白夜の降魔・十八灯・その1

 

 

 

ラブひな IF       〈白夜の降魔〉

 

 

 

第十八灯 「動き出す歯車……」

 

 

 

 

 青山の姉妹対決から時は流れた……バレンタインデーというイベントも…まぁ、色々とゴチャゴチャとあったがつつがなく過ぎ去った。

 時の流れというのは誰に対しても…少なくとも、世界という存在に対しては平等である。例外は多少あれど、一般人には関係なく…多少奇異な位置にいるひなた荘住民にも、平等だった。もっとも、一般人であろうと気の持ちよう一つで時の流れなど早くも遅くも感じることがある。ひなた荘住民の一人…受験生である成瀬川にとっては、目まぐるしい早さだったであろう。

 

 センター試験への猛勉強、センター試験本番、足切りラインのクリア。

 最後に…最大にして最難関である東大二次試験。

 

 成瀬川は今までの努力を信じ、全力をもって挑んだ。景太郎を始め、ひなた荘のメンバーはそんな成瀬川の邪魔にならないよう、静かに過ごしていた。

 そして…二日に渡る試験は終了し、更に時は流れ……三月十日。

 

 その日は…東大の合格発表日。成瀬川は緊張で身を強張らせながら数字が並んだ巨大な掲示板を睨んでいた。

 

 

 

「成瀬川の奴、遅いな…」

 

 喜びの声、悲しみの声、悔しさの声…悲喜交々な声が響き渡る中、人混みから離れた位置で、景太郎が成瀬川の安否を気遣いながら立っていた。成瀬川が一人では不安だからと頼まれ、一緒について来たのだ。

 

(遅すぎる…まさか………)

 

 景太郎の不安が高まる中、掲示板の前にたむろする受験生達の中から成瀬川が出てきた。景太郎は声をかけようとしたが…止めた。俯き、肩を落として意気消沈している様子を見れば、声をかけるのを躊躇うのも至極当然だ。

 

「…………落ちちゃった」

 

 景太郎の側に来た後、長い沈黙の末にそう呟くなる。言葉としては短いが、その一言に籠められた『想い』はとても『重い』。景太郎でも…いや、親しいひなた荘の皆でも、迂闊に言葉をかけることができない。

 

「あたしね…東大に行くって決めてから、何もかも断ち切ったの。部活もやめたし、友達の誘いとかも断って……それでも、駄目だった」

「そうか…………」

「全部…全部捨てて、勉強につぎ込んだのに……落ちちゃうなんて……一生懸命頑張ったのに…………」

「成瀬川……」

 

 次第に肩を震わせ俯く成瀬川に、景太郎はどうして良いか悩んだ後…肩に手をおいた。

 

「知っている…全部じゃないが、知っている」

「―――――ッ! 知ったようなこと言わないでよ!」

 

 顔を上げ、怒りの形相で肩に置かれた手を払い除ける成瀬川。景太郎を親の敵のごとくにらみつける。

 

「あんたは良いわよね、なんていったって東大現役合格だからね! それも、家業と兼用してですって? 大した天才ぶりね。そんな苦労もせずに合格したあんたが、全部捨てて、一生懸命頑張って、それでも落ちた私の事を、知ったようなことを言わないでよ!!」

 

 一息にまくし立てる成瀬川。その様子を周囲の者が何事かと見るが、すぐに興味を失う。今日この場では、そのような出来事は茶飯事なのだ。

 

「…………」

 

 景太郎は何も言わない…言いたいことは多くあったが、今は何を言っても意味をなさず、逆に成瀬川を逆撫でしてしまうだけだ。それに、成瀬川の怒りのはけ口となる…それが、今の自分の役割だと思ったからだ。

 だがそれが、今の成瀬川にとってすました顔に見え、よけいに腹が立つ。

 

「何か言いなさいよ! 何でも出来る天才さん!」

 

 些かも衰えぬ怒りを秘めた言葉に、景太郎は表情を僅かに変えると重々しく口を開いた。

 

「……俺は天才なんかじゃない」

「はぁ? 何言ってんのよ、あんたは―――――」

「俺は天才じゃない。確かに、炎と氣、剣の術は才能があったかもしれないが…それ以外は凡人だ」

「何を……」

「俺は、本当の天才を数人知っている。彼らは凡人が百の努力を得てたどり着く頂に、軽々と足をかけ、それを足場にさらに高みに立つ連中だ。俺は…凡人だ」

 

 何度も自分は凡人だという景太郎に、成瀬川は何も言えなくなる。気休めなどで言っているのではない、心の底からそう言っている。暗い光と優しい光を宿している瞳を見て、成瀬川はそう感じた。

 

「次を目指せ、成瀬川。東大の門が開かれるのは一度だけじゃない。それに、今までの努力は決して無駄じゃない。その努力で全国模試一位になるほどの実力を身につけたんだろ。次は―――――」

「だからって…納得できるわけないじゃない!」

 

 手をあげる成瀬川。景太郎はその平手を甘んじて受けよう顎を引き、力を入れる。これで成瀬川の気が少しでも晴れるのなら、安いものだと……

 

 だが―――――次の瞬間、あたりに響いたのは叩かれた音ではなく、人が地面に倒れたような音だった。

 

「す、すまない成瀬川!」

 

 地面に倒れた成瀬川に謝る景太郎。その手は自分に振るわれた成瀬川の手を握っている。つまり、殴ろうとした成瀬川を反対に投げ飛ばしてしまったのだ。

 

「―――――ッ!!」

 

 キッと景太郎を睨むと手を乱暴に振り払い、そのまま走り去る成瀬川。その成瀬川の背中を、景太郎はただ黙って見送るしかなかった。

 今の…成瀬川の『攻撃』を思い返しながら………

 

「まさか……な。気のせいだ………気のせい………」

 

 その言葉は思ったことをつぶやくと言うよりも、自分にそう言って安心させているような感じだった。

 

 

 

 


 

 

「ただいま……」

 

 ひなた荘の扉をくぐる景太郎。その直後、奥からけたたましい複数の足音が近づき、キツネ達が一斉に詰め寄ってきた。その表情はどれも真面目で切羽詰まっている感じだ。

 

「景太郎! あんたいったい何をしでかしたんや!?」

「何があったんですか?」

 

 最初、成瀬川が泣いて帰ったことを責められているのかと思ったが、それにしてはやや焦っている感じにそれを否定する。同時に、成瀬川を見送ったときに感じたいやな予感が急激に膨れ始める。

 

「何があったやあらへんわい! いきなりなるが帰ったと思ったら、旅に出る言うて飛び出してったんや!」

「なっ―――――いったい何時、何処へ!?」

「い、一時間前くらいに…何処へ行ったかはわからへん。自分の部屋に入ったと思うたら、トランク片手にすぐに出てきて『しばらくの間、旅に行ってくる』とか言うて…うちらが止める暇もあらせんかったわ」

