ラブひな IF 〈白夜の降魔〉
第十九灯 「―――――成瀬川―――――」
(大家って聞いてたけど…想像以上ね)
浦島の屋敷…羽山の案内の元、長い回廊を歩きながら成瀬川は心の中でそう呟く。本当に大きな屋敷なのだ。今歩いている回廊も、冗談抜きに先が見えない。悪い悪夢のようだが、羽山やむつみのそぶりからすると、この状況は当たり前なのだろう。
一体いくら歩いただろうか……羽山が不意に立ち止まり、その側にある障子をそっと指した。
「この中にお嬢様のご家族が居ます。後ほど、浦島宗主様もお見えになられますので……」
羽山にそう言われ、成瀬川が障子を開けて中に入る。むつみも固い表情で続いて中に入った。そこには―――――
「なる!!」
「なるちゃん!」
「お姉さん……」
「みんな……」
中に居た成瀬川一家…父の一斗、義母の鎮鳴、そして義妹のメイの三人が部屋に入ってきたなるを一斉に見る。一方、なるは久しぶりの家族の再会にただただ呆然とするだけだった。
この場に来るまで、一応素直に従ったものの、どこか心の一部ではありえない状況を否定していた。ごく普通の一般家庭が、平凡な自分がこんな事態に巻き込まれるなどありえない……と。しかし、実際に我が目で見ればもう信じるしかなかった。
「なる、どうしてここに来たんだ! 早くここから出るんだ! お前は此処に居てはいけない!!」
「ちょ―――――ちょっと父さん?! いきなりなんなのよ。私はみんなが捕まっているって言われて……」
「そんな事はどうでもいい! 一刻も早くここから逃げるんだ!!」
「お父さん……」
狼狽し、取り乱している父親の姿に呆気にとられるなる。こんな父親など、物心がついてから今まで見たこともなかった。
「なる、私達の事は気にするな、母さんもメイも私が命を賭して護る。だからお前は早く―――――」
「一斗おじ様、どうか落ち着いて下さい」
なるに続いて入ったむつみが一斗に落ち着くように呼びかけるが、一斗はそんなむつみを睨み付けるような目で見る。
「むつみ様…貴方がなるを……浦島は一体何を考えておられるのです! 成瀬川は…なるはもう浦島とは関係ないでしょう! それなのに―――――」
「あなた、落ち着いて……」
自分の娘とそう変わらない女性に対し、一方的に責める一斗を見かねた鎮鳴が諫める。それで少しは冷静になったのか、辛い表情をしているむつみを見て何も言えなくなり、やり場のない激情に強く拳を握りしめた。
「…………メイちゃん」
「なるお姉さん……」
一方、なるは不安そうにしている義理の妹に、今は蟠りを忘れて優しく声をかける。
「怪我はない? 酷い事されなかった?」
「うん……反抗しなければ手出しはしないって言われて………」
「そう……」
言葉少なげに応えるなる。心情的には、自分に対してああまで言ったのだから、抵抗の一つでもしたのかと思っていた。というところだろう。
だが、我が身一つならまだしも、妻も子もいる状況で抵抗するなど危険極まりない行為だ。しかも、相手は浦島…知った組織の行動で、命令も『出頭命令』だったのだから、一斗のとった行動は間違いではない。
そもそも根本的に考えて、迎えに来たのが浦島であろうと神鳴流であろうと、一般人が適うはずないのだ。一斗はそれをよく知っており、無駄に抵抗して妻子を危険にさらす可能性を考えれば、むしろ賢明な判断だと言っていい。
「ふん……やっと揃ったようだな」
上座に位置する襖が開き、入ってきた壮年の男がなる達を見てそう言い放つ。
「宗主……」
「影治様………」
その男を見て、むつみと一斗がほぼ同時に苦渋に満ちた声を出す。それが聞こえたのだろう、男…浦島宗主〈浦島 影治〉はむつみに目を向けた。
「むつみか……お前を呼んだ憶えはない。直ちにこの場より去れ」
「去れませぬ」
「二度は言わんぞ」
「なんと言われようとも………友を見捨てて左様なことはできませぬ」
「……………好きにしろ」
頑と譲らず、まっすぐに強い意志を秘めた眼差しを向けるむつみとしばらく睨み合った末…影治が先に折れ、吐き捨てるようにそう言い放った。
「お久しぶりで御座います、影治様」
「ああ、儀式以来…本当に久しぶりだな」
