「どうなの?」
「やはり警戒されているようです。神鳴流の方が五人……『位』は判りませんが、まさかこんなに早く配下を配置するなんて、流石『神鳴流』…そして元舟さんですね」
頃合いは夕刻。気づかれてさほど時間が経ったとは思えない。だが、目の前には神鳴流の者が五人は位置されている。どの池に出るかも判らず、かなり遠い位置にまで移動したのにこの人数だ。
何時如何なる状況においても、相手を過小評価せず、万全の配置を施す。それをこの短時間に行えるその裁量。味方の時は限りなく頼もしいが、敵にすればこれ以上なくやり難い相手だ。
「叔母様。もう暫くこのまま待機して様子を見ますか? それとも別の池に……」
「いえ、強行突破をしましょう。一晩ここにいたとしても気を緩めて手を抜く神鳴流じゃないわ。それに、むつみちゃんにこれ以上の負担は強いられないわ」
「叔母様、私は……」
「無理をしては駄目よ。この結界を維持し、みんなをここまで連れてくるだけ重労働なのだから。貴女はもう限界のはずよ」
「大丈夫です。私はまだ―――――」
「一緒に結界の維持をしてきた私が良く知っているわ、これ以上は無理よ。それに、万が一この状態で結界が壊れたら、水の精霊の加護がある私達はともかく、成瀬川の皆さんは水中で放り出されてしまうのよ。だから、限界に達する前に……むつみちゃんが余力がある内に強行突破しましょう」
「あの……むつみさん、体が悪いんですか?」
むつみを非常に心配する茜の様子に、なるが失礼を承知で話しかける。地底湖に入る前も似たような事を話していたので、よけいに気になっているのだ。
「むつみちゃんはね、生まれつき病弱なの。だから、長時間に渡る術の行使は相当身体に堪えるの。下手をすれば命の危険すら……」
「むつみさん。そんな身体で私達を……」
「いいのよ、なるさん。言ったでしょう、私が貴女を護る…と。私がこうすると決めたんですから、なるさんが気にやむ必要はありませんよ。それに、私は一片たりとも後悔していません」
心配そうに見る皆に対し、むつみは額に汗を流しつつもにっこりと微笑み返した。
「でもむつみちゃん、これ以上移動は無理よ。それに、時間が経てばそれだけ包囲されて逃げにくくなるわ」
「そうですね、叔母様……なら、私も覚悟を決めます。一気に行きましょう」
「ええ。そう言うわけだから、皆さんの事はできうる限り護ります。すみませんが……」
「茜様、むつみ様。私達の事はお気になさらずに。家族は私が護ります」
一家の長として宣言する一斗に茜とむつみは共に微笑んだ後、表情を一変させて水面を見上げる。
「では―――――行きますっ!」
むつみの宣言と共に皆を囲む結界が急浮上し―――――大きな水柱を上げながら池から飛び出した!!
「水柱?!」
「な、何事だ!?」
突如吹き上がった水柱に驚く神鳴流の戦士達。池を見張れと上層部から言われたが、その意味合いまで知らされていなかったのだ。
突然の出来事に固まる神鳴流戦士達。そんな彼らに水柱と共に発生した大津波が押し流そうと襲いかかるが、寸前で上空へと跳び上がり、三人が危なげながら…残る二人が余裕をもって避け、波は周囲の木々ヲなぎ倒し、岩を砕いて消える。
「かわされた!?」
「将位が三名、仙位が二名…今ので将位は排除できると思ったけど、考えが甘かったわ」
引く波と共に池の側に現れる茜達。茜とすれば不意打ちの水術…今の波でけりをつけたかったのだが、そこまで神鳴流の戦士は甘くはないようだ。
「むつみちゃん、援軍を呼ばれる前に一気に片を付けるわ」
「はい」
二人の水術師の呼びかけに応え、池の水が舞い上がり成瀬川一家を含めた自分達の周囲に旋回する。攻撃と防御のどちらでも対応できるように水を操る茜とむつみ。
