ラブひな IF 〈白夜の降魔〉
第三十一灯 「十二番目の炎」
「このクソ野郎がっ! あんまり巫山戯たこと言ってやがると、その腹かっさばいて内蔵抉り出すぞ!!」
景太郎の気迫と共に放たれた啖呵が空間を震わせる。
その言葉を聞いた者達の反応は、その胆力に肝を冷やす者、気に当てられ居竦んで身体を強張らせる者と様々。そんな中……
「お、お義兄ちゃんが…まさかあんな言葉を使うだなんて…………」
可奈子一人だけが目を大きく見開き、身体を小刻みに震わせていた。それをやや後方で見ていた綾乃は、可奈子のそんな態度に同情の念を感じていた。
(無理もないわね、あれじゃガラの悪いチンピラじゃない。景太郎を敬愛しているあの子にはちょっときついでしょうね……)
ショックを受けているであろう可奈子を憐憫の目で見つめる綾乃。だが……当の可奈子は突如として祈るかのように両手を目の前で組み、頬を赤らめつつ、
「なんて男らしく、雄々しいんでしょう!!」
潤んだ目で景太郎を見つめつつ、感極まった感激の声を上げていた。
そんな可奈子の行動に、綾乃の意識が一瞬彼方へと遠ざかり、カクッと身体が少しだけ傾いた。
「な、なんであの科白でそうなるのよ!」
「景君…あんなに格好良くなって」
「―――――って、あんたもか!!」
可奈子とまったく同じ格好で景太郎を褒め称えるむつみに、もはや条件反射気味となっているつっこみをいれる綾乃。
「何アホなことやって息を切らしてんだよ、お前は?」
怒鳴った反動で大きく息をしている綾乃に、和麻が呆れた声を掛ける。
「そう言うことは…あの二人に言ってよ……」
実は自分でもこの二人の事に一々突っ込んでいるのが馬鹿馬鹿しく思っていた綾乃は、胡乱げな瞳で和麻を見返した後、深々と溜息を吐いた。
「くくくく……神凪は随分と愉快な一族みたいだな」
景太郎の一撃に倒れ伏していた影治が、低い笑い声を上げながらむくりと起き上がる。その起き上がる動作からは、ダメージを負っている様子は見えない。
「御託を言っている暇があったら早く起きろ。死なない程度には手加減してやったんだからな」
綾乃を馬鹿にした影治を挑発し返す景太郎。だが、その言葉とは裏腹に内心は少々穏やかではなかった。
(【ひな】…か。聞きしに勝る妖刀だな。受け止めただけで『炎帝』の刀身を溶かすとは)
炎帝を構え直す景太郎。その赤い刀身には、先程まではなかった窪みができていた。『ひな』から発する濃密な邪気により僅かに溶けて溝ができたのだ。
(それに、使い手に強い加護をも与えるか……)
先の景太郎の蹴り…死なない程度に手加減はしても、内蔵の幾つかを破壊するつもりで蹴っていた。手応えもそれなりにあった。それがどうだ、影治は全く平気そうに立ち上がった。
おそらく、『ひな』には使い手の身体能力向上と共に超回復力などの加護を与える力でもあるのだろう。それと、ひなが発する邪気もまた、使い手を護る鎧のような役割も兼ねている。
足に残る感触と、影治の身体を取り巻くように渦巻く邪気に、景太郎はそう予測を立てた。
「ふん……先程は油断したが、今度は斬り裂いてくれるわ!」
影治は再度『ひな』を上段に構え、疾走して間合いを詰めると共に景太郎に斬りかかる。
「確かに刀は上等…だが、やはり使い手がそれでは意味はないな」
いくら『ひな』自身の攻撃力が高く、その加護により力や速さが上がろうとも、使い手自身の技術がつり合っておらず、単調な唐竹の斬撃を景太郎は横に跳んで余裕で避ける。その『ひな』を振るった際に剣圧により一陣の風が発生し、直線上にいた分家の一人に吹き掛かる。
―――――瞬間、その術者の身体が膨張し、膨らませ過ぎた風船の如く内側から破裂した!
