ラブひな IF 〈白夜の降魔〉
第三十二灯 「決着―――――」
「気は済んだな。今度はこちらの番だ……」
「―――――ッ!!」
自分と景太郎との力の差を見せつけられ、魔を破壊する究極の炎『白炎』に恐怖を覚える影治。だが、それも束の間、その恐怖すら払拭するほどの憤怒と憎悪が影治の心の内に充満し、景太郎を居殺さんばかりに睨み付ける。
しかし、当の景太郎はその視線を平然と無視し、逆に左手を突き出してその手の内に神炎を集め見せつける。
「まずは小手調べ……翠流すら越えると豪語したんだ。この程度で死ぬなよ、実験台」
この自分を実験台呼ばわり―――――それを聞いた影治は更なる怒りに表情を歪め、その怒りに呼応するように【ひな】から漆黒の邪気が噴出する!
「驕るな若造がっ! この程度が私の全てだと思うな!!」
刀を逆手に構え、勢いよく大地に突き立てる影治。その【ひな】の刀身から溢れる邪気が幾筋もの線となって地面の上を縦横無尽に奔る。
その線は途中で更に幾重にも分岐し、果ては屋敷の外にまで伸びる。
「なによこれ?!」
迫ってくる邪気を横に跳んで避ける綾乃。和麻達も…そして浦島側の者達も跳んで避けるが、何人かが避けられずに邪気に触れ破裂する。
そしてその魂を更に喰らいつつ、影治は左手で刀印を組み精神を集中させる。
「今度はどんな小細工を弄するつもりだ?」
左手を降ろし、嘲る笑みを浮かべて挑発する景太郎。その言葉は聞こえていないはずないのだが、影治はまったく反応を見せずに呪の詠唱を開始した。
「オン……キリ……キリ……ヴァジャラ…ウンハッタ―――――」
影治の口から次々に呪が紡ぎ出されるたびに、敷地の地面に梵字が描かれ、それは瞬く間に百以上に至った。
もし、空を舞う生き物がこの屋敷を見下ろせば見えていただろう。この屋敷を囲むように大地に描かれた巨大で精密な術式―――――西洋魔術で言えば『魔法陣』―――――を。
「異界に住まいし鬼神達よ。我が意思の招きの応じこの世に出よ!!」
影治の術の完成と共に、地面に描かれた漆黒の線と梵字が煌々と輝きを放つ。そして、梵字の一つ一つから異形の化け物が地面から沸き上がるように姿を現した。
腕の数が四本だったり、目の数が多かったり一つだったりと特徴は多種多様ながら、それら全てに共通するのは身の丈が三メートルを超える巨躯と、誇示するかのように頭部から生えている角。
それは日本古来から力の象徴とされ、時代の流れに【悪】という認識を与えられし存在《鬼》―――――その中でも上位に値する《鬼神》と呼称される存在であった。
《鬼》―――――正式には〈鬼族〉は妖魔などではなく、〈烏族〉や〈戌族〉と同じ闇の種族の一つ。故に、現れし鬼は総じて目に知性の光を宿していたが、【ひな】の邪気がその身体を蝕み、想像上によく描かれる『知性無き暴力の権化』へと変わり果ててしまう。
「鬼神召喚の法…か。【ひな】の力を使ってこれだけの鬼を召喚したか」
邪気に狂った百の鬼が大気を震わせるほどの咆哮を上げる中、景太郎は冷静に鬼の一体一体を素早く観察、強さを把握する。
「行けい、鬼神共よ! あの者を殺せ!!」
地面より引き抜いた【ひな】を軍配のように振り、鬼神達を景太郎にけしかける影治。鬼は各々が持っている武器を…無手の鬼は拳を…振りかぶりつつ、景太郎に向かって殺到する。
(よし、このまま此奴等で時間を稼ぐ。その間に限界まで精霊を召喚し、【ひな】に収束させて忌々しい神炎ごと切り裂いてくれるわ!)
影治は景太郎に向かう鬼の群を一瞥すると、即座に思考を切り替えて水の精霊をかき集め、その膨大な精霊をひなの刀身へと収束させる。
一方―――――
(ふん…どうせ此奴等を嗾けている間に力を溜めて、一気に俺を仕留めるつもりだろうな)
景太郎はそんな影治の底の浅い目論見など容易に看破していた。そして、それに付き合う気など更々ない。
「無理矢理召喚させられたお前達に恨みはない…苦しいだろうが我慢しろ」
爆発的に増える白炎―――――だが、それも一瞬。幻のように忽然とかき消える。その直後、
「鬼共よ、白き滅び―――――しかと目に焼き付けて還るが良い」
景太郎の言葉と同時に、浦島の屋敷一帯が白き輝きに包み込まれる!