一斗の挨拶に鷹揚に頷く影治。だが、一斗は言葉とは裏腹に険しい眼差しを向けていた。
「して、この度は如何様なご用件で我らを呼んだのでしょうか」
「フッ……浦島が『成瀬川の一族』を召集する。その用件など一つしかないだろう」
嘲笑いながらそう言う影治の言葉に一斗は目を大きく見開き、直後、怒りの形相で立ち上がった。
「貴方は……貴方は何を考えているんだ! 〈涅槃〉はもう消滅した、もう成瀬川は犠牲を出す必要はない! 響子のような子を、二度と出さなくていいんだ!」
「響……子? それって……」
「―――――ッ!」
「響子って誰なの!? ねぇ父さん!!」
激情に駆られたとはいえ、なるの前で喋りすぎた事に気がついた一斗は口を噤む。そんな父の態度に…いや、響子という名に強い何かを感じたなるは問いつめようとした矢先、
「なんだ一斗よ。貴様、娘になにも教えていないのか」
事の張本人…嵐の中心が何も知らないと云うことが面白いのか、影治が嘲りの笑みを一層深くしながら一斗を見下していた。
「さっきからいちいちうるさいわね!」
それが感に触ったのかなるが睨み付けると、影治は途端に不愉快そうな顔になる。嫌なものでも見たと言わんばかりに……
「やはり姉妹だな、よく似ている。顔立ちも、身の程知らずに食ってかかるところもな」
「え?」
「影治様!!」
今度は影治の言葉に反応したなるに、一斗が大声を上げて睨み付ける。
「数奇な運命よな。姉妹揃って浦島の役に立てるとはな」
「なっ―――――」
「もっとも、『楔』となった姉とは違い、その娘には『鍵』となってもらうがな」
「鍵?」
思わず聞き慣れない言葉を聞き返す一斗。その言葉に影治は鷹揚に頷いた。
「そうだ。その娘には『鍵』となってもらう。もっとも、命の保証はないがな」
「な……ん………だとぉ!? 貴様、娘の命をなんだと思っているんだ!!」
「浦島の所有物だ。それを如何様に扱っても問題はあるまい。その為に成瀬川家は浦島の飼われているのだからな。そもそも、浦島のために命捧げるは成瀬川の娘の運命、これ以上の至福はあるまい」
「巫山戯るなぁッ!!」
影治の言葉に切れた一斗が叫ぶと同時に、影治の前に薄い膜のようなものが発生、直後に大きく凹んだ。
その薄い膜は大きく撓んで元に戻った直後、一点に収束して水球となり、一斗に向かって飛翔、衝突して大きく弾き飛ばした。
「宗主である私に敵意を向けたことは万死に値する…が、娘を二人も作った功績に免じ、この程度で済ませる。二度目はないぞ」
慌てて駆け寄った家族に支えられている一斗に向かってそう言い放つ影治。その影治に向かい、父を支えていたなるが立ち上がり、今まで以上の強い視線で影治を睨み付ける。
「あんた、浦島の宗主って言ったわよね。って言うことは、景太郎の父親って事よね。全然似てないわ」
「当たり前だ! あんな生きる価値もない無能の屑が私の子であるものか!!」
今までの余裕の表情が一変し、なるに向かって恫喝する影治。それでもなるは一歩も引くことなく、更に影治に食ってかかる。
「それは良かったわ、景太郎の実の父親があんただなんて、知っているだけでも吐き気がするわ。それに、あんたの言葉通り景太郎が『無能』だって言うのなら、あんたはそれ以下よ! 権力を笠に着ているだけ質が悪いわ!」
「おのれ…言わせておけば好き勝手言いおって!!」
憤怒の形相でその手に水を集め、細長い…鞭のような形状にする影治。
「殺しはせん…が、無傷である必要はない!」
影治が水鞭を振るい、なるを打ち据える―――――直前、なるに当たると思われた部分の水が突如四散した。
「宗主。それ以上彼女たち…成瀬川の皆さんに危害を加えるというのであれば、私が相手になります」
「むつみ………クッ」
忌々しげに姪であるむつみを睨む影治。影治にとって屈辱だが、純粋な水術での勝負となれば影治は姪であるむつみにすら勝てない。
だからといって、宗主命令でむつみの動きを封じることもできるが、そうおいそれとできることではない。可能、不可能という問題ではない、権力にものを言わせて従わせるのは得策ではない、分家相手に常時そんなことをしていれば、いろいろな面で禍根を残し、組織の運営に摩擦が生じて将来的にマイナスにしかならない。
