白夜の降魔・関灯2・その1

 

 

 

ラブひな IF       〈白夜の降魔〉

 

 

 

関灯・第二 「持つ者と持たざる者」

 

 

 

 

二月十四日《バレンタインデー》

 

なんでも、聖バレンタイン司教が教えを破り、愛を説いたが為に協会から撲殺された日。

その死を悼み、この日を特別な日に定めたらしい……

だが、愛云々はともかく、チョコレートを贈る風習の発祥は日本らしい。

海外では、男性が女性に普段の感謝を込め、〈花〉を贈るところもある。

 

 

色々と小難しく、怪しい知識ながら……早い話、贈る者がいれば、贈られる者が居るわけで………

当然、貰えない奴も出てくるという、〈愛の吹き溜まり現象〉が起こる日でもあった。

 

 

 

 

閑話休題それはさておき―――――

 

そんな女性達が妙にそわそわしている当日…その三時過ぎ。

女子寮、ひなた荘のリビングで二人の男が顔をつきあわせていた。

 

 

「なんや、景太郎に白井の兄ちゃんやないか。二人して何をやっとるんや?」

「ああキツネさん、お帰りなさい。お仕事ご苦労様です」

「ありがと。それで、なにやっとるんや?」

 

 

まず最初にバイトから帰ったキツネを労う景太郎に、キツネは軽い笑顔を見せると、先程の質問を繰り返し、

景太郎も軽い微笑とともに事情の説明を始めた。

 

 

「この前、青山の『刀』をこいつに作ってもらったじゃないですか」

「ああ、こん前のアレな。あれがどないしたんや?」

「簡単に言えば、代金の話ですよ」

「なんや、そうなんか…っつうことは、景太郎が思いっ切り値切りよる最中なんやな」

「だったら、話は簡単なんですけどね」

「違うんかいな」

「灰谷は現金でよかったんですけど、白井こいつは条件できたんですよ」

「条件やて? 現金の代わりに?」

「ええ。ひなた荘…正確にはこの敷地内に自分の工房を建てさせて欲しいんだそうです」

「敷地内やて? ちゅうことは、裏山のどっかにか?」

 

「それじゃあ意味が無いんですよ。中心…ひなた荘ここに近ければ近いほど良い。

欲を言えば、この前の離れをそのまま使わせてもらうのが一番なんだけど……」

 

「それはちょっとな……」

 

 

白井の言葉に難色を示すキツネ。ここは曲がりなりにも女子寮なのだ。

管理人であり所有者である景太郎はともかく、本来は男子禁制の場所。

この間は素子の事があったので、一晩ぐらいは…と考えていたが、さすがにずっとというのは問題だ。

 

 

「景太郎が了解したんならうちには…寮生にはなんも言えへんけど……」

「心配は無用ですよ、キツネさん。ここに作ると言っても、ひなた荘の中に作るわけじゃないんですから」

「そうなんか?」

「ええ。作るのはあっちです」

 

 

こんこん、とテーブルを人差し指で叩く景太郎。つまり下…地下と言うことだ。

 

 

「なるほど。ひなた荘の地下迷路の一角に作るんやな」

「いや、さすがにそれは…と言うか、知ってたんですか?」

「まぁな。寮生うちらの中じゃうちが一番の古株やしな」

「そう言えばそうでしたね」

 

 

そう。ひなた荘の地下にはなぜか地下迷路があったりする。

と云っても、それはただ単純な迷路ではなく、ある一定の法則に従って造られた通路…巨大な魔術回路なのだ。

陰陽術や風水などの技術を盛り込んだ浦島最秘奥の魔術式で、

霊穴『ひなた』の霊力を富士五湖の封印に流すために存在している。

 

しかし、今はその大元が消滅し、封印も無くなって”無用の長物”を成り下がってしまったものなのだが、

撤去するには大きすぎ、特に問題もないため放ってある…というのが建て前で、

相手は緻密にて精巧、色々な術が合わさった複雑な魔術回路。

下手に一部を壊したりすると、回路が変な風に書き変わり、

想像もつかない異常事態を引き起こす可能性があるため、迂闊には手が出せないと言うのが現実だったりする。

 

 

「でも、違います。白井の工房はもっと下に作る予定です」

「へ~…でも、なんでわざわざそんなところに作るんや?」

 

「まぁ、色々な事情があるけど、簡単に言えば地中の方が霊圧が高いから、良い品物が出来る。かな」

「ほ~なるほどな」

 

 

白井の言葉に納得した様子のキツネ。詳しいことは言われても解らないのでこれで自分を納得させたのだろう。

 