剣風に含まれる濃い邪気に当てられ、体内のエネルギーバランスが崩壊し、身体が弾け飛んだのだ。
そのおぞましき光景に、神鳴流はすかさず大きく下がり、分家の者達もまた背中を向けてその後ろへと逃げ下がった。
「本気で洒落にならないな、あの刀…振るった際の剣圧まで邪気まみれかよ」
「とばっちりで死ぬなんて運がないわね…それも、行ったのが自分達の宗主だなんて」
「よく視てみろ。あれでも運がない程度ですむ問題か」
和麻が顎で崩壊した術者の遺骸…肉片を指し、綾乃とその言葉を聞いていた者達が目を向ける。
すると、その肉片からどす黒い靄みたいなモノが立ち昇り、暫しの間肉片の上を漂ったかと思うと、それらは一斉に影治…『ひな』の元に集まり、その漆黒の刀身に吸収された。
「その邪気で犯し、染めた人間の魂を喰らう……か。随分とえげつないな」
今の現象を一目で看破する景太郎。その言葉に分家の者が顔を引きつらせ、神鳴流の戦士達が顔を強張らせるが、影治は逆に高らかに笑う。
「その通りだ! 血を啜り肉を食み、魂を喰らうたびに妖刀『ひな』は更に深く、更に黒く、闇色に輝く!!」
その影治の言葉に呼応するかのように、『ひな』の刀身が更に濃い邪気を放つと同時に漆黒の輝きを放つ。
「そして、喰らうモノが強ければ強いほど、『ひな』の力は格段に上がる。もっとも、あの程度の術者の魂を喰らったところでたかが知れている」
身内…分家の者の魂を妖刀に喰らわせたというのに、影治は一片の悲しむ様子すら見せず逆に卑下し、分家の仲間達から恐怖と若干の怨嗟の視線を向けられる。
しかし、影治はその視線に気が付いていないのか、それとも気にする必要すらないと思っているのか、嬌笑しつつ刀の切っ先を景太郎に向けた。
「認めてやろう、『無能』と呼ばれた貴様が一流の術者となったことを。そして光栄に思え、この【ひな】の力の一部となることを! 貴様の魂を喰らえば、もはや並ぶ存在はない最強の力を得るだろう!!」
更に甲高い哄笑を上げると、影治は大きく跳び上がり、景太郎に向かって上段に構えた【ひな】を唐竹に振り下ろす!
「ふん……冗談じゃないな。お前に認められることも、糧になることも」
吐き捨てるようにそう言いつつ、振り下ろされた刃を紙一重にかわす景太郎。
その際に生じた剣風に身体を撫でられるが、分家の術者と違い景太郎の身体に変化はない。景太郎が常に身に纏う高純度の神氣が、余波程度の邪気など弾いているのだ。
「ふん…そう言いつつも、逃げるだけで精一杯のようだな?」
次々に繰り出す斬撃を避ける一方の景太郎に、影治が嗤いながら挑発する。が、当の景太郎は逆に鼻で笑って目を瞑る。
「素人に毛が生えた程度の相手に粋がる必要も無い」
「なにっ!?」
逆に景太郎の挑発に影治の表情が怒りの色に染まる。そして今まで以上の速さで【ひな】を振るう。だが、その斬撃は今まで通り景太郎が紙一重で避ける。目を瞑ったままの状態で―――――
完全に舐めている景太郎の行動に、影治は【ひな】を力任せに横薙ぎに振るい、斬撃と共に前方180度に強烈な邪気の衝撃波を放つ!