しかし、その二人の意志とは裏腹に、神鳴流の戦士の五人の内一人が一歩前に出て膝を着いた。
「【神鳴流 仙位 間納 吉安】と申します。奥方様、むつみ様、もう御止め下さい。宗主の意向は絶対、それに背くことは浦島に対する反逆行為。その意味と重みが解らぬお二人ではあられぬ筈。どうか、このまま我らに投降していただけませぬか?」
「できません」
「奥方様!」
「私は自分が行っている行為がどういうことか、『意味』も『重み』も十二分に理解しています。それをふまえ…私は成瀬川の方々を助けるという意志を曲げるつもりは一切ありません」
「どうあっても投降しては頂けませぬか……では、致し方ありません。武力行使もやむを得ず…との命令も受けております」
立ち上がり、腰に帯びている太刀を抜く間納。残りの四人の内、槍を持った男がその横に並び、その後ろに青い弓を持った青年が回、そして残る二人の若者が最後尾に立ち、それぞれ刀と翠の弓を構える。
当然、それぞれが得意な属性の氣を纏い、いつでも戦闘できる状態だ。
「久瀬、不知火! 狼煙を上げよ」
「「はっ!」」
間納が叫ぶと最後尾の二人が即座に反応、空に向かって刀と弓を構える。
「いけない!」
神鳴流五人でさえ厄介なのに、援軍など呼ばれれば逃げ出すことすらできなくなる。むつみは慌てて攻撃しようとするが、
「させぬっ!」
すかさず切り落としの一撃を繰り出す間納。むつみは攻撃用にと集めていた水を手元に収束、棒状に形成してその一撃を受け止めた。
茜はすぐさま攻撃しようとしたが、むつみが不必要なまでに辺り一帯の水の精霊と感応しているため攻撃できるだけの精霊がすぐには集まらない。そして…それが致命的な遅れとなった。
「行くぞ不知火―――――奥義 滝牙剣!」
振るわれた刀より水氣の弾丸が空に向かって放たれる。そして―――――
「五行相応――――秘弓 雷鳴閃!!」
続いて放たれた矢が水氣の弾丸に接触、凄まじい雷を撒き散らしながら天を射抜けといわんばかりに上昇する!
「しまった!」
天高く昇る雷。雷は数瞬で消えたが、霊視力のある者は雷氣の残滓がはっきりと見えているだろう。
「もはや逃げ道は無し―――――諦めて降伏なされよ」
「何度言われようと、その気はありません」
「仕方ない…一気に倒すぞ。術を行使する隙を与えるな!」
間納の言葉に後の四人が一気に襲いかかる。だが、茜の方が早かった。
「動かないで、むつみちゃん―――――爆流洪!!」
胸の前に合わせる両手の間に生ずる小さな水球。
その次の瞬間、水が爆発したように膨れ上がり、洪水の如き怒濤の勢いでむつみを含めた神鳴流戦士達に襲いかかる!
「チッ!」
間納は剣を引き跳び上がって洪水を避ける。後続の者達も同じだ。二度目となる術が通用するほど神鳴流の戦士は甘くない。
そして―――――それは茜とて同じ事。無意味に同じ術を使いはしない。跳び上がった神鳴流の者達に両手をかざす!
「舞い上がり、飲み込め!!」
「なにっ!?」
茜の言葉通り水が跳ね上がると神鳴流戦士達を飲み込み押し流す。
いかな神鳴流戦士といえど、将位や仙位程度が一流の水術師が操る圧倒的な水量に飲み込まれては為す術もない。
「すみません、叔母様。私が未熟なばかりに……」
「そんなことよりも、今は逃げることが優先よ」
謝るむつみに茜はそう言うと成瀬川一家を促し、即座に駆け出す。しかし、
「逃がすかっ!」
一番後尾にいた久瀬と呼ばれた青年が、刀を振り上げながら襲いかかる。最後尾にいたために飲み込まれるまでの僅かな時間で水氣を纏うことができ、同じく流されつつも体勢を立て直すのが早かったのだ。
「ハァッ!」
掌に氣を集めつつ、地を滑るように駆ける久瀬。狙いは成瀬川一家…なるだ。一人でも気絶させれば足手まといとなり、逃走は難しくなるからだ。
(済まない…許せっ!)
