〈白夜の降魔・風の聖痕編〉
第一部・風の聖痕
第二幕 『策謀』
「かなり早めに終わったな」
「最初の蛇妖以外はみんな悪霊だったしね。兄貴の腕なら当然だよ」
その日の退魔仕事を終え、帰宅の徒についている景太郎と陸渡。
先のトンネル工事現場での蛇の妖魔退治に続き、五件の退魔を終えた後なのだが二人に疲労の様子はない。この二人の腕前となると悪霊退治など片手間でしかなく、捜査から完了まで平均十分もかかっていない。
それもこれも、探査に長けている風術師の陸渡、攻撃に長けている炎術師の景太郎が協力しあい、実力を遺憾なく…いや、それ以上に発揮しているからだ。
「それで、このまま真っ直ぐに帰る?」
「そうだな……このまま帰るのもなんだから、何処かで飯でも食って帰るか?」
「いいね!」
目深にかぶった帽子から唯一見える口元が、本当に嬉しそうな笑みの形になる。つきあいの長い景太郎は、それだけで陸渡が本当に喜んでいるのが解る。
時間的に、外で食べて帰っても夕食の時間に間に合ってしまうのだが、そちらは食べなければいいだけだ。
景太郎としても、家に帰って分家の連中と顔を合わせて高級料理を食べるよりも、陸渡と一緒にラーメンでも啜っていた方が何倍も美味しく感じるというのが本音だ。
「それで、陸渡はなにが良い? 何でもいいぞ」
「何でもっていきなり言われるとなぁ……ラーメンしか思い浮かばな―――――あっ!」
いきなり大声を上げる陸渡。その視線の先…真正面には、今しがた転んだのであろう五歳ぐらいの女の子が地面に倒れていた。すぐ隣にいた母親が慌てて起こそうとするが、それよりも先に素早く駆け寄った陸渡が女の子を両脇に手を添え、優しく起きあがらせた。
「大丈夫かい?」
優しい声音で女の子に問いかける陸渡。女の子は今にも泣きそうな様子だったが、寸前で止まってコクリと頷く。
「どうもすみません」
隣にいた母親が陸渡に頭を下げつつ礼を述べる。二十半ばだろうが、しっかりとした母親みたいだ。
「ほら美紀ちゃん。このお兄ちゃんにちゃんと御礼を言わないと」
「いえ、いいんです。偶々ですから……」
母親の御礼に謙虚な態度となる陸渡。帽子の所為で表情が見えないからわかりづらいのだが、照れているようだ。
「優しいお兄ちゃんね。ほら、ちゃんと御礼を言いましょうね」
「うん! ありがとう―――――お姉ちゃん!」
「なっ!!」
『プッ!』
女の子…美紀の言葉に絶句する陸渡。そして傍で聞いていた景太郎は思わず吹き出してしまう。
「す、すみません。こら、そんな事言ったらお兄ちゃんに失礼でしょう!」
「ぷ~、そんなこと無いもん!」
母親に怒られた美紀は不満げに頬を膨らませる。
「美紀ちゃん!」
「だってお母さん、ほら!!」
美紀は陸渡の帽子を剥ぎ取り、どうだと言わんばかりに胸を張る。一方陸渡と言えばいきなり帽子が取られた事に慌てふためき、母親も娘の失礼な行動に目くじらを立てて………怒らなかった。
怒るよりも先に、陸渡の容貌が目に入ってしまったのだ。
「ちょ、返して!」
「やだ~! こっちの方がいいよ、お姉ちゃん。とっても綺麗なんだから」
そう、綺麗だ。短く切り揃えられた黒髪は烏の濡れ羽の如き美しく、肌は新雪のように染み一つない。しかしそれらはあくまで容貌を栄えさせる華。陸渡の容姿は一般人を越えた美しさだった。
『女性的な顔立ち』や『女顔』と言う言葉はあるが、陸渡の顔は普通に思いつくレベルを遙かに超えた容貌だ。男はもちろん、女性ですらも惹き付けられる。
美的感覚は人それぞれ、好みが存在する。が、陸渡の容姿は極々一部の特殊な者を除き、万人が素直に認めるだろう。
言うなれば、陸渡の容貌は【絶世の美少女】なのだ。本人の性別を考えなければ……
「あ、あのね美紀ちゃん。俺は“お姉ちゃん”じゃなくて“お兄ちゃん”なんだ」
「えぇ! うそだ~」
「嘘って言われても……」
にべもなく美紀に否定された陸渡はほとほと困り果てた顔になる。だが、そんな表情すらも『美女の憂い顔』となり魅力が上がる一方だ。
「ほら、お母さんもなんとか言ってください……って、どうかしました?」
「…………はっ!? い、いえ、なんでもないです」
ハッと正気に戻る美紀の母。無骨な帽子の中から現れた陸渡の美貌に見とれていたのだ。
よく見ると見とれていた…否、見とれているのは美紀の母だけではない。周囲にいた通行人達もまた陸渡の容貌を目にし、足を止めている。よく見ると女学生やOLなどは携帯電話を取りだし、陸渡を撮ろうとしていた。
「兄貴、ダッシュ! 早くここから離れよう」
「はいはい、解ったよ。ゴメンね、お嬢ちゃん」
景太郎は周囲の状況にポカンとしている美紀の手から帽子を取ると、陸渡に向かって投げ渡した。
「行くぞ」
「うん」
帽子を再び目深に被った陸渡と景太郎は、周囲の人混みの隙間を擦り抜けるように突破するとそのままその場から走り去った。
そしてその場から数百メートルほど離れた位置まで走ると速度を落とし、最初のようにゆっくりと歩き始めた。