頭に血が上ろうと、それぐらいのことは解っている。水術の才能こそ宗家の中で劣ってはいるが、そういった頭脳は誰よりも抜きんでているのだ。故に、才能云々に関わらず、ひなたはあっさりと影治に宗主の座を譲ったのだ。
「フン……一斗よ、娘の躾ぐらいしっかりとしておけ。三人目には……な」
不機嫌そうに鼻で笑った後、一斗となるを一瞥して影治はその場を去った。もう言うことは言った。後は時間が来るまでせいぜい家族との別れをすませろ……そんな感じの雰囲気をまき散らしながら。
「くそっ………私は……なんて無力なんだ………」
「あなた……」
「お父さん……」
畳に手をつき、項垂れて涙を流す一斗。そんな一斗に、鎮鳴とメイが傍へと寄り添い声をかける。なるはその中に加わることなく、一斗の姿を暫し見つめた後、意を決した表情で口を開いた。
「お父さん」
「なる……すまない」
「それは言っても仕方がないわ。それよりも教えて。あいつが言っていた『楔』ってなに? それに『姉』ってどういうことなの? 私には姉妹なんて……お父さんが再婚するまでいなかったわ」
なるの言葉に苦痛の表情になる一斗。そしてどこか嬉しそうな顔をするメイ。不謹慎だと本人も思っているが、なるが自分のことを遠回りにでも姉妹と言ってくれた事が嬉しいのだ。
「なるさん、今は……」
一斗の心の古傷を良く知るむつみがなるを止めようとする。が、逆に一斗が手をかざして言葉を止めると、力無く首を横に振った。
「むつみ様、かまいません。いつかは…この日が来るかもしれないと覚悟していました。なるに全てを話す事を……」
「お父さん……」
「なる、これから話す事はお前にとって辛いことだ。少なくとも、昔のお前にとって記憶を失うほどに……それでも聞くか? 言っておくがこれは話したくないから脅しているんじゃない、お前の覚悟を聞いておきたい。それだけだ。それでも…」
「聞くわ。こんな状況になって、私が関係しているみたいなのに、何も知らないままなんてまっぴらごめんだわ」
「………わかった。私が知っている限り話そう。まず……世界の裏側についてからだ」
一斗はまず最初に、日常の裏にある非日常…裏の世界の事から話し始める。漫画などで見る魔法使いといった術師達、それらが戦う『妖魔』という邪悪な存在。深く説明はしないが、基礎知識がないと何を話すにしても理解しようがないからだ。
そして一通りの説明を終えた後、一斗は本題を切り出した。
「私達成瀬川の家は、約八百年前に出来た家だ。当時の浦島・宗主の子供の一人が創った家だから、言いようによっては分家とも言える」
「え? じゃ、私も景太郎みたいな力を持ってるの?」
「彼は炎術師だが…精霊術師という点では同じだ。だが、成瀬川の一族は水術の力を持って生まれることはない」
「でも、浦島の血筋なんでしょ?」
「そうだ。だが、私達にの血には『精霊の祝福』よりも別の強い力が…特殊な血が流れているのだ。その為に、水の精霊と感応できないと言われている」
「特殊な…血? なによ、化け物の血でも引いてるの?」
「身も蓋もない言い方をすれば…その通りだ」
「は?」
ほんの冗談で言った言葉を真面目に肯定され、思わず間抜けな顔になってしまうなる。まさか本当だとは思ってもなく、なるにとって人外の血を引いているなど、それはそれで冗談ではない。
「冗談…よね?」
「冗談ではない。私達『成瀬川』には人ならざる存在の血を脈々と受け継いでいる。時には災厄の化身“荒神”と呼ばれ、またある時には神の化身とも呼ばれる『超越存在』、龍神の血がな」
「龍……嘘でしょ?」
「嘘ならば…どんなに良かったか。この血の所為で……私は……」
再びやるせないと云った表情で拳を握りしめる一斗。その様子は必死に激情を抑えているようだ。
だがすぐに大きな溜息を吐くと共に落ち着いた顔になり、再びなると向き合う。
「なる。昔話の『浦島 太郎』は知っているな?」
「それは…知ってるけど。それがなに?」