ちなみに、先の説明を詳しくすると、

白井の専門『魔石加工ジュエル・エンチャント』は加工する際、周囲の霊圧が低いと魔石が内包する力が拡散してしまうのだ。

この時、周囲の霊気が澄んでいれば澄んでいるほど、質が良ければ良いほど魔石の加工も良い。

その点、ひなたの地は霊圧も高く、霊気も澄んでいるのでこれ以上ない場所だったりする。

実際に、素子の刀も白井が想定した性能よりも数割以上も上がっていたりするのだ。

地上でそれほどとなると…更に霊圧がある地中となると、それこそ最高級の一品が量産できる。

 

―――――と、白井は睨んでおり、事実そうであろう事は想像に難くなかった。

もっとも、その他にも色々と複雑な理由はあるが…簡単に言えばそうなのだ。

 

 

「入り口も別に作るから、皆と特に顔を合わせることもないよ」

「そうなんか…まぁ、うちらに迷惑がかからんのやったら別にかまわへんのやないか?」

「そう言ってくれるのはありがたいけど……実際には、そう簡単には話が進まなくてね」

「なんや、まだ問題でも有るんか?」

「超現実的というかなんというか…そんな大がかりなことをしようとしたら、まずコレが入り用ですからね」

 

 

右手の人差し指と親指でわっかを作る白井。つまりは金がいると言うことだ。

 

 

「そらまたホンマに現実的やな。で? いくらぐらいかかるんや?」

「う~ん……事が事だけに、一千万や二千万じゃすまないだろうね」

「まぁ、そうやろな」

「どう安く見積もっても、億は超えるかな? 作り方も一般とは違いますからね、そんなもんでしょう」

「ほほぅ…そら大金やな。あまりに大金過ぎて想像もつかんから驚けもへんわ」

 

 

一般人であるキツネからすれば、『一億』など単語で知っている程度だろう。

テレビや新聞で見たり聞いたりすることはあっても、実際に見ることはまず稀有だと言っても良い。

 

 

「まぁ、そう云うことでその費用を景太郎に借りようと頼んでいるところなんだ」

「そうなんか…って、いくら景太郎でも、そんなに金をもっとるはず「もってますよ」―――――なぬっ!?」

「国内外の色々な銀行に預けてますけど…合計したら、二、三億ぐらいにはなるんじゃないですか?」

「なんとまぁ……」

 

 

なんと言えばいいかわからず、とりあえずそれだけ言うキツネ……

そんなキツネの様子に、白井は軽く苦笑する。

 

景太郎はもう何年も退魔の第一級線に立ち、荒稼ぎしている名うての退魔士。

その上、渡航した際に賞金を懸けられた妖魔などを幾度も狩っているため、貯金がかなり貯まっているのだ。

 

 

「それで、景太郎は金を貸すつもりなんか?」

「ええ、無利息で」

 

「ただし、半専属として、景太郎が望む物を最優先で造ることを条件に…ね。

今でもほとんど専属みたいなもんだから、俺にとってはプラスマイナス・ゼロでありがたいけどね。

借金の方も、良質の道具が作れるんだから、二、三年で綺麗さっぱり返せるし」

 

 

はっきりと断言するとはまた……

一億もの金をたった二、三年で返すという言葉は、剛気と取るか余裕と取るか、判断に難しい。

 

 

「俺の腕なら、一年で返す自信はあるけどね」

 

 

どうやら後者だったらしい。それにしても一年とは……

 

 

「さすが景太郎の友達ダチやな。似たようなことを言いよるわ」

「まぁ、昔からの腐れ縁ですからね」

景太郎こいつに付き合っていると、自然とこうなるんですよ。と言うか、これぐらいは出来ないとついてけないと言うのが本当ですけどね」

 

「そらそうやろうな」

 

 

キツネの笑いながらの言葉に、景太郎と白井も一緒に笑いあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――その同時刻―――――

 

日向市内にて―――――しのぶとスゥの二人が並んで学校からの帰途についていた。

そんな二人の手には、学校指定の鞄以外に、何処かの店の買い物袋が提げられている。

 

 

「ごめんね、カオラ。特売だからってついてきてもらって……」

「べつにえぇで! しのぶにはごはん作ってもらっとんのやからな」

 

 

申し訳なさそうな顔のしのぶに対し、あっけらかんとした顔のスゥ。

言葉通り、いつも御飯を作ってもらっているしのぶの役に立てて嬉しいのだろう。

 

 

「それはそうと、な~しのぶ。しのぶはケータローにチョコ渡すん?」

「え!?」

「今日はバレンタインやし、やっぱしのぶもケータローに渡すんやろ?」

「あ、ええっと……その…私は……」

 

 