「陸渡、油断のしすぎだぞ」
「うん、ごめん」
景太郎の軽い叱咤に謝る陸渡。術師が…それも気配に敏感な風術師が、いともあっさりと顔を隠している帽子を取られるなど油断と言うしかない。相手が子供だったからではあるだろうが、油断は油断だ。
特に、陸渡は凄まじく目を引く容貌であるが故か酷く目立つことを嫌う。それでいつもは帽子を目深に被っている……と、景太郎は以前に聞いたことがあった。
「あ~あ、俺も兄貴みたいに即座に『氣殺』ができるようになんないとな」
「時間を掛ければできるんだ。後は修練有るのみだ」
「解ってるよ……」
「解ってるなら修練しろ。さて…あそこの屋台にでもするか?」
「うん、良いんじゃない?」
「よし、ならあそこにするか」
景太郎と陸渡は、一路遠くに見える屋台に向かって足を進めた。
「趣味悪い……」
件の屋敷に辿り着き、見上げたときの〈八神 和麻〉の屋敷に対する感想がコレだった。
高級住宅街の中、周囲との調和を完全に無視したひときわ異彩を放つ建築物のデザインに、和麻は依頼人であり住人の正気を真面目に疑う。
偶に、ごく普通の住宅街でも本格的な西洋建築で造った家が物珍しく目立つ場合があるが、閑静な日本の高級住宅街に『トルコの後宮』の様な建物が合うはずもない。
誰がどう見ても、これは明らかにマイナス方向での目立ち方だ。
「しかし、本気で辿り着けるとはな……」
情報屋・灰谷に地図を渡されたものの、和麻は興味本位…またの名を好奇心…で灰谷の言う通りここらで一番悪趣味な家は何処かと聞いたら、即答してくれたのだ。
その際、答えた人物が和麻を奇妙な目で見ていたのだが…和麻は屋敷を見た瞬間、否が応でも理解、及び納得した。類は友を呼ぶと言うが、奇妙奇天烈な家に行くのは奇天烈な人間だと思われても仕方がない……かもしれない。
「まぁ…外観だけじゃなくコレだったら、本当に悪目立ちはするな」
ジッと屋敷を見る和麻。その屋敷に漂う…いや、まとわりつく邪気は想像以上に深く、霊視力のない一般人でも薄暗く見え、本能的にこの場から離れたくなるだろう。
(確かに、呪詛とかそんなんじゃないようだが……面倒くさそうだな。いっそ帰るか?)
元々勤労意欲はある方ではない和麻は、屋敷の雰囲気から面倒くさそうな予感を覚え、更に意欲を衰えさせて帰ることを検討する。もしそんな程度のことで仕事を放棄しようものなら、これから先、仕事をほされかねないのだが…屋敷を見れば見るほど嫌な予感が強くなり、脳内の天秤が徐々に『帰る』方に傾く……そんな時、
「八神様ですね」
前触れもなくインターホンから響いた声が、和麻の脳内天秤を仕事の方へと傾けさせた。
「お待ちしておりました。どうぞ横の通用門からお入り下さい」
その言葉と同時に、門の左横にある小さなドアの鍵が開けられる音が鳴った。自分で空けて入ってこいと言うことなのだろう。
そのぞんざいな扱いに和麻は不愉快になって帰ろうかと考えたが、これから先のことを考え、何も言わずに言われるがままに通用門をくぐった。 その瞬間、凄まじい数の監視カメラやセンサーが和麻を捕捉する。しかも、対象に合わせて動くという高機能だ。
外にも死角になる随所にソレと同じ物が設置されており、それからの映像で中の人間が門前で立っていた自分を見つけたことを、和麻は気が付いていた。
(外にも内にも色々と…よっぽど後ろ暗いことしてんだな)
和麻はそれら全てを把握しながら、心の中でそう呟いた。そして………
(なるほど、あの情報屋が言っていた迷惑ってのはこういうことか……やっぱ、帰っときゃよかったな)
屋敷に入り、メイドの案内に従ってリビングに入った途端、猛烈に和麻はそう思った。
リビングに居たのは依頼主と思わしきやたら偉そうな貧相な男。そして、強い炎の気配を発する人物が一人…和麻がよく知っていた術者が居た。
その術者は和麻の顔を見た途端、驚いた顔をしたがすぐに見下したような笑みを浮かべた。
「ふん、なんだ、もう一人の術者とはお前のことだったのか、和麻。神凪の嫡子でありながら無能ゆえに勘当されたお前が、よくもまぁぬけぬけと術者など名乗れたものだな」
表情と同様、完全に侮蔑しきった声で和麻にそう吐き捨てる術師。
この術師は神凪・分家の一つ『結城』の末子で、名を慎治。かつて、和麻を好き勝手に虐待していた者の一人である。
分家とは云え神凪は神凪。実力も信用もトップクラスの術者の言葉に、依頼主は血相を変えて和麻に詰め寄る。
「それはどういうことだ、一流の術者だというふれこみで君を雇ったのだぞ!」
「あの仲介屋がどう言ったのかまでは知りませんが、不服なら俺は帰りますよ」
表情には出さずとも、うんざりとした口調でそう言う和麻。本音を言えば、神凪と顔を合わせて仕事をするくらいなら帰らせてくれ……と言いたいほどだ。
そんな和麻を依頼主はジロリと見た後、その目に小狡そうな光が浮かぶ。