「昔話の〈浦島 太郎〉は『浜辺で苛められた亀を助け、その御礼に竜宮城に招かれた』とある。だが、本当は少々違う。〈浦島 太郎〉は心ない退魔師に襲われていた亀…大海原の主、龍神の眷属である“仙亀”を助けた。その御礼に、龍神の住まう地『龍の都』に招かれたのだ」
「お父さん…頭大丈夫?」
荒唐無稽な話をする父に、今までの前ふりを無視して正気を疑うなる。はなはだ失敬な行為だが、今まで一般人であったなるや鎮鳴、メイにとっては些か荒唐無稽すぎたらしい。
「そもそもさ、私もよくは知らないけど話が作られた年代だって違うし、話もそれぞれバラバラだって聞いたことあるしさ」
「その事については浦島でも不明らしい。それを書いた者が霊能力者で、予見をしたなどといわれているが…まぁ、眉唾物だ」
「それじゃ、何で浦島太郎の話の最後は悲劇的なのよ」
「それは、浦島太郎を妬み、無差別に仙亀を狙い『龍の都』に行こうとした愚か者達が続出したからだ。そう言った話を言霊を織り交ぜて流布し、最後はろくでもない目にあうと認識させて少しでも抑えようとしたのだ」
「それじゃ……」
「なる、信じられないのは解るがこれは事実だ。素直に認めろ」
「う………」
必死に否定したい気持ちでいっぱいだが、父親の一喝で言葉を飲み込む。無論、まだ半信半疑なのは言うまでもない。
「話を続けるぞ……浦島 太郎が竜宮城にて一人の女性と出会った。龍神の愛娘『乙姫』様だ」
「乙姫って…むつみさんの名字と一緒?」
今更ながら気がついたというなるの視線に、むつみは曖昧な苦笑気味の笑顔を向けた。
「短い時間ながら強く惹かれ合った二人は結ばれ、三人の子供…二人の女児と男児が産まれた。その三人が浦島太郎の死後、長女が乙姫の名を姓として受け継ぎ、次女が成瀬川の家を作り、そして長男が浦島の宗主となって受け継いだ。それが、私達『成瀬川』家であり、むつみ様の『乙姫』家、そしてこの浦島家だ」
「否定…したって無駄なんでしょうね」
「事実だからな。お前が否定したとしても、事実までは覆らない……残念ながらな」
無情にも(なる主観)断言する父・一斗。その一斗に、今まで黙って聞いていた鎮鳴が初めて口を開き、話の途中で抱いた疑問を問いかけた。
「あなた…浦島太郎が『戦死』したというのはどういうことなの?」
「三人の御子が生まれて間もない頃…日本に一匹の強大で邪悪な妖魔が出現した。最初は名も無き妖魔だったが、幾万、幾千の犠牲を出すうちに、現世にあの世を作る存在として〈涅槃〉と呼ばれた。
名うての武芸者、術者達が一致団結して抵抗したが、全くの無意味…景太郎君が所属する組織『神凪』も参戦したらしいが、相手は水妖で炎術師には分が悪かったらしく、一進一退の攻防を繰り広げるだけでやっとだったらしい。
その時…陰陽術師の大家の宗主であった浦島太郎は、陰陽術では勝ち目が全く無いことをいち早く悟り、乙姫の父…龍神の助力を得、水の精霊王と接触、契約を結ぶことに成功し、その強大な力を用いて〈涅槃〉との戦いに挑み……」
「倒したのね」
「いや…残念ながら、倒すことは適わなかった。それほどまでに〈涅槃〉は強大だった。その為、浦島太郎は己の命を使い、限界以上の力を引き出し『涅槃』を五つに引き裂き、それぞれを封印した。それより後、浦島家は封印の維持する役目を担ってきたのだ」
「めでたしめでたしじゃない」
「それで終われば、かろうじてな。だが、十年後…封印に歪みが生じていることが発覚したのだ。五つに分割された〈涅槃〉が共鳴し、呼び合って一つに戻ろうとしていたのだ。幸い、封印が強固ですぐには破られはしないが、遅かれ早かれ、いずれは封印が破られるのは間違いない。時の浦島は大慌てで在らんばかりの術などを使い、結界を補強したが結果は焼け石に水。時が過ぎて行くごとに歪みは大きくなり、ついには危険なところまでになった………そこで、浦島は最後の手段をとることとなったのだ」
「最後の……手段?」
「そうだ。歪み、弛んだ結界を元に戻すことは出来ない。なら…弛んだ部分に『楔』を打ち込み、結界を補強する」
「楔……」
先程、影治が言った言葉の一つ…『楔』 その言葉を聞くたびに、なるの心の奥底がざわめいている。姉と呼ばれる存在を聞いたときと同じく…奥底にある何かが………
「楔…それは生け贄だ」
