白夜の降魔 二十灯

 

 

 

ラブひな IF       〈白夜の降魔〉

 

 

 

第二十灯  「再会―――――そして別れ」

 

 

 

 

 なるがひなた荘を飛び出してから、一日が経過した。

 景太郎は浅い眠りにつきながらリビングで情報をひたすら待ち続けたが、依然として何の音沙汰も無く……無情にも、時間はいつも通り……景太郎達には長く感じたが、時は変わらず流れて行く……

 皆はなるの事情を知った今、心配でリビングに揃ってただ黙って思い思いにソファーに座っている。例外なのは、素知らぬ風情で煙草をプカプカ吸っている和麻と、頭にパラボナアンテナを乗っけてノートパソコンをカチャカチャいじっているスゥの二人だ。

 

 朝からそのまま…動きといえば誰かがトイレに行くぐらい。重苦しい沈黙が漂う中、しのぶがそろそろ昼食の準備をしようと立ち上がった―――――その時、昨日から沈黙を守っていた景太郎の携帯電話が鳴り響く!

 皆が何事かと視線を集中させる中、景太郎は受信相手の名を見て眉を潜めた。

 

「橘さん? ………はい………成瀬川が見つかった!?」

『―――――ッ!』

 

 景太郎の一言に、皆の視線は息を飲む。待ちに待った朗報がやっと届いたのだ。だが、対するように景太郎の表情は暗くなり、目つきが退魔時…戦闘時のように鋭くなる。

 

「……………そうですか、ありがとう御座います…ええ、感謝しています……残念ですけど、それは無理です。近日中にあそこは滅びます。それでは」

 

 受話口から女性の声が聞こえるのを無視し、電話を切る景太郎。そんな景太郎に、キツネ達がこぞって詰め寄る。

 

「なるが見つかったようやな!」

「ええ、見つかりました……」

「なんや暗い顔して…なんかあったんか?」

 

「成瀬川って小娘が浦島に拉致られたのか?」

 

 不意に発せられた和麻の言葉に携帯を強く握りしめる景太郎。その反応に、皆は和麻の言葉が本当であることを悟った。

 

「聞いていたんですか……」

「まぁな」

 

 全く悪びれた様子のない和麻に、景太郎は儚げながらも笑う。

 

「―――――にしても最悪の展開だな。あの女の価値を日本で誰よりも知る奴らが拉致したんだ。やることはろくな事じゃねぇぞ」

 

 言っていることはシリアスだが、あくまで惚けた顔で投げやりにそう言う和麻。大事にしている弟の一大事の際にも、似たり寄ったりだったのだ。見知らぬ女の危機程度に騒ぐような男ではない。

 それに、騒いだところで事態が好転するわけでもなく、どっしりと構えて事態を見据える。これが彼のスタイルなのだ。表面は緩いが、内面の格は強大で揺るぎもしない。

 それを知らないキツネ達は和麻を厳しい眼差しで睨み、それを知る綾乃はさして気にした様子もなく、和麻の言葉に合いの手を入れた。

 

「それはそうとあの警視、個人の事には力を割けないなんて言ってたわりにはいやにあっさりと探してくれたわね」

「大体の想像はつくぜ。おおかた、今回の件で景太郎に恩を売っておこうって腹積もりなんだろ。昨今珍しいくらい義理堅い奴だからな、景太郎こいつは………」

「そうね、受けた恩どころかあだまできっちり返すんだもんね」

「そう言うことだ」

 

 一度断り相手にしなかった後、情に負けたように手の平を返して親切にする。そうすれば、ただ単純に願いを聞くよりありがたみを感じる。と、そこまで霧香が考えていたかどうかはわからない。ただ単純に後で思い返し、景太郎の願いを断れば金輪際手を貸してくれないと思ったからかもしれない。が、真実は霧香の胸の内だ。

 

「そんな事はどうでもいい。これからどうするつもりだ、神凪」

 

 “明鏡”の鞘を固く握りしめつつ、景太郎にこれ以降の行動を問う素子。それは質問と言うよりも確認なのだろう。素子も、景太郎がどういう行動にでるのか…解っているのだ。

 

「決まっている。殲「景太郎!!」

 

 言葉を遮るように玄関から響く女性の声。それに続き、三つの足音が真っ直ぐこちらに向かってくる。

 

「大変だ、景太郎!」

「はるかさん…に、瀬田さん。サラちゃんまで……」

「やぁ、景太郎君。なにやら大変なことになっているそうだね」

 

 言葉は軽いが、本当に大変な事態だと理解しているのだろう、瀬田はいつものへらへらした表情はなりをひそめ、真面目な顔つきになっている。

 