 

 景太郎の剣幕に引きつつも、キツネがそう答えると皆もそうだと言わんばかりに「うん、うん」と頷いた。それを聞いて景太郎は舌打ちをすると、階段を駆け上がっていった。

 

「一体何があったんや? なるも景太郎も……」

「今の神凪、我々よりも焦っていましたね……」

 

 なるの突飛な行動に加え、景太郎の焦った態度に呆気にとられたキツネ達は、さっぱりわからないと言う顔で皆と顔を見合わせた後、景太郎が姿を消した階段を見ていた。

 それから十分もしないうちに、景太郎が階段から下りてきた。焦った顔を難しい顔に変えて……

 

「バカな…一時間程度ならシリウスなら追跡可能……なのに臭いも霊気臭もかき消されているだと……」

 

 ぶつぶつと呟きながら考え込んだと思ったら、景太郎は懐から携帯電話を取り出すと、記憶されている番号を呼び起こして通話ボタンを押し、数回のコールの後、相手の電話と繋がった。

 

「俺だ、景太郎だ…………ああ、至急の用事だ。人を捜してほしい。ギャラはお前の言い値で払うから大至急で頼む………ああ、探すのは成瀬川だ。今から一時間ほど前に此処を出た。それ以降は駅に向かい、電車に乗ったらしい……ああ、もちろん本人の部屋は調べた……………もちろんシリウスに追跡させた。だが、臭いがかき消えていた…ああ、どちらもだ………第三者が関わっている可能性が高い。頼んだぞ、灰谷」

 

 そう言って景太郎は電話を切ると、すぐさま次の記憶を呼び出し、新たに電話をかける。

 

「…………すみません、和麻さん。折り入って頼みが………すみません、そこを何とかお願いします。どうしても和麻さんの力が必要なんです…………ええ、俺はそいつを守ると約束したんです………はい、ありがとうございます。ええ、報酬は出来る限り………では、今晩までにはこちらに……お願いします」

 

 それから景太郎は休む暇もなく何度も電話をかける。キツネ達はと言うと、景太郎のその行動力をただただ唖然と見ているばかりだった。

 

「後は……もう出来ることはないか。クソッ! 後は待つしかないのか!!」

 

 拳を強く握りしめながらそう吐き捨てる景太郎。右手に握られていた携帯電話がいやな音をたてていることに気がつくと、苛立たしげに懐のポケットに押し込んだ。

 

「なぁ景太郎、一体何があったんや? いい加減教えてくれへんか?」

「………そうですね、わかりました。実は……」

 

 東大入試結果の時の事をあらまし話す景太郎。景太郎がなるを投げたことにも驚いたが、それより何より、なるが東大に落ちたことにショックを受け、落ち込む。

 

「そんなことがあったんか……」

「ええ……」

 

 それっきり、目を瞑って黙る景太郎。瞑想でもしているかのように…ただじっと、連絡を待ち続けていることが皆も用意にわかった。

 そんな景太郎に、キツネ達は誰一人として声をかけることが出来ず顔を見合わせると、小さな声で話し合い、キツネと素子が景太郎と同じくソファーに座り込み、しのぶとスゥがただ静かにリビングから出ていった。

 

 

 それから一時間後―――――

 

「おい景太郎、なるがいなくなったというのは本当か!」

 

 喫茶日向のエプロンを着けたままのはるかがひなた荘に現れた。その後ろにはしのぶやスゥが居るところを見ると、彼女たちもそれなりに成瀬川を心配してはるかに相談したのだろう。

 

「……ああ、本当だ」

「それでお前は此処で何をしている、探しに行かないのか」

「知りうる限りの情報収集力に長けた連中に頼んだ。俺に出来ることは、連絡があったときにすぐに動けるように待機するだけだ」

「…………そうか。だが、なぜそこまで焦っている。なるが傷心旅行に行っただけじゃないのか?」

「だと良いが………成瀬川だからな」

 

 その景太郎の言葉に、はるかは眉を潜める。はるかもまた『浦島』の一員。『成瀬川』の意味をよく理解している。

 

「わかった、私も伝を使って探してみる」

「…………頼む」

 

 素直に頭を下げる景太郎にはるかは驚いた後、然りと頷き返してリビングから出ていった。

 

 

 

 そして更に数時間後―――――日がかなり傾き、日向市を赤く染め始める時刻となった。

 それなのに、未だ連絡はない…その事実に、この場の誰一人として口を開かない。あまりにも重い雰囲気に耐えかねたキツネやスゥが話を始めるが、それも長くは続かず、すぐに静寂が部屋を支配した。

 ただ一人…この部屋にはしのぶが居ない。一時間前に夕食の買い物に出かけたのだ。しのぶもまた成瀬川が心配で行く事を悩んでいたのだが、景太郎の「腹が減ったら何もできないから行ってくれ」と言う言葉と、実に久しぶりに見る景太郎の笑顔…かなり儚げ…に、素直に買い物に出かけていった。

 

そんな時―――――景太郎が突如頭を上げ、

 

「ただいま」

 

 直後に玄関からしのぶの声が聞こえた。それからすぐ後、小さな声が聞こえたが、遠いのと小さいので内容がよく聞こえない。そしてすぐにしのぶがリビングに姿を現した。後ろに三人の男女を引き連れて。

 

「あの、先輩。お客さんです……」

「よう、景太郎。落ち込んでいるツラ見に来てやったぜ」

 

 三人の男女のうち、二十歳ぐらいの男がにやけた顔で景太郎に気安く声をかける。その青年の言葉に対し、景太郎はと言えば微かに苦笑を浮かべた…実に親しげな雰囲気を感じさせる。

 

「よく来てくれましたね、和麻さん」

「どうしてもって言うからな。それに、お前のそんなツラが拝めたんだ、それだけで来た甲斐はあったぜ」

「それに綾乃さんと煉君も……」

「いきなり呼びつけるんだから…こっちは驚いちゃったわよ」

「と言っても、呼ばれたのは兄様だけなんですけどね」

 

 そんな三人との会話に、今まで張りつめていた景太郎の表情と雰囲気が途端に柔らかくなる。自分たちでは何もできなかったことを、この三人はその場に現れただけでおこなってしまった…そのことに素子達は、胸の中にどこか釈然としないものを感じていた。

 

「神凪」

「なんだ」
「なに」
「なんですか?」

 

素子の呼びかけに、同じ名字を持つ三人…景太郎と綾乃、煉…が同時に返事をする。

 

「い、いや、こちらの方の神凪なんだが……」

 

 煉はともかく、綾乃の身分を知っているのか、素子がちょっと引きながら景太郎の方を指さした。

 