「イケ……ニエ?」
「だが、それは誰でも良いわけではない。強大な妖魔を封印するほどの結界の補強なのだ。人並み外れた、それこそ膨大な霊力を秘めた者が良い。そんな者がそうおいそれと存在するわけがない。いや、なかった。だが、浦島にはその存在が身近にいたのだ。人を越える力を持つ存在の血を引く、潜在霊力が桁外れの一族…成瀬川がな」
「うちの家系が………」
「成瀬川は…特に女性はその身に霊力を溜めることができ、その総量は明らかに人の範疇を越えていた。成瀬川・初代の娘は皆の為にとその身を捧げ、『楔』となって〈涅槃〉の封印を補強した。浦島は当初、成瀬川の者を使ったとしても、せいぜい二、三十年少々だろうと予測していたらしい。だが、その予想に反し、封印は想像以上に強固となり、五十年に渡って効果を及ぼした」
語り疲れたのだろう…大きく溜息を吐く一斗。その姿は一気に十歳以上も老け込んだように見える。一斗にとって…この話をすることは身を削るよりも辛く、未だに癒えぬ心の古傷を深く抉ることなのだろう。
「なぜ…予測以上に効果があるのか…龍神の血の力だとか、封印した浦島の血を引くからだと様々な憶測が流れたが…そんなことはどうでも良い。結果は、これ以降も成瀬川の者を使い、封印が弱まる五十年周期に封印を強化する……ということだ。それ以来、五十年の間隔で成瀬川の乙女は『楔』となり……数年前にも…………」
それっきり一斗は口を噤み、辺りに重い沈黙が漂う……そんな、誰一人として言葉が見つからない中、ただ一人、なるだけが口を開いた。
「それで…『楔』になった人はどうなるの? あの男の言葉だと……」
「お前の…考えているとおりだ。楔となった者は……死ぬ。高い霊力を秘めた命をもって楔となりえるのだ」
吐き出すように…一斗にとっては血を吐き出すのと同じ苦しみだろう…そう言う。爪が皮膚を突き破ってしまったのか、拳の指の隙間から血が流れる。まるで、流せない涙の代わりのように……
「そんな……じゃあ、今度は私を……」
「それはない! 元凶はすでに景太郎君の手によって滅んだんだ、もう二度とあの忌まわしい儀式が行われることはないんだ!!」
「景太郎が…って、お父さん、景太郎の事知ってるの?」
「ああ、景太郎君は……私の子供も同然だ。十四年前、私は『楔』に選ばれた娘と共にひなた荘で景太郎君と出会った。娘はすぐに景太郎君と仲良くなり…どこにいても常に一緒に行動し、生活し……成長した」
「その娘が……響子」
「そうだ。成瀬川 響子………お前の実の姉さんだ」
「そんな……私…姉がいたなんて全然覚えてない」
「昔のお前は病弱だったからな……親しい友達もおらず、いつもかまってくれた響子の死と景太郎君がいなくなったことに耐えきれず、記憶を封じてしまったのだ」
「……………………姉さんのことはわかった。でも聞かせて、景太郎は何でいなくなったの? ううん、何で追放されたの? 以前、はるかさんから景太郎のことを聞いた時も、その事だけは教えてくれなかった。何で!?」
激しく問うなる。記憶の封印が解けかけているのだろうか…なるは、ソレが重要なことだと感づいている。同時に、知れば後にも引けないことも…気がついている。
そのなるの意志を感じたのか、一斗はこの場に残る唯一の浦島関係者…むつみに目配せすると、むつみは暫しの沈黙の後、沈痛な顔で頷いた。
「それは十一年前……〈涅槃〉封印補強の儀式『水仙の儀』を妨害しようとしたからだ。その責を問われ、景太郎君は浦島家から追放…いや、追放なんて生温いものではない、存在そのものを抹消されたんだ。かつて、浦島家に景太郎という者がいたという証明は…記憶の中にしかないほどに、徹底的にな」
「それもこれも……響子って人のために?」
「ああ…響子を助けたいという一心でな。その途中、儀式を護る者達に死ぬ一歩手前まで追い込まれても…彼は這ってでも響子の元に向かおうとしてたらしい」
「景太郎が………」
なるの心は揺れていた。実の姉がいて……その姉が浦島の儀式とやらで死んだこと。そして、景太郎が姉を助けようとして、殺されかけても前に進み、あげくに実家から存在そのものを抹消されたこと。十歳にも満たない子供が……一人の少女のため、そこまで行った。