「こいつは私よりも情報通だからな、あえて事情を話して頼んだ」

「可愛い教え子の一大事だからね。助力は惜しまないよ」

「ありがとう御座います」

 

 器用にウィンクをしながら笑いかける瀬田に、景太郎は軽く頭を下げる。まさか景太郎が頭を下げるとは思わなかった瀬田は正直に驚き、景太郎がどこまで成瀬川の身を案じていたのかを悟った。

 

「それで、何かあったんですか?」

「最悪なことだ。なるが……浦島に拉致された」

『………………』

「な、なんだ?」

 

 沈黙と共に送られる視線に思わず引くはるか。予想していたのとはまるで反対の皆の反応の上に、白けた視線は流石にきついものがある。

 

「一足遅かったな。さっき、知り合いから同じ情報をもらったところだ」

「そ、そうだったのか……」

「浦島の人間であるあんたが、身内の情報を手に入れるのに大分手こずったようだな」

「ふん……組織の主流より外れた人間の扱いなどこのようなものだ。それに、この私の知らせると云うことは、お前の耳にも入ると考えるのが道理。情報をシャットアウトするなど当たり前だ」

「確かにな。それで、賢いあんたの事だ。これから俺がどう行動するか……解っているな」

「ああ。十二分に理解している」

「なら結構。それでどうする。邪魔をして死ぬか、退いて生きるか……どっちだ」

 

 それは極論…だが、景太郎とはるかの実力差を考えれば当然の未来。当然、瀬田ははるかを庇うだろうが、それは死ぬまでの時間が僅かに伸びるのと、あの世への道連れができるぐらいの変化でしかない。

 ただ静かに問う景太郎に、いつでも動けるように炎の精霊を集める綾乃と煉。その強大な力を感じていないわけではないだろうが、はるかは表面上は平静を保ちつつ首を…………横に振った。

 

「そのどちらでもない。私はお前と共に行く」

 

 意外な言葉に和麻を除いた皆が驚いて目を大きく広げ、景太郎も肩眉をピクリと反応した。

 

「それは、俺と共に浦島に襲撃を掛ける…と、とってもいいんだな」

「そうだ」

「いいのか? あの婆に忠実だったあんたが……立派な反逆だぞ」

「その言葉がそのまま答えだ。私は『浦島 ひなた』個人に忠誠を誓った身。浦島家に忠誠を誓っているわけではない。つまり、反逆ではないということだ。それに、なるを始め寮生を婆さんから任されている。なるを助けるのは自分の意志であると同時に義務でもあるからな。
 もっとも抵抗が無いと言えば嘘になるが……そんなもの、取るに足らん些細なものだ」

 

 煙草に火をつけニヒルに笑うはるか。人によっては格好をつけていると言われる仕草だが、はるかにはよく似合っていた。

 

「話は終わった? ならぐずぐずしないでその成瀬川って人を助けに行きましょ」

「綾乃の言うとおりだ。あっちの目的はわからんが、早く行動するに越したことはない」

 

 綾乃のせかす言葉に和麻が同意する。

 

「それじゃ、早速行きましょうか」

 

「ちょい待ちぃ! うちも行くで!」

「無論、私もだ」

「わ、私も……」

「みんなでなるやんを救出するんや!!」

 

 景太郎に追随してキツネ達も同行すると名乗り上げる。明らかに一般人な彼女たち(やや一名除く)に綾乃は顔を少し顰めると、すぐに柳眉を逆立ててキツネ達を睨む。

 

「邪魔よ。一般人は足手まといにしかならないんだからここに残って「いいですよ」―――――景太郎!!」

「無駄ですよ、綾乃さん。この人達の行動力は無駄に高いんです。置いて行っても絶対に後をつけて来るんですから、目の届く範囲に置いておくほうがましです」

「そうは言ってもね……」

「では、綾乃さんは篠宮さんを抑えられますか? それぐらい難しいですよ」

「~~~~~和麻! あんたも何か言ってやってよ」

「あ? ほっとけ。景太郎が連れてくって言ってんだから好きにさせろ。死んでもそいつらの責任だ。死なせたくないなら、景太郎あいつが護るだろうよ」

「まったく…なら勝手にしなさい! 煉、行くわよ」

「は、はい!」

「そうしとけ」

「あんたもさっさと来る!!」

 

 八つ当たり気味に和麻を引っ張りながら、煉をともない一足先に部屋を出る綾乃。わざわざ心配しているのに、(義兄からも相棒からも)けんもほろろに扱われれば、誰だって不機嫌にもなる。

 

「なんだあの二人は……人を足手まといだとか、死ぬのが当然みたいな言い方をしおって……」

 

 そんな三人が出ていく様を、素子が不機嫌そのものと言った表情で吐き捨てる。キツネ達はともかく、自分まで同列扱いされたのがショックなのだろう。

 

