ラブひな IF 〈白夜の降魔〉
第二十一灯 「決戦前夜―――――決意」
「もっとスピードは出ないの!!」
「もう十分とばしてるよ」
いきり立つ綾乃に、スピードメーターを指差しつつそう答える灰谷。ただ今、灰谷が用意した大型のバンに全員が乗車し、景太郎の後を追っている最中だ。
大型とはいえ一つの車の中に十一人(ひなた荘メンバー四人に、はるかと瀬田、サラ、綾乃に煉、そして運転している灰谷と助手席に座っている白井)も乗っているのだ。いかに大人数を想定して作ってある車でもそうそうスピードが出せるわけない。それでも、スピードメーターは百キロを超えており、限界ギリギリまでとばしているのだ。
その割には車が揺れていないのだが、それはひとえに灰谷の卓越した運転技術故だ。何でも知り合いから『最速送迎理論』を学んだから…らしい。まぁ、それは本当にどうでもいいことだ。
「だからボクが運転するって言ったのに……」
「お前は黙って座っていろ!」
「パパは黙ってて!!」
はるかとサラのコンビにやりこめられる瀬田。最初は瀬田が運転しようとしたのだが、このコンビの活躍によって運良く阻止されたのだ。
もし、瀬田が運転していれば目的地には早く着いたかも知れないが、搭乗員達の精神はお花畑に出かけていただろう。
それもこれも、はるかと預け先がないゆえに連れてきたサラのおかげだ。
「まったく……和麻はいきなり跳んで行くし、景太郎は〈フレイ〉を召還してさっさと行っちゃうし。どっちでも良いから連れてけって言うのよ」
スピードメーターを見て本当に急いでいることを理解したのか、座席に座り直しつつブツブツ文句を呟く綾乃。二人に揃って置いて行かれたことにへそを曲げているのだ。
「でも、八神さんがいきなり空を飛んだことも驚きましたけど、神凪先輩の影から白い馬が現れたのにはびっくりしました……」
「ほんまにな。景太郎の奴が非常識なんはわかっとったけど、正直あれにはうちもびっくりしたで。それにしても、こん車も結構とばしとるのに、いっこうに追いつかんのはなんでや?」
しのぶの言葉に同意しつつ、疑問を口にするキツネ。確かに初動は景太郎の方が早かったが、この車も追いつくために百キロ以上のスピードを出している。それなのに、後ろ姿がまったく見えてこないのだ。
「馬の足は速いのは承知していますが、それでもまったく見えてこないと言うのはおかしいですね。もしや追い越してしまったのでは?」
「ああ、それはないよ」
キツネの言葉に同意する素子に、灰谷が運転しながら否定する。
「あの白い馬…〈フレイ〉っていう名前の景太郎の使い魔なんだけど、元は馬の聖獣なんでね、普通の馬と一緒の考えをしちゃいけないよ。走るスピードも持久力も桁違いさね」
景太郎の使い魔の説明をする灰谷。バックミラーで皆の驚く顔を見てカラカラと笑っている。こうやって情報を与えて吃驚するさまが何より大好きなのだ。
「なるほど…これが瀬田の言っていた『四匹の使い魔』の内の一体か。他に何を飼っている?」
「さぁて……なんだったかな?」
はるかの質問(鋭い眼光付き)をはぐらかす灰谷。今は味方とはいえ、本来は敵方である『浦島』なのだ。はるかの意志はともかく、いつ裏切るかわからないのに教えるつもりはさらさらない。残りの使い魔を知っている綾乃や煉も、はるかから顔を背けており、答える気がないのは明白だった。
「やれやれ…ここまで来ても信用はないか。まぁ、仕方が無いがな」
「これからの行動で示せばいいじゃないか、はるか」
嘆息するはるかを慰める瀬田。彼は第三者的な立場だが、位置的にはははるかより。まったくではないにせよ、完全に信用されていないのは彼も同様。ゆえに、今の言葉ははるかを通して皆に理解してもらうという宣言でもあった。
―――――その時!