「ふん…ではこうしようしようではないか。二人に除霊をしてもらい、成功した方に報酬を払うとしよう」
「なるほど、それは良い考えです」
その提案に即答する慎治。ついで和麻の方に向く。嘲笑の笑みと共に。
「お前はどうする?」
「どうでもいい」
本当にどうでも良いという感じで、和麻は肩を竦めながら了承の意を示した。
その後、和麻は何かを思いだしたように慎治の顔をまじまじと見ながら、
「そう言えば…お前、誰だっけ?」
今更ながらぬけぬけと言い放った。その言葉に流石の慎治も面食らい、暫し呆然とした後、怒りに顔を赤くした。格下である和麻が自分のことを綺麗さっぱり忘れている。とるに足らない相手だと思われていることに我慢できないのだ。
「貴様! 俺の顔を忘れたのか、この結城家の末子『結城……」
「冗談だよ、本気にすんじゃねぇよ」
「クッ!」
自分が和麻如きにからかわれただけであることに気づいた慎治は、怒りが限界を超え、依頼主の前であるにもかかわらず拳を固めて和麻に殴りかかる。
だが和麻は軽く左に避けてかわす。かわされた慎治は悔しがることもなく、突きによる腰の回転二より生じた運動エネルギーを左足に移し、そのまま跳ね上げて和麻の死角から回し蹴りでこめかみを狙う。しかしそれすらも和麻は見えているかのように少しだけ頭を反らし、必要最小限で避けた。
そして和麻は一歩踏み出し間合いを詰めると、軸となっている右足を払う。重心を見事に崩すように足を払われた慎治は自身の回転能力によって床に叩きつけられた。
「クソッ!」
かろうじて受け身を取ってダメージを最小限に止めた慎治は舌打ちして立ち上がろうとしたが、それよりも先に和麻が倒れている慎治の首に足を置く。和麻がそのまま体重をかければ慎治の首は潰れる…完全な死に体だ。
「おまえ、体術で俺に勝てるつもりだったのか? 四年前でも俺に触れることが出来なかったのに、まったく進歩もしてねぇお前が、今の俺に勝てる道理があるはずないだろうが。どうして勝ちたきゃ、〈神凪 厳馬〉か景太郎でも呼ぶんだな。案外、情けなく泣きつけば動いてくれるかも知れないぜ」
グイグイと足に体重をかけながら笑う。
「貴様~」
和麻の盛大な侮辱に、慎治の理性が音を立てて切れ、その怒りを源に炎の精霊が強引に集められ―――――
「そこまでにしてもらおう」
たが、顕現する前に第三者の声がそれを止めた。文字通り、この部屋にいた三人目…屋敷の主である依頼主だ。
「君たちを此処に呼んだのは試合をしてもらうためでも、舌戦をしてもらうためではない。そもそも、この部屋の調度品…いや、この屋敷にあるもの全てが君たちに支払う報酬よりも高いのだ。乱暴な真似をしてもらっては困る」
本人にしてみれば自らの財力を誇っていりつもりなのだろうが、聞いている者からすれば…ごく普通の感性のある者からすれば、成金臭さが鼻につくだけだった。
「へいへい」
すでに勤労意欲がマイナスとなった和麻が慎治から足をどけ、ソファーに座る。和麻の足の下から解放された慎治は炎の精霊を更に呼び、今まさに顕現させようと命令する―――――直前、再び…今度は和麻の言葉に出鼻をくじかれた。
「来るぞ」
「何!?」
和麻の言葉に訝しげな顔をする慎治。ただのはったりと判断したその時、部屋の大窓から覗く庭に現れた濃い妖気に気が付いた。
「悪霊か!」
(遅ぇ、この時点でやっと気が付くかよ。しかも、妖気の程度の区別すらつかねぇのか…この妖気の強さと濃さ、本命は下級だが妖魔だぞ)
目の前の…そしてその背後にいる邪悪な存在を冷静に見定める和麻。かなり前から気が付き感知していた分、霊視はあくまで確認作業の一環だ。
一方、慎治は炎の精霊を即座に顕現し、矛先を和麻から悪霊に変える。だが、その表情は明らかな余裕が見えている。『たかが悪霊』と侮っている証拠だ。
確かに、慎治の所属する神凪は火炎を自在に操る炎術師の中で最強と目されている一族。その炎は単純な分子運動による物理現象だけではなく、精霊という存在の力を借りた魔術。
彼ら一族が最強と目されているのは、操る炎が桁違いに凄まじい事もさることながら、その身に流れる特殊な血による力…不浄を焼き祓う破邪の秘力、浄化の力を有しているからだ。
その浄化の力を秘める炎は黄金色となり、全ての邪を滅することができる。つまり、神凪は妖魔邪霊に絶対的な優位に立つことができるのだ。
もっとも、それは血筋に宿るもの故、いまや浄化の『黄金の炎』を有しているのは宗家のみで、慎治のような分家の炎は純粋な炎の色となっている。
しかし、浄化の力は失えどその力は他の在野の炎術師と比べれば抜きんでており、悪霊・邪霊程度の存在など、余裕で倒せる存在でしかない。
そう、相手が只の悪霊程度だったら…だ。
故に―――――
「滅せよ、悪しき存在!」
悪霊がはっきりと現れた瞬間、慎治は炎を解き放つ。
悪霊を焼くという意志を込められた炎は、術者の意図通り『悪霊』を焼き尽くす。そして―――――
轟ッ!