「そう言うな青山、あの二人の力からすれば当然の結果だ。特に、和麻さんから見ればお前もキツネさん達も同じだ」

「私とキツネさん達が一緒だと? 巫山戯たことを……」

「あの人から見れば、同じなんだ」

 

 素子とキツネ達…一般人と神鳴流剣士(未熟)の差は限りなく大きい。その大きい差も同程度に見えると言うことは、和麻の視点ははるか高みにあると言うことになる。それを理解した素子は、固い表情で確認するように問いかける。

 

「神凪…あの男は、そこまで強いというのか…お前が認めるほどに」

「認める認めないじゃない、事実だ。和麻さんはこのメンバーの中で群を抜いてい強い。俺などよりもはるかにな」

「そんな馬鹿な! あんな男がお前以上の力の持ち主だというのか!!」

 

 大きな声で否定する素子に、その場に残った皆は何事かと目を向けるが、当の素子はそれに気がつく様子もなく景太郎を一心に見つめる。

 

「その通りだ。あの人は真剣に戦えば俺なんかよりも強い。俺もプライドがあるから、そう簡単に負けるつもりも、勝たせるつもりもない。が、和麻さんが本気を出せばどうやっても勝てないだろう。俺は……本気になったあの人に勝った自分すら想像できない」

「それほどなのか……」

 

 打ちのめされたように俯く素子。それは上には上がいるという事にショックを受けたと言うよりも、景太郎が勝てない相手がいると言うことにショックを受けているように見えた。

 

 

 

 それと時を同じく……外に出て煙草をふかしていた和麻が不意に顔を顰めたと思ったら、

 

「馬鹿言ってんじゃねぇよ、それはこっちの台詞だ」

 

 ―――――と、小さく呟いた。

 

 

 

 

 


 

 

「茜様、ここは一体……」

 

 一寸先も見えない暗闇の中、一斗が内にある不安を押し殺しながら先頭を歩く茜に問いかける。

 ここは洞窟の中…あの後、茜の案内によって来た場所は、一寸先も見えぬ暗闇に覆われた洞窟だった。
 今は茜が用意した灯り…何らかの術なのか、一枚の符が煌々と輝いている…で周囲が見えるが、それが無くなったら何も見えなくなるだろう。

 

「お話の中によくある、緊急時の脱出用通路よ。でも今まで緊急時なんか無かったから、使うのはおそらく私達が初めてね」

「はぁ……そうなんですか」

「それより、いつまで下り続けたらいいの?」

「ごめんなさい、なるちゃん。まだずーっと下なの。だからもうちょっと我慢してね」

「え? あ、いや、別に文句を言った訳じゃないんです。すみません、わがまま言って……」

 

 ただちょっと聞いてみたことなのに、茜が申し訳なさそうする様を見て慌てて謝るなる。そんななるに茜はちょっとだけ振り向いて「いいのよ」と微笑を返した。

 

「気にしないで、私には…これくらいのことしかできないのだから……」

 

 儚げな笑み……とても暗く、申し訳なさそうな気持ちが見ているだけでヒシヒシと伝わる、そんな笑みだ。一体どれだけ悲しみと苦しみを知れば、こんな笑みができるのだろうか。なるは、もう前を向いてしまった茜の背中を見ながらそんな事を考えた。

 

「あの…………茜さん?」

「なに? なるちゃん」

 

 なるの呼びかけに、茜は振り返ることなく先頭を歩きながら返事のみを返す。ある程度整地されているといっても洞窟は洞窟、足下はゴツゴツして余所見して歩くのは危険なのだ。それが解っているなるは怒ることなく、ずっと聞きたいと思っていた疑問を口にした。

 

「茜さんは……景太郎のお母さんなんですよね。茜さんも……あの男みたいに、景太郎が嫌いなんですか?」

 

 あえて誰とは言わないが…その場の誰もが、特に茜は誰であるかを良く理解していた。

 

「いいえ、私はあの子の事を愛おしいと思ってはいても、嫌ったことなど一度たりともありません。私は…あの子の母親なのだから」

 

 即座に否定する茜。その言葉に嘘偽りはない。だが、その表情は悲痛の一言につきた。

 

「でも、私は母親の資格はありません。あの子も、私を母だとは認めないでしょう…私は、あの子を護ることはできなかった……一番大切な時に、見捨ててしまったんです」

「叔母様、あの時はお婆様ですら無理だったのです。叔母様のせいでは……」

「いいえ、私のせいです。あの時、私も出ていけば良かったんです。そしてあの子と……でも、できなかった。私は弱い女だから…夫の言うことに逆らえなかった。
 でも、過ちは二度も繰り返さない。あの子を浦島の所為で悲しませない。その為に、あなた達を護る。御免なさいね、なるちゃん。おばさんの自分勝手な思いで……こんな動機であなた達を助けているの……本当に御免なさい」