手加減した掌打をなるに繰り出す久瀬。だが、その掌打をむつみが水の棒で受け止める。
「チッ!」
失敗に舌打ちしながら後方に跳び下がろうとする―――――が、
「はっ!」
「しまっ―――――」
突き出された水の棒が伸び、久瀬の鳩尾を衝いて気絶させた。
「済みません」
むつみは地に伏せる久世に誤り、視線を茜達に向け……ようとしたその時、翠の弓を持った神鳴流の一人が翠色に光る矢を番えている姿が目に入った。
「秘弓 百花閃!」
「させません!!」
再度、水の棒を振るって矢を叩き落とすむつみ。だが、落ちて地面に刺さった矢から大量の花弁が舞い上がり、むつみの…ひいては茜達の視界を封じてしまう。
「しまった、これが狙いだったのね!?」
本来の『百花』系は数多の花弁で敵を切り裂く技なのだが、あえて威力を落とし、代わりに花弁を増やして視界を奪ったのだ。
茜はすぐさま水の竜巻で花弁を散らすが、もうすでに間納と槍を持った男がかなり間合いを詰めてきていた。
「速い!」
茜は花弁を散らした水を集める複数の球状にすると、走り寄る神鳴流の戦士二名に向かって放つ。だが、間納達は走るスピードを些かも緩めることなくそれら全てを最小限で避ける。
「相手を殺さず征するその闘い方は誠に感服する。だが、殺さないように手加減した攻撃でやられるほど我らは甘くない!!」
「クッ!」
茜は咄嗟に水の障壁を作るが、
「フッ……奥義 斬岩剣!!」
槍使いが鼻で笑いながら、地氣を纏う刃が水の障壁を斬り裂く。先の攻撃で保持していた水の精霊を大半使ってしまったため、攻撃を防ぐに十分な量が足りなかったのだ。
「これで終わりです」
間納が刀の切っ先を茜の喉元に突きつける―――――矢先、突如発生した衝撃波らしきものに間納達が揃って吹き飛ばされる。
「大丈夫ですか!?」
吹き飛ばされた間納達を受け止める弓を持った青年達。結構重いダメージだったのか、間納達は痛みに呻く。
「水術じゃない。一体何が………ひっ!」
引きつったような悲鳴を上げる青年。もう一人の青年がそれを叱責しようとしたが、正面―――――茜達の方から飛んできた岩石が衝突し、吹き飛ぶ仲間達を視界に入れつつ意識を失った。
「ハァァ………」
「「お…お父さん?」」
「あなた……」
肺に溜めていた空気を絞り出すように大きく息を吐いている一斗。そして、その一斗を呆然と見ている成瀬川一家。
大きく息を吸ったと思ったら、神鳴流の戦士二名に向かって手を翳した。すると神鳴流戦士二名は車にでも撥ねられたように弾き飛ばされた。そして今度は離れた所にある岩に手を翳した途端、その岩が独りでに浮かび上がり、四名の神鳴流戦士に衝突したのだ。
いきなりの出来事に最初は呆然としたが、すぐに今の行為を行ったのが身内である一斗であると察した。そんな視線を一斗も感じたのだろう、家族に向かって微笑み返した。
「そう驚くことはない。言っただろう? 『成瀬川』には【龍神】の血が流れていると。そのおかげで、多少の神通力も使えるんだ」
「神通力って……念動力ってやつ?」
「西洋風に言えばそうなるな。まぁ、必死にやってあれぐらいしかできんがな」
はっはっはっ…と笑う一斗。まるでなんでもないような言い方だが、なる達からすれば父(夫)が超能力者ということは十分驚愕すべき事だ。
「あれが一斗さんの神通力なのですね。大した力です」
「浦島の水術に比べれば粗末なものです」
一斗の言葉に嘘偽りはない。一般人からすれば大した能力だが、浦島辺りになると攻撃力では分家にすら劣るのだ。故に、一斗は岩を使って相手を倒すという、荒技をやらざるをえなかったのだ。
「それよりも茜様、急ぎましょう。先の合図で神鳴流の者達がこちらに向かっているはずです」
「そうね」
茜と一斗、そしてむつみは頷き合うとその場から走り去る。
そして、そんな茜達を殺意を込めた目で見る一人の神鳴流の戦士。その手に持つ槍を杖代わりにふらつく身体を起きあがらせ、槍を強く握りしめる。
「糞……がっ……よくも………」
許せなかった。幼き頃から修行し、同期の中で天才と呼ばれ只一人『仙位』を戴いた。青山 鶴子を初めとする化け物達はともかく、自分は上に立つ存在。つまらない石ころ如きに躓き、無様に倒れて良い存在ではないのだ。
ではどうするのか―――――躓いた意志を排除する。あまりにも短絡過ぎる思考に突き動かされ、青年は震える腕で槍を大きく振りかぶった。
「くたばれぇっ!!」
自分を無様に倒した一斗に向かって槍が投げ放たれる。
はずだったが、先のダメージが予想以上に重かったのか、大きく手元が狂い、あろう事かなるに向かって突き進む!