「なんだ」

「あ~…すまないんだが、自分達だけで納得していないで我々にも分かるように紹介してくれないか?」

「ああ、そうだったな。以前来たことのある煉君はともかく…まず、この女性、名は〈神凪 綾乃〉皆も気がついてると思うが、俺の義理の妹で、神凪家の次期宗主だ」

「どうも、神凪 綾乃です」

 

 礼儀正しく、まさしくお手本にしたくなるような優雅な一礼をする少女…綾乃。

 以前訪れた〈篠宮 由香里〉と同じ学生服に身を包み、十人中十人とも口をそろえて“美少女”と断言する容貌ヲしている。その雰囲気は明るく、今まで暗かった部屋が彼女の登場で明るくなったように感じるほどだ。太陽のような明るさと元気を放出している…そんな感じがする少女である。

 

「そして、こちらが〈八神 和麻〉煉君の実の兄だ」

「どうも」

 

 軽薄そうな笑みと共に、これまた軽い挨拶をする和麻。二十歳ぐらいの、二枚目の端っこに引っかかりそうな用紙の持ち主なのに、その態度と印象が三枚目、四枚目まで評価を下げている。

 そんな和麻に対し、素子が胡乱そうな目を向ける。元来、素子は男嫌いであり、軟弱や惰弱、軽薄そうな輩は特に軽蔑しているのだ。

 

「これが……煉の実の兄だと?」

 

 堂々と不躾な目を向ける素子。煉の兄と聞かされても双方から受ける印象が全く違うので、にわかには信じられないのだろう。

 そんな視線に和麻は不適な笑みと共にそちらを向くとただ一言……

 

「よろしくな、和田ア○コより“でかい”嬢ちゃん」

「な!? 貴様!!」

 

『ぷっ!』

 

 和麻の言葉に素子が激昂し、景太郎を除いた皆が思わず吹き出してしまう。

 

「会っていきなりの私を愚弄するのか!」

「自己紹介した途端、人のこと疑ったんだからな、お互い様だ」

「ぬ………」

 

 さらりと返された和麻の言葉にグゥの音もでない素子。どちらが失礼なのかこれで理解しただろう。

 ただ、綾乃だけはやりこめられた素子に対し、どこか同情するような目を向けていたが……

 

「ま、そんなどうでも良いことはほっといて…景太郎。悪いが見つけられなかった。わかったのは、北に向かわなかったことぐらいだ」

「そうですか……」

 

 不意に真面目になった和麻の口からもたらされた情報に、景太郎が溜息と共に言葉を返す。かなり時間が経つのに、判ったのが南に向かったことだけという事が景太郎の精神を打ちのめす。

 

「一応、霧香の方にも頼んではみたんだがな、一個人のために組織を動かすわけにはいかないって言ってな、突っぱねられた」

「まったく。いざって時に何の役にも立たないんだから、少しは協力したらいいのに。そんなことだから警察は税金泥棒だって言われるのよ」

 

 和麻の言葉に相づちを打つようにそう言う綾乃。当の本人が聞いていれば絞め殺されそうな言葉だ。うんうんと頷く二人の端で煉が呆れたような、疲れたような顔で『まったくこの二人は』という感じで頭を降るが、当の二人はまったく無視する。

 

「綾乃のまっとうな言い分はともかく…それで良いんだよな」

「ええ。今は…いえ、あの事を表に出すことは二度とあってはならないですからね」

 

 和麻の言葉に小さく頷く景太郎。事の真実…成瀬川が特殊な家系だということを知らせれば、霧香も…警視庁『特殊資料整理室』を動かすことができるが、それは景太郎が望まないこと。もう『涅槃』が存在しない以上、長き時に渡って犠牲を強いてきた『成瀬川』をそっとしておきたいのだ。

 

「んで、景太郎。あんたの方はどうなの?」

 

 景太郎の態度で察せなかったのか綾乃が質問するが、景太郎は言葉無く首を横に振る。

 

「八方塞がりってわけか……」

 

 言葉にしなくともこの場の全員が理解していることを、はっきりと口にする綾乃。その所為で部屋の空気が重くなるが、当の綾乃はまったく気づこうともせず和麻が座ったソファーの隣に座った。

 

「なぁケ~タロ~?」

「なんだい、スゥちゃん」

「なるやんも子供やないんやし、そないケ~タロ~が心配することないんやないか?」

「カオラの言うとおり…なる先輩なら大丈夫だと私も思います」

「確かに…つい神凪が焦っているのにつられたが、いかに受験に落ちて傷心の身とはいえ、なる先輩がそうそう危険な真似をするとも思えません。確かになる先輩は一時的な感情で暴発しますが、やはりそれも一時のことですし……」

 

 スゥの言葉に続き、しのぶと素子も肯定する。

 

「うちも同じ意見や。んで、景太郎…あんさんも同じ意見のはずや。せやのに、なるのことを必要以上に心配しとる…なんでなんや。なんかうちらに言うて無いことでもあるんやないか?」

 

 キツネの鋭い質問に、景太郎はしばらく沈黙した後、軽い嘆息と共に話し始めた。

 

「成瀬川が東大受験に落ちた事は話した通りです。でもその際、俺の慰め方が悪かった所為か、成瀬川が怒って俺を叩こうとしたんです。俺も、少しでも成瀬川の気が晴れるのなら…と、受けるつもりでいたんですが……つい反射的にその手を取り、投げてしまったんです」

 

 ひなた荘のメンバーは、景太郎が退魔師…はともかく、素子をも越える武術の達人だということを知っているので『景太郎ならそんなこともあるかもしれない』と半ば納得した。綾乃と煉も同じようなものだ。むしろ、この二人の方がつきあいが長いため、より理解をしている。

 ―――――が、ただ一人、和麻だけは弛んだ顔のまま…目だけは真剣で景太郎の言葉に疑問を返した。

 

「たかが小娘の一撃に、お前程の男がそんなことをするとはおもえんな。一体何があった」

「だから反射的だって言ってるでしょうが」

「馬鹿かお前は」

「なっ!?」

 

 和麻の言葉に綾乃が激昂するが、和麻の目が真剣なままなのを見て、冗談で言っているのではないと察して言葉を止める。そんな綾乃に和麻は視線を向けると、言い聞かせるように説明を始めた。

 

「不意打ちならともかく、景太郎こいつが受けるつもりの一撃を反射的に返すほど自らの技術を制御できない程度の奴に、あのクソ親父が殴り合いで負けるかよ」

 

 解るような解らないような理屈に綾乃と煉はあやふやに肯くしかなかった。

 

「それで、一体どんな理由があったんだ?」

「成瀬川の…平手の一撃が常人の域を超えていました」

 

 成瀬川の攻撃を受け流した右手を見ながら、あの時の事を思い返す景太郎。

 あの時、景太郎は成瀬川の平手の軌道を僅かに上にそらし、振るわれた力をそのままに投げた。その時、咄嗟に庇い、優しく地面に落としたので怪我一つはない…はずだ。あっても尻を打った程度だろう。