「言え、そんなことないです。理由はどうあれ、こうやって助けてくれて大助かりですし。それに……茜さんが、どれだけ景太郎のことを思っているかを知って、なんかホッとしましたし…」

「……………ありがとう、なるちゃん。さぁ、聞こえてきたわ。もう後ちょっとで着くわ」

 

 そう言った後、皆は言葉を発することなく通路を進む。

 それから間もなくだった。成瀬川一家の耳にも、水の流れる音が聞こえたのは………

 

 

 

 

 

「なんだと!! 成瀬川の者達が居なくなったというのか!!」

「は、はい。夕方となり、使用人が食事を運んだときにはすでに……」

 

 初老ぐらいの男が、明らかに自分よりも若い宗主・影治に平伏して状況を説明する。今まさに、宗主の怒りのとばっちりで殺されるかもしれないと云う恐怖に震えながら。

 

「見張りはどうしたのだ! 用心に分家の者を数人控えさせていただろう!」

「そ、それが、突如首筋に衝撃を受け、気を失っていたらしく…た、ただ今捜査を致しておりますので、もうしばらくお待ちいただければ……」

「即座に見つけだせ!」

「ハ、ハハッ………そ、それと宗主、もう一つお知らせが………」

「今度はなんだ……」

 

 怒鳴りつけても仕方がない…と、理性を総動員をして怒りを抑えつけて冷静さを取り繕うと、静かに次の報告を促す。

 

「その……成瀬川の者達が居なくなると共に、むつみ様のお姿も……」

「ふん…大方、あの者達と共に逃走しているのだろう。見張りを気絶させたのもむつみの水術だろう」

 

 忌々しいと云わんばかりに吐き捨てる影治。やはりあの時、宗主権限で追い出しておくべきだった…と、胸中で呟いた直後、さらなる報告がもたらされた。

 

「それと、奥方様のお姿も見あたらないのです」

「なんだと!」

「ただ、門番からは奥方様が外出した姿を見ておりませんので、おそらく屋敷内の何処かにいらっしゃるとは思いますが……」

「あいつは昼頃に私の部屋にいた。どうせそこで泣き崩れて……いや、そういうことか!」

 

 影治は冷静という仮面を捨て怒りの表情となるが、すぐに(表面上は)落ち着きを取り戻して考え込む。

 

(なるほど…逃走の手引きをしたのはむつみではなく茜か。むつみだけの場合、一般人を四人も連れて誰にも見つかることなく逃げることは不可能だからおかしいとは思ったが、茜がいるのなら話は別だ。誰にも気がつかれていないことから、宗家しか知らぬ緊急避難用の脱出路を使ったと考えて間違いない。
 私があいつと別れた後に動いたと考えれば……もうすでに入り口にはたどり着いているか、潜ったか。どちらにせよ、今から追いかけても無意味だな。となると、こちらの取れる手の中で最も有効な一手は……)

 

「いますぐ屋敷を警備している以外の分家、及び神鳴流に通達しろ。京都中にある『池という池』に人員を派遣して警戒せよ。成瀬川一家とその逃走を補助する者達はその何れかに現れるはずだ」

「はぁ…池、ですか?」

「早く行かんかっ!!」

「はっ、はいぃっ!」

 

 影治の怒声に、男は初老とは思えぬ動きでその部屋から飛び出すように出ていった。

 そして影治は荒く息を何度もついた後、大きな溜息を吐いて前方を……何もない虚空を見ながら呟いた。

 

「………………茜よ。私を裏切るのか………お前まで、私を見捨てるのか………」

 

 

 その瞳の先にいるのは一体何なのか……影治のその姿には浦島家の宗主としての威厳は微塵もなく、魂までも削りながら生き続けたような老人の如き虚無感しかなかった。

 

 

 


 

 

「後少しで京都か……」

「京都…ね。嫌な思い出しかないわ」

「その言葉がピッタリな人物を差し置いてお前がそれを言うな、お前が」

 

 景太郎の呟きを聞いた綾乃が更に呟いた言葉に、容赦なくつっこみを入れる和麻。

 彼らが以前京都に赴いた際に、とんでもない妖魔とり合ったことを言っているのだろう。綾乃など本当に死にかけたのだから、確かに嫌な思い出だ。もっとも、今の綾乃にとってはその時の助け方が主なのかもしれないが……

 

「まぁ、俺も人のこと言えんがな」

「でしょう?」

「何処かの馬鹿な小娘のせいで、貴重な霊薬エリクサーを使ったんだからな。あ~、思い出しただけでも涙が出てくる」

 