だが、景太郎はそれよりも一瞬早く纏う『神氣』を『風氣』へと変じ、【閃歩】―――――神鳴流で言うところの【旋駆】を用い影治の背後へと回り込んだ。そして影治の右肩…【ひな】を持つ方の肩に手を置き―――――
「その腕、刈らせてもらうぞ」
影治の右腕を炎帝で付け根近くから斬り飛ばした。
「ぐぅおおおおおおぉぉっ!!」
斬り裂かれた断面より噴き出る血液。影治はその断面を残った左手で押さえ、遅れて襲ってくる激痛に絶叫を上げて蹲る。
本当なら炎帝で斬った断面が燃え、血が噴き出ることはなかったのだが、【ひな】の邪気の加護がそれを阻害したのだ。
それは景太郎の予想通りの結果…だが、仮に外れていたとしてもどうでも良かった。その場合は、腕の断絶と炎の焼かれる二重の痛みで影治が苦しむだけなのだから。
「痛いか……次はもう片方の腕だ」
目の前で背を向けて蹲るかつての父を見下ろし、炎帝を振り上げる景太郎。狙いは言葉通り残る左手。
その影治の左肩に向かって景太郎は炎帝を振り下ろす―――――その瞬間、
《主っ!!》
景太郎の脳裏に突如として響くシリウスの思念。景太郎はその思念を聞いた刹那、一切の迷いもなくその場から跳び退く。
そしてそれと入れ替わりに、景太郎の立っていた位置の地面に漆黒の刃が突き立った。
それは【ひな】―――――景太郎が腕を斬り飛ばすと同時に何処かに飛んでいった【ひな】が、何故か真上から景太郎めがけて降ってきたのだ。
右手方向に【ひな】が飛んでいったのを景太郎は視界の端で確認していた。だが、現実には【ひな】は上から景太郎の脳天めがけて降ってきた。柄を未だに握る影治の右腕と共に。
(持ち主を守ったのか?)
今の出来事にそう推測する景太郎。
その景太郎の視線を受ける中、【ひな】は見えない何かに操られるように浮き、独りでに地面から抜けると影治の元へと飛翔する。
そして斬られた腕とその断面が重なり合い、邪気がその部位に収束した数瞬後、その傷は最初から無かったかのように綺麗に消え去った。
「くくく…ははははははっ!!」
影治は右手の指を動かして調子を確かめた後、高らかに哄笑しつつ再び【ひな】を握りしめる。
「力が…今までにない強い力が流れ込んでくる―――――これが【ひな】の真の力か!!」
【ひな】を目の前にかざし、その漆黒の刀身をうっとりと眺める影治。
だが、今までとは違いその瞳には尋常ならざる『狂気じみた光』と相反するかのような『虚無の光』が同時に宿っていた。
「【ひな】に喰われつつある……いや、浸食されつつあるというべきだな」
影治の尋常ではない様子に状態を察する景太郎。
だが、その言葉を聞いた影治は、【ひな】から景太郎へと視線を移し、その切っ先を突きつける。
「違うな…【ひな】は私を自らの主として認めたのだ。貴様も見ただろう、斬り飛ばされた腕すらも瞬時に治すこの加護を。そして、殺されそうになった私を護る【ひな】をな!」
「そう思っているのは自分だけじゃないのか」
「ならばその身で味わえ…【ひな】の主となった私の力をな!」
戦いが始まってから初めて水の精霊を召喚、顕現させる影治。
召喚された大量の水は浦島宗家の証たる白銀の輝きを放つ―――――のもつかの間、【ひな】から放たれる邪気に浸食され、すぐさま酷く澱んだ漆黒の水へと化した。
「精霊を邪気で穢すとは、貴様、それでも精霊術師か……」
「喚び出した精霊の力は私自身の力。それに【ひな】の力を上乗せしているだけに過ぎぬわ!」
静かな怒りを秘めた景太郎の言葉に、影治は嘲笑を持って返す。
景太郎はそれ以上言葉を発することなく……数多の炎の精霊を喚び、白銀の炎を顕現させた。