 

「受け流した時の感触からすると…人の『頭』程度なら卵を割るのとそう大差ないでしょう」

 

 成瀬川の平手は景太郎の予想に反したスピードと威力があった。特にスピードは凄まじく、素人目からすれば成瀬川の腕が消えたように見えただろう。当の景太郎も、半ば不意打ちであったため完璧に見切れた訳じゃない。

 確かに、成瀬川の身体能力は人よりも高い。特に、感情を爆発させた時はそれが顕著だ。だが、それでもあの威力とスピードは異常だ。人の身であれほどの威力を出そうとするなら、『氣』か『魔力』などのエネルギーで身体能力の補強が必要。しかし〈成瀬川 なる〉がそれを学んだ形跡はない。武術を嗜んだ形跡はあるが…所詮、嗜む程度だ。

 普通ならあり得ない現象。だが、『なる』なら…『成瀬川』なら………

 

「なるほど、『成瀬川』一族の力に目覚めたか。それもこの地で…それがお前の懸念か」

「はい……」

「えぇっ!?」

「そんなっ!!」

 

 和麻の言葉を沈痛な表情で肯定する景太郎に、綾乃と煉が心底驚いた感じで大声を上げる。

 

「そんな…せっかく景兄様が苦労してアレを倒し、『成瀬川』の業を取り払ったのに!!」

 

 半ば鳴き声にも近い声で叫ぶ煉。彼には…かつて似た経験をしたことのある彼には、こんな事態が許せないのだ。

 

「ちょい待ちぃや! なるの家がなんやっちゅうねん、一体どういうことなんや!」

「「あ、いや…………」」

 

 キツネの問いに口ごもる綾乃と煉。煉などつい勢いで口走ったが、あまり一般に話せる類の話ではないのだ。その為、キツネの視線からつい目を逸らしてしまう二人。そこでキツネは景太郎に矛先を向けた。

 

「景太郎、どういうことか…説明してもらうで」

 

 虚偽は絶対に許さない。そんな強い意志の光を瞳に宿したキツネが景太郎をまっすぐににらみつける。いや、キツネだけではない、素子にしのぶ、スゥ…ひなた荘のメンバー全員が強い意志で景太郎に説明を求めていた。

 その視線…否、決意に観念したのか、景太郎も同じく覚悟を決めた。すべてを語る覚悟を……

 

「わかった。すべてを話す…が、確認する。覚悟はあるか? 力のない人間の命など、塵芥にも等しい世界に存在する一族の暗部を」

 

 景太郎が強い視線で皆を見つめ返す。一人でも目を逸らせば話す気はない。のだが、怯えや恐怖が見え隠れしているものの誰一人…しのぶですら、泣きそうな目で一生懸命景太郎の視線に耐えた。

 

「くくくっ……お前の負けだな、景太郎。話してやれよ、そうじゃねぇと絶対引かないぜ」

「和麻さん…」

 

 他人事だと思って気楽にそう言う和麻に景太郎はきつい視線を向けるが、当の和麻は素知らぬふりで煙草をふかしている。実際、彼にとって他人事で、それによって負う責任…護るなどの行為は、すべて景太郎が行うのだから、本当に気楽なのだ。

 

「まったく……わかった、話すよ。成瀬川の一族と、浦島の一族、その祖と背負わされた宿業を……」

 

 

 そして景太郎は淡々と語る。成瀬川一族が背負った運命さだめと、それを強いた浦島の八百年にも渡る悲しき業を……

 一言、また一言と話を進めるたびに、景太郎の心の古傷が疼き、血を流す………

 

 

 

 それでも、景太郎は皆に語った。自分の知る限りの事をすべて………

 

 

 

 

 真実を知り、涙流す皆と和麻達が寝静まり、そして朝が来る。

 

だが、それでも……成瀬川発見の報は無い。

 

 

 

 


 

 

「はぁ~~……今頃、みんな心配してるんだろうな………」

 

 燦々と降り注ぐ太陽の光の元、成瀬川は一人、青空を見上げながら呟いた。

 

 ひなた荘を勢いで飛び出して丸一日…電車を乗り継ぎ、特急に乗ってこの地に来たのが昨日の夜。そしてそのまま見つけた宿に泊まって一晩過ごし、今、ひなた荘から遠い地…京都の町を散策していた。

 だが、その情緒ある町並みでもの成瀬川の傷心を癒すことはできず、不機嫌な表情で歩いていた。

 

「でも、それもこれもみ~~~んな景太郎が悪いんだから!!」

 

 東大の出来事を思い出し、腹を立てた成瀬川が突如大きな声で叫ぶ。幸いながら周囲に人が居なかったのだが、それでも恥ずかしかったのか成瀬川は周囲を見回すと真っ赤になり、そそくさとその場を去った。

 その行為も本日五度目…延々と景太郎への悪口を愚痴り、それがピークに達すると大声で叫ぶ。後はその繰り返し。実に宿を出てから一時間ごとに同じ事をしていた。

 だが…

 

「ふぅ………」

 

 さすがに六度目は無いのか、それともただ歩き疲れただけなのか、成瀬川は疲れたような溜息を吐くと、そばにあったベンチに座った。

 

(今頃みんな何をしてるのかなぁ…)

 

 空を見上げ、ひなた荘に居るであろう皆に思いをはせる…

 

(私を心配している? それともいつも通り? 景太郎あんたは……どうなの?)

 

 はっと頭を振って思い出した顔を振り払う。今の考えを捨てようと……あいつの事など考えたくないと言わんばかりに。

 

「あの……ここ、よろしいですか?」

「えっ?」

 

 突如かけられた優しい声に『ドキリ!』としながらそちらを向く成瀬川。そこには二十歳ぐらいだろうか、綺麗な顔に柔和な笑みを浮かべた、どこかおっとりとした雰囲気を漂わせる女性がいつの間にか立っており、成瀬川をじっと見ていた。

 

「あ………は、はい、どうぞ」

 

 女性の優しい笑みに見とれていた成瀬川はすぐに正気に戻ると、あわてて横に移動して広がった隣のスペースを勧める。そんな成瀬川に女性は、

 

「どうも、ありがとうございます」

 

 と礼を言うと、静かに成瀬川の隣に座った。

 

「………」

「……………」

 

 沈黙したまま何も喋らない二人。しばらくその状態が続いたのだが…不意に、女性が柔和な笑顔を成瀬川に向けて声をかけた。

 

「ご旅行ですか?」

「え? ええ…まぁ…そんなものです」

 

 いきなりの質問にどもりながら嘘を答える成瀬川。さすがに、東大受験に落ちた傷心旅行です……とは言えない。

 そんな成瀬川の微妙な表情を見た女性は、右手を口元に当ててすまなさそうな顔をする。

 