突然の言葉に混乱し、狼狽えるしのぶ。

そんなしのぶに対し、スゥは眩しいばかりの笑顔を向ける。

 

 

「うちも渡すで。もちろんホンメーな」

「ええっ!?!」

 

 

スゥの元気いっぱい爆弾発言によろめくしのぶ。思わぬ伏兵にショックを受けているのだ。

ちなみに、義妹の可奈子が一番、なるが二番の強敵と認識している。

 

しかし…いつも奇抜な行動と思考をしているスゥのことだ。

『本命』と云う意味を正しく理解しているか、甚だ怪しいと言わざるをえない。

 

 

「ね、ねぇカオラ。カオラって神凪先輩のこと好き…なのかな?」

「好きやで」

 

 

ニッコリと太陽のような笑顔と共にそう言うスゥに、しのぶの顔色が暗く―――――なると思いきや、

 

 

「ケータローはうちの兄様にそっくりなんや」

 

 

と云う言葉に、微妙な表情に変わった。安心したような、しないような…そんな感じの顔だ。

ひょんな拍子に、それがきっかけにスゥが景太郎自身のことを好きになるかもしれない…と、想像したのだろう。

世の中には、そんな例も幾つかある…かもしれないし………たぶん。

 

(で、でも……そんな……ああ、先輩!)

 

その想像が変な方向に向かってしまったのか、顔を赤くしたり青くしたりするしのぶ。

傍から見れば奇妙極まりなく、スゥが下から顔を覗き込んでいることにも気がついていないようだ。

 

 

「しのぶにスゥ。今帰りか?」

 

「あ、も、素子さん!」

「お~っす、モトコ~!」

 

 

見知った人物…素子の声に正気に戻ったしのぶが慌てて反応を示す。

スゥも興味をしのぶから素子に移し、飛び掛かるように抱きついた。

 

 

「こら、スゥ。いきなり飛び掛かるな」

「にゃははは~、こまかいこと気にせん気にせん! ん?」

 

 

ひとしきり笑ったところで素子の荷物…学校の鞄と竹刀袋の他に、何処かの店の紙袋に気がつくスゥ。

そして直感的に中身がアレであることにも気がついた。

 

 

 

「お、モトコもケータローにチョコレート渡すんか?」

「あ、ああ。まぁ、寮生と管理人というつき合いがある以上、円満な関係を築くためにも仕方があるまい」

 

 

片目を瞑り、咳払いなどをしつつも答える素子。

ただ、少々説明と言うよりも言い訳じみている印象を受けるが…判断するには微妙なところだ。

 

 

「ホンメーか?」

「そんな訳あるか。この間の礼もあるから仕方なし…だ」

 

 

スゥの余計? 憮然とした表情で言い返す素子。

これが微かにでも頬を赤らめていれば可愛げがあるのだが……

本当に、何を言っているのやら…と言わんばかりの表情だと、なんの期待も持てそうもない。

 

と、言いたいところなのだが…しのぶにとっては重要な問題だったらしい。

スゥもそうだが、そう云ったイベントに背を向けている素子が参加するのは予想外だったのだ。

 

(そんな…素子さんまで………)

 

昨日の晩、今日のために一生懸命作ったチョコレート。

ただでさえ受け取って貰えるかどうか不安なのに、みんなからいっぱい貰ったら、もうこれ以上はいらないって受け取ってもらえないかも……

 

そう考えただけで、しのぶは卒倒しそうなほど青くなり、足下がおぼつかなくなる。

 

 

(こ、こうなったら、帰ったらすぐに…一番に先輩に渡さないと!!)

 

 

一世一代の決心を胸に秘め、ググッと握り拳を作るしのぶ。

これがアニメか漫画だったら、その瞳は魔王の居城に向かおうとする勇者の如く、さぞかし熱く燃えていただろう。

 

―――――と、そんな時。

 

 

「あれ?」

「ん? どうしたしのぶ」

「あの人、何をしてるんでしょう……」

 

 

しのぶの視線をたどると、そこにはひなた荘前の階段に立っている人物がいた。

その人物は手元の何かを見た後、階段を見上げている。

 

これが男なら問答無用で不審者を決めつけ、叩きのめすところなのだが…

生憎と、その人物は女性…それも、自分達とさほど変わらぬ年頃のようだ。

 

「見覚えのない顔だな…それにあの制服。この辺りでは見かけた事がない制服ものだな……」

 

 

そんな素子の声が聞こえたのか、その少女はくるりと素子達のいる方に振り向くと、

ニコニコと微笑みながら軽快な足取りで歩み寄ってきた。

 

 

「なんや、あの姉ちゃんこっちに来るで」

「う、うん」

 