 本当に涙を流す和麻。ただし、大きな欠伸と共に一滴だけ……そのふざけた態度に綾乃が怒ると思いきや、実際には和麻が本当に惜しんでいたことを(後から)知ったので何も言えず、あえて無視して景太郎に話しかけた。

 

「ねぇ景太郎。出掛けに電話していたようだけど、誰に電話してたの?」

「浦島と全面戦争する可能性を考慮して、その事前準備ですよ」

「あ、そうなんだ」

 

 あっけらかんとした返事を返す綾乃。浦島とり合うと聞いてもまったく驚いた様子はない。

 景太郎の言った可能性が、九割を越えている事も知っている。と言うか、感づいている。それでもなお平静なのは、神凪の最強チーム(自分・和麻・煉・景太郎の四人)が揃っているからなのか、それとも何が起きても切り抜けられる自信があるからなのか……おそらく、その両方だろう。

 

「それはいいんだけどよ、足手まといを連れてきて良かったのか? しかも一人は敵の身内ときたもんだ」

 

 チラリ……と、斜め前を見る和麻。そこには完全に遠足気分ではしゃぐひなた荘メンバー+煉の姿があった。
 もっとも、正確に言えば一升瓶片手に煉に抱きついてはしゃいでいるキツネが周囲を巻き込んでいる。ただし、素子一人だけはまるで別世界にでもいるかのように刀を握りしめ、じっと窓の外を眺めていた。

 余談だが、素子の刀…刀身を包む鞘には『認識阻害』の呪法が組み込まれており、一般人にはそこに刀があると認識できないので、問題にはならない。

 

「って言うかさ、同じ寮生の危機だってのに良くはしゃぐわね。その精神の方が信じられないわ」

「空騒ぎですよ。スゥちゃんはともかく、しのぶちゃんはかなり心配性だから、キツネさんはああやって騒いでいるんです。あの人は優しいですから…成瀬川だけでなく、しのぶちゃんまで気に掛けているんです」

「とてもそうには見えないけど……」

 

 本当に~? と言わんばかりの顔でキツネを…その手に持つ一升瓶を主に見る綾乃。煉に押しつけられ形を変えているふくよかな胸は意図的に視界からシャットアウトしている。

 

一升瓶アレの中身は水ですよ。あれを飲んで酔ったふりをしているんです。みんなの気を紛らわせるためにね。これがただの旅行なら、酒瓶一本で終わりませんよ、すでに三本は空けてます」

「良く理解してんのね、他人には…義理の妹にすら無関心だった景太郎とは思えないわ」

「また昔の話を……」

「『ちょっと前までの間違い』でしょ。それまではあんたが気にしていたのって風牙衆の……陸斗って子と操ぐらいじゃない」

 

 ジト目で景太郎を見る綾乃。一応でも義理でも妹は妹、構って欲しいという程うちとけていたわけではないが、せめて家族としては接して欲しかったという気持ちがあった。

 今は(操を初めとする複数の者達のおかげで)だいぶ態度が軟化したが、それでもどこか一線を引いている。呼ぶときでも未だに『さん』付け…問題にしている数年前までは『様』付けだ。

 

「なんだ、妬いてんのか? ブラコンもたいがいにしとけよ」

「やかましい。そんなんじゃないって言ってんでしょうが」

「おう、そうだったそうだった。ファザコンだったんだよな」

「この! …………憶えときなさいよ、今度退魔の時あんた諸共焼いてやる」

「できるのならな」

 

 流石に新幹線の中で炎雷覇を抜くという暴挙は抑えた綾乃だが、和麻の態度に再燃……しかけ、今度も鍛え抜かれた精神力で怒りを鎮める。その鍛える方法が主に和麻のからかいを耐える事のだから成果が出たと称えるべきか、情けないと嘆くべきなのか………とりあえず、景太郎はこの二人は変わらないな、と、苦笑するだけだった。

 

「綾乃さん、そろそろ落ち着いて……さっきから煉君が助けてくれって見てますよ」

「え? あ、ほんとだ。情けないわね……男だったら力ずくで抜け出しなさい」

 

 綾乃はそうぶつぶつ言いながら煉の救出(?)に向かって行った。そして煉を引き剥がそうとする綾乃と、これはウチのモンや! と、煉の頭を抱きしめて放さないキツネがギャーギャー騒いでいる様を、景太郎は生暖かい目で見守っていた。

 

「幸せそうだな」

 

 景太郎を興味深げに見ていた和麻が、不意にそう口にする。この状況下…なるが浚われた状況の事を言っているのではないと知りつつも、景太郎はあからさまに眉を潜めた。

 

「そう睨むな。神凪に居た頃より良い顔してるぞ」

「そうですか?」

「おお。操にも見せてやりたいぐらいだ。たぶん嫉妬するぜ、お前にそんな顔をさせる連中のことをな」

「…………」

 