放たれた炎が悪霊の居た空間に収束―――――そして爆発し、放った時以上の勢いでリビングの中に殺到、一瞬で煉獄の世界を作り上げた。
「悪霊如きが―――――」
言葉半ばで返された炎に飲み込まれ、倒れる慎治。その無様な様を、悪霊の背後にいた妖魔…人魂の形で、中に人の顔が浮かんでいる…が、邪悪な笑みで嘲笑っていた。
「ばーか」
煉獄と化したリビングの中で唯一の安全地帯…炎を遮断した清涼な風の結界の中で、和麻も嘲笑いながら慎治の様を見てそう言う。
周囲の惨状とは裏腹に、和麻は衣服すら乱れておらず、汗すらも掻いていない。完全に傍観者だ。
「油断してるからそうなるんだよ」
懐から取り出した煙草の先だけを結界の外に出し、火をつける。
神凪の分家の炎は浄化の力が希薄。故に、今回のように火属性の妖魔、しかも肉体を持たぬ精神生命体……より霊的存在に近い種類となると、逆に炎を乗っ取られることがあるのだ。
もっとも、和麻の言う通り油断をせず渾身の力を込めていれば、肉を持たぬとはいえ下級妖魔如きにこうもむざむざと炎を全部くれてやることはなかったのだが…まぁ、和麻にとってはどうでも良いことだ。
「さて…と。仕事も終わったし帰るか」
「た、助けてくれ!」
ソファーから立ち上がり、かつては扉があった所から帰ろうとする和麻の足下に、半ば黒こげの物体…元・依頼主が結界内に入ってきた。この燃えさかる炎の中でこの程度とは、大した悪運というか生命力に和麻も少しだけ感心した。
「頼む、助けてくれ!」
この炎の中、何も変わらず悠然としている和麻の姿に希望を見いだした元・依頼主が和麻の足に縋り付こうと這い寄るが、直前で和麻の足が元・依頼主の頭を加減も遠慮もなく踏みつける。
「もう俺にはあんたを助ける義理なんてねぇ。それと汚い手で触るな」
「わ、私は依頼主だぞ、二倍、いや、三倍払うから……」
「元だ、元。依頼は悪霊祓い。その悪霊はさっきので消えた。それで、今暴れているのは妖魔だ。別依頼になるぜ。この状況を考えて、一千万だな」
「そ、そんな……」
下級妖魔の退治は、相場でおおよそ五百万。難易度でそれは変わるが、平均と言っても良い値段だ。和麻はその二倍をふっかけたわけだが…依頼主からすれば、いきなり十倍の請求をされたようなものだ。渋るのも致し方ない…が、今の状況がそんな迷いを許さないようだ。すでに変なオブジェと化したシャンデリアを天井と繋いでいた鎖が炎で熔け、部屋のど真ん中に壮絶な音を立てて落下した。
「後少しでこの建物もおしまいだな。よかったな、随分と豪華な火葬ができて」
「は、払います、いくらでも払いますから、だから助けて!」
「毎度ありぃ」
ぼろい契約を結んだ悪魔の笑みを浮かべて言う和麻。分家とはいえ神凪の分家の操る炎を得た妖魔を退治することは相当難易度が高いが、和麻にとってしてみれば楽な仕事だ。
「さて…邪魔だ、散れ」
和麻から吹いた一陣の風が荒れ狂う炎を根こそぎ散らし、その中心部にいた火の玉型の妖魔の姿を露わにする。
「んで、あばよ」
その言葉の直後、予備動作すら無く放った風の刃が妖魔を縦に切断し、消滅させた。その実働時間は数十秒。これで一千万なのだから実にぼろい仕事だ。
「妖魔退治に一千万、家の炎を消したことに百万。計“一千百万円”。三日以内にこの口座に振り込んでおけよ。さもなきゃ、生まれてきたことを後悔するはめになるぜ」
和麻のその言葉に、依頼主は銀行の口座番号を書いた紙を受け取りつつ、壊れた人形のようにガクガクと何度も頷いた。
その依頼人の行動に和麻は満足げに頷くと、今度は近くにあった慎治の頭を踏みつけた。
「おら、人の仕事を盗み見してねぇでさっさと起きろ」
「な、何をするんだ!」
和麻のいきなりの行動に、依頼主は顔を青ざめさせながら非難の言葉を吐いた。
「君たちの間に何があったかは知らんが、死体を辱めることもないだろう」
「死んでねぇよ」
「何?」
和麻の言葉に依頼主が慎治を凝視する。
すると慎治らしき物体を覆っていた黒い炭が卵の殻よりもあっけなく剥がれ落ち、蛹から蝶が羽化するが如く、傷一つない、焦げ目一つすらない素肌が現れた。
もっとも、中から現れたのは服すら焼けてオール・ヌードとなった男の姿。和麻や依頼主からしてみれば『蝶』と言うよりも『蛾』と言うのが適切だ。
「神凪一族は皆、炎の精霊の加護を受けている。多少妖気が混じっていても、この程度の事じゃ死にはしない。分家の下の方でもな」
自嘲したような笑みと共に更に体重を掛けて踏みつけた後、どうでもよさげに足をのける和麻。かつて宗家に名を列ねてはいたものの、加護が全く無い自分を思いだしていたのだ。
そうこうしていると、呻き声を上げて目を開く慎治。そして周囲を見回し、すでに妖魔が滅んだ後であることを確認する素振りを見せる。
「これは……お前がやったのか」
「見ていたとおりだ。寝たふりして自分の尻拭いを他人にやらせるんじゃねぇよ、役立たずが」
「寝たふりなどしていない、動けなかっただけだ!」
気絶などしていなかったことを見抜かれたため、慌てて釈明をする慎治。和麻の言葉に対して怒りを感じないこともないが、それよりも依頼主に対し、神凪の風評を落とすことを回避する方が大切なのだ。
しかし、あっさりと妖魔に返り討ちにあった時点で手遅れも良いところだ。和麻はそんな慎治の態度を鼻で笑い飛ばす。
「言い訳は見苦しいぜ」
「ぐっ……」
端から見ればまさにその通り。その事実に慎治は和麻に対し何も言えず、ただ憎しみを込めた目を向けるしかなかった。
「じゃぁな」
慎治から向けられる視線など全く気にせず、背中を向けてその場を去る和麻。その背中に向けて、慎治が固い声で声を掛けた。言いたいことはたくさんあるが、今は負け犬の遠吠えにしかならない。だが、そのようなことを差し置いてでも聞いておかねばならないことがあるのだ。