「なんだあれはっ!?」
その輝きから強大な力を感じ騒ぎ始める分家の者達。今、外に居るものが居れば、浦島の屋敷が巨大な白亜のドームに包まれた様が見えていただろう。
「極光の彼方へと消え去れ―――――奥義 〈白夜〉!!」
瞬間―――――結界内が強烈な閃光に満たされる。
人、植物、屋敷、鬼…有機、無機を問わず全てが白い光に塗りつぶされる。
目蓋を閉じてもなお視界を白へと染めるその光に、分家の者達が慌てふためいて右往左往する。
しかし和麻と綾乃、そしてその他の景太郎側の人間と神鳴流戦士達は落ち着いた様子で佇んでいる。前者は経験済み故に、後者はただ覚悟を決めて。
完全に制御された神炎の全熱量が、結界内の存在する“邪”なる存在を蹂躙し消滅させる。結界の規模、威力共に比較にはならないが、それは神凪の炎術の一つ『覇炎降魔衝』と相通ずるものがあった。
「ぬおおおおおおぉぉぉぉっ!!」
純白に染まる空間の中、唯一の黒がその身を消滅させまいと必死に抵抗する。
それは、影治が景太郎を倒すべく集めていた水を周囲に展開、漆黒の結界として必死に抗っているのだ。
そして……永遠とも思えた数秒の後、完全なる白の世界が終わりを迎え、その輝きは急速に納まり、すぐに消え去った。
百匹以上の邪に墜ちた鬼神達は、痕跡も残さず消え去っていた。もはや、最初から存在していなかったかのように……
それ以外に変わったといえば、ひなの邪気と水の精霊が満ちる空間であった一帯が、それまでとは真逆の神域にまで清められ、炎の精霊が乱舞していること。
対し、変わらぬ事は…誰一人欠けることなく、己が生を実感する分家や神鳴流の者達と……
「はぁ…はぁ…はぁ……」
荒い息を吐きつつ、ひなを杖のようにして立っている影治の存在だ。
「対象が広域の所為で密度がいまいちだったとはいえ、まだ生きているとはな……」
景太郎の半ば呆れたような言葉に、言葉を発さず怒りの眼差しで答える影治。
その景太郎の言い草が〈殺したと思っていたゴキブリがまだしぶとく生きていた〉と云わんばかりの口調であることに気がついたからだ。
景太郎の言う通り範囲が広域だったために密度が薄くなり威力は若干落ちたとはいえ、その威力は絶大…なつみの防御結界でも防ぎきれないほどの威力だった。
そんな中でもしぶとく生き残った影治に、景太郎は半ば本気で呆れていた。
現に、影治の張った防御結界は一応耐えきったことには耐えきったのだが、防ぎきれなかった余波により服の至る所が焼けこげ、同じ所に火傷を負っていた。
普通なら余波だけで十分消滅しうる威力があるのだが、おそらくひなの邪気が余波を限界まで殺ぎ落とし、なおかつ影治の身体を急速で再生していたから助かったのだろう……が、本当にしぶとい。
その一方…景太郎は呆れとは裏腹に、残り半分は二種類の驚きに占められていた。それは、神炎を受けながらも火傷ですませた意外なまでの影治の水術の強さと、その火傷が急速に癒えている様だ。
双方とも、ひなの恩恵ゆえなのだろうが、破魔の神炎をも防ぎ、傷を癒すほどの力は、もはや奇跡を通り越して異常だ。
その事に気が付いている数人も、景太郎と同じく険しい目で影治を…そしてひなを見つめる。
そんな視線が集まる中―――――
「この程度の……攻撃で死ぬものか…………」
そう言いつつ、ひなを杖代わりにしてやっと立ち上がる影治。だが、この様ではその言葉を虚勢以外に感じる者は誰一人としていないだろう。
その影治に向かい、無言のまま歩き出す景太郎。その身に再度…いや、今まで以上に高密度の神炎を纏い、右手で炎帝をゆっくりと持ち上げつつ……
「く…ぬおおおぉぉっ!!」
意地か執念か、叫びと共に〈ひな〉を構え直す影治。次いで水の精霊を喚び寄せ、〈ひな〉の刀身に集めると共に振るい、水刃として放つ。
景太郎は自分に襲い掛かるそれを迎撃する素振りも見せずにただ歩く。水刃はそんな景太郎の纏う白き神炎と接触して―――――瞬時に消滅した。
苦し紛れに放つような水術など、景太郎の身体を覆う高密度の神炎の前には無意味。
今の一撃をただ纏っただけの炎に掻き消された影治は、一瞬驚愕の表情となった後、
「おのれ~~!!」
今度はがむしゃらに〈ひな〉を振るい、次々に水刃を放つ。
基本もなにもない、ただ無茶苦茶に振るう刀身から放たれる漆黒の水刃。ひなの妖気と混合したそれは、正当な水術師から見れば邪道だが、確かに高い威力を秘めている。
だが、焦りに満ち、ろくな収束もできていない水刃は全て景太郎の纏う神炎に触れて消滅してゆく。
「来るな…来るなぁ!」
効かぬと解っていてもなお攻撃を繰り返す影治。もはやその顔に怒りの色はなく、恐怖一色となっていた。
この時点で、やっと理解したのだ。神炎…そして神水は、自分の想像などを遥かに超えた次元にある力だと言うことを。
だが、今更理解したところでもう遅い。いや、茜が死んだ時点で…成瀬川に手を出した時点で……それよりも遥か以前、景太郎の目の前で響子を永遠に奪い去った時から、全ては遅かったのかもしれない。
それを証明するかのように、景太郎の歩みに躊躇いはない。影治の放つ水刃を障害ともせず、その手で殺さんとただ歩み寄る。
「来るなぁぁぁぁっっ!!」
影治の絶叫と共に召喚された膨大な水の精霊が上空で顕現、景太郎を圧し潰さんと怒濤の奔流となって降り注ぐ。
さすがの景太郎も、さすがにその量は鬱陶しかったのか少しだけ頭を上げて上を見―――――新たに顕現した白き炎でその水を燃やし尽くす。
「あ…ああああ……ああああああああ…………」
放つ水刃は纏う炎で阻まれ、全力で召喚した水の精霊は一瞬で燃やし尽くされた。景太郎に一筋の傷どころか、水滴一つ届かない。
目の前の現実から目を逸らしたくとも、一歩一歩近づく強大な熱量に否応なく意識が現実に引き戻される。
影治は恐怖に顔を引きつらせ、身体を震わせながら最後の頼みの綱…【ひな】を縋り付くように握りしめる。
「【ひな】よ! 私に力を、もっと強い力を渡せっ!!」
答えは―――――静寂。
おぞましいまでに邪気を放っていた【ひな】が、影治の叫びを境に沈黙した。まるで今までが幻であったかのように、ひなから綺麗なまでに邪気が消え去っていた。
「なっ?! ひ、ひな!? 貴様の主の命令だ、私に力を寄こさんかぁ!!」
喉が嗄れんばかりに叫ぶ影治。刀に向かって怒鳴るという行為は普通に考えて滑稽な姿だが、その事を嗤う者は此処には誰一人としていなかった。
そして……それは【ひな】も同じだった。
「【ひな】! どうしたのだ、何故応えん! 何故私に力を―――――」
「お前も理解しているんだろうが」
「なんだ―――――と!?」
いつの間にか、後一歩の所まで迫っていた景太郎に身体を強張らせる影治。目の前で揺れる白い炎が更なる恐怖を煽る。
本来なら、この距離まで迫った神炎は熱気だけで影治を焼滅させている。だが、そうなっていないのは景太郎の意思なのだろう。その手に持つ、赤い刀で影治の命を刈りたいが為に。
「それとも、理解したくないだけか。なら、はっきり言ってやる。お前は見限られたんだ。【ひな】に……誰にでも取り憑く妖刀にすらな」
炎帝を掲げ上げるように振り上げる。
「死ね―――――」
振り下ろされる赤き刃。その刃は寸分の狂いもなくその頭頂に向かって振り下ろされる。
恐怖と絶望に身体と思考を支配された影治には、迫り来る〈死神の鎌〉の如き刃をただ見つめる事しかできなかった。
―――――その時、
あろう事か、影治の手前十センチの所で炎帝の刃が静止した。いや、それだけではない、周囲全てが…景太郎の纏う白炎ですら、その揺らめきを止めていた。
「な……なにが起こったのだ!?」
いきなりの状況に、影治の思考が咄嗟に追いつかない。だが、すぐに理解した。これは千載一遇の好機だと。
景太郎の纏う神炎に自分の水術は効果がない。それは嫌が応にも理解させられた。だが【ひな】なら……水を収束させ、神炎の密度が薄い所を狙えば貫ける可能性は十二分にある。
だが―――――
「か、身体が……精霊も反応しない? いや、動かないだと!?」
自由にならぬ身体と精霊に、影治は再び焦る。どういう理屈か解らぬが、このまま再び動き始めれば自分は一瞬で両断される。これでは、ただ悪戯に死ぬまでの時間が伸びたに過ぎない。
どうにかして身体が動かないものかと必死に力を込める影治。その時……
【力が欲しいか……】
(なに!?)