その衝撃の事実がなるの頭の中で渦巻き、他になにも考えられなくなっていた。
「なる………」
「なるさん」
一斗が、むつみが声をかけるも、なるはなんの反応も見せない。再び辺りを支配する重い静寂に…誰も、何も言えなかった。
「あなた、なにをお考えなのです! 成瀬川の娘を生け贄に使おうなどと!!」
屋敷の一室…宗主の自室にて女性の声が響き渡る。その女性とは茜…宗主の妻だ。彼女は事を聞き及ぶと部屋を飛び出し、自室にて休んでいる影治の元に押し掛けたのだ。
長らく誰も聞いたことのない茜の叫び声…実に十一年、景太郎が追放されて以来…に、影治は五月蠅そうに眉を潜める。
「お前もか……むつみといいお前といい、成瀬川の娘が『生け贄』になるのがそんなにおかしな事か?」
「おかしいも何も……成瀬川の方達があえて『楔』となり犠牲となったのは、〈涅槃〉の封印を補強し、来るべき時までこの日本を護るため。すでに元凶がいない今、なぜに成瀬川の者が『楔』になどならなければならないのです!!」
「勘違いするな、誰もあの娘を『楔』にすると言っておらん」
「えっ!?」
予想外の影治の言葉に、一瞬我が耳を疑う茜。だが、すぐに我に返ると今まで以上の剣幕で影治に詰め寄った。
「ならば、成瀬川の方達を即刻解放してください。『楔』という存在が必要ない以上、もう成瀬川の方達を束縛する必要は御座いませんでしょう」
「それはできん。確かに『楔』にはしない、だが、あの娘には『鍵』となって貰わなければならんのだからな」
「鍵?」
『鍵』というある意味聞き慣れた、しかしこの場合では聞き慣れない単語に、茜が眉を顰める。
『鍵』という単語である以上、目的は何かを開ける、もしくは封印を解いたりするために用いる存在だろう。だがしかし、今の浦島には人を犠牲にしなければならないほどの封印などはすでになく、同じ意味で扉などもない…はずだった。
「八百年前、我らが祖先『浦島 太郎』は龍神の助力…仲介を用いて“水の精霊王”と契約、『契約者』となった」
「それとなんの関係が……まさかっ!!」
「その通りだ。あの娘の身に蓄えられた莫大な霊力…その力を用い扉を開いてもらうのだ。水の精霊王がおわす高位次元への扉をな。そして、資格ある選ばれし者が契約を結び『契約者』となるのだ!」
誰が…とは、茜は問わなかった。そのようなこと誰が聞いても分かりきっている。自分自身が『契約者』となるつもりなのだ。
「私が何かをする前から、成瀬川の娘は自らひなたの地に赴き、その身に良質の霊気を蓄え、更には向こうからこちらに来てくれた。まさに運命が私にそうしろと言っているかのように全てが私のために動いているかのよう……つまり、私は運命にすら選ばれているのだ!」
全て自分のために動いているかのような状況に、笑いが止まらぬと言わんばかり夫に、茜は信じられないとばかりに首を横に振る。
「なんと愚かなことを……なぜ、貴方はそんな馬鹿げたことをなさるのですかっ!!」
「何が馬鹿げたことかっ! 〈涅槃〉が景太郎如きに滅ぼされてしまい、我が浦島家は…日本最高の水術師の一族『浦島』の名声は地に落ちたのだぞ。その上、あの愚か者は我らに牙をむき、何時襲いかかってくるかわからない有様。それらを覆すためには、生半可な力では足りんのだ!!」
「浦島の名がどうだというのですか! 幾たびもあった国の大事にも封印保持の名目で一切動かぬ浦島の名など昔から無いも同然、自業自得の極みです。
そもそも、『浦島 太郎』が命と引き替えに涅槃を封じたのは…成瀬川の方達が己が命を掛けて封印を補強したのは、『浦島』の名声などのためではありませぬ、涅槃により奪われるであろう様々な命を護るため―――――貴方はその為に失われた命を、想いを、土足で踏みにじろうというのですか!!」
「黙れっ!!」
怒声と共に薙いだ影治の拳が詰め寄っていた茜を殴りとばす。そして頬を殴られた茜は後ろに向かって倒れ伏した。
そんな茜を立ち上がった影治は踏みつけ、怒りの形相で何度も蹴りを入れる。