「…………手、出すなよ」
「そうはいきまへん」
影治の腕が【ひな】の力で接合した頃、二人…正確には影治に向かって一歩踏み出した鶴子を和麻は制止する。が、鶴子はその和麻の制止を一瞥と共に切って捨てた。
「これはうちらの…神鳴流の問題どす」
「あの刀に関しちゃそうかもしれんがな、今は親子喧嘩の真っ最中だ。それに手を出すのは野暮だろうが」
「関係ありまへん」
「そんなに焦る必要もねぇだろうが。ほっときゃ景太郎が片も付けてくれるんだからな。終わってから回収しろよ」
「『漁夫の利』というんは性に合わんのどす」
「今回は黙ってもらっとけ。そもそも…今、手を出せばあっちだけじゃなく景太郎も同時に敵に回すぜ。いくらあんたでも、たった一人であの二人を同時に相手できんのか?」
和麻の言葉に、鶴子は悔しそうに舌打ちする。
「…………そこまで言うんなら、黙って見守ることにしまひょ」
「それが賢いやり方ってもんだ」
「ただ……最悪の結果になった時、引き留めた責任をとってもらいますえ」
「最悪……ねぇ」
最悪の結果…せいぜい、景太郎が妖刀を消滅させるか、もしくは景太郎が負けるか。
だが、あの程度の相手に景太郎が本気になれば負けるはずもなく、せいぜい回収するべき妖刀が消滅して神鳴流の面子が潰れる程度。
どちらにせよ些細なことでしかなく、責任も踏み倒して逃げればいい。和麻はどうでもよさげに肩を竦め、鶴子の言葉を軽く聞き流した。
鶴子と自分の考える『最悪の結果』を大きく取り違えていることにも気づかずに……
「死ねっ!!」
影治の意志に従い、空中に漂っていた膨大な水は瞬時に百以上の槍と化し、景太郎に襲い掛かる。
「ハッ―――――その言葉、そっくりそのまま返してやる!」
景太郎の意志に従い、白銀の炎が竜巻のように舞い上がり迫り来る大量の水槍に向かって襲い掛かる。
灼熱の竜巻と漆黒の豪雨が衝突―――――破魔の炎が邪気の水を浄化及び焼滅させ、同時に邪気の水が破魔の炎を穢し掻き消す。
そして、最後の勝利せしは炎。白銀の竜巻が漆黒の豪雨を散らし、その先にいる影治を焼き尽くさんとする。
だが、その時には既に影治は次の攻撃態勢に移っていた。
影治は右手に持った【ひな】を頭上に掲げ、その切っ先に先程召喚した以上の水の精霊を顕現し、収束させる。その色もはやり白銀から黒へと変わり―――――邪気に穢れし黒球が出来上がった。
「蹴散らせ…〈流星槍〉!!」
影治が刀を振り下ろすと共に、漆黒の水球は一本の豪槍となって放たれ、その一撃を持って灼熱の竜巻を真から貫き、粉々に粉砕―――――そのまま景太郎に向かって迫る。
今度は逆の立場となった景太郎は、焦ることなく新たに喚んだ膨大な精霊を顕現、炎帝に収束させ、その赤い刀身を炎の色たる白銀に染め変える。
「ふぅぅ…………カァッ!」
左下から右上に向かって走る白銀の一閃―――――その軌跡を描く一太刀に、大気を貫き迫る漆黒の豪槍が真っ二つに分断される。
そして分断された二つの水槍は別れて景太郎の左右を通り過ぎ、その後方の空中にて燃え尽きる。
「くっ……まだだ! まだこの程度では終わりはせんぞ!!」
悉く己の攻撃を上回る威力で迎撃してくる景太郎を、影治は憎悪の視線と共に怒鳴りつつ『ひな』を強く握りしめる。
「【ひな】よ、貴様の力はこの程度ではないはずだ、もっと…もっと力を示せ。貴様の主たる私に力を与えよ!!」
【ひな】に向かって命令する影治。その命に従うかのように、【ひな】からそれまで異常の邪気が吹き上がり、影治の身体にまとわりつく。
普通の人間なら触れただけで死に至りそうな邪気だが、それを纏う影治は逆に喜悦に満ちた表情になる。