「―――――ッ!?」
突如、綾乃がハッとして頭を上げる。その隣にいた煉も同時に頭を上げ、綾乃と顔を見合わせる。
「姉様、これは!」
「景太郎…ね」
「綾乃殿に煉、一体どうしたのだ? 神凪がどうかしたのか?」
二人のおかしな態度と言葉に思わず質問する素子。だが……
「精霊が猛っている……憤怒? わからない……色々な感情が入り乱れてる?」
「一体何が…景兄様は………」
二人ともまったく答えることなく…いや、素子の質問が聞こえていないのだろう。遠くの何かを感じようと目を瞑って精神を集中させていた。
「おい瀬田、お前は何か感じるか?」
「………遠くに何か強い力を感じる。けど、直接地面に触れているわけじゃないからね、二人ほどに明確には感じないよ。おそらく、二人とも炎術師だから、炎の精霊を通じて何かを感じているんだろうね」
「そうだな……」
属性は違えど同じ精霊魔術師。瀬田の説明にはるかは納得したように頷いた。
「なんや、どう言うことなんやはるかさん」
「……目的地まで後少しということだ」
言葉を濁してそれだけを答えるはるか。そんなはるか達の態度に、キツネ達は何とも言えない嫌な感じを受けたのだろう、顔を見合わせるとなる達の無事を祈った。
そして………程なくして目的地に着くことができた。
「よっし到着。おまちどおさまお客さん」
軽口を言う灰谷を無視し、車から飛び出すように出る一行。
そしてすぐに前に、先に飛んでいった和麻となる、そしてその家族と思わしき人達が居ることに気がついた。
「なる! 無事やったか」
「なる先輩!」
キツネ達はなるに駆け寄り無事を確かめると無事を喜んで抱きつく。皆も口々に良かったという中、なるは沈痛な顔で視線を別の方向に向けた。
皆もそちらに視線を向けると…そこには地面に両膝を付き、誰かを抱き抱える景太郎の後ろ姿があった。
「神凪先輩?」
《動くな》
誰かを抱き抱えたままピクリとも動かない景太郎に、しのぶがそばへ寄ろうとしたその時、頭に直接響く声がしのぶの動きを止めた。そして、白い馬…景太郎の使い魔〈フレイ〉がしのぶの行く手を遮る。
《今の主に近づくな》
「え?!?」
念話…と呼ばれる思念の会話に戸惑うしのぶ。それは同じく話しかけられた皆も同じだ。例外なのは、それを知っていた神凪メンバーぐらいだ。
もっとも、綾乃や煉、和麻は言われるまでもなく景太郎から一定の範囲まで離れていた。それはサラを抱えた瀬田、はるかも同じだ。ただし、後者は表情がこれ以上なく強張り、サラに不思議そうな顔で見られていた。
瀬田とはるかが強張るのも無理がないだろう。今、景太郎の周囲では凄まじい数の炎の精霊が景太郎の高ぶる感情に惹かれて集まり、その激情に触発されていつ顕現してもおかしくないほどに猛っていたのだ。
その精霊自体は感じずとも、その力を感じることのできる和麻、瀬田、はるかの三人には目の前に太陽が現れたにも等しい圧力を感じているだろう。
綾乃や煉も、炎術師であるが故に精霊越しに景太郎の感情の片鱗に触れ、和麻達とは別の意味で圧力を感じていた。
「和麻……これは一体……」
「どうもしねぇよ」
成瀬川一家の傍にいる和麻に近づき、問いかける綾乃。だが返ってきた言葉は実に素っ気なく突き放したものだった。いつもの綾乃なら食ってかかるところだが、今はそんな素振りすら見せず、景太郎が抱き抱えている女性に目を移す。
「………あの人は?」
「景太郎の母親だとさ。ついさっき亡くなった」
「そう………」
それ以上の言葉が見つからず、沈黙する綾乃。間に合わなかったのか! と、以前なら責めていたところだが…和麻が何も語らない以上、ただ純粋に間に合わなかったのだ。
何も感じていないように振る舞う和麻から、そこはかとなく苛立ちにも似たものを感じた綾乃はそう思った。
それから一分ほど経っただろうか…重い静寂が辺りを支配する中、景太郎がポケットから一振りのナイフを取り出す。
(ごめん、母さん。今は成瀬川達を連れてここから離れなくちゃならない。だから、このまま母さんの身体を持ち歩くわけにはいかない。かといって、こんな所に放置し、浦島が回収しても裏切り者扱いの母さんの遺体は打ち捨てられるだけ……きちんと埋葬してあげたかったけど……本当に、ごめん)