 不意に出た『操』という単語に表情が僅かに変化する景太郎。本当に微妙な反応だが、それは顰めると言うよりは微笑に近い変化だった。

 

「そうですね…操さんにも、一度紹介したいですね」

「そうしとけ。今は退魔で北海道に行ってるから、この騒ぎが終わってからな。連絡入れてねぇから、怒られるのを覚悟しとけよ」

「わかりました」

 

 今度ははっきりと微苦笑を浮かべる景太郎。今回のこと…浦島に戦争を仕掛けることを聞けば、ほぼ間違いなく操は怒る…否、悲しむだろう。自分では何の役にも立てないと。実際はそうではないのだが、景太郎としては操を余り危険なことには巻き込みたくないのだ。それを理解しているからこそ、和麻も操には連絡を入れなかったのだ。

 

「幸せなんなら、必ず取り戻せ。そして、二度と奪われるんじゃねぇぞ。その為にも力は使える」

「ええ、そうですね…………」

 

 遠回しな警告…和麻にとっては忠告程度だろう…に、景太郎は物思いに耽るようにそっと目を伏せ、短く言葉を返すのみだった。

 

 

 

 

 


 

 

 一方―――――浦島家、最深部・宗主しか知らない脱出路。その終着点にて……成瀬川一家は目の前にある約二十メートル近い地底湖を目の当たりにして呆然としていた。

 

「行き……止まり」

 

 なるの妹、メイが家族を代表するようにぽつりと呟く。ここまでは一本道で、他に道はない。かといって、周囲を見回しても他に道はなく、あるのは綺麗な水をたたえた湖のみだ。

 これからどうするのか…成瀬川一家は問うような視線で茜を見ると、茜は力強く頷いた。

 

「さぁ、行きましょうか」

「「「「どうやって?」」」」

 

 家族一致した声。今まで微妙にすれ違った家族の心が重なった一瞬だった。そんな成瀬川一家の言葉に、茜は話が通じていないことに気が付き、すまなさそうな顔になった。

 

「あら、御免なさい。私ったらついつい……もちろん、この水の中を通ってよ。この湖は外部に通じているの」

「なるほど……水術師である浦島らしい脱出路ですな」

 

 事情を理解した一斗が納得したように相づちを打ち、その言葉に皆も一様に納得した。水術師である浦島の者なら、水中を移動することぐらい朝飯前だろう。

 

「みんな私の傍に……」

「叔母様、私も手伝います」

「むつみちゃん……大丈夫なの?」

「はい。それに、失礼ですけど叔母様一人では負担が大きすぎると思います」

「……そうね」

「あの……どう言うことですか?」

「むつみちゃんは家柄こそ分家だけど、ひなた御婆様のお孫さんなの。だから力は浦島でも有数よ。逆に、私は宗家の一員だけど出は分家だから、力はむつみちゃんの足元にも及ばないわ」

「へぇ~、むつみさんって凄いんだ」

 

 茜の説明に、なるとメイはしきりに感心したように頷いた。

 

「叔母様、お話はそれくらいで……そろそろ私達が逃げていることに気が付いていてもおかしくはありません」

「そうね。むつみちゃん、力を貸してくれる?」

「はい、喜んで」

 

 茜の確認の言葉に、むつみは微笑みながら淀みなく承知した。

 

「皆さん、私の後に付いてきてください」

 

 湖に向かって歩く茜。なる達も言われたとおり茜の後について行き……揃って足を止めた。湖の縁で……茜とむつみ、そして一斗はといえば、そのまま水の上に立ち、湖の中心まで歩いていく。

 

「どうした、早く来ないか」

「来ないかって言われても……」

 

 不安そうな表情でお互いの顔を見る成瀬川の女性メンバー。それもそうだ、いきなり水の上を歩いてこっちに来いと言われれば、躊躇しない方がおかしい。

 

「大丈夫だ、お二人が水の精霊に干渉して歩けるようにして下さっている」

「ほ、本当?」

 

 半信半疑で片足をそっと水面につけるなる。靴の爪先だけつけるつもりが意外にも…ある意味当然…返ってきたのはやや硬めの感触。薄く水の張った床に足をつけるような感触だ。その感触に後押しされ、なるは徐々に体重をかけ……とうとう水面に立った。

 そんななるを見たメイ達は、お互いの顔を見て勇気を出すと恐る恐る水面に一歩踏みだし…同じく水面に立った。

 

「さ、早く来るんだ。時間が経てば経つほど逃げ難くなる」

 

 一斗のその言葉になる達は足早に…それでもやはり恐る恐ると……茜達の元に合流する。それを確認した茜はむつみに向き合うと、共に水の精霊に干渉し始める。

 