焦り、必死に藻掻く影治の脳裏に突如として声が響いた。
その思念は青年と言っても良いほど若々しいもの。だが、その思念には途方もなく年月を重ねた老人の如き重々しく、同時に暗い想念が秘められていることが、何故か影治にはありありと理解できた。
その思念が【ひな】のモノであることを自然と理解していると同じくらいに。
それは、影治がその事を自然と感じるまでに…かなり深い深度まで【ひな】に喰われつつあるという証拠でもあった。
【もう一度問う…力が欲しいか。貴様を殺そうとしている、この男を殺すだけの力が…………】
「欲しい! 此奴を殺せるだけの力が! そして、誰にも私を出来損ないだと言わせないだけの力が!!」
ひなの問いに、景太郎への殺意が燃え上がり、それを起爆剤に心の奥底に秘めていた感情が爆発する。
幼い頃から優れた才能を持つ姉や妹に比べられ、出来損ないだのと言われ続け、宗主となっても成り上がりだと陰口を叩かれ続けた。
その言葉は凝りとなり、胸の奥底に深く沈殿し、長い時をかけて積み上がっていた。それが、目前となった死への恐怖とひなの誘いに、一気に吐き出されたのだ。
【全てを捨ててでも力を得たいか、浦島の宗主よ】
「何でもする! だからお前の力を全て寄こせ!!」
【いいだろう。貴様に力をくれてやる…………その代わり、貴様の身体と魂を寄越せ!!】
「なっ―――――それでは意味がないぞ!」
【もう遅い…貴様が了承した時点で、貴様の魂は我が顎の中だ】
力を得るための手順が、実は悪魔の契約だったことに気が付いた影治は慌てて撤回しようとするが、もはや時既に遅し……再び【ひな】から放たれ始めた邪気が複数の触手のように枝分かれし、木に登る蛇の如く影治の腕を伝い身体に巻き付き、魂をゆっくりと貪り食い始めた。
(やめろ…やめろーーっ!!)
もはや声を出すことも適わず、心の中だけで必死に叫ぶ影治。だが、その行為を嘲笑うかのように首元からゆっくりと邪気の触手がはい上がる。
【無駄だ、貴様等浦島の人間程度が俺の力に抗えるものか!】
【ひな】の声が影治を侮蔑する。それは今までとは違い、浦島そのものに対する憎悪の色が感じられた。
【我が糧となるがいい……我を従えたと勘違いした、愚者の末裔よ】
邪気と同じく濃い憎悪に満ちた侮蔑の言葉を最後に、邪気の触手は影治の身体を覆い尽くし、その魂は闇の中に呑み込まれ、消滅した。
ガキィッ!!
「―――――ッ!」
重い音を立てて接触する赤と黒の刃。
確実に影治を斬り裂いたと思われた炎帝の一撃を、弾かれたように持ち上げた【ひな】によって影治が受け止めたのだ。
そして、あろう事か影治はそのまま左足を軸に右足を引き、身体を一回転させつつ景太郎の横手に廻ると回転の力をそのままに後ろから景太郎に向かって【ひな】を振るった!
「チッ!」
景太郎は今までとは違う影治の動きに一瞬虚を突かれたものの、何とかしゃがんで背後からの一撃を回避すると、そのまま影治の足を刈ろうと足払いをかける。
だが、影治はそれよりも一瞬早く瞬動術で後方に下がり、景太郎の一撃をあっさりと避けた。
(おかしい…………隙が全く無い?)
離れた所で自然体で立っている影治。刀を構えてすらいないが、景太郎の眼にはまったく隙が見えなかった。達人の域に達すれば、これ自然体も構えの一つだが、先程まで見た影治の腕前では、同格ならいざ知らず格上に隙を見せない自然体は不可能のはずだった。
それだけではない、影治の様子もおかしい。影治の顔から精気が失せて青白くなり、憎悪などの負の光を宿した瞳が無機質なまでに空虚になっていた。
だが、裏腹に影治から感じる威圧感はこれまでとは比べものにならないほど強くなっていた。闘気や剣氣は無く、、【ひな】は一切邪気を放っていないのにも関わらずに……だ。
(一体なにが起こった? まるで中身だけが別人になったようだぞ……)
影治の突然の変貌に思案している景太郎を余所に、当の影治は【ひな】を左脇に構え、腰を落として体勢を低くする。
かなり堂の入った構えだ。戦闘集団〈神鳴流〉の剣士とて、この域に達しているのは仙位以上だろう。
(来る―――――氣の刃、遠当て!)