 

面白そうに近寄る少女を見るスゥに、見知らぬ年上に怯える様子を見せるしのぶ。

素子はと云うと、持っていた鞄と荷物をスゥ達に預けると二人を庇うように前に出て、

いつでも対応できるように竹刀袋を握りしめる。

 

しかし、その女性は素子達の警戒を知らないのか、それとも知ってて無視しているのか、

躊躇無く素子達の前まで来ると、朗らかな笑顔で質問してくる。

 

 

「ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど良いかな?」

「え、ええ」

 

 

物怖じしない少女の態度と質問に少々気圧されながらも、短くそう答える素子。

同時に、気付かれないように女性を観察する。

 

その女性…いや、少女は肩まで伸ばされた髪をソバージュにしており、

どこかふんわりとした印象を与える、おっとりとした雰囲気を纏っている。

どこをどう見ても普通の少女…女子高生だ。

 

 

「あなた達って、この辺りに住んでいるの?」

「そうだが…何か用なのか?」

「うん。もしかしてだけど…そこの『ひなた荘』の人?」

「ああ、そうだが……」

 

 

心底嬉しいと言わんばかりの笑顔になる少女に対し、警戒を強める素子。

ここ最近、ひなた荘を訪ねてくる者(姉を含めて)にろくな者がいなかったからだ。

 

そんな素子の警戒などつゆ知らず、少女は『私、期待しています』と言わんばかりの顔で素子に詰め寄る。

 

 

「それじゃ管理人さんって、『神凪 景太郎』さんよね!?」

 

 

少々興奮気味にそう問うてくる少女に、素子は竹刀を袋に入れたまま突き付ける!

 

 

「何者だ! 神凪に一体何の用だ!!」

 

 

敵意を剥き出しに逆に問いただす素子に、少女はキョトンとした表情で見つめ返す。

素子の急な変化に追い付かないのだ。

少女がよく見ると、後ろにいた気の弱そうな子…しのぶも、弱々しいながらも敵意の視線を向けていた。

 

 

「え、あたし? あたしは景太郎さんの義妹いもうとの親友で、

『篠宮 由香里』って「「「ええっ!?!」」」―――――言うの…って、何?」

 

 

自分の名を聞いた途端、大声を上げて驚く三人に、思わず引いてしまう少女―――――由香里。

名前を聞いて叫ぶなど失礼も良いところ。

すぐにそれに気がついた素子は、慌てて由香里に向かって謝罪をする。

 

 

「す、すまなかった。いきなり叫ぶなど失礼だった」

「う、ううん。それは良いけど……何で私の名前で驚いたの?」

「そ、それはその…貴女の名前を、以前神凪から聞いたことがありまして……」

 

「あはっ、景太郎さんってば、そんなにあたしのことを思ってくれていたなんて」

 

 

そう言って『ほうっ』と艶やかな溜め息を吐く由香里。

しかし、素子が微妙に暈かした部分…景太郎が由香里を称した部分を聞けばそれがどうなる事やら……

いや、それでも由香里は絶対に止まらない。この場に綾乃と七瀬親友二人がいれば、きっとそう言っただろう。

 

 

「それじゃあさっそく景太郎さんの元に行かないと! あなた達もひなた荘に帰るところなんでしょ?」

「え、ええそうですけど……」

「じゃぁ一緒に行きましょう!」

「は、はい」

 

 

素子達は圧倒されたまま、先頭を歩く由香里の後に続く。

その間、巧みな話術で景太郎がひなた荘に来てからのことを話せさせられる。

(あくまで話したのではなく、話させられた)

 

押しの強さに詐欺師みたいな巧みな話術で全てを根ほり葉ほり喋らされた素子達。

ひなた荘の前に着いた頃には三人の心は一致していた。

 

 

(景太郎(先輩)がこの人のことが苦手だと言ったのが、なんとなく解った気がする……)

 

 

―――――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮さん」

 

 

由香里を見た景太郎の第一声がこれだった。

まるで、驚愕の余り叫んでしまいそうだったのを、なんとか抑えつけた…と言った声音だ。

 

 

お久しぶり、景太郎さん」

 

 

そんな事はつゆ知らず(あるいは知ってて無視)、

由香里は満面の笑みを浮かべて言葉の前半をやや強めに強調する。

まぁ、景太郎は(操を除いて)身内以外には黙ってひなた荘こちらに来ていたのだ。

そう言いたくなるのも仕方がないのだろう。

 

それを理解している景太郎は、微妙に引きつった笑みと共になんとか口を開いた。

 

 

「ひ、久しぶりだね、篠宮さん。そ、それで…一体何の用があってここに?」

 

 

