を目の高さまで持ち上げ、一文字の型のように水平に構える。
その木刀の刃にあたる部分に翠色の燐光が集束し、第二の刀身を形成する!
「あ、姉上! 止め―――――」
「木ノ秘剣―――――木牙裂斬!」
パキーーーーーン……
とても澄んだ音が鳴り響く……
その音は素子だけではなく、遠巻きに見ていたなる達の耳に響くほどに……
「あ…ああ……ああああ…………」
絶望に染まった瞳で『砕けた』止水を見つめる素子。
粉々に…相克の技で、刀の霊器構造すらも微塵に打ち砕き………
これでは、どんな名工であろうと、もう二度と修復は出来ないだろう。
この瞬間…止水は”死”んだのだ。
「あんたの成長を止めてしもうた事への、うちなりのけじめどす。それに、あんたは家に戻らんでもええ」
「あ…ねうえ?」
「今この時を持って、神鳴流・神位・青山 鶴子がその権限を用い、〈青山 素子〉を神鳴流より”破門”する!
これ以降、あんたは神鳴流を名乗ることを許されん。同時に、家の敷居を跨ぐこともならん!」
「そ……そんな………」
鶴子から一方的にもたらされた〈破門〉の言葉。
その言葉が、止水を折られて傷ついた素子の心の傷を深く抉る。
止水と同じく、粉々に打ち砕かんばかりに……
「では皆さん、お騒がせしましたな。うちはこのへんで失礼させていただきます。えらいご迷惑をお掛けしました」
もはや一辺の未練もないと言わんばかりに素子に背を向け、歩み去る鶴子。
その鶴子に向かって必死に手を伸ばし…力つきるように倒れる素子。
なる達は完全に倒れた素子を心配して駆け寄り、口々に呼びかける。
そんななる達の心配する声は素子の耳に響くが、心にまでは届かず…
ただ悔しさに歯噛みしながら強く、強く拳を握りしめた………
「いいのか、連れて帰らなくて…本当はそのつもりだったんだろうが」
「…………」
その場を動かなかった景太郎が、去ろうとしている鶴子にそう問いかける。
―――――が、鶴子は無言で返事をするのみ。視線を合わそうともしない。
怜悧な目を、ただ真っ直ぐ前に向けたまま歩みを止め、耳だけをかたむける。
「この前の一件で、俺が神鳴流にもその牙を向けかねないのを知ったあんたは、妹を心配して連れに来た。
なにせ、あんたの妹は”力”の強さでしか価値観を計れない、俺の嫌う杓子定規な人間だからだ。違うか?」
「しりまへんな。そんな事は…それに、うちに妹はもうおりまへん」
「そうか……」
景太郎はならもう何も言うことはない、と言わんばかりにそう言うと、手に持っていた封筒を鶴子に投げる。
鶴子はそれを受け取ると、訝しげにそれを眺めた後、景太郎に視線で問いかける。
しかし…
「一週間後に来い」
景太郎はそれだけ言うと、鶴子に背を向けてひなた荘の中に入っていった。
そんな景太郎に鶴子は眉を顰めた後、封筒を懐にしまい、疾風を伴いひなた荘を去った……
空は徐々に曇り、遠からず雨を降らせるだろう……
今の、素子の心の内と同じく……
―――――十六灯に続く―――――
―――――あとがき―――――
どうも、ケインです。
今回の話はラブひな本編だとかなり後の話ですが…これからの話の流れに必要なので、もってきてしまいました。
ついでに、『止水』も壊れてしまい、素子は相棒を失った状態です。
これから先の展開は本筋と大きくは離れませんが…本当に大筋で、内容は変化します。
ちょっとゴチャゴチャしますけど、どうか根気よく見てやってください。
それでは次の話は順当に、落ち込んで気力を失った素子が立ち直る話です。
ただし、原作と違って景太郎があれですからね……ちょっと心配かもしれませんけど。
逆にトドメを…刺すことはないでしょうけど、近いことをするかもしれませんし……
では、次もよろしければ読んでやってください。
ケインでした……