 

「むつみちゃんはの結界の維持を。私はそのサポートと方向の調整をするわ」

「しかし、それでは叔母様の負担が大きすぎます」

「いいのよむつみちゃん。むつみちゃんが無理をして倒れ出もしたら、夏美様に顔向けできないわ」

「でも……」

「もちろん、いざという時にはお願いするわ。だから……ね」

「………わかりました」

 

 むつみの返事と共に周囲の水が音もなく波立ち、中に浮き上がって全員を包み込むような球状の膜を形成した。傍目には、巨大なシャボン玉に包み込まれたと感じだ。

 そして皆を包み込んだシャボン玉は徐々に沈み、完全に湖の中へと潜った。

 

「ほぇ~~~」

「は~~…これは凄いわ」

 

 メイがただただ関心を、多少免疫のあるなるは水の中から見る周囲の景色を眺めながら共に気の抜けた声を上げる。空気中はシャボン玉だったが、水中に入ると同じ水…なる達から見れば自分達の周囲を水が勝手に避けてくれているように見えるのだ。

 本当なら地底湖の中など真っ暗闇だが、引き続き灯されている符の光が周囲をなんとか照らしていた。

 

「叔母様、どの通路を行きますか?」

「水の流れが一番強い南に向かいましょう。移動が難しくなるけど……」

「私なら大丈夫です。早く行きましょう。一刻もここから……京都から離れましょう。」

 

 さすが水術師。光が無く周囲が見えなくとも、水を介して周囲の状況を正確に把握しているようだ。

 

「本当なら北の水路を通るのが一番だけど……」

「そちらには何かあるのですか?」

 

 南に向かう水球の中から北をじっと見る茜に、一斗が質問をする。茜の様子は、ただ逃げると云うよりも何か別の意志が秘められているように見えたからだ。

 

「北の水路は……ひなた荘に通じているわ。できるのなら、北の水路を使ってなるちゃん達を景太郎の元に送り届けるのが一番なんだけど、いくら何でもこの状況を維持したまま、ひなた荘まで行くことはできないの。ひなた様ならできたのかもしれないけど、私達には………だから、浦島からできるだけ離れた池から出て、陸路を使ってひなた荘に向かうしかないわ」

「ですが宗主の事です。池に人員を配置することはもちろん、陸路を監視しているでしょう」

「その時は……強行突破します」

 

 かつての身内…または護衛してくれた神鳴流を相手にすることを覚悟し、決意の表情を見せる茜とむつみ。それと共に成瀬川一家も表情を暗くする。茜とむつみが行おうとしていることが、どれほど辛い事かを察したのだ。

 特にむつみは、家族を捨て自分達を選んだ。すなわち、これから先の人生を犠牲にしたも同然なのだから……………

 

 

 

 


 

 

「く~~~っ! 遠路はるばる、ようやっと着いたなぁ」

 

 京都駅から下り、ずっと座っていて固まった身体をほぐす様に背伸びをするキツネ。そして、その様子を疲れた目で見るしのぶ達。その視線を言葉にするのなら、さんざん暴れておいて身体のどこが固まるんだ。といったところだろう。

 そんな連中を後目に、和麻が景太郎に問いかける。

 

「さて…景太郎。これからどうするつもりだ? 一気に襲撃でもかけるか」

「ええ。でも、準備を整えてからです。仕掛けるのは戦争ではなく、殲滅戦ですからね」

「そうかい」

 

 景太郎の口にした言葉を正確に理解し、それでもなお軽く返事する和麻。どうでもよさげだが、その実はそうでもない。自分が景太郎の立場なら間違いなくそうするから……否、そうだったから、聞くまでもなかったと云う感じに言葉を返したのだ。

 

「それで、その準備ってのはいつまでかかるんだ? 悠長なことやってる暇はねぇんだろ」

「それは少し時間が……かからなかったようですね」

 

 景太郎が横を向く。和麻もそれにつられてそちらに視線を向けると、そこには見たことのある二人組がこちらに向かって手を振りながら向かってきていた。

 

「やっと来たようだな」

「遅いぞお前ら」

「お前達が早すぎるんだ。まぁ、早いことに越したことはないが…白井。準備が大丈夫なのか」

 

 あまりにも早すぎる二人の行動に眉を潜める景太郎に、灰谷はニヤッと不適に笑う。

 

「俺は、一度訪れた所には一瞬で行けるんだよ」

「そう言えばそうだったな。お前が…じゃなくて、ラブレスが…だがな」

 

 景太郎の言葉に、灰谷の頭の上で寝そべっている白い猫の耳がピクッと反応する。

 