景太郎が攻撃を予測するのと、影治が横一文字に【ひな】を振るうのがほぼ同時。そして、景太郎の予測通り、振るった刃の軌跡に沿った氣の刃が放たれた。
(なにっ!?)
その放たれた氣の刃を見て驚く景太郎。影治の氣の高まりから攻撃方法までは読んでいた。だが、放った氣の色が金色―――――黒く淀んではいるが、紛れもなく金氣の刃!
放たれた淀んだ金氣の刃が、地表から五十センチあたりの高さで景太郎の足下めがけて空間を走る。
だが、放たれた金氣の刃は景太郎の纏う神炎に触れた瞬間、いともあっさりと焼滅した。それは当然の結果…だが、問題はそんなものではない。
(邪気によって淀んではいたが、今のは間違いなく神鳴流の〈秘剣・斬鉄閃〉。それも威力から見て〈二の太刀〉だ。何故神鳴流の秘剣を……五行戦氣術が此奴に使える?!)
景太郎の疑問は、その場にいる神鳴流の人間全員の疑問でもあった。
浦島の人間が…否、精霊魔術師が五行戦氣術―――――氣の属性変換を学ぶことは皆無と言っても良いほどありえない。
修得が難しく、精霊魔術の修行と平行して学ぶことは無理だという理由もあるが、それよりも決定的な理由があるのだ。精霊魔術師がいかに優れていようとも五行戦氣術を学ばない決定的で致命的な理由が。
故に、浦島の人間で氣の属性変換を使える者は皆無。かのひなたも、そして影治もだ。それが何故……
「―――――ッ!」
悠長に考えている暇はないらしい。思考に耽った数瞬の間に跳び上がった影治が、刀身に雷氣を迸らせる【ひな】を振りかぶり、景太郎めがけて一直線に飛来する。
「雷鳴剣・二の太刀」
様子が変わってから始めて声を出したと同時に、空中の大気と呼応し、威力を増加させた落雷の如き一撃が景太郎に向かって襲い掛かる。
その一太刀を景太郎は氣を収束させた炎帝で受け止める。迸る〈雷鳴剣・二の太刀〉の余波が景太郎に襲い掛かるが、それらは纏う神炎に燃やし尽くされて問題はない。だが―――――
「……………」
「……!!」
それよりも、影治の重い一撃に景太郎よりも地面が耐えられず、足の形に地面が凹み始める。上から圧し掛かる影治に、それを受け止める景太郎。どちらが有利かは考えるまでもない。
しかしそれも束の間、完全に受け止められ、勢いを失った影治は空気を蹴ると瞬時に景太郎の背後に回り込み、邪気を収束させた【ひな】を胴めがけて薙ぎ払う。
神炎は纏っている。だが、【ひな】程の妖刀をもってすれば突破する可能性があることを考慮した景太郎は地を蹴り、神炎をその場に残して上空へと跳躍する。
影治が振るう【ひな】の刀身は神炎の中に飲み込まれ――――― 一瞬で透過した。さすがに纏う邪気は消滅しているが、刀身自体に目立った変化はない。
(神炎に耐えたか……)
凄まじい剣速と邪気の高い収束率ゆえに為し得たことだろうが、それでも並の妖刀で在れば瞬時に燃やす神炎を一瞬でも耐える【ひな】は驚愕を通り越し恐ろしいとしか言えない。
もしあのまま景太郎があそこにいれば、胴体が真っ二つになっていただろう。
(だが、驚異と言うほどではない。『盾』や『結』ならば十二分に防げる)
残った神炎、及び【ひな】の状況から瞬時に推測する景太郎。
その時、刀を振るった直後の影治の足下が爆発し、地を蹴ることなく景太郎と同じく上空へと飛翔する。
「獅隼脚だと?!」
神鳴流の誰かが影治の行った無拍子の高速移動術『獅隼脚』を見て驚愕の声を上げる。制御が難しく、扱う者が少ない技を浦島の人間である影治が使ったのだ、その驚きも無理はない。
景太郎自身も驚いていたが、それを表に出すことなく制御し、刺突の型で特攻してくる影治に向かって木氣を纏わせた炎帝を振るう。
「五霊戦術 薙風!」
「斬鋼閃……」
景太郎の放った風氣の刃を影治は【ひな】に金氣を収束、そのまま真正面から突破し、景太郎に特攻する。
だが、刃が接触する瞬間、景太郎の姿がその場から掻き消える。直後―――――
「五霊戦術―――――」
その更に上空に、刀身に燃えるような紅い燐光を纏わせた炎帝を振りかぶり、急降下する景太郎の姿があった!
「―――――焔狩!」
振り下ろされる景太郎の赤き刃に、それを受け止める影治の黒き刃。それは対先程とは逆の構図。
だが、決定的に違うことが二つ。一つは両者とも空にいること、そして…影治が現在使っているのが木氣ではなく、金氣であることだ!