「おおっ! そうだ、それでこそ最凶の妖刀【ひな】! もっとだ…もっと力を!!」
黒き刀身より溢れ出る邪気の奔流に身を任せる影治。
もはや妖刀というレベルを超えた膨大な邪気の量に、この場にいる殆どの者が声を失っていた。
「来い……」
影治が膨大な精霊を喚び、漆黒の水を顕現、その全てを【ひな】の刀身に収束し纏わせる。その際の召喚、顕現、収束が飛躍的に上がっている。確かに、先の影治の言葉に虚偽はないようだ。【ひな】の恩恵は確実に影治の能力を上げている。
「ふん……自分から喰われようとするか。愚かとは思っていたが、まさかそこまでだったとはな」
先程までは、影治が召喚した水は顕現してから邪気に穢されていた。だが今のはどうだ、顕現した時には既に邪気に穢れ、漆黒に染まっている。それは、もはや影治が殆ど人ではなくなっている証拠であった。
「何をごちゃごちゃと言っている。念仏なら必要はない、貴様の魂は【ひな】に喰われるのだからなっ!」
影治が唐竹に振るった【ひな】の軌跡をなぞり、漆黒の水が一本の刃と成り景太郎に向かって飛翔する。
「今の言葉、そっくりと返してやる。お前の魂は今此処で俺が焼滅させる」
白銀の炎を収束させ、その色に染まった炎帝を居合いの様に…左構えから横一文字に振るう景太郎。
刀身に収束された炎は弧月状の白銀の刃となり、飛来してくる漆黒の刃と交差する形で切り結ぶ。
「なにっ!?」
景太郎と影治の中間の虚空にて十字に交差する白銀と漆黒の刃。
今までの攻防から、誰もが白銀の刃が勝つと思われた。だが、現実は漆黒が白銀を浸食、徐々に穢し消滅させる。
そして漆黒の刃は白銀の刃を完全に消滅させる前に打ち砕き、そのまま景太郎に襲い掛かった。
最初の攻防とは全く逆の結果に、景太郎は舌打ちしつつ、生半可な炎で防げないことを悟り横へと跳び退く。対象を失った漆黒の刃はその先にあった屋敷の一角を斬り裂き、その奥へと姿を消した。
その斬り裂かれた屋敷は刃の邪気に当てられ、切断面から凄まじい勢いで腐食が広がり、瞬く間に倒壊、腐臭を漂わせる。
「どうだっ! これが我が力の真髄、何者にも踏み入ることのできない絶対なる力の領域よ!!」
高らかに声を張り上げ、勝ち誇る影治。そんな影治に、景太郎が侮蔑を隠そうともしない視線を向ける。
「一つ言っておいてやる。そういうことは大声で言わないことだ。端から見ればもの凄く見苦しいからな」
「ふん……負け惜しみか。そちらの方が遥かに見苦しいわ!」
「それと、ついでに言っておく。『常人には踏み入れない絶対なる力』というのは、【紫炎】や【蒼炎】のような存在の事を言うんだ。それに比べれば、貴様のソレなど泥水と変わらん」
「クッ―――――なにが【紫炎】か、なにが【蒼炎】か! 私の水にかかればその様なもの蝋燭の灯火よ! いや、それだけではない、『黒流』の前には『翠流』すら敵ではない!!」
「ほう……面白いことを言う」
今までとはまったく違う、低く重い声と共に刀を鞘に収める景太郎。
それと共に、神鳴流の者達は鋭敏に感じていた。景太郎の氣が【神氣】から更に別種の…より高い領域の力へと昇華しつつあることを。
「貴様の泥水が神炎を超えているだと? まったく面白い……だったら、試してみようじゃないか。本当に超えているかどうか、蝋燭の灯火程度なのかをな」
轟ッ! と景太郎を中心に噴き上がる白銀の炎。それと共に景太郎自身からも白き輝きを放つ“霊氣”が噴き上がり、その白き輝きが炎の精霊を鮮やかに染め上げてゆく。
景太郎の魂の色に染め上がった炎は美しくも直視しがたいほどの【純白の炎】となり、精霊が歓喜するかのように景太郎の身体にまとわり、また踊るように炎をうねらせる。