「元はといえば、お前があんな〈無能〉を産むのがいけないのだろうが! それを棚に上げ、この私に口答えしようなど百年……いや、思い上がりも甚だしいわ!!」
それこそ責任転嫁も甚だしい言葉を叩き付けながら蹴りを何度も入れる影治。そうすることで少しは溜飲が下がったのか畳の上に倒れ伏せる茜を鼻で一笑し、踵を返して外へと続く襖を開けた。
「私のことは如何様に言っても構いません……」
背後から聞こえる妻の声に影治が振り返ると、両腕を支えに起きあがろうとしている茜の姿があった。顔は俯けているのでどんな表情をしているかは判らず、見えない顔の何処かから滴り落ちる血が畳を赤く染めていた。
「しかし、景太郎は決して無能ではありません。あの子は今まで浦島の誰も…ひなた様ですら為し得なかった浦島の使命を果たしました。それが……何よりの証拠です」
「フン、無能ではない……か。もし、あやつの才能が『炎術』ではなく『水術』であったのなら……私は、愛してやれたのだろうな」
「―――――ッ!」
部屋を去り際に残した影治のそれは、どんな言葉よりも茜の胸を深く抉った。茜が水術師の才能を持たせて景太郎を産めば、自分は子供を愛してやれた。そう言っているのだ。
茜も好き好んで景太郎の水術の才を受け継がせていないわけではない。出来るのなら…可能なら、宗家とは比べものにならないほど弱いが、自分の水術の才をそのまま渡してやりたい、そう願ったことは十や二十ではない。だが……それは誰にも叶わぬ願いなのだ。
暫しの間、俯いたまま微動だにしない茜……何分か後、痛む身体に鞭を打って立ち上がると、口から未だに流れる血を拭うこともせず、意を決したような表情で、無言のまま部屋を去った。
(私は…あの子に何もしてあげられなかった。必死に庇おうとしても、結局はあの子を手放してしまった……でも…………このままではいけない。あの人の夫としても…認めてくれずとも、あの子の母親としても、成瀬川の方達をこのままにしてはいけない。これ以上、誰も悲しませてはいけない。こんな愚かな私でも……まだやれることはある)
長い回廊を早足で歩きつつ、瞳に強い決意の光を宿す茜。口から血を流す血を拭いつつ、真っ直ぐに目的の部屋に向かった。
(その為に、この命を差し出すことになっても……かまわない!)
その足取りに迷いはない。自分の行き着く先が無明の闇だろうと、煉獄の世界だろうと、彼女は歩みを止めない。自分が愛する者達のために………
そして、すぐに目的の部屋………成瀬川の一家が居る部屋の前に立った。
「むつみちゃん、居る?」
「その声は―――――叔母様!?」
「入るわね」
そう断りを入れた直後、襖がすっと開かれて茜が入室する。先程まで居た影治…宗主の妻の登場に、若干緊張する一斗とむつみだが、その茜の腫れた顔を見た瞬間、そんな考えなど吹き飛んでしまった。
「あ、茜様!?」
「叔母様! いかがなさったんですか!?」
「ちょっとあってね………」
「すぐに冷やさないと!」
むつみはポケットからハンカチを取り出し、茜の頬に当てる。どんな仕掛けがあるのか、ハンカチは冷たく湿っており、茜の頬の腫れを適度に冷やす。
「ありがとう、むつみちゃん」
「いえ…でも、本当にどうなさったのですか?」
「気にしないで。なんでもないから…それよりも、一斗さん。お久しぶりです」
「丁寧な御言葉、ありがとう御座います、茜様」
軽く頭を下げる茜に、それ以上に頭を下げる一斗。しかし、その顔に宗主と会ったときのような険しさはない。
彼にとって茜は宗主の妻云々よりも、十余年前…景太郎と共に居た響子をいたく可愛がり、死を誰よりも悼んでくれたお方…という、思いが強いからだ。
あの時、死を控えた響子にどう接していいかわからず、距離を取っていた妻に変わり、彼女は響子に母の愛情を自分の息子と同じく注いでくれた。しかし一斗がそのことを言うと、『それ以外、何もできなかった』と、彼女はそう答えるのだが、それでも恩人には変わりは無いというのが一斗の思いだった。
「一斗さん、どうか頭を上げてください。貴方が私に頭を下げる理由などありません……むしろ、私達は罵倒される立場にあるのですから」
「茜様……事情を?」