「ま、それとなるちゃんが浦島に拉致られたって今朝方判ってな。それを知ったお前が殴り込みかけるのは確実。だから事前に準備を整えておこうと、いち早く白井に連絡を入れてた訳だ」

「いち早く連絡入れる所を間違ってないか?」

 

 口調はあくまで穏やかだが、その目は『巫山戯た事言えば燃やすぞ』と言っていた。長年のつきあいから灰谷もそれを理解しているはずだが、それでも表情一つ変えず、ヒラヒラと手の平を振った。

 

「まぁ落ち付けって。資料室の連中も後ちょっとの所まで嗅ぎ付けてたからな、なら直ぐにお前の所に連絡行くだろ。だから、先にこっちで動かせてもらった。俺は無駄を省いただけだよ、そのおかげでタイミングはばっちりだろ?」

「相変わらずの『先読み』だな。まったく、偶に全部お前の掌の上で踊ってるんじゃないかと思うよ」

「まさか。勘が良いだけだよ」

 

 肩をすくめてそう言う灰谷。へらへらして誰からも侮られがちな男だが、その実は誰よりも切れ者だということを景太郎は理解している。

 

「そうそう、お前達が来るまで暇だったから、リアルタイムの浦島の情報を調べておいたぜ」

「そのもったいぶった言い方…何かあったのか?」

「ああ、二つ。良い事と悪い事だ。どっちから聞く?」

「悪い方から聞こう」

「悪い方からだな。どうもな、捕まったのはなるちゃんだけじゃないらしい」

「なに?」

「成瀬川一家…家族全員が拉致られたらしい」

「―――――ッ!!」

 

 拳を握りしめ、歯を食いしばって激情を抑えつける景太郎。その激情を発するのは今ではない、もっと後だ…と、半ば自己暗示のように己に言い聞かせながら。

 

「………………それで、良い方はなんだ」

「その成瀬川一家…当然なるちゃんも含めて、ある人物達の手によって逃げ出したらしい」

「逃げ出しただと?」

「その所為でだいぶ慌てているらしくてな、少し前まで情報がだだ漏れだったんだ」

「誰が……成瀬川達を逃がしたんだ」

「乙姫ん所の長女と……お前の母親だ」

「―――――ッ!」

 

 驚きに目を大きく広げる景太郎。だがそれも一瞬、直ぐに元に…いや、それすら通り過ぎて無表情となる。その胸の内ではどんな感情が渦巻いているのか、何も写さぬ表情からは何も判らない。

 

「ま、何はともあれ最悪よりはいくらかましって事だな。んで、今どこにいるんだ? 逃げたのは良いがまた捕まりでもされたら面倒だぞ」

「確かにね。せっかく逃げ出してくれたんだから、なんとしてでも助けたいわね」

 

 押し黙ってしまった景太郎に代わり、話を続ける和麻と綾乃。

 確かに、二人の言っていることはもっともだ。また捕まりでもすれば、今度は間違いなく厳重な警備の元、監禁されるだろう。そうなれば助けることは難しくなる。それに、浦島が焦って何かリアクションをとり、なるに万が一の事があれば、悔やんでも悔やみきれない。

 だが―――――

 

「期待しているとこ悪いが、そこから先はさっぱりだ。どうやって逃げ出したのかすら分からないんだ。唯一判っていることと言えば、なるちゃん達が逃げ出したのが判明した直後から、浦島の分家や神鳴流が京都各地の池とかを見張っている事ぐらいなんだ」

「池? 一体何考えて池なんかを……」

 

「以前、ひなたの婆から一度だけ聞いたことがある。屋敷の地下に、宗家の者のみが知る非常脱出口がある……と」

 

 綾乃の疑問に、景太郎が額に手を当て思案しながら答える。十年以上前の記憶を……〈浦島 景太郎〉だった頃の掘り返しているのだろう。

 

「それと池がなんの関係があるのよ」

「その脱出路は、地下水脈を使っている……らしいんです」

「なるほど、それで池ってわけか。それで、どこに出るんだ?」

「判りません。地下水脈は無数の枝分かれしています。それこそ、京都の外にまで……だから、どこに出るかまでは本人達次第なんです。でも、一般人を四人連れている以上、九割以上の確率で京都内の何処かに現れるはずです」

 

 もたらされた少ない情報からかなり高確率の答えを導き出す景太郎。偶然にも…いや、ある意味当然と言うべきか…浦島宗主と同じ結論に至っていた。

 

「ちっとばかり面倒なことになったな……」

 

 面倒事はゴメンだといわんばかりに頭を掻く和麻。

 

 

 

日は大きく傾き……京都を赤く染めようとしていた。

 

 

 

まるで―――――これから先の騒動の末を予言しているかのように…………

 

 

 

 

―――――その2へ―――――

 

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