「―――――ッ!!」
大気を足場にする技は木行・風氣の技。金氣であった影治は空を足場にできず、抵抗することができず墜落、上空から地表へと凄まじい勢いで叩き付けられる影治。
五行の中でもっとも攻撃力を誇る〈火〉、そして影治が〈金〉であったが為に、その勢いは通常よりも減衰することなく影治を叩き落としたのだ。
(我らの盲点を見事に突いている…あの返し技といい今の連撃といい、神鳴流との闘いを想定に、相当の訓練を積んできたようだな)
先程の一連の連撃を見てそう呟く元舟。〈木行〉の技を放てば神鳴流の者の殆どは相剋対象の〈金行〉で対応する。普通ならばそれで良い。場が上空で在れば……
相手が自分と同格、もしくはそれ以上だと、それこそ命取りになりかねない連撃だ。
「…………」
地面に降り立つ景太郎。その視線は立ち上がろうとしている影治に向けられている。
その立ち上がる動作に墜落のダメージは見られない。だが、それは影治の首が変な方向に曲がっていなければの話だ。
明らかに首の骨が折れているとしか思えない。しかし、影治は平然と立ち上がると、刀を持たぬ左手で自らの頭を掴み、半ば強引に元の位置へと戻した。
首の部分に邪気が集まっていることから治癒か修復をしているのだろうが、箇所が箇所だけあって折れた骨が元に戻ったから良いと云う問題ではない。
人であれば、墜落し頸椎を折った時点で死亡していてもおかしくない―――――否、死亡しているはずだ。
「貴様……何者だ」
景太郎は影治を…いや、影治だった者を睨み付けながら問う。
そして暫しの沈黙の後……影治だった存在は口を開いた。
「我は復讐者…望みの為に全てを捨てたもの。よって我の名はもはや無し……それでも我を呼びたくばこう呼べ……【ひな】と」
「なるほどな。予想はつくが一応訊いておく。その身体の持ち主はどうなった」
「この男の魂は既に我の糧となった…今は、その抜け殻を使っているに過ぎん」
「そうか…………」
意外なまでに素直な【ひな】の答えに、景太郎は軽い溜息と共に一笑する。
「できるなら、俺のこの手で消滅させたかったんだが……まぁいい。その男の魂を喰った貴様諸共、消滅させればすむだけだ」
景太郎に纏わりつくように発生する白炎。先程よりも力を込めているのか、白き神炎はより盛大に、より一層清廉な輝きを放つ。
対し、『影治』は大量の水の精霊を召喚、そして邪気と融合した漆黒の水―――――『黒流』を顕現させる。
(やはり水術が使えるか……)
精霊の加護は魂ではなくその血脈に宿る。故に、景太郎は精霊魔術を行使できると予測してはいたのだが……影治だったときよりも、今現在の方がかなり召喚される水が多い。それは目の錯覚などではない。
(神鳴流の技も使っていた…となると、使い手の魂を喰らえばその技術、特性を得られるのか、それとも……まぁいい)
理由の如何は幾つか推測できるが…今はそれを確かめる時ではなく、また、景太郎にとってはどうでも良いことだった。
やることは変わらない。ただ目の前の敵を倒すのみ。
「…………行け!」
膨大な水が二つの水流となり、左右に分かれて景太郎に向かって虚空を進む。そして影治は邪気を収束させた【ひな】を構え、地面の爆発と共にその真ん中を真っ直ぐに飛翔する。
「獅隼脚―――――だが、二度目の奇襲が通用するか」
無拍子の高速移動で跳び掛かってきた影治の斬撃を、神氣を収束させた炎帝で受け止める景太郎。
各々の刀身に纏わせた相反する氣が鎬を削り合う中、左右に分かれた水流が景太郎の後方にて交差し、そのまま左右後方から景太郎に向かって押し寄せる。
「やはりそうきたか」
刀身に収束させた氣を前面に向かって一気に解放、指向性の衝撃波として影治を吹き飛ばした景太郎は、地を蹴り瞬動術にて上空へと跳躍する。
「逃がさん…」
二メートルほど吹き飛ばされつつも地に足を着け踏ん張った影治が、景太郎に向かってひなの切っ先を向ける。
同時に、景太郎が居た空間を通り過ぎた水流が急角度で方向を変え、再度景太郎に向かって虚空を突き進む。
「白彗精―――――」
景太郎が纏う神炎が、十数個の火球―――――白い光球へと化す。
「―――――閃!!」
その言葉と共に二つの白き火球が力を解き放つ。
そして、放たれた力は白い閃光となり、それぞれが二つの水流を貫く。
―――――轟ッ!!
凄まじい火力と大量の水が衝突し、凄まじい水蒸気爆発が巻き起こる。
だがそれも一瞬、拡散した水は瞬く間に収束し直し、百を越える水の矢となって景太郎に襲い掛かる。同時に、跳躍した影治も水の矢に混じり、一直線に景太郎に向かって突進する。
それを眼下に、景太郎は残る十個近い白彗精を前面に移動。その直後にそれぞれの白彗精が光の線で結ばれる。
「白彗精―――――結」
白彗精を結ぶ光の枠の中に白く輝く硝子の如き壁―――――多角形型の結界が展開される。
百の漆黒の水矢は尽く結界に阻まれ焼滅、影治の刺突もまた貫くこと適わず弾かれる。
「小癪な……」
地に降り立った影治が、遅れて降りてきた景太郎に向けて【ひな】を構え直す。
対し、景太郎は〈結〉を解除しつつ、炎帝を右手一本で正眼に構える。
「一応、用心して様子を見たが……見かけ倒しか。もういい、一気に片を付けさせてもらう」
周囲の白彗精から解放された白き炎が周囲を舞い、景太郎の身体から立ち昇る神氣と更に喚ばれた炎の精霊を得てより一層―――――否、爆発的に内包エネルギーとその総量が増した!