「あらあらすみません。言いづらい事を聞いてしまって……」

「い、いえ、気にしないでください」

「本当にすみません。え~っと……」

「あ、私はなる…〈成瀬川 なる〉です」

「〈なる〉さんですか…私は〈乙姫 むつみ〉といいます」

 

 丁寧にお辞儀をするむつみに、成瀬川は慌てた風に頭を下げる。そして二人は頭を上げてお互いの顔を見合うと、どちらからともなく笑いあった。

 この時、成瀬川は気づかなかったが、成瀬川を見るむつみの目は限りない慈愛に光に満ち、同時に深い悲しみの闇を宿していた。

 

「あの……」

「はい、なんですか?」

「え……っと、乙姫さんも「むつみと呼んでください」……はい」

 

 会話を遮ってまで呼び名を訂正するむつみに少々驚く成瀬川。だが、むつみのやんわりとした…それでいて強い視線に、成瀬川は素直に頷いた。

 

「それで、私がなんですか?」

「その…むつみさんも旅行なんですか?」

「私ですか……」

「いえ、その、すみません! 言いにくかったらいいんです、私もあまり人に言えない理由ですし……」

「いえいえ、謝る必要はありませんよ。なるさんは優しいですね」

「そんな……」

 

 むつみの言葉に照れる成瀬川。むつみの雰囲気がそうさせるのか、むつみの言葉はすんなりと受け入れてしまっている。

 

「実は私も旅行中なんです」

「そうなんですか、奇遇ですね」

「と言っても、傷心旅行なんですけどね」

「え?」

 

 今日の晩ご飯は大好物なんです。とでも言っているかのような口調でさらりと言うむつみに、成瀬川は思わず問い返す。そんな成瀬川にむつみはやんわりともう一度言葉を繰り返した。

 

「傷心旅行なんです。お恥ずかしながら東大受験を受けに上京したんですが、見事に落ちてしまって…そのまま帰るのもつらいから、京都の風景などを眺めて心を癒そうかと……」

「わ、私も! 実は傷心旅行なんです…むつみさんと同じで、東大受験に失敗して……」

「まぁまぁ…そうだったのですか。本当に奇遇ですね」

「ははは…そうですね」

 

 またお互いの顔を見て笑いあう成瀬川とむつみ。

 お互い似たような境遇のおかげか、成瀬川とむつみは数年来の友人のように仲良くなり、ついには成瀬川はむつみに対して愚痴を聞かせる程までになっていた。

 あの、他人に弱いところを見せることを嫌う成瀬川が……

 

 

「…………それでですね、景太郎の奴、自分が現役で合格したからって落ちた私に『次を目指せ』なんて言うんですよ。平然と…いつも仏頂面だからって、あんな時までそんな顔をしなくても良いと思いませんか?」

 

 とうとう愚痴は悪口に移行してしまったらしい。むつみも特に何かを言うことなくずっと微笑んだまま聞いてくれているため、成瀬川もそこまで饒舌になってしまったのだろう。

 

「あいつ……私がどれだけ苦労して、努力を積み重ねたのかろくに知らないくせに」

「そうなんでしょうか……」

「え?」

「本当に、何も知らずにそう言ったのでしょうか。その人が現役で合格をしたと言っても、なんの苦労もせずに合格した訳じゃないと思います。家業を手伝いながらなら尚更…並大抵の努力ではなかったと思います。なるさんも、働く片手間で勉強しただけで合格できるほど、東大の受験が簡単ではないことを知っていますよね」

「はい……」

 

 成瀬川はその言葉に素直にうなずく。受けたからこそ解る。東大受験の難しさ…大勢の中で限られた者だけが通ることだけができる、その狭き門を。

 

「きっと、景君もいっぱいいっぱい努力して、一生懸命勉強して見事合格したはずです。あの人が軽い気持ちでそんなことを言うはずはありません」

「それは……そうかもしれませんけど……」

 

 むつみの言葉に成瀬川はどことなくすねた感じで呟く。仲間だと思っていた人に裏切られた…と言うのは誇張だが、どことなくつまらない感じがするのだ。まるで、自分より景太郎のことを理解しているかのような言葉に……

 だからこそ、気がつかなかったのだろう。むつみの…思わず出た限りない愛しさを込めた一言に。

 

「ねぇなるさん。私は受験に失敗したの初めてじゃないんです」

「そう…なんですか」

 

 何となく納得したようにそう応える成瀬川。十八歳になる成瀬川と比べ、むつみは明らかに年上なのだ。

 

「何回落ちたと思います?」

「そうですね……二回ぐらいですか?」

「いいえ、今回で三回目です」

「三回もですか!?」

 

 驚きのあまり大声を上げてしまう成瀬川。幸いなことに、周囲に人は居なかったが、何となく恥ずかしさを感じて口をつむぐ成瀬川を、むつみは微笑ましそうに見ていた。

 

「なるさんは憧れの人との約束で、東大を目指したと言っていましたね」

「は、はい」

「私もそうなんです。私も…ある人との約束があるから東大を目指しているんです。何回落ちても、あきらめないんです」

「……そうなんですか」

「っと言っても、子供の頃にとても仲良しだった人達が、『一緒に東大に行く』と云う約束をしていたので、それに便乗して私も一緒に行くって言っただけなんですけどね。それでも二人は…景君と響ちゃんは笑って一緒に行こうねって言ってくれたんです」

「へぇ~…それって何時の話なんですか?」

「もうかれこれ十五年前…私が五歳くらいの頃です」

「そんなに昔なんですか!?」

 

 むつみのはっきりとした言葉に、てっきり中学生ぐらいの時の話かと思った成瀬川は、再度大声を上げて驚いた。

 

「でも、それからしばらくして……二人は遠くの方に行ってしまったんです」

「引っ越しとかですか?」

「いいえ……」

 

 暗い顔になって首を振るむつみに、成瀬川はしまった! という顔になって謝る。が、むつみは再び微笑むと、大丈夫ですよ。と、言葉を返した。

 

「一人は…別の家に養子に行き、会いたくても会えない状況になって…もう一人は……この世からいなくなってしまったんです」

「…………」

「それでも、あの時の約束を果たせば…東大に行けば、あの人と会える。あの家の者としてではなく、私個人として…家のしがらみに縛られず、乙姫家のむつみとしてではなく、ただのむつみとして会えると思うんです。
 その為に、私はあきらめません。何回受験に失敗したとしても、あの人が……景君が待っていてくれなくても、私にとってその約束は果たさないといけないことなんです」

「それでも! どんなに努力しても駄目だったら……無駄じゃないですか」

「『無駄』じゃありません。無駄という言葉は、叶わず諦めた時、今までの努力を無意味にしてしまうことなんです。それまでは決して無駄じゃありません。それに、駄目だったからと言って諦めたら裏切ってしまいます。約束をした人と…その思いを胸に頑張ってきた、自分自身を……」