「なるさんッ!」
むつみは即座に水で槍を叩き落とそうとしたが、その途端、急激な眩暈を感じて地面に倒れた!
(こ、こんな時に!!)
起きあがることすらままならないほどの眩暈に集中力が崩れ、水の精霊が散ってしまう。むつみは我が身を盾にしてでも護ろうと、立ち上がろうと足掻くがそれすらもできない。
(私は…私はまた………景くん………)
完全に倒れ伏し、気を失うむつみ。
「なるっ!」
一斗が手を伸ばし、なるを突き飛ばそうとするが数瞬間に合わない。
投擲された槍がなるに到達するまでの僅かな時間……その場にいた皆の目にはゆっくりと、見せつけるように時間が引き延ばされたような、絶望的な錯覚を受けた。
―――――その時、
「なるちゃん!」
「えっ………」
声と共に横手から突き飛ばされるなる。驚いてそちらを向くと、そこには自分に向かって両手を突き出した茜が居た。
「茜さ―――――」
ドブッ……
なるを突き飛ばした茜。入れ替わるようにそこに居た茜に、槍は無情にも腹部に突き刺さった。
「あ、茜さん?」
目の前の光景が信じられず、呆然とした表情と虚ろな瞳で倒れゆく茜を視線で追うなる。茜が地面に倒れる寸前で父である一斗が抱き止め、静かに横たえる様子が、何処か遠い出来事のように感じていた。
「茜様! 茜さ―――――クッ!(これではもう……)」
槍が突き刺さった箇所を中心に、急速に紅く染まる衣服。それを見て傷が致命的だと悟る一斗。鎮鳴とメイも慌てて駆けつけるが、あまりの出血に思わず目を背けてしまう。それほどに酷いのだ。
「あ、あなた、抜いた方が……」
「駄目だ、引き抜けば逆に血が吹き出てしまう」
手の施しようがない。後は茜の死を見守るだけ……そんな現実に、一斗は悔しさに食いしばった歯が唇を破り血を流す。そんな中、
「は、ははは……逆らうからそうなるんだ。上層部から目標である『成瀬川 なる』以外の殺傷は出ているんだ。ははは……ははははははっ!」
狂ったように笑う青年。いかに殺傷許可が出ていようと、宗主の妻を殺せば只で済むはずがない。それすら気がつくことなく、己のプライドを保ったことにのみ喜悦を感じていた。
それ故に…この男は言ってはならない事を言ってしまった。
「私以外……私の所為で……茜さんが………」
「なる、それは違う!」
「私の所為で…私の所為で……………」
父の否定の言葉も届かず、自己嫌悪するように何度もそう呟くなる。
だがその言葉も次第に小さくなり、代わりに表情から感情が抜け落ちてゆく。そして、虚ろな瞳で狂ったように笑う青年を見る。
「なんだその顔は………」
「私の所為で……誰かが死ぬ………茜さんも……お姉ちゃんも………」
「なる、なぜそれを!」
記憶を封印したはずの姉・響子の事ならともかく、響子の死によって得た金で治った病気を示唆するような言葉に一斗が驚愕する。そして同時に、自分の中にある何かが妙にざわめいている事に気が付く。
(この感触は以前………まさかっ!!)
「なる、お前は―――――」
「私の所為で……所為で………なら、消しちゃえばいい……私に害なす存在を……全部!」
カッと開かれる双眸。その眼の瞳孔はまるで爬虫類のように縦に裂け、虹彩が神々しくも禍々しい紅き色と化していた。
その人ならざる瞳を直視した青年は恥も外聞もなく悲鳴を上げる。自分の想像など遙かに超えた『龍神』の末裔が持つその瞳に!