「それと、ソレが【翠流】をも超えると言ったな。本当に面白い…なら、俺の炎がヤツに通用するか、実験台になってもらおうか」
爆発的に増える白き炎。翠流―――――ひなたの使いし神水をも超えるという影治の言葉が、景太郎の闘争心に火を点け、更に神炎を燃え上がらせているようだった。
「あれが…………」
景太郎の意思により顕現した白き炎を前に、誰ともなしに呟き、その誰もが等しく目を奪われた。
神鳴流戦士達はその炎より感じる凄まじいと言う形容すら生温い力の気配に呆然とし、浦島の分家はなまじ精霊を知覚できるが故に、目の前にある超新星の如き輝きを持つ炎とそれを従える景太郎の力の波動に目を背けることすらできない。
「あれがお義兄ちゃんの〈神炎〉……なんと凄まじく、神々しい……そして、なんて美しい炎なのでしょうか……」
「本当に綺麗……あの輝きが、景君の魂の色なのね」
可奈子とむつみが、その神炎に魅了されたようにうっとりし、その中央で王者の如く佇む景太郎を一心不乱に見つめる。
「いやはや…これはもうなんて言ったらいいかもわからないね。君が景太郎君の神炎を説明する時、圧倒的の一言だった理由がよく解ったよ。これは説明なんてできる代物じゃない」
普通なら一生見ることはなかったはずの伝説の炎【神炎】を目の当たりにして冷や汗を流しつつ、瀬田はその力の矛先が自分ではないことを運命に感謝しながら、その炎についてろくな説明をしなかった…正確にはできなかったはるかに声をかける。
そのはるかはといえば、瀬田の言葉を聞く余裕すらもなく、白い炎を見つめつつ顔を顰めていた。
(生きている内に、二度もこれを見ることになるとはな。しかも、今度のはあの時以上の力を感じる。これが景太郎の本気なのか……余波を感じているだけなのに、さっきから震えが止まらない!)
かつて神炎を向けられその恐怖を知るはるかにとって、それ以上の力を示す白炎を見るだけでその時の恐怖を思い出し、身体に震えが走り身体が竦み上がっていた。
あの時…景太郎がひなた荘に来た時…は相当手加減―――――否、必要最低限しか出していなかったことを嫌が応にも理解したが、屈辱はまったく感じていなかった。
この圧倒的な炎を目の当たりにすれば、そんな感情など抱けようもはず無い。
この二人のように…………
「おお、久しぶりに見たな」
「ほんと、やっと本気になったみたいね」
神炎を前にまるで物見遊山に来ているかのように振る舞える者こそ希有だろう。
「確か…これで五回目だったっけ? 景太郎が神炎を使うのって」
「そんなもんだろ。もっとも、俺達の前で…って云うのが前提だがな」
暢気に景太郎が神炎を使った回数を数える二人。周囲の緊張感をまるで無視した行動だ。
その彼らが最初に景太郎の神炎を目の当たりにしたのが、『石蕗』家が長年封印し続けていた【是怨】との死闘の時。二度目は東京が一人の魔術師によって巨大な実験場にされた時。三度目は精霊魔術師の天敵【精霊喰い】との戦いの時に。
そして四度目は、浦島家が八百年の長きに渡り封印してきた邪龍【涅槃】との死闘の時だ。
景太郎の炎が白く輝く時、それは彼の前に立ち塞がる敵が消滅する。
それを良く知る二人の目の前で、彼らにとって五度目となる白き神炎が鮮烈に輝いた。
「『曰く、神凪に手を出すな』―――――とはよく言ったものだ。これを見れば、誰しもがそう思うだろう」
「総代、無理をしないでください」
景太郎に殴り飛ばされ、生死不明だった神鳴流総代『青山 元舟』が彰人の肩を借りて鶴子達の側まで戻った。