「でも……受からなければ意味がないじゃないですか……」

「それでも、約束した相手を裏切った訳じゃないでしょう? その人は、一度落ちたからってなるさんを軽蔑する人なんですか?」

「そんなことないです!」

「じゃあいいじゃないですか。次に向かって頑張って、受かったら…約束を守れるじゃないですか。母も「次がある」って言ってくれました。私はそれを『次こそ受かる』って信じ、励ましてくれていると思っているんです。景太郎さんもそうじゃないんですか? 数ヶ月とはいえ、貴方を支えてくれたあの人なら……」

 

その言葉を聞き、強いショックを受ける成瀬川。むつみに言われるまで気がつかなかったこと…言われてみれば、そうかもしれないと言える。

 景太郎がひなた荘に来てから最近まで…景太郎は懇切丁寧に、嫌な顔一つせず、それこそ普段とはまるで違う態度で教えてくれた。解らなかった問題なら何度でも、根気よく。

 知っていた、解っていたつもりだった。景太郎が自分の努力を、ひなた荘にいる誰よりも身近で見ていてくれたことを。

 

誰よりも……誰よりも………

 

 

(「次がある」って言ってくれるのは「次は大丈夫」って言ってくれているのと同じ。全部はそうだとは思えないけど、あいつは……景太郎は、絶対にそう言ってくれている。なのに私はあいつを殴ろうとして……)

 

 俯き、自分への情けなさから涙が出そうになる。だが、誰が成瀬川を責められようか。あの状況下、あの心理状況でそれを理解せよという方が無理なのだ。 景太郎もそれを解っているからこそ、素直に殴られようとしていた。

 誰よりも、自分が殴られそうになっても何も言わず受け止めようとした景太郎。成瀬川は申し訳なさでいっぱいになる……

 

(謝らなきゃ)

 

 ずっと俯いていた成瀬川が顔を上げる。その表情は先程までの沈んだ気持ちを完全に吹っ切ったように見える。

 

「ありがとうございます、むつみさん。私の愚痴を聞いてくれた上に、大事なこと気づかせてもらって…私、帰って景太郎に謝ろうと思います。このまま旅行続けても、それが気になって本当に楽しめないから。そして、来年の東大受験を目指して頑張ってみようと思います」

「そうですか、それは良かったです。なるさん、頑張ってくださいね」

「むつみさんも…来年は一緒に東大に行きましょう」

「はい。是非」

 

 成瀬川とむつみは自然に微笑みあいながら、来年に向かって励まし合う。二人の間に、新しい『約束』を作って…

 

「ところで、少しお腹が空きませんか?」

「え? そう言えばそうですね……もうそろそろお昼ですし」

 

 後一時間もしないうちにお昼は頂点に達するだろう。むつみと会ったのは九時少々なので、実に二時間近く愚痴を聞かせた計算になる。

 

「すみません、こんな時間まで…お詫びに喫茶店で何かを奢ります」

「いえいえ、それにはおよびません。なんと! こんな事もあろうかと、私こんなものを用意してたんです」

 

 どこからともなく…本当にどこに持っていたとつっこみを入れたいほど…バレーボールよりもやや大きめの真ん丸い球体を取り出すむつみ。その球体は緑の地に黒い縞模様(もしくは逆?)の入った植物、スイカだ。

 

「うわ………」

 

 なんとコメントしていいのかわからず、とりあえず驚くだけにとどめる成瀬川。だがすぐに、

 

(あれ? 前にもこんなのがあったようななかったような……)

 

 そんな思いに捕らわれた成瀬川が、頬に人差し指を当てクイッと首を傾げて考え込む。そしてすぐに、少し前に『新刀の試し切り』と称して唐突に大根を取り出した女子寮の管理人を思いだしたが、それよりも以前…思い出せない昔のように感じた。

 ……が、成瀬川が記憶の中から答えを導き出す前に、むつみがポンポンとスイカを叩きながら声をかけた。

 

「では、冷えているうちに頂きましょうか」

「でも、そのままじゃ食べられませんよ、包丁で切らないと……って言うか、冷えているんですか!?」

「大丈夫。私は達人なんです」

「なんのですか!?」

 

 様々な成瀬川のつっこみを見事にスルーしつつ、むつみがスイカの真上に人差し指を当てると、ツンツンとつつく。その直後、スイカが八つに分かれた。定規で測ったような、寸分の狂いもない八等分だ。

 むつみはのほほんとした笑顔のまま八つのうちの一つを持つと、成瀬川に差し出した。

 

「はいどうぞ。遠慮なく食べてくださいね」

「はぁ、どうも……」

 

 もはや驚くまい…そう物語っている表情の成瀬川。常識から外れた存在(景太郎や素子)で耐性がついていたのか、成瀬川はどことなく悟った感じでスイカをハムハムとかじりついた。

 

「うちは家族が多くて…均等に切らないと喧嘩になるんですよね」

「まぁ、そうなんでしょうね」

 

 兄弟のいない成瀬川には解らないが、話に聞いたことはあるのでとりあえず曖昧に頷く。

 

「だから、私はいろいろと試行錯誤したんです。綺麗に切る方法を……結果は見ての通りです。コツさえつかめば簡単でした」

「いや、コツとかそういうレベルじゃないと思うんですけど……」

「人生にはいろいろと不思議なことがいっぱいなんですよ。深く気にしちゃ駄目です」

「はは…そうですね」

「そんなことより、美味しいうちに食べちゃいましょうね」

「あ、はい、頂きます」

 

 再度スイカを食べ始める成瀬川。それを微笑ましげに見ながら、むつみもまたスイカを食べ始めた。

 

 ここで余談だが、いきなりスイカを取り出したり、コツとやらで八等分したりで気にしていなかったが、この時期にスイカというのはおかしくないか? という疑問が普通なら上りそうだが…ついぞ、成瀬川は気づくことがなかった。まぁ、気づいたとしても、今の悟りきった表情の成瀬川なら、『世の中にはそんなこともある』の一言で片づけてしまいそうだが……

 

 

「「ごちそうさまでした」」

 

 スイカを食べ終え、そろって手を合わせる成瀬川とむつみ。半分ずつとはいえスイカ半分をぺろりと食べてしまう二人の胃袋がどうなっているのか疑問だ。俗に言う『別腹』なのだろうか。

 そんな時―――――

 

「〈成瀬川 なる〉だな」

「え?」

 

 唐突に…本当に唐突に、目の前に立った青年が成瀬川を名指しで問いかけてきた。否、問いかけと言うよりも『確認』と言った方が正しいか。

 

「〈成瀬川 なる〉に相違ないな」

 