「和麻、なぜ日本に戻ってきた?」
「なんとなくだよ」
和麻の答えに、慎治は表情を険しくする。
「はぐらかすつもりか。そんな理由で長老方が納得すると思っているのか。厳馬様も決してお前の帰国を許しはしないぞ!」
「はっ! くたばりぞこないがどう咆えようとも知ったことか。そもそも、俺は勘当されただけで国外追放されたわけじゃない。あの男が許す許さない問題かよ。それとも何か、この日本は何時から貴様ら神凪の土地になったんだ?」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに言った後、今度は完全に馬鹿にしきった顔でそう言う和麻に、慎治は再度質問をする。
「神凪に…戻ってくるのか?」
「馬鹿いえ。死んでも御免だ」
馬鹿なことを聞いたと言わんばかりにそう吐き捨てると、和麻は今度こそその場を去った。
(一刻も早く、この事を宗主に報告いたさなければ……)
それを見届けた後、慎治は話が付いてゆけずに呆然とする依頼主に気が付くことなく、その場から立ち上がり、これから己がなすべき事を決めた。
「知っとるか、和麻の奴が日本に帰ってきたらしいぞ。それも風術師になって」
「なに、あの能なしがか? 風術師ってのはえらく簡単になれるんだな」
「何でも、風の精霊王と契約を交わしたとか……」
「いやいや、わしは黒魔術師になったと聞いたぞ」
「そちらの方が信憑性はあるな。能なしが術師になろうとしたら、悪魔に魂を売る以外はないから」
「そう言われればそうだな」
「「「「「あははははは………」」」」」
その日の神凪邸の一室にて、長老方の会話の一部だ。慎治の報告を聞いた長老が、面白半分にあること無いことを広め回り、周囲の者達も笑いのネタとして使い回していたため、今現在、神凪では和麻のうわさ話で持ちきりだった。
ちなみに、ここで言う長老とは『現役を引退し後身の術者達の管理を司る者』の総称。まぁ、全員が全員、老人なので長老という名もあながち間違っていない。
そして報告をした慎治はと言うと、任務失敗の咎で謹慎している。実際は結城の当主が恥さらしにならないようにと息子を思い、謹慎という名目で人目を避けさせている。
その為、真実を知る者が隠れたため、噂は好き勝手にねじ曲がり、俗に言う『尾鰭や背鰭がくっついて』正されることなく広まってしまったのだ。さらには術者の管理など片手間でやっている年中暇な長老方の所為で噂は凄まじい早さで広まり、ごく一部の例外を除き、すでに使用人に至るまで知らぬものはいなかった。
だが、和麻の報復を気にする者は皆無だった。慎治と和麻が直に戦ったのはあくまで体術。炎術を風術のどちらが上かは(自分達の認識上)明らか。せいぜい、家を追い出された無能者が少々マシな力を得たと言うくらいの認識だった。
まぁ、微妙に真実が混ざっていたものもあるが、そんな事はつゆ知らず、ほとんどの者は笑い話として扱っていた。
だが、そのような中でも僅か一部の人間だけはそれを笑い話として流さず、しかと受け止めていた。
その内の一人が―――――神凪家・宗主〈神凪 重悟〉であった。
「ほう、和麻が風術を……厳馬、知っていたか?」
ここは大広間…宗主を初め、分家の当主達が一堂に会して食事をする場だ。夕食前にこの場に集まった際に報告を受けた宗主が、宗主が隣席に座る従兄弟…和麻の父である〈神凪 厳馬〉になにやら含んだ笑みを浮かべながら問いかける。
「は………」
その問いに、厳馬は苦虫を噛み潰したような顔で頷く。すでに噂を耳にしていたらしく、その表情は目の前に和麻が居たら絞め殺すのではないかと思わせる雰囲気であった。
「宗主のお耳汚しをしてしまい、誠にお恥ずかしい限りです」
「報告を聞く限りではそうでも無かろう。景太郎、お前はどうだ?」
今度は少々離れた場所に座る、つい先程に退魔より帰ってきた義息の景太郎に問いかける。
「帰宅時に噂程度の話ならば。詳細までは聞き及んでおりません」
「そうか。私も詳しい事情が知りたいと思っていたところだ。〈結城 慎治〉を呼んできてくれ」
景太郎の言葉に頷くと、重悟は控えている使用人にそう命じた。
そして暫し後……馳せ参じた慎治は、宗家の者達を前に畳に額を擦り付けるほど平伏していた。しかも、緊張のあまり汗をかき、呼吸も乱している。
神凪一族において、宗家と分家の差は絶対。下克上など夢想だにするのも愚かしい。この両者を隔絶するものは格式や伝統ではない、ただただ絶対的なまでの力の差だ。
分家の術者が総掛かりでも宗主である重悟、厳馬なら赤子の手を捻るよりも容易く殲滅できる程の差があり、その力の差の前に叛意など抱ける者などいない。
そして養子である景太郎とて『神凪』の姓を戴くに相応しい実力を有しており、宗家に相応しいその力は全員に知れ渡っている。もっとも、殆どの者が“嫌々・渋々”ながらだが……
ともあれ、分家全てを纏めたよりも遙かに上の宗家に対し、慎治がここまで緊張するのも無理はなかった。しかも、そのトップの宗主に己の失敗談を語れというのだ。本人にしてみれば、生きた心地などしないだろう。
「そう畏まるな、顔を上げよ」
気さくに話しかける重悟だが、慎治に重悟の顔を見ながら話すほどの度胸など無く、僅かに頭を上げたものの目線は依然と畳に向かったままだった。
慎治は宗家と夕食に集まった分家の当主達の視線を一身に浴びながら、震える声で報告を始めた。
そして―――――
「そうか………」
慎治の報告が終わり、同時に重悟がそう呟いた。
「そうか……」
そして暫しの沈黙の後、再度同じ事を呟いた。
(あれは…和麻は哀れな子だった)