撤退の名目の為とはいえ、武器を失った今、自分にできることは少しでも鶴子の心理的負担を軽くすることだと判断し、景太郎と影治の戦いの最中、隠れて元舟を助けに行っていたのだ。
背後を見せれば一瞬で斬り殺されると皆が戦々恐々としている中、ただ一人背を見せ影で動くその胆力は見事と言うしかない。
そして、本当であれば元舟の生存に戦士達は安堵するか喜ぶところなのだろうが、目前にした神炎に意識が完全に向いており、気付く者はいなかった。
「鶴子さん、総代は無事だったよ」
鶴子を安堵させようと背後から声を掛ける彰人。だが、鶴子は伴侶の言葉にも振り返ることなく、景太郎の方を見つつ肩を震わせていた。
「鶴子さん? もしかして震えて…………ッ!」
嫌な予感がした彰人は、鶴子の隣りに並びその表情を窺い、そして―――――その顔を見た瞬間、彰人は驚きに息を飲んだ。
鶴子の視線は白き炎を纏う景太郎を食い入るように向けられ、口元は凄みのある笑みを浮かべている。
その表情を見た彰人は、飲んだ息を吐き出しつつ、額に手を置いて頭を振った。
(とうとう出たか……鶴子さんの悪い“癖”が)
以前…去年末での戦いの折には見せなかった景太郎の本気。それを見た鶴子が興奮しているのだ。今、鶴子の身体を震わせているのは皆が身体を震わせている『恐怖』などではなく、その逆…戦いたいという欲求からきている『武者震い』なのだ。
「彰人、鶴子はどうした?」
「いつもの悪い癖です」
困り顔で戻ってきた彰人に問う元舟だが、その答えを聞き彰人と同じく大きく溜息を吐いた。
「強者と見れば誰彼構わず“死合”たくなるアレか…」
「はい」
「これも戦士としての青山の血か、それとも…………どちらにせよ、業が深いものよな」
父と伴侶……長年共に居る二人からすれば、今の鶴子の心境など手に取るように理解できた。
「それより、いかがなさいますか?」
「……例えいかな理由が有ろうとも、妖刀【ひな】は回収せねばならん。それが我ら『神鳴流』の使命。それは相手が宗主であろうと例外ではない。
そして、もう宗主は【ひな】に取り込まれ人ではなくなっている。もはや手放すことはありえん。いや、手放すという意識すらあるまい」
「では……」
「万が一であろうが、景太郎殿が敗北した場合は我ら神鳴流の全戦力をもって宗主を倒す。その際の責は全て私がとる」
「宗主……」
はっきりと断言しつつ、邪水を纏い妖刀【ひな】を構える影治を見つめる元舟。
総代と宗主は親友……その胸中は如何なるものか。それをおもんばかりつつも、彰人にできることは表情に出すことなく無言でいることだけだった。
「それが友としての最後の務めだ…………」
深い悲しみを秘めたその呟きは、誰の耳にも届かぬまま虚空へと消え去った……
「来い、先手は譲ってやる。それともこちらから行ってやろうか?」
白い炎をその身体に纏わせ、影治に向かって手招きする景太郎。
その傲慢な態度に、影治は憤怒する―――――と、思われたが、周囲の予想を裏切り高らかに嘲笑う。
「何度でも言ってやろう。神炎なぞ今の私の力の前には蝋燭の灯火にも等しいとな!」
影治の哄笑に呼応するかのように踊り狂う漆黒の水。
そんな影治を和麻や綾乃達はまじまじと見ながら―――――
《本物の馬鹿か……》
と、心の中で一斉に呟いた。
「先手を譲もなにもない…貴様はこれで終わりだ!!」
更に顕現する数多の漆黒の水。
その膨大な漆黒の水は怒濤の水流となって虚空と迸り、景太郎の周囲を包み込むように旋回、触れる物を破壊するほどの超高速で回転しつつ球体状となって景太郎を覆い隠す。
「浦島流・水術〈転蓋洪〉」