怯えているというか腰が引けているというか…普段の態度とまるっきり違う態度の景太郎。

周囲の人間は、そんな景太郎の様子に新鮮さを覚える―――――以前に、ただ呆然としてしまっている。

 

 

「あれ? あたしが景太郎さんに会いに来るのに理由が必要なの?」

「あ、いや…それは…別に構わないけど……」

 

 

向かうところ敵なし、身近の最強格『浦島 はるか』を常日頃から圧倒している景太郎を圧倒する少女、由香里。

素子やキツネ達に奇異な目を向けられても平然としているあたりも、本当に凄い。

 

 

「まぁ、今日は特別な日だからね」

「特別な…日?」

「そうよ。今日はバレンタインデーじゃない!」

「え? ………あぁ、そう言えば……だから……」

 

 

何か納得した表情で頷きながら、カレンダーに目を移す景太郎。

普通の男なら、女性からのチョコレートを期待するか、背を向けて強がるか等、色々複雑な日なのだが、

どうやら、彼にとってバレンタインデーは特別な意味をもたない日らしい。

 

 

「だから…はい!」

「あ、ありがとう」

 

 

由香里がニコッと極上の微笑みと共に綺麗にラッピングされた箱を差しだし、

それをやや引きつった笑みで受け取る景太郎。

その脳裏に、去年のバレンタインデーの記憶がよぎったのだ。

 

 

「あの~…まさか去年と同じ………」

「そう。もちろん去年と同じ『本命』だからね」

 

 

まるで語尾にハートマークでも付いていそうな声音の由香里に、げんなりとする景太郎。

去年のチョコレート…数種類の詰め合わせチョコだったのだが……

その種類事に成分が異なり、星形が睡眠薬、丸形が痺れ薬、ハートマークが興奮剤だった…らしい。

『らしい』と言うのは、間一髪の所で気付いて食べなかったからだ。

 

ハート形もだが、星形、丸形も勘弁してもらいたい。

攻守が入れ替わろうとも、義妹いもうとの友人とそんな関係になどはなりたくない。

 

 

(また…いや、篠宮さんが一度ばれた手段を二度も使うとは思えない…)

 

 

高速で思考を働かせる景太郎。

なぜチョコレートのこと一つでそこまで考えなければならないのかと、空しくなってくるが…考えてはならない。

 

 

「あ、そうそう。食べるときにはボールペンを準備してね、鉛筆はダメみたいだから」

「鉛筆? ボールペンを準備? 篠宮さん、この中に一体何を入れているのかな?」

「もちろん、私の愛!」

「はははは…そう。じゃぁ、さっそく開けさせてもらうよ」

「んもう、景太郎さんったら、さっそくだなんて……」

 

 

キャ、恥ずかしい…と、頬に手をそえて恥じらう由香里を尻目に、景太郎は引きつった笑顔のまま箱を開ける。

 

 

(そ、そんな…先に渡されただけじゃなく、それが本命だなんて……)

 

 

由香里のチョコレートを見てからこっち、ショックで顔色が青くなっているしのぶ。

景太郎が丁寧にリボンを解き、包装紙を広げる様も、とても大事な物を大切そうに扱っているように見えた。

もっとも、景太郎は親しい人が好意でくれた物を丁寧に扱っているに過ぎないのだが……

マイナス思考のフィルターを通して見ていたので、しのぶには過剰にそう感じたみたいだ。

 

それはともかく……

 

 

「なんで包装紙が何枚も重ねて……あれ?」

 

 

何重にも重ねられた包装を解き、最後の一枚になった時点でその手を止める。

その最後の一枚が、他の紙と違って何か小さな文字が書かれてあるのだ。

景太郎はヒシヒシと嫌な予感を感じつつ、その紙を広げてよく見ると……

 

ガンッ!

 

テーブルの上に突っ伏した。

キツネが何事かとその原因…景太郎の手にある紙を覗き込むと、そこには―――――

 

 

―――――〈婚姻届〉―――――

 

と云う文字が書かれてあった。

しかも、後は景太郎が自分の名前と判子を押せばオッケーな状態だ。

いかに景太郎と云えど、いきなりこんなものを出されれば突っ伏したくもなるだろう。

 

 

「なんやこりゃ!?」

「何って…婚姻届だけど?」

「こんなんでチョコレート包むヤツがどこにおんねん!」

「ここにいるじゃないですか」

 

 

悪意なんてまったくございません。と云う感じの顔で、

なんでそんな事を聞くんだろう? と言わんばかりに返事をする由香里。

キツネの剣幕にも眉一つ動かさずに…だ。やはり只者では無い。

 

 