景太郎はナイフで茜の髪を切ると、それを懐から出した白い紙で丁寧に包み、ナイフと共に懐に仕舞う。そして―――――
「ごめん……」
三度目となる謝罪の言葉と共に、景太郎を中心に炎の精霊が白銀色の炎として顕現し、火柱となる。
その白銀の火柱の中、茜の遺骸は炎の勢いに押し上げられるように景太郎の手の内からゆっくりと浮き上がり、光の粒子となって消え去った。
「景太郎君、何を!」
景太郎の暴挙に叫ぶ一斗。だが、光の粒子が空へと昇る美しくも儚いその光景と景太郎の表情に、それ以上の言葉を紡ぐことはできなかった。
そして最後の燐光が空へと還ったのを見送ると、景太郎は炎を鎮め、皆の居る方向へ向き直った。いつもと変わらぬ…ひなた荘メンバーからすれば、来た当初と変わらない至極無表情に近い…顔で……
涙もみせず、悲しみもみせず……それが、今の皆にとって逆に痛々しかった。
「そろそろ行きましょう。神鳴流の後続が先鋒の連絡が途絶えたことに気が付く頃です」
「それはいいが、一体どこに向かうつもりだ? 此処はあちらの支配地だぜ?」
和麻の至極当然の問いに、初めて景太郎が微笑する。
「京都全て…という訳じゃないでしょう? あそこみたいに」
「あそこ?」
「ええ、あそこです。京都で唯一、神凪が支配する土地…かつての神凪の聖地です。あそこであれば、あいつらもおいそれとは手がでないでしょう」
「ああ、あそこね。確かに、妥当な線だな」
賛同するように頷き、その土地のある方を見る。
京の北西―――――そこには炎神〈火之迦具土〉を祀る山がある。そこが神凪の聖地…地上にありて、天界の炎が燃える契約の地。
一行は、そこへと向かう。様々な思いを抱きつつ……
「成瀬川の連中と景太郎が合流しただと! 馬鹿な、早すぎる!!」
つい先程、神鳴流からもたらされた報告に驚きの声を上げる影治。それと同時に、果てしない焦りが心を支配する。
(クッ! あの娘を使って〈水の精霊王〉との契約の儀式を行うことは茜から知らされただろう。あの姉妹を溺愛していた彼奴のことだ、遠からず此処に襲撃をかけてくる)
景太郎の行動を予測する影治。だが、影治は知らない。全てを伝えることなく茜はこの世を去ってしまったことを……
あの場にいた神鳴流戦士は皆気絶しており、唯一起きていた〈仙位〉の青年は、なるの【龍眼】により精神を破壊されていたため、茜・死亡の情報が浦島に伝わらなかったのだ。
もし、その報が伝わっていればこの後の展開は変わっていただろうが、それはあくまで『IF』だ。歴史に…着々と刻まれる歴史に『もしも』はない。
「闘える分家の者達、そして可奈子を全員広間へと集めよ。並びに神鳴流総代を初めとする神鳴流戦士達もだ」
「ははっ!」
「そういえば、姉上……乙姫の当主ももうすぐこちらに来ると言っていたな。乙姫当主にも緊急召集の知らせを伝えよ。『そなたの娘の叛逆の汚名、自らの手で雪げ』との言葉と共にな」
「承知いたしました」
側近の者は深く一礼をすると、その命を果たすべくその場を離れた。
その側近の足音もすぐに聞こえなくなり、部屋にだた一人残った影治は、拳を強く握りしめながら身体を小さく震わせる。
「あのような者に浦島を滅ぼされてたまるものか………私の代で終わらせてなるものか……私は最弱の宗主などではない、面汚しなどではない……それを証明するために彼奴を殺す。その為の“切り札”もあるのだからな」
自信満々に高笑いをする影治。だが、その姿は怯える心を偽り、虚勢を張っているようにしか見えない。その証拠に、身体の震えは側近が再び現れるまで止まることはなかった。
「はいどうぞ。『お好み焼き・瀬田スペシャル』です」
「すみません、ありがとうございます」
鉄板の上から皿の上に移されたお好み焼きを瀬田から受け取る一斗。
あれから皆は、成瀬川一家と気絶したむつみを連れ、ここ…神凪聖地の中心にある祠の前にて一時の安らぎを得ていた。
かつて、その祠の中には『三昧真火』と呼ばれる純粋な炎のエレメントが存在し、その中に神が封印されていた。だが、今はもう存在しない。詳しい話は省くが、以前この神を巡ってこの地を訪れた際、全てが終わった後で和麻が封印もろとも神を消したのだ。後顧の憂いを断つために。