重悟は記憶の中にある和麻…四年前の和麻の姿を思い出しつつ、物思いに耽った。
従兄弟の息子である和麻は知識に優れ、運動神経も良く、術方の修得においても秀でた才を発揮した。ただ一つ、炎術の才能を除いて………
神凪に生まれなければ、普通の家庭に生まれていれば、優秀な子だと、神童だと大切にされただろう。だが、ここ神凪において最後の欠けた才能…炎術こそ、もっとも重要視される才だった。それがない和麻は周囲から無能者呼ばわりされ、どこにも居場所すらなかった。
それでも重悟は思った。あの時、父である厳馬に勘当された時、なぜ自分を頼らなかったのか…と。自分なら、宗主である自分なら、他人が何を言おうとも炎術に拘わらず和麻の才能を生かし、居場所を作ってやれた…と。
(もしも、私が無事ならば……)
金属とプラスチックでできた右足を見下ろしながら、重悟は深く溜息を吐いた。事故で右足を失い、炎雷覇の継承の儀を急がなければ、和麻はまだ神凪に居ただろうか…と。
しかし、今更何を言ったところで遅い。和麻は家と姓を…神凪にまつわる全てを捨てて日本を離れた。『過去』は変えられない。それは事実にして絶対なのだ。
「宗主………」
誰かの言った言葉が、重悟を回想の中から現実に引き戻した。そして集まった者達を見回すと、分家の者達全員が気まずい顔をしていた。分家の中で、和麻を苛めなかった者などほぼ皆無なのだ。和麻を庇っていた宗主の思い出し怒りが向けられるかも知れない…そう思うと、平静ではいられないのだろう。
ただ、和麻を追放した張本人の厳馬と、比較的親交のあった…あくまで宗主繋がりでだが…景太郎の二名だけが、平然とした顔で鎮座していた。
「宗主、和麻はすでに神凪とは縁無き者。お気にする必要はありません」
「厳馬、そなたは自分の息子を……」
「私の息子はただ一人、『煉』のみです」
自分の言葉を遮るように断言する厳馬の言葉に、重悟はそれから先の言葉を言うのを止めた。これ以上、この堅物に何を言っても不毛な言い争いにしかならないと悟ったからだ。
「わかった。もうその話はこれくらいで良いだろう。結果として、和麻は風術師として大成したのだ。神凪を出ることはある意味正解だったのかもしれん。それとも兵衛よ、お前の所に預けていれば良き力となったか?」
下座にいた風牙衆の長『風巻 兵衛』は、宗主の問い無表情で頷いた。しかし、そこに渋面となった厳馬が横やりを入れる。
「畏れながら…風術など所詮は下術。炎術の補佐が関の山程度のもの。仮に四年前に和麻に風の才があることが判っていようとも、風牙衆如きに預けるくらいならば、アレを迷わず勘当したでしょう」
公然とした侮辱の言葉に兵衛の顔が屈辱にゆがむ。だがしかし、恐れ多いと言わんばかりに平伏したままの兵衛の表情は、誰一人として見えない。同時に、誰も…ただ一人を除いて見ようともしない。
戦闘力に至上を見出す神凪一族において、探査・戦闘補助を役割とする風牙衆の立場は限りなく低い。ゆえに今の厳馬の発言は、本人にとって侮辱などではなく、神凪全体の共通認識……身勝手な常識から来る言葉であった。
―――――だが、何処の世界にでも、共通認識に染まらない変わり者…ここでは常識人…が居る。それは、
「畏れながら厳馬殿。風術が下術などと言うのはどうかと思います」
厳馬と同じ『神凪』姓を持ちながら、神凪の血を持たぬ景太郎であった。
(またか……)
静かに睨み合う厳馬と景太郎に、重悟は些かげんなりした感じで心の中で呟く。実は、厳馬と景太郎がこうして言い争うのは今に始まったことではなかったのだ。
「風牙衆は『風術』を用い、三百年に渡って退魔の補佐は言うに及ばず、情報面を担ってきてくれました。その神凪の影を支えてきてくれた術を下術と言うのは、些か認識不足かと……」
「それがどうした。下級の妖魔にすら手も足も出ない力など、評価に値するほどの価値もない」
景太郎の意見に、即答で返す厳馬。今のやりとりで、二人の視線に鋭いものが混じり、辺りに剣呑な雰囲気が漂い始める。
「その言葉こそ、認識不足…いえ、考え無しの発言。確かに、厳馬殿が仰るとおり、風術は炎術と違って攻撃力は特化しておりませぬ。しかし、代わりに風を使った探査などに特化しております。一概に戦闘力のみで測り、判断する行為は短慮という以外ありません」
「それではなにか、炎術は風術に劣ると?」
「そうは言っていません。私が言いたいのは、風術も炎術も……無論、水術と地術においても優劣など存在せず、それぞれ役割が、言い換えれば『長所』が存在する……と、申しているのです」
「言いたいことはそれだけか……」
室内にいた分家の術者達全員が息を飲む。厳馬の声音がいよいよ危険なものになりつつあるからだ。
「聞き取れなかったというのであれば、最初から一言一句違わず言い直して差し上げますが?」
変わらず景太郎の声音は平坦。それが余計に厳馬を逆撫でしているのか、剣呑な雰囲気が一触即発のそれへと変わった。
そんな二人に、分家の者達は後の処分を承知でその場から逃げ出そうかと本気で考える。宗主の手前、よもや無かろうとは思うが、二人の舌戦が炎術のぶつけ合いに発展でもすれば、宗主を除いた全員が灰すら残らず消滅してしまうからだ。
無論、軍配が上がるのが厳馬であることは、宗主を含めた誰もが疑いはしない。だが……
(まずい状況だな……)
自分を挟んで座している二人に、顔を顰める重悟。
今現在、現役の中で炎術最強なのは厳馬だが、格闘で最強なのは景太郎なのだ。
四年前―――――和麻が追放された翌日、景太郎と厳馬が炎術抜きの、氣だけによる純粋な格闘での試合が行われた。何が発端なのかは両者とも黙して語らないが、唯一判ったのは申し込んだのは景太郎からだったらしい。