(確か……三回までだったな)
「ほれ、頼まれてたやつだ」
「すまんな」
白井から景太郎へ―――――投げ渡される一本の刀。
受け取った刀の鯉口を切り十センチほど引き抜くと、そこには鈍色の鋼の刀身ではなく、透ける赤い硝子のような刀身があった。
「銘は【炎帝】。炎精石の中でもっとも高純度な部分のみを使用した刀だ。刀という種類を問わず、今まで俺の造った中でも最高傑作だ」
「そいつは頼もしいな……」
「ただし、三回だ……ただ纏わせるのならともかく、お前が本気であの技を使えば三回が限界だ。それも運が良くてな。ちなみに保証もできねぇ」
「解った。しっかりと憶えておく」
「ああ、よ~く憶えとけ。武具なんて極論をいえば消耗品…とはいえせっかく造ったんだ。大切に扱って欲しいからな」
「ああ、できる限り大切に使うと約束しよう」
(すまんな、白井。大切に使うと約束したが、もう破ることになった)
景太郎の周囲を舞う神炎が全て炎帝へと集い、その刀身を赤から純白へと染めあげる。
影治もまた景太郎の攻撃に対抗すべく、【ひな】から今までとは比べものにならないほど膨大な邪気を放出、時 同じくして顕現した膨大な水と融合する。そして邪水―――――黒流は急速に一所に集まり始める。
「我が【神剣】に宿る名の理……汝の姿が象徴するは我が魂。我が魂の猛りは其の羽ばたき…然るべくして我と汝は共にあり、一切の敵を打ち砕かん」
その言葉に従うように、黒流は掲げる【ひな】の切っ先にて一匹の鳥の姿と成す。
それは漆黒の大烏―――――嘴は恐ろしく鋭く、広げた翼は人の視界を覆わんばかりに大きい。だが、霊感の有る無しに限らず誰もがその存在がこの世界にあるまじきモノだと否定するだろう……いや、直視するだけで半ば強制的に悟らされるだろう。
その身を形成する邪気ゆえか、それとも、その大鳥が身に纏う世を否定する雰囲気ゆえかは解らないが。
「…………ひな 嚆凰剣 黒烏」
「え?! 鶴子さん、今なんて……」
鶴子の呟きを聞いた彰人が問いかける。しかし、鶴子はその言葉など聞こえていないようで、ただ景太郎と【ひな】の決着の行方にだけ意識を向けていた。
(アレと精霊魔術の融合は【ひな】にしかできへん芸当や。これで、景太郎はんの方が分が悪なった。さて、どうしますえ? このまま分の悪い賭けにでるか、それともまだ奥の手をもってなはるのか……
何にせよ、景太郎はんが勝てばそれで良し……最悪の場合は…………)
五龍が納められた鞘を強く握りしめる鶴子。その鶴子に応えるかのように、五龍からまたも鈴の音のような音が小さく鳴り響いた。
そんな様々な者達の視線の中…景太郎と影治は微動もせず睨み合う。
お互いがお互いとも、技を放つ瞬間というものを窺っているのだ。先に放ち、万が一にも避けられれば後者の攻撃にてやられる。
かといって、必ずしも『後の先』が勝利するとは限らない。『先の先』でも『後の後』でも勝利できる可能性を二人は見いだせる。
二人はそれほどの実力を有している。言い換えれば、思考の中で二人は激戦を繰り広げているのだ。
「綾乃。十円持ってないか?」
「え? 持ってるけど…そんなの何に使う気よ」
「いいから寄越せ」
「なによ、まったくもう……」
せっつく和麻に、綾乃はブチブチ文句を言いながら財布から十円玉を一枚取り出し手渡す。
それを受け取った和麻は親指を入れ込んだ握り拳の上に十円玉を乗せると……
「なっ! ちょっと和―――――」
親指で弾いて空高く舞い上げた。
「あんたなんて事すんのよ!」
「だってよ、せっかく見物してやってんのにあいつら全然動かねぇから。ちょっとしたきっかけがありゃ動くからな、そのきっかけをな」
「だからってね……」
「それによ、ずっとこのままじゃつまんねぇだろ?」
「だったら自分の使いなさいよ!」
「やだ。もったいねぇもん」
己のドケチを恥ずかしげも無くのたまう和麻に、綾乃は『そうだ、こういう奴だった…』と諦めて何も言わなくなった。
そんな二人のやりとりを余所に―――――高く空を舞った硬貨は最高点に達し、重力に引かれて落下する。意図したか、それとも偶然か二人の丁度中間に!
チャリーン!!!
硬貨が石畳に叩き付けられ、小さくも澄んだ音を響かせる。
それを開始の合図とし、二人は同時に動く!
景太郎は刀身を白く染めた炎帝を大上段に―――――峰が背中に触れる寸前まで振りかぶり、
「―――――捌っ」
全力で振り下ろす!
ただ真っ直ぐに振り下ろされた刀身の軌跡に沿い、白炎は弧月の刃となって影治に向かう。
―――――同時に、
「飛べ……」
影治もまたその刃を振り下ろし、邪水で形成された漆黒の禍々しき巨大な烏『黒烏』を向かわせた。
激突と共に拮抗する黒烏と白炎の刃―――――接点を中心に、幾度も衝撃波に似た余波を撒き散らす。
しかし、その拮抗も束の間、威力では『黒烏』の方が勝っているらしく、白炎の刃は急速に押し返され始める。
それを視界に納めつつ、景太郎は無言のまま振り下ろした炎帝の刃を翻すと、今度は左に大きく振りかぶる。それと同時に、神炎を全て放出し朱に戻った炎帝の刃が瞬時に白く染め上がる。
「―――――凄っ!」
再度、全力をもって右に一閃される炎帝。その軌跡に沿い、今度は水平の白き弧月の刃が放たれ、先の垂直の白刃と重なり十文字の形となる。
そして威力は拮抗したか、再び動きは止まり、再び―――――否、更に強い衝撃波を放ち初めた。
その霊的な衝突の凄まじさを物語るように、周囲の空間は震え、直接作用していない地面にすら亀裂を生じさせる。
微細な均衡―――――小さな一押しでもあれば一気に天秤は傾く。誰もがそう思うよりも早く、三度景太郎が動いた。
右へ振りぬいた炎帝を再び翻し、動く右手一本で今度は刺突の構えをとり、朱に戻ったその刀身を再び白へと―――――全力の神炎を収束させる。その瞬間、
ピシリッ―――――
小さな亀裂音と共に炎帝の刀身が三分の一を残して折れ、折れた刀身が地面に落ちて紅い破片となって砕け散る。一番最初に【ひな】を受け止めた際に生じた傷により、白井の想定よりも早く限界が来たのだ。
だが、景太郎はそれに構うことなく神炎を収束させ―――――
「―――――疾ッ!!」
刺突の型のまま地を蹴り、風よりも速く疾走する! そして、二本の白刃が描く十文字の交点にめがけ、躊躇することなく炎帝を突き込んだ!