だが、三百年もの間、三昧真火があったこの地は炎の力が強く、炎術師には最適の地。それが景太郎がこの地に行くことを選んだ理由の一つだ。
それはそれとして、そんなところでなぜ食事をしているかというと、「腹が減っては戦が出来ぬ」と言った灰谷がラニレスに頼み、亜空間に収納していたピクニック用・調理器具一式を出させ、サバイバル経験(野宿とはあえて言わず)が豊富な瀬田に調理させているというわけだ。
余談だが、亜空間から次々に自分より大きな物を取り出すラブレスを見て、お子さま達が『ドラ○もんみたいだ』と思ったとか思わなかったとか……まぁ、本当に余談だ。
「しかし和麻の奴、遅いわね~」
お好み焼きを半分ほど食べた時、不意に綾乃は空の一点を見ながら呟く。
「兄様のことだから、きっと大丈夫ですよ」
「誰もあんな奴のことなんか心配してないわよ。私が心配してんのは、一緒についていったあの女の子の方よ」
現在、和麻はこの場にいない。敵側の情勢をちっと調べてくる…と言って、この場に着いて幾ばくもしない内に風を纏って跳んで行ってしまったのだ。道具一式と材料を出したラブレスと一緒に。
「好きな男『好きじゃないわよ!』が別の女と一緒に居るのが気にくわないのは解るけど、仕方がないんだよ」
綾乃のつっこみを軽くスルーしつつ、灰谷が肩を竦める。
「ラブレスの空間転移で浦島の本拠地に突っ込むことは出来る。けど、転移した先が大群の真っ直中じゃ意味無いっしょ。だから、八神に頼んで本拠地近くまで行って、形とか布陣とか下調べしてるんだよ」
「それは解ってるけど……でも、万が一でも見つかったりしたらさ、和麻の事だから助けず見捨てるわよ。彼奴は女子供でも容赦のない外道なんだから」
「まぁ、二人の実力からして億が一、兆が一にでも見つかったりしても、ラブレスが精霊魔術師の分家如きにやられるかよ」
「凄い自信ね」
灰谷のラブレスに対する絶対の信頼、評価の高さに、綾乃は半ば感心、半ば反抗的に言葉を返した。
水と炎の違いはあれど、神凪と浦島の分家に大きな実力の差はない。すなわち、灰谷の言葉は神凪の分家よりもラブレスの方が強いと言っているのも同然なのだ。そんな綾乃の考えが解っているのか、灰谷は綾乃に向かってニッと笑う。
「見た目じゃわからないだろうけどな」
「見た目…ねぇ。確かに見た目は子供だけどさ、あの外道の和麻の事だからいきなりムラッときて襲いかかったり……」
「ほぅ…なかなか面白そうな話をしてるじゃないか。俺も是非混ぜてくれないか?」
突如背後から聞こえる優しい声に、綾乃はびくっと肩を竦めた後、ぎこちなくゆっくりと振り返ると……そこには優しい笑顔を浮かべた和麻が居た。しかし、綾乃は解っていた。和麻がニヤッではなくニコッと笑っているときほど、ろくでもないことに。その考えを肯定するかのように、和麻の目は些かも笑っていなかった。
「か、和麻、お帰り……」
「おう、ただいま」
「は、早かったわね」
「そこの使い魔がな、自分の方が早いって言うんで任せたんだよ。本当に早かったぜ」
つまり、ラブレスの空間転移で帰ってきたというわけだ。確かに風で飛ぶより遙かに早い。『速い』ではなく『早い』。タイムラグがほぼゼロなのでこれ以上早い移動手段はそうそうない。
「さてと。いいもの食ってるじゃねぇか、俺にも作ってくれよ」
和麻はそう言うと綾乃の隣に座る。何もしようとしないその行為に、綾乃はかえって不安になるが、灯の和麻はそしらぬふりをして料理人をしている瀬田に催促する。
「肉を多めにな、何しろ仕事帰りだから」
「はいはい、それでどんな作り方がお望みだい? 関西風、関東風、広島風、何でもいけるよ」
「んじゃ、関東風で」
「OK、ちょっと待っててくれよ」
瀬田は和麻の注文に快く応えると、熱した鉄板に油をしいて肉が多めのお好み焼き制作に取りかかった。
一方、和麻と一緒に帰ってきたラブレスは主人である灰谷の元に戻っていた。
「ご苦労様。で、行けるか?」
「はい。敷地、及び屋敷を含める周囲百㎞四方の空間を完璧に把握しました。お望みとあればいつでも…感知範囲内まで再び出向けば、宗主の眼前に直接転移もできます」