左の掌を漆黒の球体に向かって突き出す影治。それと共に更に顕現した膨大な漆黒の水が球体の周囲にて幾百もの細長い槍…いや、水の針となる。そして―――――
「―――――穿水殺!!」
その手が握りしめられると同時に、その漆黒の水針が球体に突き刺さり、球体は瞬く間に針山へと姿を変えた。
真下を除いた全方位から突き刺さった漆黒の水針……これでは、中にいる存在は串刺し…否、それを通り越し肉片になっている事は想像に難くない。
「はーっはっはっはっ! どうだ、これが圧倒的な力の差というものだ!!」
影治は実の息子の死を欠片も疑わず、それを誇らしげに笑う。
「そうだな…確かに、力の差は歴然だ」
和麻がつまらなさそうにそう言うと、胸のポケットから煙草を取り出し火をつけ、口にくわえる。
「ほう…貴様は現実というものをきちんと理解しているようだな」
影治が和麻の言葉に喜悦の笑みを浮かべるが、対して和麻はやれやれと言わんばかりに煙を吐いた。
「当たり前だろ。一目瞭然だ。あの程度の攻撃が景太郎に効かないことぐらいは…な」
「なにっ!?」
和麻の言葉に影治が球体と針を形成する水を解除する。
そしてその中から見えたのは、穴だらけとなって死んだ景太郎の遺骸―――――などではなく、変わらず白き炎を纏った…しかも攻撃を受ける前と何ら変わりのない姿勢のままの景太郎の姿だった。
「馬鹿なッ! あれほどの攻撃の前に、無傷ですむはずはない!!」
景太郎の無事な姿を否定する影治。だが、現実には景太郎の身体には傷は一つもなく、着ている服に新たな損傷もない。
景太郎の纏う神炎が、影治の攻撃を全て遮断したのだ。
「所詮、お前は一流にはなれない」
「貴様ッ!」
景太郎の冷ややかな視線に激昂する影治。
今の攻撃…水の量こそ確かに膨大だった。もしかすれば、可奈子すら上回るやも知れない程までに。そして、その質も慢心するだけあって高い。破魔の水を相反する邪気で染め上げる為か、神水ほどではないがそれに準ずるほどの力を有していた。
だが、その見た目とは裏腹に攻撃に使用した際の水針はあまりにもお粗末で、一本一本の収束率が低く、込める意志も準じて薄かったのだ。それ故に、景太郎が纏う神炎に阻まれ、水の針は一本たりとも届くことができなかったのだ。
精霊術師が一流で有るか否かを決めるのは扱う量でも質でもない。精霊に篭められる意思力、そして制御力。
半ば強引に手にいれたとはいえ、その力を持て余す影治はまさしく二流といえた。もっとも、それは突然得た力に馴れていないというのも理由の一つだろうが……それは言い訳にしか過ぎない。
それに、仮に時間があったとしても影治は完全に制御することは不可能。それが景太郎の判断だった。だからこそ、景太郎ははっきりと言ったのだ。影治は一流にはなれない…と。
「気は済んだな。今度はこちらの番だ……」
景太郎の言葉と共に、閃光の如く光を放ち、更に力を増して燃え盛る白き炎。神炎が放つ力の波動に、影治は顔を引きつらせて後退る。
ただの炎ではない、一切の“魔”を“破”壊する究極の【降魔の神炎】が影治の網膜に恐怖となって焼きつく。その身が魔に染まりつつある影治にとって、その恐怖は他の者達よりもより鮮明に感じているだろう。
誰もがその二人を…特に勢いを増す神炎を扱う景太郎を見つめる中、和麻が吸いきった煙草を地面に吐き捨て踏みつぶす。そして……
「神凪 景太郎…………あいつが神凪最強の【退魔師】だ」
誰かに言っているわけでもないその呟き……さして大きくも無いはずのその声と言葉は、不思議なくらいにその場にいた者達全員の耳に響いた。
―――――第三十二灯に続く―――――