最初は、誰もが厳馬の圧倒的勝利を信じて……否、確信していた。しかし、試合が始まって三分後……その確信は覆された。
当初は皆の予想通りだった。厳馬の鍛え上げられた体術に、景太郎は防戦一方で、手を出すこともできなかった。
だが、三分を過ぎた辺りでその流れが変わり始めた。厳馬の繰り出す攻撃が防がれるのではなく捌かれ初め、徐々にだが完全に無効化されだしたのだ。反対に、攻撃を開始した景太郎の一撃は、防御されても厳馬の体力を削り、避けたとしてもそれは次なる攻撃の布石…フェイントで、更に強烈な攻撃が厳馬を襲った。
景太郎の繰り出す攻撃は厳馬を徐々に、そして確実に敗北という名の行き止まりに追い込み、反撃が始まって五分後……試合開始から八分後、ついに厳馬が地に片膝を着いた。
神凪最強の退魔師・神凪 厳馬―――――体術で自分の息子よりも幼い者に圧される。その光景に誰もが騒然とし、揃って我が目を疑った。そして……その事を無かったことにした。
今の結果は厳馬が油断していたから、それさえなければ―――――と、言う事となり、無効試合となった。
その事に、厳馬のプライドはいたく傷つけられた。油断しようと負けは負け…という、理念を勝手に曲げられたのだ。相手が分家全体…ひいては長老達とはいえ。
つまり、今の試合に不満を持ったのは厳馬も同じ…故に、暫くの時を置き、もう一度同じ条件で試合を行った。当然、今度は厳馬からの申し入れで。
そして……その時の決着は、前の試合よりも圧倒的に早いたった“二分”で決まった。言うまでもなく勝者は景太郎、敗者は厳馬だ。
以前の闘いで景太郎に殆どの戦闘パターン…拍子を完璧に把握された厳馬に勝ち目はなく、前と同じに…いや、それ以上に圧倒的に追いつめられた厳馬が、咄嗟に禁じ手の炎術を使ってしまったため『反則負け』になったという、何とも言えない結果となった。
だが、格闘術で景太郎が厳馬を圧倒していたことは事実。厳馬はまたもや騒ぐ連中を黙らせ、それを認めたことにより、その時点から神凪内での格闘の最強は厳馬から景太郎となった。
同時に、咄嗟に放ったとはいえ厳馬の『炎』を同じ『炎』で受け流した景太郎は、炎術師としての強さを全員に知らしめる結果にもなったのだった。
余分な話が長くなったが……景太郎は格闘術、厳馬は炎術と、お互いに勝っているところがあり、微妙なパワーバランスを保っていた。
その二人の距離は約三メートルと少し。その程度の距離ならば、重悟の知る景太郎なら十分な間合いの中……有って無きに等しい距離だ。もし、厳馬がほんの僅かにでも精霊を集めれば、景太郎は瞬きする間に間合いを詰め、厳馬の首をへし折る……いや、抜き手で心臓を貫くやもしれない。
しかし、厳馬も然る者。負けたとはいえその実力に偽りはなく、そう易々とはやられることはない。景太郎の初撃さえ防げれば、返す形で景太郎を炎で焼き尽くす。
最初の攻防で勝敗が決する―――――だが、それは決して起こってはならない事。どのような結果になろうと、神凪にしてみれば取り返しのつかない損失にしからないのだ。
故に、そのようなことは神凪の全てを統べる者が絶対に許すはずがなかった。
「二人とも、そこまでにしろ。せっかくの飯が不味くなる」
重悟の非難の言葉に、二人は視線を外すと宗主に向き直って頭を下げ、非礼を詫びた。
「申し訳ございません」
「宗主の御前で、見苦しい所をお見せしてお詫びいたします」
宗主によって険悪な雰囲気が一掃され、皆が安堵の息を付いた。そして申し合わせたように誰もが楽しい話題を持ち出し、場を明るく染め上げる。少々白々しかったが……
「兵衛さん」
食事も終わり、皆が思い思いに場を辞している中、景太郎が席より立ち上がった兵衛に声をかけた。
ちなみに、両者とも食事をとっていない。景太郎は外食したと言って…兵衛は自ら断って。双方とも、分家などがいる場での食事などしたくないと言うのが共通の認識だった。
「これは景太郎様」
「先程の……無理な話でしょうが、厳馬殿の言葉は気にしないでください。あなた方が神凪の為にどれほど尽くしてくれているかは、俺が誰よりも理解しているつもりです。もっとも、俺が言っても慰めにもならないでしょうが……」
「いいえ、そのようなことはございません」
景太郎の言葉を胸に染み入らせるかのように、そっと目を閉じた。
「その御言葉だけで、我々の苦労がどれほど報われるか。それに、私達こそ景太郎様が我々の為にどれほど尽力くださっているか……まさに感謝の言葉もありませぬ」
「そんなことはありません。結局の所、俺は何もできていません。何かをやっていても、改善されない限りは……すみません、俺が無力なあまりに皆に苦労を……」
「そんな! 頭をお上げください、景太郎様」
頭を下げようとしていた兵衛に先んじて頭を下げる景太郎に、兵衛が取り乱したように慌てる。そんな時―――――
「おい見ろ、兵衛と景太郎がなにやら話をしているぞ」
「まぁまぁ、仲が良いのは当然ではないか。下人と余所者、下々同士気が合うのだろうさ」
「どうせ、今話している内容も身の程知らずに我らの陰口だろうさ」
二人の耳に、遠巻きに自分達を見ている分家の人間三名が口々に呟いている。これではどちらが陰口を叩いているのか分かりはしない。
そんな情けない自分達の姿にも気が付くことなく、三名はお喋りを続ける。
「身の程知らずと言えば、あの余所者は……よりにもよって厳馬様に口答えするなど、本当に身の程知らずな。拾ってやった恩を忘れてよくもまぁ……」
「正当な血族でもない余所者が、分不相応に『神凪』の姓を授かるから増長してこんな事が起こるのだ。だから私はあの時反対したのに……」
「しかも、言い争う内容の尽くがよりにもよって風牙衆を庇ってのこと。まったく馬鹿馬鹿しい限り……」
パァン!!