それで、ひなたガールズも十二分に、心の底から理解できた。

景太郎が由香里を苦手にしている理由を………

会う度にこんな事をやられれば、誰だって苦手意識の一つは抱くのも仕方がない……

 

 

「景太郎さん? 嬉しいにしてもリアクションが長いと思うんだけど?」

「嬉しいんとちゃうわい!」

「あ、そうそう……これ、綾乃ちゃんと七瀬ちゃんの分も預かってきてるの」

「人の話を聞かんかいっ!!」

 

 

キツネの声をナチュラルにスルーしながら懐から新たな包みを三つ取り出す由香里。

大・中・小の三つだが、大きいと言っても三つの中で…であり、大きさ的には由香里とさほど変わらない。

 

 

「綾乃さんと…久遠さん? 綾乃さんはとりあえず毎年くれていたけど、久遠さんまで?」

「うん、そうだよ。七瀬ちゃんが貰うんじゃなくて、あげるのなんか珍しいんだから」

「それはそうだろうけど……またなんで急に? 俺、久遠さんに何かした覚えはないんだけどな……」

 

 

眉間に皺を寄せて思い出そうとするが、特にこれと云ったものは思い出せない。

スライムに襲われていたり、敵の魔術師に捕らえられたのを救出した等、

せいぜい、数回ほど危ないところを助けただけ……って言うか、それだ。

 

 

「ああ! あの時の御礼か。スライムとかヴェサリウスとかの……」

「う~ん…それもあるというか、それがきっかけというか……」

「去年は何もなかったから、本人もすっかり忘れたんだと思ってたよ」

 

「そんなこと無いよ。去年だって、スライムから助けてくれた御礼だって、ちゃんと準備してたんだから。

でも七瀬ちゃん、色々あって渡しそびれちゃって…それで今年はって。結局、私が渡すことになっちゃったけど…」

 

「そうなんだ。わざわざ御礼でそこまでしてくれなくても……」

 

「何言ってるの景太郎さん。御礼だけで、こんなに手の込んだ大きなチョコレートを用意するはず無いじゃない。

これは本命…の一歩手前かな。結構手間ひまかけて準備してたんだよ」

 

「え? でもさっきは…」

 

「あれは去年。今年は今年。景太郎さんは危なかったところを何度も助けてくれた王子様なんだから。

決定的だったのは、〈万魔殿バンデモニウム〉に単身乗り込んで、内海君から七瀬ちゃんや私を助けてくれた事かな?

あれで七瀬ちゃんもすっかり参っちゃったってわけ。もちろん、私は更に惚れ直した方だけど」

 

「そ、そうなんだ……最後に会ったときは、全然そうは見えなかったけどな」

 

「まさか、景太郎さんがいきなり居なくなるなんて思ってなかったからね。

七瀬ちゃんってば照れ屋さんだから、そう云ったことを顔に出すのは恥ずかしいのよ」

 

 

うふふふふ…と、含みのある笑みを浮かべる由香里。

ここに七瀬がいれば、間違いなく顔を真っ赤にして由香里の口を塞いでいたのは想像に難くないだろう。

 

しかし、景太郎は嬉しがるわけでもなく、微妙な顔をしていた。

好意を向けてくれるのは男として嬉しくないわけではない…のだが、

あの時…スライムから助けたのはほとんど偶然。

万魔殿バンデモニウムから救出したのも、様子見のため侵入した祭の半ば成り行きに近い。

確かに、可能であれば救助するぐらいは考えていたのだが……

そんな者を『白馬の王子』とは、乙女の夢を裏切っている気になってしまうのだ。

 

 

(そもそも、俺は『白馬の王子』とは対極の位置にいる人間だからな……)

 

「それで、これが綾乃ちゃんの分で…これが七瀬ちゃんからシリウスちゃんの分ね」

「シリウスの分も?」

「うん。内海君の時、シリウスちゃんにも助けられたからって。

シリウスちゃんがチョコレート食べられるのか判らなかったけど、とりあえず気持ちを形でってさ」

 

「一応、食べられるよ。今は居ないけど、後で渡しておくよ」

 

 

由香里から残りの箱を受け取る景太郎。

由香里はチョコレートを渡しながら、なぜか下…景太郎の足下に視線を落とした。

 

 

「シリウスちゃん、居ないんですか?」

「用事を頼んでね」

 

 

自分達だけが解る会話をする二人に、不満げな顔になる成瀬川達。なんだか、

 

『私は景太郎のことをあなた達以上によく知っているのよ。』

 

―――――と、遠回しに言われているような気がしたのだ。

 

 

「せ、先輩!!」

「なんだい? しのぶちゃん」

「こ、こここここっ、これ! う、受け取って下さい!!」

 