「ん、上出来上出来。よくやったな、ラブレス」
「…………………ありがとうございます」
ラブレスの満足を越える完璧な報告に灰谷は嬉しそうに笑うと、ラブレスの頭をくしゃくしゃと少し乱暴に撫で、当の本人は無表情のまま、頬を赤く染めて俯いた。
「よし、これでこっちの準備は終わったな。後は……あいつ待ちか」
「ん? そういや景太郎はどこ行ったんだ? 近くにいないようだし……」
出来たお好み焼きを食いながら、和麻は灰谷に問いかける。和麻の感知範囲内…この山を含める周囲二十㎞以内…に、景太郎の気配がないのだ。
「ああ、景太郎なら医者の所に行ってる。あの乙姫の姉さんを見せにな。そういや、そろそろ迎えに行った方がいいんじゃねぇか?」
「そろそろ時間です。迎えに行って来ます」
「おう、頼んだぜ。解ってると思うが、あのセクハラ医者には気をつけてな。されそうになったら遠慮無く異空間にでも跳ばしてやれ。そうそう、それと戻ってくる時は離れた場所でな」
「はい」
灰谷の言葉に一回頷くと、ラブレスの姿が消える。まさに忽然と……前触れもなくだ。注意深く感じて、やっと空間の揺らぎを感じ取れるくらいの手際に、和麻が賞賛を送る。
「見るのは二度目だが、本気で凄いな…ほとんど揺らぎを感じない」
「それを感じられるあんたが凄いよ」
「そりゃどうも。それはそうと、なんでわざわざ離れた場所で戻らせるんだ?」
お好み焼きにかじりつきながらどうでもよさげに問いかける和麻。本当にどうでも良いことだが、片方は浦島の人間。一応警戒しているのだ。不審な様子が有れば、即、風で首を斬り飛ばせるように。ちなみに、その対象は後二名ほどこの場に居る。
そんな和麻の問いかけに、灰谷は下卑た笑みを見せる。
「おいおい旦那、野暮なこと聞くなよ。わざわざあの景太郎が、神凪や浦島とか嫌っている医者に乙姫の姉さんを診せに行ったんだぜ? きっと深い仲なんだ、二人っきりにしてやるのが面白…いやいや、人情ってもんだろ」
「灰谷さん、そうじゃないでしょう! 景兄様とあの浦島の女性は幼なじみだから、邪魔の入らないようにしてやろうって言ってたじゃないですか!」
最後にチラッと本音を垣間見せる灰谷の説明に、煉が慌てて事情の説明を入れる。このまま間違った情報が和麻から操に故意に流される可能性があることを懸念しているのだ。
神凪 煉……神凪メンバーで最年少ながら、一番気苦労の耐えない少年だ。
「それぐらいわかってるよ。それじゃ、景太郎が帰り次第、これからの動向について作戦会議だ。それがおそらく最後の休憩時間だからな。ゆっくり休んどけよ」
和麻はそう言うと、残りのお好み焼きに意識を集中し、冷めない内に食べきるべく口と箸を動かすことに専念した。
「ねぇ景君……」
「なんだ?」
皆の居る祠より百メートルほど離れた場所…月明かりが煌々と大地を照らす中、景太郎とむつみは大きめの石に二人並んで腰掛けていた。
ラブレスに医者の元からこちらに転移してもらった際、離れた場所に出してもらったのだ。むつみの、二人きりで話をしたいという要望を聞いて。
「叔母様は…笑っていた? 幸せに逝けた?」
「…………ああ」
むつみの言葉に、景太郎は夜空の星を仰ぎ見ながら母の死に際を脳裏に思い浮かべる。
あの時、茜は成長した景太郎の姿を見て、そして景太郎になるを託せたことに満足し、幸せそうに笑っていた。それは、間違いなく言えることだ。
「母さんは……笑って逝けたよ」
「そう……」
景太郎の言葉に、むつみは微笑みながら頷く。その瞳に悲しみの光を宿しつつ……
「今度は俺が聞く。本当に良かったのか? 浦島を裏切って……」
「私は…響ちゃんを見殺しにした」
むつみの言葉にピクッと反応する景太郎。見殺しにした…それは、景太郎が浦島や神鳴流に対し思っていることだからだ。
だが、むつみの場合は少々違う。むつみも儀式の事は知ってはいたが、何時何処でやるのかまでは知らず、儀式の際には沖縄に戻っていた。儀式の所為で本家から動けない母に代わり、弟や妹の面倒を見るために。むつみが詳細を聞いたのは、本当に全てが…事後処理まで終わってからだった。おそらく、幼い娘を気遣ったなつみの配慮だったのだろう。