 先程よりも幾分か強い口調で聞いてくる青年。よく見れば、その後ろに少年と壮年らしき男が立っていた。周囲には彼ら以外に誰もいない。先程まで、数分に一人は通ったり、ちらほらと人影程度は見えていたはずなのに、見える範囲にだれ一人いなくなっていた。

 流石にその異常さに気がついたのだろう、成瀬川は警戒心丸出しの表情で目の前に立つ三人の男達を見ながら、いつでも逃げ出せるように少し腰を浮かせる。

 

「なんなのよ、あんた達は」

「答える必要はない。我々と一緒に来てもらおう」

 

 有無を言わさない青年の口調に、成瀬川はカチンときて敵意丸出しの視線で青年を睨み付ける。

 

「何よ! 近づかないでよこの変態! むっつりスケベ! 人浚い!」

「黙れ! 貴様に拒否権はない。これ以上騒ぐなら出来ないようにするぞ!」

 

 青年が成瀬川の襟首を乱暴に掴もうとした瞬間、小さな何かが青年の手を打ち据え、青年は驚いたように手を引っ込めた。それと同時に横手からむつみが割って入り、成瀬川を庇うように立ちふさがった。

 

「お待ちなさい。それ以上の乱暴はこの私が許しません」

「なんだお前は。邪魔をするのなら女といえど容赦はしないぞ。そこをどけ!」

「いいえ。退くわけにはいきません」

「……どうやら痛い目に遭いたいようだな」

 

 青年はそう言うと己の力を誇示するようにバキバキッと指を鳴らす。

 その様子にむつみは深く溜息を吐いた後、まっすぐに青年を…その後ろにいる者達も含めて厳しい目を向ける。

 

「嘆かわしい…神鳴流の戦士ともあろうものが一般人を誘拐しようとし、挙げ句の果ては力ずくで物事を押し通そうとするとは何事です。恥を知りなさい」

「ほう、よく気がついたな。そう、我らは神鳴流。その様子では貴様は退魔師の端くれのようだな。なら我らの力を知っているだろう、無駄なことをよすんだな」

「しばらく見ないうちに、神鳴流もずいぶん堕ちたものですね…」

「おのれ、我らを愚弄するのか!!」

 

 元々短気だったのだろうか、青年はあっさりと矛先をむつみに向けると、胸元を掴もうと手を伸ばす―――――その矢先、いきなりその青年が真横に吹き飛び、地面を数メートルほど転がって倒れる。

 が、青年はすぐさま立ち上がると、先程まで自分の後ろにいた壮年の男に非難の眼差しを向ける。

 

「い、いきなり何をするんですか羽山さん!」

「黙れ藤堂! 自分に任せろと言うから任せたが…なんたる醜態だ!」

 

 まるで轟雷のような怒声に、向けられた藤堂という青年はおろか、その後ろにいた少年と成瀬川が思わず縮あがる。

 

「す、すみません! すぐにこの女達を痛めつけてでも連れ―――――」

 

 藤堂はそれ以上言葉を続けることは出来ない。なぜなら、一瞬で藤堂の後ろに回り込んだ羽山が、藤堂の頭を鷲掴みし、道路に叩き付けたからだ。

 重々しい音が鳴り響くと同時に、成瀬川は予想される出来事に顔を青くするが、それに反して持ち上げられた藤堂の顔は苦痛にゆがみ怪我こそすれ、悲惨と言うにはほど遠い様子だった。

 

「咄嗟の硬氣功だけは一人前か。なら礼儀作法も弁えろ、この愚か者がっ!」

 

 再度叩き付けられる藤堂。本人は必死になって謝るが、羽山は聞く耳持たず何度も叩き付けた後、少年に向かって藤堂を投げ渡した。そして羽山はむつみと成瀬川に向き直ると、深く頭を下げた。

 

「すみませぬ、この愚か者が失礼を働きました」

「い、いえ……」

 

 藤堂という青年とはうって変わった態度の羽山の謝罪に、成瀬川はそれだけしか言えなかった。もう一人の被害者であるむつみは、至極当然と言った顔でその謝罪を受け入れている。

 この時になって成瀬川は気がついたのだが、むつみは先程の羽山の怒声に対しても、藤堂に制裁した際にも眉一つ、表情を変えることはなかった。どうしてかまでは解らなかったが、成瀬川はそんなむつみの表情と、なぜか景太郎の無表情が重なって見えた。

 

「なんでそんな生意気な女達に羽山さんが頭を下げるんですか!」

「この方は〈乙姫 むつみ〉様。乙姫家の次期当主にして、ひなた様の御孫様…浦島の直系筋にあたられるお方だ!」

「そ、それでは宗家のッ!! し、知らぬ事とはいえ数々の暴言…まことにすみませんでした!!」

 

 むつみの名を聞いた途端、藤堂はその場に土下座し、地面に額を当てて謝罪する。そのあまりの変わり様に、成瀬川は驚きを通り越しただただ呆気にとられた。

 

 浦島守護の役目を担う神鳴流の戦士にとって、その浦島の頂点にある宗家の人間はまさに天上人にも等しい。神鳴流において、上位に立つ者や武勲を立てた者でもない限り、姿を見ることもない。この藤堂…【将位】の者と宗家筋のむつみの立場では、それこそ天と地ほどの差もある。

 そして、何よりもその差をつけているのが絶対的な力の差。ひなたの娘、むつみが宗家を出て乙姫に嫁いだとはいえ、宗家の血からなる絶対とも言える力の威光はそう消えるものではない。
 その上、ただでさえ浦島宗主史上、最高と称えられる〈浦島 ひなた〉の孫で、一つ前の世代で最強の水術師〈乙姫 なつみ〉(旧姓・浦島)の愛娘なのだ。
 そのむつみに対し、彼らの感じるプレッシャーは蛇に睨まれたカエルどころではなない。

 

「むつみ様、この者は実力、精神はおろか礼儀もなっていない半人前。そのような者に任せたのは私の落ち度。この度の無礼の始末、この私の【位】返上にてどうかご容赦を頂きたく願います」

「そのような事をする必要はありません。ですが、あなた達が何故、一般人である彼女を誘拐しようとしたのか、どこへ連れて行こうとしたのか。それは答えなさい」

「むつみ様、御言葉では御座いますが、その者は【成瀬川】直系の乙女。一般人とは言えませぬ」

「え? それって一体どういうこと? 私が…なんなの?」

「そう言いますか…なら、言葉を変えましょう。あなた達神鳴流が何故、大恩ある【成瀬川】の人間を誘拐しようとしたのか、答えなさい!」

 

 今までに聞いたことのない…家族でさえ数えるほどしか聞いたことのないむつみの厳しい声に、羽山の言葉の意味を問おうとした成瀬川の言葉がかき消された。

 

「返答次第によっては、この私の全身全霊の力をもって、あなた方のお相手を致します」

 