 

由香里の出現に危機感を覚えたのか、勢いよくバレンタインチョコを差し出すしのぶ。

顔が真っ赤っかで…精一杯の勇気を振り絞ったのが一目で解る。

 

景太郎は嬉しそうな笑みを浮かべ、出されたチョコレートを受け取った。

 

 

「ありがとう、しのぶちゃん。義理でも嬉しいよ」

「やだなぁ景太郎さん。これが義理なわけ無いじゃない」

 

 

由香里の言うとおり、綺麗にラッピングされた箱を見れば、中身が義理でないことは想像に難くない。

しのぶの態度を見れば尚更だ。

 

 

「ついでだ、神凪。私からのも受け取れ」

 

 

本当についでと言わんばかりに買い物袋ごと渡してくる素子。

中身は当然チョコレート…と言いたいところだが、正確にはその”元”だった。

 

 

「これは間違いなく”義理”ね」

 

 

横から覗き込んだ由香里がそう評価を下す。

景太郎も同じく中身を覗き込み、呆れた顔で素子に目を向ける。

 

 

「青山…これは、俺にチョコレートを作れという意思表示なのか?

それとも、自分が家事が出来ない事を俺に証明したいだけか?」

 

「お前のために、そこまで手間をかける時間も、暇も無いという意味だ」

 

「なるほどな…よく解った。出来合いの物を買ってくる選択肢もないほど、馬鹿だったというわけか」

「誰が馬鹿だ!!」

「お前」

「貴様ッ!!」

 

 

すぐさま竹刀袋から竹刀を取り出して振りかぶる素子!

だが……

 

 

「この人、どことなく綾乃ちゃんに似てるね、景太郎さん」

「そうかな…どこら辺が?」

「男の人がちょっかいかけてきたら、すぐに暴力で対応しようとするところ」

 

 

と云う由香里と景太郎の言葉を聞いて静止する。

綾乃という人物はよく知らないが、初見の人間に、婉曲に乱暴者と言われてはたまったものではない。

 

もっとも、景太郎は由香里の言葉に深く納得している。

街でナンパされたとき、男共を問答無用で病院送りにしている所など瓜二つだ。

 

 

「ほんなら、うちも今渡そうかいな…ほい、景太郎」

 

 

素子に続き、キツネも景太郎にチョコレートを渡す。

それはあまりにもこぢんまりとした、昔懐かしい十円チョコだ。

ある意味、それは素子よりも酷いというか…いい加減な選択肢だ。

 

 

「とりあえず、ありがとうございます…と、言っておきます」

「気に入ってもらえたんなら幸いや。お返しには、コレとコレとコレを頼むで」

 

 

呆れたまま礼を言う景太郎の前にカタログを出し、そこに書かれてある物を指差すキツネ。

服と時計とリング…ご丁寧に、赤のボールペンでしっかりと二重丸まで点けてある。

 

 

「そうですか。なら、滞納している家賃の三ヶ月分を払ってくれれば、お返ししますよ」

「なんでやねん!」

 

「その三つがちょうど家賃三ヶ月分だからですよ。

それとも、物を諦めて家賃三ヶ月分を滞納分から引きましょうか?」

 

「なはははは…そっちの方で頼むわ」

 

 

かわいた笑いと共に家賃三ヶ月分で手をうつキツネ。

家賃を滞納しているのは事実故に、強く出ることは出来ない。

ちなみに…これでキツネの家賃滞納分は約半年となった。よく追い出されないものだ……

 

 

「よっしゃ~! 今度はウチの番やな!」

 

 

別に順番が決まっていたわけではないのだが、最後となったスゥが元気良く名乗りを上げた!

 

 

「ありがとう、スゥちゃ「ほら、食え!!」―――――がぼっ!!」

 

 

ありがたく受け取ろうとしたところ、意表をつかれ、いきなり飛び掛かられて何かを口の中につっこまれる!!

いつもの景太郎ならかわすなり止めるなりできたのだろうが、由香里の登場で思った以上に緊張していた様だ。

 

まともに口の中にチョコと思わしき物体を押し込まれ―――――

 

 

「か、辛~~~~!!」

 

 

一目散に台所に向かって、短距離走の選手真っ青の急ダッシュで駆け出した!