「償いになるとは思わないけど、響ちゃんが大事にしていた妹を私も護りたい。私にとっても妹同然だから……それに、そもそもなるちゃんが死ぬ必要など無い。だから、私は助けたの。それが、浦島との決別になっても……」
「………そうか」
先程のむつみと同じく、景太郎もそう短く答える。二人のその短い答えの中に、一体どれほどの感情が込められているのか…本人以外にはわからない。
「景君。景君は……今でも浦島や神鳴流が憎い?」
「憎い」
他の感情など割り込む隙間など無いと言わんばかりの即答に、むつみは暫しの間何も言えなかった。そして……
「あの時、響ちゃんが死ぬことが日本を救う唯一の手段だったとしても?」
未だかつて、誰も景太郎に問うたことのない質問を投げかけた。
「昔…儀式の邪魔をして、鶴子さんに半殺しにされたときにも同じように質問されたよ」
空にかかる月を見上げる景太郎。しかし、その視線の先は月よりも遠い過去に向けられていた。
「響子が居たからこそ、俺はあの地獄の中で生き続ける事が…笑い続ける事ができた」
「………」
「響子が復讐なんて望まない事は百も承知だ。なにせ、儀式に赴く際に残した手紙に『精一杯生きろ』と『幸せになって』だからな。響子がいない世界なんて、俺にとっては何の価値もなかったのに……」
むつみは何も言わず、ただジッと景太郎を見つめる。その言葉に秘められし想いがわかっているからだ。暫しの沈黙の後、景太郎は視線を下げるとむつみと真正面から向き合う。
「先の質問の答えだ。俺は響子を奪った奴等が憎い。奴等にも面子があったのは今では理解している護るべきものがあるため、危険な賭にでられなかった事情もあった奴も居たかも知れない」
景太郎とて何時までも子供ではない。年を重ね知識や経験を重ねる内に、もろもろの事情を知った。だが、
「それがどうした、そんなことは関係あるか。奴等に事情があったように、俺にも事情があった。結果、力の無かった俺は潰された。今回も同じだ、奴等は力を持って潰してくる、だから俺は全てを破壊する。今を護るためにな」
「なるちゃんをダシに、復讐するつもりじゃないの?」
試すように…否、実際に景太郎の心を試しているのだろう。強い眼差しで問いかけるむつみに、景太郎が一笑する。
「勘違いするな、復讐の感情は言うなれば『俺のわがまま』だ。俺の自分勝手な感情の八つ当たりだ。誰かをダシにするつもりも、無関係なものを巻き込むつもりもない。もうじき仕掛ける浦島の襲撃も、成瀬川を護る為だ。
だが、もしかして心の何処かで『今を護る』と云う言葉は復讐するための隠れ蓑にしているかも知れない。していない自信は俺にはない……奴等を見れば、自分が怒りに支配されない自信もな。だが、それはそれで構わない。その果てが、響子の妹を護ることになればな」
一気にそう言うと、話はそれきりだと言わんばかりにその場を立ち、むつみに背中を向けて祠に向かって歩き始める景太郎。むつみも立ち上がると、景太郎の背中に向かって静かに問いかける。
「景君、最後に一つだけ聞かせて…貴方に良くしてくれた、御婆様やお母様も憎いの?」
その問いに足を止める景太郎。だが、振り向くことなく言葉だけが届けられる。
「“全ての者が、それを望んだから”だから、俺は全てが憎い」
それを最後に景太郎は歩き去り。一人残ったむつみは景太郎の最後の言葉を反芻していた。
(―――――全ての者――――― それはひなた御婆様やお母様を初めとする浦島、元舟さんや鶴子さんが率いる神鳴流のことを指していることは間違いない。けど、後の部分の『それを望んだ』とは、どういう意味なのか解らない。
今までの景君の思考、言動、感情から、導き出されるのは【響ちゃん】がらみであること…安直に考えれば、響ちゃんが死ぬことを望んだから…だけどあの時、茜叔母様を初めとする身内の方達が響ちゃんの死を望んではいない事は、聡明な景君なら気が付いているはず。なら、皆は一体何を望んだというの?)
それを望んだ―――――それは一体どういう意味を指しているのであろうか。むつみは暫くの間、その場に立ったまま考え込んでいたが、結局答えを導き出すことはできなかった。
―――――その2へ―――――