「貫けッ!!」
十文字の交点に差し込むと同時に放たれる炎帝に秘められた白き炎。
放たれた白き炎は十文字の白刃を巻き込み、巨大な一筋の閃光となって黒烏を飲み込み、その奔流の中で瞬時に消滅させる。
そして黒烏を消滅させた閃光は一瞬で虚空を駆け、その先にいた身体と刀の両方の【ひな】を飲み込む。
影治は直前にその閃光を斬り裂こうと刀を振るうが、景太郎の全力三回分に近い神炎にあっけなく取り込まれ、その白き閃光の中で輪郭も残さず消滅した。
そして白き閃光はその他の物質を一切燃やすことなく夢幻の如く消え去った。
「白彗剣―――――奥義 〈焔之三剣〉」
あれほどたちこめていた邪気すらも消滅した清浄な空間に景太郎の呟きが響く中、限界まで酷使した炎帝が澄んだ音を立てて砕け散り、その短い生涯を終えた。
(ありがとう。よく頑張ってくれたな……)
景太郎は表情に出すことなく、もはや柄のみとなってしまった炎帝に目を向けつつ、哀悼と感謝の意を向けた。
今の攻撃は、神炎と剣術を融合させた景太郎独自の奥義…といえば聞こえは良いが、早い話が三回連続の全力攻撃。だが、これがただの剣術から精霊魔術との併用となると途端に難易度が桁違いになる。
ただ三回攻撃を繰り出すのではなく、全力を…攻撃と攻撃の合間の僅か数瞬の間に、己の限界まで精霊を召喚、刀身に収束しなければならない。
一体どれほどの召喚速度、収束率、精神集中を要するのかを、この場にいる極一部を除いては想像すらできないだろう。
(これが……景太郎の奥の手なの?)
この場で唯一の炎術師であり、神炎使いである綾乃は、景太郎の行ったことの難しさを誰よりも理解していた。
そして、今の自分では景太郎と同じ事はできない…模倣しても、ぎこちない酷く無骨なものになる…と。
「あんま気にすんな。あれは一応悪あがきみたいなもんだからな」
嫉妬と尊敬、様々な思いが絡まりあい、複雑な気持ちでいる綾乃に声をかける和麻。あの景太郎の技を見た後だというのに、この男には何の変化も見られない。
「悪あがきってなによ。正直、今の攻撃は私じゃ防ぎきれないわ。叔父様やお父様だって……」
「怪しいってか? 確かにな。最後のあれは親父や宗主でも防ぐのは難しいだろうな」
あっさりと綾乃の言葉を肯定する和麻。てっきり否定の言葉でも言うと思っていた綾乃はキョトンとし、和麻はその様子をニヤリと笑いながら見る。
「だがな、親父や宗主なら、まず間違いなくあの技を防ぐだろうよ」
「え? だってあんた今……」
「最後の攻撃は無理だといっただけだ。内容さえ知っていれば、親父や宗主なら初撃や二撃目を流すなり反らすなりして技そのものを防ぐだろうよ」
「そ、そうよね……」
「それに、お前だって景太郎と同じ条件で同じ技をぶつけ合ったら、半分の確率で勝ってるぞ」
「うそ!」
「嘘じゃねぇよ。そりゃ、神炎自体の質はお前の方が下だがよ、持ってる武器の性能差は半端じゃねぇ。あいつの三撃分は、炎雷覇で増幅したお前の二撃分と同程度か、ちょっと上ぐらいだ。
それに、アレみたいに撃ち合うにしても、同じ条件での炎雷覇で増幅した一撃だったら、景太郎の初撃に圧し勝つなり弾くなりできるだろうな」
客観的な和麻の指摘に、綾乃は顎に手を当て考え始める。おそらく、頭の中でいろいろと試行錯誤しているのだろう。
そんな綾乃を眺めつつ、和麻は小さな声で「ま、実際は難しいだろうがな…」と、呟いた。実は、和麻は綾乃には言っていないことがいろいろとあるのだ。
一つは最初の宗主と厳馬のこと。あの二人なら景太郎の技を未然に防ぐ離れ技をやってのけることができるだろう。ただし、それを知っていれば…だ。まったく知らない初見ではそれは難しいだろう。
二つ目に、綾乃自身の事……先程はああいったが、本当に同じ条件で技を行った場合だ。今の綾乃では初撃はともかく、二撃目が間に合わない。そして、同じ土俵に立ったとしても、戦闘における『かけひき』や『経験』云々を総合して考えれば、八割以上の確率で綾乃は負けるだろう。
(ま、せいぜい頑張って考えることだな)
必死に考える綾乃を後目に、和麻は景太郎に視線を向けながら…俺だったらわざわざ三撃目を放つ暇なんかくれてやるつもりはねぇけどな…と、胸中で呟いた。そんな折……
「どうやら、最悪の状況にはならんかったようどすな……」
安堵の溜息を吐きながら呟いている鶴子に、和麻はチラッと視線を向ける。
「さっきも言ってたな。『最悪の状況』ってのはなんだ?」
「いや、もうすんだこと…気にせんでおくれやす」
やんわりと…それでいてそれ以上は語らないと言う意思を示す鶴子に、和麻は「まぁ、どうでもいいか…」と、本当にどうでもよさげに流した。
勝ったのは景太郎…そして、その景太郎の意思如何によっては戦闘は続行か終了。今気にすべきは景太郎の判断なのだ。
一方―――――景太郎は、
(あまり人前で奥義は使いたくなかったが……相手が相手だ、一つくらいは仕方がないか)
和麻や鶴子を初めとする鋭い推察の視線を感じつつ、神炎を元の白銀の炎に戻し、周囲に漂わせる。
此処は敵地の中―――――影治には勝ったが、浦島や神鳴流の者達は今だ大勢残っている。故に、勝利に油断することなくいつでも動けるように炎を纏っているのだ。
「…………」
柄のみとなった炎帝をポケットに仕舞いつつ、周囲を見回す景太郎。
なにやら考え込んでいる綾乃や変わらぬ和麻、何とも言えない微妙な顔になっている瀬田を除き、可奈子やむつみ、はるかなどの浦島に連なるもの、並びにその守護組織である神鳴流の戦士達は、揃って苦い顔をしていた。
むつみやはるかはともかく、可奈子たち浦島側は景太郎が勝ったからではない。自分達の最高権力者にして頂点に立つはずの宗主・浦島
影治が、よりにもよって自ら進んで“魔に堕ちた”事に少なからずショックを受け、何とも言えない顔になっているのだ。