 先とはうって変わって厳かなむつみの言葉。同時に数多の水の精霊が集い、その強力な力の波動に羽山達は思わず後ろに下がる。むつみがその気になれば、自分達など瞬きするまもなく瞬殺されることが解っているからだ。

 その労力が、肉体を動かす事に換算して腕を持ち上げる事よりも容易いことにも……

 その驚異の力を前に何も言えない藤堂と少年を余所に、平静を取り戻した羽山が再び頭を垂れながら口を開いた。

 

「むつみ様…説明をすれば、あなた様は納得する、しないに関わらずこの一件に関わることとなります。どうか、これ以上のことは聞かずに、見なかったこととしてこの場を去ってくれませんか」

 

 羽山の説明…いや、懇願にむつみは目を大きく見開いた後、驚愕の表情と絶望の眼差しで成瀬川を…そして羽山を見た。

 

「……浦島……宗家なのですね」

「………はい。宗主・影治様の御命令です。むつみ様には大変心苦しいですが、これは決定事項…乙姫家次期当主、ひなた様の御孫であるあなた様といえども、我らの命を覆すことはできませぬ」

「く………」

 

 悔しそうに小さく呻くむつみ。影治の命令に反したところで、乙姫家が潰されることはない。浦島・分家の中で〈乙姫〉家は別格なのだ。だから潰されることはない……が、かなりまずい立場に立たされることは火を見るより明らかだ。

 だから、羽山は説明することを渋ったのだ。『浦島宗主の命令』という抗えぬ事態に対し、辛い立場となるむつみのことをおもんばかって……

 

「すみませぬ、むつみ様……」

 

 羽山はもう一度大きく頭を下げた後、その後ろにいる成瀬川に目を向けた。

 自分をほったらかしにどんどん進む意味が解らない会話に、どこか異様な…得体の知れないチカラを感じていた成瀬川は、その視線に身を竦め、しかし気丈に睨み付けた。そんな成瀬川に対し、羽山は沈痛な表情となると、先のむつみに行ったのと同様、深く、深く頭を下げた。

 明らかに自分の父と同じか、それ以上の男性に深く頭を下げられたことに困惑した。

 

「お嬢様。できますれば私たちと一緒に来てはくれませんか? 先の者の粗相は私が代わって謝ります。いかように罵倒されても文句は言いません」

「な、何よいきなり……いきなり力ずくだったくせに」

「申し開きもありません。ですがなにとぞ…成瀬川のお嬢様、我らに着いてきてもらえないでしょうか」

「さっきから着いてこい着いてこいって……一体どこに連れてこうってのよ」

「貴女が住む寮の管理人であるお方の、本来のご実家…浦島の家です」

「景太郎の?」

 

 眉を潜める成瀬川。以前、はるかから浦島…幼い頃の景太郎に対する仕打ちの事を聞いており、あまり良い印象がないのだ。

 

「いやよ。それを聞いたらよけいに行きたくないわ」

「知っていたのですか。なら逆効果でしたな…ですが、どうしても来てもらわなければならないのです」

「嫌ったらいやよ!」

「お嬢様。浦島家にはご家族が…ご両親と妹君が居られます。家族の安否を気遣う気持ちがあるのなら……着いてきてもらえませんか」

 

 羽山の言葉に成瀬川の表情が強張る。そして徐々に怒りを堪えるように歯を食いしばり、拳を強く握りしめる。

 

「卑怯ね……家族を人質にとるなんて……」

「いかような罵倒も甘んじて受けましょう……むしろ、そう言っていただけた方が、我らも少しは気が休まります」

 

 成瀬川の怨嗟の声に、羽山は…そして後ろの少年は、沈痛な顔となった顔を伏せた。対し藤堂は、浦島宗家の命令を遂行できたとまことにうれしそうな顔をしていた。

 

「ではこちらに…車を用意させて頂きました。浦島宗家までかなり距離がありますので」

「わかったわ」

「お待ちなさい」

 

 羽山の後を着いていこうとした成瀬川の肩に手を置き、引き留めるむつみ。そんなむつみに羽山は何とも言えない表情となった。

 

「むつみ様……」

「勘違いしないでください。宗主のご意向に逆らうつもりはありません。ですが、その者のような輩が側にいる以上、なるさんの身が心配です。よって、私もあなた方について参ります」

「………………むつみ様の思うままに………」

 

 むつみの言葉は、はっきり言って羽山も信用できないと言う言葉だ。その言葉に反論しかけた羽山だが、先のやりとり…藤堂の言動をぎりぎりまで止めなかった非があることと、むつみの心情を理解し、むつみの同行に何も言わなかった。

 成瀬川も…少しでも見知ったむつみがいれば、心強いかもしれない。そう言う、僅かな配慮と共に。

 

「では、参りましょう……」

 

 先導する羽山に、成瀬川とむつみが続き、最後尾を藤堂と少年が歩く。成瀬川が逃げ出さないための配所だ。もっとも、家族という人質がいる以上、成瀬川に逃亡という考えはない。

 

「ごめんなさい、なるさん……」

 

 小さな声で、成瀬川にだけ聞こえるようにそっと呟くむつみ。その言葉に、成瀬川は微かに笑みを浮かべて首を横に振った。むつみが謝ることではないのだ。それに…謝られても仕方がない。それが一番の本音だった。

 

 

 空を向く成瀬川…空は、嫌みなまでに青空が広がっていた。

 

(私…これからどうなっちゃうの?)

 

 成瀬川はこれから起こるであろう出来事に不安と恐怖に心を押しつぶされそうになりながら、今はただ…先にある黒塗りの大型車に向かって足を進めるのであった。

 

 

 

 

―――――第十九灯に続く―――――

 

 

 

 

【あとがき】

 

どうも、ケインです。これより、浦島との確執が一気に進行します。というか、成瀬川を拉致した時点で景太郎の逆鱗触れていますけどね。

 そして、とうとう風の聖痕編から主役三人が登場です。待っていた人(いますよね?)本当にお待たせしました。最後までずっと出番があるかどうかはわかりませんが、たぶん活躍の場はあるでしょう。いえ、作ってみせます。

 

 さて、次回の話ですが、成瀬川サイドでの話となります。浦島の過去、成瀬川と浦島の関係など、色々と書く予定です。少々いい加減……時代的にずれているぞ! という設定がありますが、なにとぞ広い心で受け止めて下さい。

 

 それでは、次回…十九灯『―――――成瀬川―――――』を、よろしければ読んでやって下さい。

 

 

 

追伸……とりあえず、風の聖痕編の第一話が書けました。読みたいという方が十名以上いれば、投稿する考えです。本編に出ていないのに、聖痕編で先に出て本編がつまらなくなる……と、言う箇所もありますからね。あまりありませんけど……

 忌憚のない意見をお聞かせ下さい。ちなみに、十名以下の場合、その方達には別個にメールで送る考えですのでご安心を………では。

 

 

 

 

 

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