「なんだ、なんなんだその目はっ!」
取り乱し、腰を抜かしたように地面に座ったまま後ずさる青年。だが、その目はなるの眼からはずしていない。いや、外せない。外すという意志すらもうもてないのだ。
「まさかそれは【龍眼】!? 止めろなる、それを使うんじゃない!!」
なるの眼を見て慌てて止めようとする一斗。だが時はすでに遅く―――――
「苦しんで……死ね」
「―――――ッ!!」
断罪するかの様になるが呟き、直後、青年が声なき絶叫を上げ地面をのたうち回り……すぐに動かなくなった。
胸が動いていることから生きてはいるだろう………魂が砕け散った後でも、そう言えるのであれば。
「ハハ……アハハハハハッ!」
感情無き表情で嗤う。人に有らざるその瞳で紅く染まってゆく空を見上げ、高らかに……世の中の全てを嘲笑うかのように。
「しっかりしろ、なるっ!」
―――――パンッ!!
一斗の叫びと共に鳴り響く乾いた音。一斗がなるの頬を叩いたのだ。
「…………え? お…父さん? あれ?」
頬を叩かれたショックで正気に戻るなる。表情に感情の色が戻り、瞳も元の黒目に戻った。
「わ、私……今なにを………」
「今は気にするな。後で説明をする。それよりも茜様を……」
「そ、そうだ、茜さん!」
慌てて茜の元に駆け寄るなる。
「お……お義母さん、メイちゃん。茜さんは……」
力無く首を横に振る鎮鳴と、俯いて静かに泣くメイ。まだ茜は生きてはいるが……それも時間の問題。その顔に死の影が色濃く写っていた。
「なにやってるのよ、早く救急車を呼びなさいよ」
「浦島の手が回っているだろうが、仕方がないことだな」
言われるまでもなく、そうすべきかどうか苦悩していた一斗だが、娘の一言で決心が付いたのか携帯電話を取り出して119番を押す―――――その矢先、小さな声が彼の指を止めた。
「駄目よ……一斗さん。呼んでは駄目……捕まって…しまう」
「駄目です、喋らないで下さい!」
息も絶え絶えに呼ぶなという茜に、鎮鳴が喋るのを止めさせようとするがまったく聞かず、言葉を続ける。
「私はもう駄目だから…私を置いて、先に行って……ひなた荘に……あの子の元に……」
「お気を確かに、茜様。あなたもご一緒です。共に、景太郎君の元へ行きましょう」
「…………」
一斗の言葉に柔らかな笑みを浮かべる茜。だが、それも一瞬。小さく首を横に振った。
「自分のことは…自分がよく解っています。もう…私も長くはない……お願い、早く行って……私のした事を……無駄にしないで……家族のためにも……あの子のためにも……」
「茜様……」
茜の強い意志を秘めた眼に何も言えなくなる一斗。もしここでまた浦島に捕まれば、茜のやったことは全て無駄になってしまう。まさに、犬死になのだ。
現に、遠くの方から複数の足音やら車の音も聞こえる。神鳴流の者や浦島の術師がここへと向かっているのだろう。
「茜様……済みませぬ」
「いいのよ……むつみちゃんのこと、お願いね」
「はい。なる、鎮鳴、メイ。むつみ様は私が背負う、早くここから離れるぞ」
「そんなの嫌! 茜さんも一緒に行きましょうよ! きっと景太郎だって会いたいはずよ! だから―――――」
「ふ……ふふふ……ありがとう、なるさん」
断固として茜を見捨てることを拒否するなる。鎮鳴とメイも一緒だ。だが……現実はかくも無情。遠くの方から声が聞こえ始めていた。もう、時間はない。
「茜様のことを思うなら、今ここで捕まるわけにはいかないんだ。解ってくれ」
「でも!」
「なる! お前は茜様がやったことを無駄に…犬死にさせたいのか!!」
一斗の言葉に息を飲むなる達。言いたくはない、だが、なるを説得するためには言わざるをえない言葉に、誰よりも一斗の心が痛む。
「あっちで声がしたぞ!」
「しまった! 早く行くぞ!」
説得するためとはいえ、怒鳴ったことを自責しながら一斗はむつみを背負う。
「茜様」
「早く……行って」
「感謝……いたします」
弱々しくも微笑む茜に一斗達は泣きそうな表情で一礼すると、声が聞こえた方とは反対の方向に向いた。
―――――その直後―――――
『ぐぁぁぁぁっ!!!』