突如、なんの前触れもなく三人の前のテーブルに置かれてあった湯呑みが破裂し、中の茶を撒き散らす。主に被害者はやはり三人組…四散した茶をまともにかぶり、顔と服を濡らす。
その派手な音に、一体何事かとその場の全員がそちらに目を向ける中、
「御三方、言いたい事があるのならいつでもどうぞ。こちらは暇な限りおつきあい致しますよ」
景太郎が笑顔で三人に言葉をかける。ただし眼は笑っていない。
状況から考え、湯呑みの破壊を行ったのは景太郎だろうが、三人には何を行ったのか皆目見当も付かない。
「い、いやなんでもない。気にしないでくれ」
「あ、ああ、そうだ。単なる世間話だからな」
「服が濡れてしまったな、早く着替えなければ」
周囲の…特に宗主の視線に耐えられず、愛想笑い浮かべて一目散にその場を去った。皆も薄々と何があったのかを悟ると、我関せずといった顔で次々にその場を辞した。
「やれやれ…俺もあしらい方が上手くなったな」
景太郎が呆れたようにぼやく。毎度の事なので今更ながら腹も立たない。だが、兵衛の方は違っているようだ。
「景太郎様、あまり気安く私達に声をかけるのはお控えくださいませ。このままでは貴方様の御立場も悪くなります」
兵衛に……当事者からしてみれば、どんなに回数や年月を重ねようとも、平然としていられるものではない。特に、兵衛は優しい性格をしており、家族を…仲間をこれ以上なく大切にしている。
分家達の風牙衆への侮蔑の言葉を聞くたびに、誰よりも苦しんでいるのだ。
「風牙衆の皆さんは仲間です。陸渡に至っては弟も同然です。俺は立場よりそれを侮辱される方が我慢できません」
「景太郎様………………もし、景太郎様が『継承の儀』に出て、次期宗主の座を得られていれば、我らの辿る道は、今とは違っていたのでしょうな……」
「兵衛さん?」
「言葉が過ぎました。どうか、お忘れください」
兵衛はそういうと、景太郎に深々と頭を下げてその場から去った。
「神凪……いや、『八神 和麻』か。良い時に帰ってきてくれた」
一条の光も射さぬ暗闇に閉ざされた部屋で、しわがれた声が響いた。
「皆の者、聞くがいい。ついに時は来た。三百年に亘る苦渋と隷属の時を終わらせる瞬間が!
今こそ、過去の咎にて我らを縛る者達を滅ぼし、身と心、双方の真なる自由を得るのだ!!」
『おおおおおおおおおお………』
宣言の言葉に、数多くのどよめきが空間を振るわせる。そのどよめきは歓喜、動揺様々だが、唯一共通しているのは、ばれることを畏れているかのようにどれもが声を押し殺していることだ。
「神凪一族よ、思い知るがいい。踏みつけられた者の痛みを。そして我々は自由を得る。神凪の血に連なる者を一人残らず滅ぼしてでもな……貴様等がやってきた事の報いを受けるがいい!!」
闇よりも深い怨嗟の言葉が、部屋中に木霊した……
その夜、神凪本邸の門前にて―――――惨劇の幕が開いた―――――
開幕のベルの代わりに、四つの犠牲を持って………
―――――第三幕に続く―――――
〈あとがき〉
どうも、ケインです。今回はこの辺りで一区切りしました。次回はとうとう最初の惨劇です。
最後の一行を見て、あれ? と、思う人もいるでしょうが、それは次回をお待ちください。
最初のパートにて、これは陸渡の容姿が主です。例の弟属性ばりばりの子が女の子っぽい可愛らしい顔に対し、陸渡の顔は完璧美少女顔です。
そして和麻パートですが、あまり変更はありませんでした。景太郎が絡みようがないパートはこんなものになってしまいます。チョコチョコッと変更している所はありますが、今まで何度も読んだことのある人はさらっと流してください。間違い探しをするのも良いかもしれません。
最後は……まぁ、色々です。『白夜の降魔』本編にて、和麻が言っていた“父親の負け”はこれのことです。景太郎がやや強い気もしますが…景太郎の『二つの才能』と死ぬ気で鍛えた結果です。決定打は二つの才能の一つなんですが、今は秘密です。決して『氣』ではありません。
色々と気になるところはあるでしょうが、今回はこの辺りで……それでは、ケインでした。