そして、身内たる分家の者達の魂を“魔”喰わせたどころか、結局は自らの魂をも喰われ、その身体まで奪われてしまった。
次期宗主にして義娘の可奈子がいるから、その事について堂々と侮蔑の言葉を吐く者はいなかったが、その胸中まではどんな言葉を連ねているのか想像に難くなく、なんともしがたい不気味な沈黙が辺りを支配していた。
その時―――――
「あらあら、もうみんな終わっちゃったのね」
良い意味でも悪い意味でも雰囲気をぶち壊す、軽くて柔らかい女性の声が綾乃達の背後から響いた。
「なつみ叔母様……」
「可奈子ちゃん。なにがあったか、かいつまんで教えてくれる?」
声を掛けてきた可奈子に、なつみは浦島の惨状を確認しつつも、相変わらずのほんわかした雰囲気で問いかける。
「それが……………………」
「そう……そんな事になってたの」
事のあらましを聞いたなつみの顔からはさすがに笑みは消え、代わりに悲しそうな表情となった。そして景太郎に向き直ると、
「景君、御免なさい。本来なら私達がやらなければならなかった事なのを貴方に押し付けてしまって……」
景太郎がいまだ臨戦態勢であるのを承知で、なつみは深々と頭を下げながら謝罪の言葉を述べる。だが…
「気にする必要はない。どちらにせよ、奴は塵も残さず消すつもりだったからな」
感謝されるいわれなぞ無い…と、景太郎はにべもなく返した。
「さて……続きをやるぞ、次は誰だ」
景太郎が遠巻きに見ている分家、及び神鳴流の者達に向かって言い放つ。
その言葉に、誰一人として武器を向ける者はなく、揃って一歩引き下がった。
「いいえ、ここまでにしましょう。これ以上の戦いは無意味……双方とも剣を納めてちょうだい」
なつみの言葉に、元舟は手で合図を出して神鳴流の者達に武器を納めさせる。浦島の分家も、なつみの言葉と可奈子が水昂覇を納めたことにより術の準備を止める。
元々、圧倒的な戦闘力の差に手も足も出ず、果ては『神炎』などという理解を超える強大な力を目の当たりにしたのだ。もはや戦意というものは殆ど失せていたのだ、なつみの言葉は渡りに船だっただろう。
しかし―――――
「関係ない…そちらに戦う気があろうが無かろうが、俺は皆殺しにする気で此処へ来た」
景太郎は構うことなく、強烈な殺気を辺り構わず撒き散らしながら、残る中で最大の障害であろうなつみと可奈子に向かって歩き出した。
「あんたもだ。二度目はない……」
「……景君。それで良いの?」
「なに?」
なつみの言葉に動きを止める景太郎。戯れ言で迷わすつもりか…と、普通なら考えていたところだが、なつみの悲しそうな瞳に思わず足を止めてしまった。
「景君。そのまま虐殺を行えば、貴方と貴方の大切にしたい人達が苦しむのよ」
「なにを―――――」
「本当は解ってるんでしょ。人を殺せば、成瀬川を…なるちゃんが苦しむことを」
「………!!」
歯を食いしばり拳を強く握りしめる景太郎。
なつみに言われるまでもなく、景太郎も理解していた。これは成瀬川一族の身と立場を守るための戦い。それにより人を殺せば、成瀬川は…なるは自分の所為で人が死んだと気に病み、苦しむだろう。
素性はどうあれ、なるは一般人なのだ。必要だから殺したという理屈は理解の範疇外なのだ。
「だから、あの大規模結界…〈白夜〉だっけ? あれで誰も殺さなかったんでしょ。やろうと思えば、この場にいる人達を全員焼き殺すこともできなのに」
確かに、なつみの言う通りだった。あの時は〈鬼神〉と宗主を倒すために術を発動させた。だが、アレは結界で隔離した一定範囲内を炎で満たす術…ならば、綾乃や和麻達だけを除外すればよかったはず。
皆殺しにするといいつつも、一番手っ取り早い行為を行わなかった景太郎。
何故か……それは、言葉はなくとも景太郎の様子を見れば自ずと理解できた。
「……もう何人も殺している。今更増えても変わりはない」
「それは必要だったからでしょ。あの人…宗主に辿り着くために。そして、他の組織に見せしめとしても。成瀬川に手を出せば手痛いことになるっていう……」
「…………」
「もう必要はないわ。宗主無き今、成瀬川の方々に手を出す者はいない。そうでしょ、可奈子ちゃん」
「はい。次期浦島宗主として、成瀬川の方々には一切手を出しません。同時に、他の組織からの手出しがあれば、浦島が全力をもって護ることを誓います」
最後に「この命と義兄への想いを賭けて」と付け足して締めくくる可奈子。
その言葉を聞いた景太郎は……静かに炎を消した。
(チッ……また景太郎の悪いところがでたな)
矛先を納めた景太郎に胸中で舌打ちする和麻。
どんなに激怒しようとも、そして憎悪しようとも、自分のことよりも大切な存在を優先する。感情よりも思考が勝っていると言い換えれば聞こえは良いが、その怒りは消えるわけでもなく、心の中に押し隠すのだ。
十年以上積み重なった憎悪に、更に怒りを上乗せし……いずれ内側から決壊するのではないかと、復讐の経験者として考えてしまうのだ。
(馬鹿野郎が。たまには吐き出さねぇと―――――ッ!!)
「景太郎、前だっ!!」
突如として叫ぶ和麻。だが、唯一前兆に気が付いた和麻の言葉に景太郎が反応するよりも早く、空間を貫いて現れた一本の漆黒の刀が胸部を―――――景太郎の心臓を貫いた。
「お義兄ちゃんっ!!」
そして一拍の時を置き、可奈子の叫びが辺りに響き渡った―――――
―――――第三十三灯に続く―――――
【あとがき】
どうも、ケインです。浦島宗主、影治は消滅し、一件は終結に向か…うはずだったのですが、まだ終わりません。
最後に現れた黒き刀に心臓を貫かれた景太郎はどうなるのか……
鶴子が懸念していた最悪の結果とはこれなのか……
いつもであれば、いろいろと書くところですが、ここはあえて言葉少なく終わらせたいと思います。
それでは、次回もよろしければ読んでやってください。ケインでした。
次回の投稿予定は風の聖痕編・二話連続(予定)です。