「はい。先程、夫から全てを聞きました。もう…成瀬川の方達が犠牲になる必要はありません。すぐにここから脱出を……」
「ですが茜様、どうやって………」
普段より浦島宗家は警備の者が多数居り、そう簡単には忍び込むことも、出ることも適わない。それに影治とて馬鹿ではない、成瀬川一家が逃げ出せないよう、警備を厳重にしていることは疑いようもないだろう。
「それは任せてください。確実に脱出できるルートがあります」
「………茜様、お気持ちは大変嬉しゅう御座います。ですが、そのような真似をなされば、あなた様のお立場は……」
「かまいません。元より、私は『無能を産んだ女』と蔑まれている女。これ以上悪くなる立場でも、固執するようなものでもありません」
「ですが……」
「それに……もう二度と、こんな事であの子を悲しませたくないのです」
「茜様……」
「一斗さん。酷かもしれませんが、選んでいる時間も他に選択肢もありません。それとも貴方はこのまま此処にいて、なるちゃんまで死なせるつもりなの?」
「―――――ッ!」
茜の言葉に衝撃を受けたように大きく目を開く一斗。確かに、このままこの場にいれば、結果は見えている。
「わかりました。鎮鳴、メイ……なる。それで構わないな?」
「はい」
「うん」
「まだ色々と考えたいこと、聞きたいことはあるけど……今はそんな時じゃないし、後で聞けばいいしね」
三人とも了承したことを確認すると、一斗は茜に向き直り、頭を深々と下げた。
「茜様、よろしくお願いいたします」
「ええ。と、云うわけだからむつみちゃん。貴方は見なかったことに……」
「私も行きます」
「むつみちゃん!」
「見なかったことにしたくても、私は視力が良いもので……」
茜の咎めるような声音に、むつみはにっこりと母そっくりの笑顔を返す。そしてすぐに沈痛な顔となり、なるに目を向けた。
「それに………私も、二度も失いたくないんです」
「その気持ちは解るわ。でも、貴方は次期乙姫家の当主なのよ。そんな事をすれば……」
「処罰は免れないでしょう。でも、それは私だけのこと。乙姫家には実害はありませんし、宗主も母と真正面とやり合う気はないでしょう。それに、うちは兄弟が沢山いますから私が後継者から外れても大丈夫です」
「むつみちゃん……」
「私は決めたんです。それに叔母様、叔母様が私の立場として……引けますか?」
むつみの言葉と笑顔に、茜は説得を諦めた。良く知る人物がこんな笑顔になるとき、何を言っても引くことはなかったのだ。
「………やっぱり夏美様の娘ね。その笑顔、よく似ているわ」
「それは嬉しい言葉です」
尊敬する母に似ていると言われて本当に嬉しそうになるむつみ。そんなむつみを見て、茜は人知れず溜息を吐くのだった………
「さぁ叔母様、早く行きましょう。浦島はともかく、神鳴流の者達に気取られるかもしれません」
「そうね。皆さん、こちらへ………」
襖を開け外を見回し、誰もいないことを確認した茜は、成瀬川一家に手招きをし、慎重に部屋を出て、音を立てないようにその場を後にした。
―――――運命の再会まで、後僅か―――――
―――――あとがき―――――
どうも、ケインです。
今回、景太郎…と言うか、ひなた荘側の出番はありませんでした。次回からはちゃんとありますので……
さて、今回の色々な補足事項です。
まず、〈浦島太郎〉云々ですが……はっきり言って、スルーして下さい。これだけの設定だと言うことで。そして、昔話に言霊ですが、それはあくまで補助で、本当の仙亀の保護は乙姫の姓を受け継いだ一家がしていました。
そこら辺りが、四灯において青山元舟が乙姫を云々言っていたのはそういうことなんです。無論、夏美を敬っていたのが一番ですけど。ちなみに、乙姫もある意味宗家に近い位置にあるため、立場的には分家扱いでも水術の力は宗家に匹敵します。正確には、次代に受け継ぐ力がほとんど変わりません。
そして、精霊王との契約方法ですが…あれは浦島独自の考え方で、他にも共通というわけではありません。むしろ、わからないからこそああいった力業…というか、暴挙に出たと言えます。
それではそろそろこの辺で……次回・二十灯『再会……』もよろしければ読んでやって下さい。ケインでした。