声が聞こえた方から聞こえた複数の叫び声…まるで断末魔の絶叫…に、思わず足を止めた。
「な、なんなの? 今度はなにが起こったの?!」
突如起こった不可思議な…不気味な出来事になるが怯えたようにすくみ上がってそう言う。その時、なる達の目の前に上空から凄い勢いで何かが降ってきた。
その突如降って下りた何かが地面に衝突すると思われた瞬間、その何かは地面と反発するかのように一メートルほど手前でフワリと急制止し、そのまま軽やかに地面に降り立った。
「誰だっ!?」
「成瀬川って言うのは、あんた達か?」
一斗の誰何の声を無視し、空から現れた青年はその場の全員を見回しながら不躾に問いかける。そんな青年の態度と言葉になるが食ってかかろうとしたが、それよりも先にむつみを妻に預けた一斗が、家族を庇うように前に進み出る。
「私達になんのようだ!」
神通力を発動させつつ問いかける一斗。そんな一斗の威嚇にも青年は眉一つ動かすことなく、けだるげな表情で取り出した煙草に火をつける。
「ああ、気にすんな。ただ確かめただけだから」
「確かめだと!?」
「あ~~…事情を説明すんのも面倒くせぇ。もうすぐ来るからあいつから事情を聞いてくれ」
「あいつ?」
「そう、あいつ」
青年が軽く顎で一斗達の背後を差す。その直後、そちらから馬の嘶きが聞こえ、一斗達が振り向くと同時に遠くで白い閃光が一瞬発生した。
そしてその数秒後、近くの建物の角から眩いほど真っ白な毛並みの馬と、それに乗る景太郎の姿が現れた。
「け、景太郎!!」
嬉しそうに景太郎の名を呼ぶなる。その心に今朝まであった蟠りはない。ただ純粋に景太郎が助けに来てくれたことが嬉しかった。もし自分なら、あんな事を言われたら嫌いになって助けになど来ない…そう考えていたから尚更だ。白馬に乗って現れるというベタな展開を通り越して滑稽な姿すら格好良く見えるほどに。
皆の視線が集まる中、景太郎は白い馬の背から下りると空から落ちてきた青年に軽く頭を下げる。
「遅くなってすみません和麻さん。お手数をかけさせたようで……」
「気にすんな、意外に早かったぞ。それに、手間って程の相手じゃなかったからな」
「そうですか」
事も無げにそう言う和麻に微笑する景太郎。相手が神鳴流戦士複数でありながら一瞬で…それも片手間程度で倒す和麻の実力は凄まじいの一言につきる。
そんな景太郎に、
「景太郎! そんなことより茜さんが―――――あんたのお母さんが大変よ!」
「―――――ッ!」
なるが苛立ったように叫び、景太郎は驚いたように目をみはり、成瀬川一家に囲まれている茜の元へと駆け寄る!
「母さん!」
「け……い…たろう?」
「ああ、そうだよ。母さんの……息子の景太郎だよ」
かすれた声で自分を呼ぶ茜に、景太郎は全ての感情を心の底へと押し込んで母を安心させるように微笑む。
「ああ……おおき…くなった…わね」
「ゴメン、母さん。槍を引き抜くから我慢してくれ!」
そう言うや否や、景太郎は茜に突き刺さっていた槍を引き抜くと、傷口に手を当てて氣功による治癒術を施す。
「これはっ!」
「なんて強い光……」
霊視力のある一斗となるが景太郎の翳した手より篭もれ出る氣の光に驚き、目を奪われる。そして和麻もその治癒光を眺めていた。
(流石だな…本来、氣による治癒術は目に見えて効果が高いもんじゃない。それなのに即座に傷口をふさぐか…ずば抜けた氣の許容量と操作法、それと独自の術式を開発した景太郎ならではだな)
景太郎の氣功術に内心舌を巻く和麻。自分も氣を一流以上に扱えるが故に、景太郎の強さが解るのだ。だが……目に見えて効果が上がっているにもかかわらず和麻の表情は晴れない。むしろ、その瞳には沈痛な色があった。
(だが……もう遅い。あいつの力が強くても、あの状態から命を死の淵から引き上げるのは不可能。死を少しだけ先延ばしにするのがせいぜいだ)
まるで底の抜けた桶のように、氣を注ぎ込んだ矢先から抜けていく様を視つつ、和麻はそう呟いた。
「もう……もういいのよ、景太郎」
「今は喋らないで。もうすぐ転移できる仲間が来る。そうしたら医者の所へ連れて行くから」