それを呆然と見送った後、皆の視線は景太郎が居た所に座っているスゥに注がれる。

 

 

「カオラ…一体何を先輩の口に入れたの?」

 

 

チョコを…とは言わないしのぶ。思えないのが当たり前だ。

そんなしのぶに対し、スゥはニパッと笑いながら答えた。

 

 

「うちのホンメーチョコ。カレー味のチョコレートや!」

「もしかしてそれって、ただのカレーのルゥなんじゃ……」

「そうとも言う」

 

『はぁ………』

 

 

まったく悪びれた感じもないスゥに、ひなた荘のメンバーはそろって深い溜息を吐きながらがっくりとした。

そんな皆を尻目に、にゃはははは! と笑うスゥ。

この子もまた、由香里とは別の意味で強者なのかもしれない……

 

 

 

「あ~~…酷い目にあった……」

 

 

数分後…口元を押さえながら戻ってきた景太郎。

薄く涙目になっていることから、余程辛かったのだろう。

 

 

「いや~、あんなにチョコがもらえて羨ましいなぁ」

「やかましい」

 

 

ニヤニヤしながらそう云う白井を睨む景太郎。

だが、涙目では迫力が無く、言葉からも覇気が感じられない……

 

 

「いやはや、こんな綺麗所からそんなに貰えるなんて、あやかりたいもんだぜ」

「そうか、ならお裾分けしてやろう」

 

 

手に持っていたチョコ(と称されて食わされたカレーのルゥ)の残りを突き出す景太郎。

そんな景太郎に対し、白井ははっはっはっはっと白々しい笑い声をあげる。

 

 

「遠慮しておくよ。本気マジで殺されるから」

「許嫁に嫉妬されて殺されるのなら本望だろうが」

 

「馬鹿言え。嫉妬なら可愛いが、あれは俺が嫌いだから、女からチョコを貰えるのが気に入らないだけだ。

お前も知ってるだろうが。去年『あなた如きが分不相応な物を貰うなんて』とか言いながら半殺しにされたのを…

あの時は本気マジで死を覚悟したぞ。今まででトップ5に入るほどの虐待だ」

 

 

その時のことを思い出したのか、身体を震わせて顔を真っ青にする白井。余程恐ろしいのか……

 

 

 

「あの爺共が勝手に約束を取り付けただけなのに…何が―――――

わたくしが貴方の許嫁になるのは気に入らないけど、断られるのはこれ以上ない屈辱よ!』だ!

んな事言ったら俺が断れねぇじゃねぇか!! 嫌なら自分で断りやがれ!!」

 

 

今まで不平不満が溜まっていたのか、天井に向かっていきなり叫び始める白井。

そして、そんな白井を(色々な意味で)哀れそうな目で見る景太郎。

 

内心を文字にすれば、

 

(その許嫁が意地っ張りで嫉妬しているのになぜ気がつかないのか?)

 

―――――である。

もっとも、白井の言い分もあるだろうが…

そう思うのは仕方がないし、真実もそうだったりするから、知れば知るほど呆れるばかりだ。

 

だが…こんな絶好のからかう機会を見逃す景太郎ではない。

 

 

「いやはや、あんな綺麗で可愛いが許嫁だなんて、あやかりたいもんだな」

「てめぇ……」

 

 

先程の言葉をそのまま返す景太郎を睨む白井……だが、すぐにニヤッと笑い、

 

 

「欲しいのなら交換してやるぞ」

 

 

と、交換を持ちかける。そんな事は絶対しないと解ってて言っている分、質が悪い。

―――――だが、

 

 

「…………今の言葉、伝えて良いか?」

「御免なさい、止めて下さいお願いします」

 

 

携帯電話片手にそう言う景太郎に、土下座して全面降伏する白井。

やはりと言うべきか、こういったやり取りは景太郎の方が上らしい。

 

途中の言葉に違和感を感じた皆だが、そんな風景に笑いを誘われ、すぐに忘れてしまった。

 

 

 

「―――――ん?」

 

 

皆と共に面白そうに笑っていた景太郎が、急に真面目な顔で玄関の方に顔を向ける。

正確には、玄関より更に外を見ているようだ。

 

 

「神凪、どうした?」

「招かれざる客が来たようだ」

「招かれざる……まさか!!」

「安心しろ。”鬼”じゃない」

「そ、そうか…なら良い」

 

 

姉の来訪ではないと知って安堵の溜め息を吐く素子。

この前の一件がまだ尾を引いているらしい。誰か来ると言えば、すぐに姉を連想させてしまっているみたいだ。

 

それはそうと、気付いているのだろうか?

景太郎は”鬼”とは言っても”鶴子”とは一言も言っていないことに。(景太郎は確信犯)

 

もし、素子そんな態度を鶴子が知ればどう出るのか……

そんなちょっとした好奇心を、今だ手の内にある携帯電話から青山実家の番号を呼び出しながら感じていた。

 

 

 

そんなくだらない思考をしているそんなとき…件の訪問者が玄関の扉を開いた。

 

 

 

―――――その2へ―――――

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