必死に治癒を続ける景太郎に、茜は右手をそっと持ち上げ息子の頬に触れる。
「大きく……なったわね」
茜は息子の成長した姿に嬉しそうな顔をする。そして…すぐに泣きそうな顔になって、景太郎の頬をなでた。
「景太郎……ごめんね……」
「もうすぐだから喋らないで。母さんが謝る事なんて何も無いから」
「………護って…あげられなくて…ごめんね……」
茜の目元に涙が溜まり、一つ、また一つと零れ落ちる。そんな茜に、景太郎はそっと首を振った。
「そんなことはない。ちゃんと解っているから。母さんがいつも俺に気をかけていてくれたことを……それが解っていたからこそ、俺はあそこで笑っていられた。あの時、俺は響子と母さんに救われていたんだ」
「でも…その私達が、貴方から響子ちゃんを奪った……」
「………………」
景太郎は茜の言葉に何も言えない。事実だからこそ、言うべき言葉が見つからない。
「景太郎―――――」
「やめとけ」
沈痛な表情をする景太郎になるが声を掛けようとするが、和麻がそれを止めさせる。
「もう、お前らが立ち入るべきじゃない」
和麻の言葉になるは何も言えず引き下がる。なるも悟っているのだろう。茜の命がもう尽きかけていると云うことに……
「景太郎……」
「なんだい? 母さん」
力が抜けて下にさがる茜の手を片手で握りしめつつ問い返す景太郎。もう片方の手では今まで以上に治癒の光が輝いている。
景太郎も気が付いているのだろう。せめて茜を悲しませまいと、優しく微笑みかける。
「怨まないで……とは言わない……許して…とも言わない…言う資格はないって…解ってるから……でも……憎しみにだけ囚われないで……」
「母さん……」
それは、景太郎が神凪に来てから……否、浦島を追放されてから今までの人生の根底を覆す言葉だった。自分はただ、響子を奪った連中への復讐心で生きてきたのだ。それが、単純に『殺す』から『嬲る』に変わっていたりもするが、〈浦島 ひなた〉を初めとする浦島の上層部連中を許すつもりは全くない。一目でも見た瞬間、周囲を消滅させてでも殺す。それほどの覚悟と意志があった。
到底、母の言葉でも簡単に承服できるものではない。
そのことを、茜もまた景太郎の様子から理解していた。それでも……言わずにはいられなかったのだ。絶縁したとはいえ、身内が憎しみあうなど悲しすぎるから……
「景太郎……幸せに…なりなさい」
「母さん?」
「きっと…響子ちゃんも願っている……はずよ………」
徐々に暗くなってゆく視界。でも、完全に暗くなっても成長した景太郎の姿ははっきりと見えた。それがたとえ、目に焼き付いただけの姿でも、茜には十分すぎるものだった。
(水の精霊王様……心より深く感謝いたします。このような愚かな女に、成長した息子と一目会わせてくれた事に……そして火の精霊王、この子に加護を…この子の炎が、未来を明るく照らしてくれるように……)
祈りにも似た想いと共に、光写さぬ瞳で景太郎を見つめながら微笑みかける茜。
景太郎も、自分の目から流れる涙に気が付かず、母に微笑み返す。
そして茜は、幸せそうに微笑んだままゆっくりと瞼を閉じ……………逝った。
―――――二十一灯に続く―――――
あとがき………
どうも、ケインです。茜さん……景太郎に看取られながら逝きました。
成瀬川一家は景太郎と合流いたしましたが……辛い再会となりました。
次は、浦島襲撃……前夜です。浦島と景太郎達の前準備です。これが過ぎれば……戦闘一色となります。
かなり長いですけど……よろしければ、お付き合いの程をお願いいたします。
それはそうと……風の聖痕・六巻がもうすぐ発売されますね。
何でも水術師(らしき者)が出るらしいですね……このSSとの設定が大きく違っていたらどうしましょう。本当に悩んでいます。実は水のある所じゃないと水術が使えないとか……まぁ、たぶん大丈夫でしょうけど。
もし大幅に違っていた場合、水術師関連の話はこのSSだけの設定と言うことで勘弁してください。お願いします。
それでは、風の聖痕の新刊の内容をはらはらと期待しつつ……ケインでした。